96、秘めた想い
この人混みでは医者を見つけるのも、彼等がこちらを見つけるのも困難だろう――と、家に戻った。そして案の定、家に戻るとその玄関先でリリィはしゃがみ、医者はその幾らか手前で木柵にもたれて煙草を吸っていた。
「あんた、煙草吸うのか?」
医者は、丁度短くなったそれを捨てると足で揉み消し、身体を起こして質問に答えた。
「いいや、数年振りだ。酒は飲むわけにはいかないから、こいつで済ませてんだ」
「······そうか」
彼の胸中を察するのは、それで十分だった。
「こんな所で何してる? 一応、鍵は渡しておいたはずだが」
「あの娘が、“どうしても“って聞かなくてな」
「リリィが? あいつ何を······」
そう思いながら、しゃがんで歩くリリィの小さな左手に乗る“物“を見た時、すぐに何をしているのか分かった。
あいつ······。
そこには土が付いた、十字架と複数の丸い石があった。
『昨日の夜、子供達と一緒に作ったんです』
マリアンヌがそう言っていたことを思い出した。それと共に、俺は『大事にする』と言ったのに蔑ろにしてしまったこと。その大事さを、子供のリリィのほうが知っていて、もう一度繋ぎ合わせようとしていることに胸が痛んだ。
彼女は「あとひとつ······あとひとつ······」と玄関前を探していた。だが偶然にも、その残り一つは俺の目下――足元の草むらに落ちていた。
「······ほら」
それを拾って、リリィに見せた。
パァッ、と、いつかにしたような顔を見せた。
どうしてお前がそんな喜ぶんだ、と思った。
「本当に、これで全部か?」
「うん。お姉ちゃんが、ぜんぶで59個あるって言ってた」
へぇ······。――ん?
「一人で全部見つけたのか?」
すると、彼女は首を振って医者のほうを見る。
彼は、素知らぬ顔で煙草を吸い始めていた。
とんだお人好しだ······。
少しだけ、呆れと共に気持ちが戻った。
「はい」
「あぁ、ありがとう」
拾った珠と十字架を渡してくれるリリィ。しかし、
「あっ、あぁー······」
それを受け取ろうとしたが、当然、まだ幼いリリィが細かいその粒を上手く渡せるはずもなく嘆きの声。数個の珠が、またしても地面にこぼれ落ちる。自分の迂闊さを棚に上げて、どこか微笑ましい光景に哀しみが幾らか紛れた。そしてリリィは、俺の手に雑に残りの珠を乗せると、またそれ等を夢中で拾い集める。
どうして、そんなに出来るのだろうと思った。
お前は、昨日のことなど何も知らないだろうに······。
見えない所でのリリィを“彼女“に聞かされてから、少し情が沸いていた。やや溺愛かもしれないが、もしかしたら“彼女“の代わりをいつかリリィがするのでは、と思った。
それは、嫌だな······。
寸刻前のことも思い出し、再び胸に影が落ちた。あまり情を抱くと後がつらいぞ――と、自分に言い聞かせた。
ともあれ、その時――、
······ん?
リリィと医者のおかげで哀しみが紛れたからだろう。心に僅かな余裕が出来たからだろう。少し前の出来事に不審な点があることを知った。それは、医者に彼女の訃報を聞いた時のこと。
『嬢ちゃん······マリアンヌが············昨夜、死んだ』
途端に、疑念が浮かんだ。
どうして、昨夜と知ってる······?
哀しみしかなかった心に、焦りと怒りのようなものが浮かび始めた。そして、しばし考え、それが行動を移させるまでに至った所で、
「リリィ。悪いがこれを預かっててくれ」
「えぇっ?」
受け取ったばかりの珠を地面に置いて、俺は医者のほうへ早足で向かった。
「少しいいか?」
「······なんだ?」
医者は俺など歯牙にも掛けず、明後日の空を見たまま煙草を吸っていた。少し苛立ったが、それよりちゃんと尋ねなければならなかった。
「······俺も、あんただと思ってない。だから聞かせろ。どうして“彼女が昨夜、死んだ“って言ったのか」
「······」
「話したくないことか? それとも話せないことか?」
医者は、こちらに目だけで一瞥。
「······お前の抱く嬢ちゃんが少し崩れるぞ? いいか?」
「······構わない」
すると少しの間の後、彼は長い煙草を地面に捨て、それを靴でそっと消した。
「······医者ってのは嫌なもんだ」
その顔は話すのを辛そうにしていた。
だが、彼は身体をこちらにちゃんと向けると話を続けた。
「俺は町医者だが、そうなる前に余計な知識と経験を積んでてな、もうしばらく忘れたつもりでも、人の死体が“いつ“死んで、そこからどんな変化を起こすのか、身体は覚えてんだ」
そして、俺の後ろをチラと見てから彼は、
「俺は、今日の深夜――日が昇る遥か前にその報せを聞いた。嬢ちゃんは傷の一つも持たず、目を瞑ってルグニスの結界のすぐ外――そこで倒れていた。先に駆けつけていた別の医者は何かの発作と見解を述べたが、後で着いた俺も同じ見解だった。······死因だけ述べれば――だが」
「どういうことだ?」
「彼女の目は瞳だけ白く濁っていた」
「瞳が白く?」
······あぁ、だから前もって確認したのか。
「目を瞑る死体ってのは、死んだ時間によってその瞳、角膜に濁りが生じる。それで、俺の経験から濁り具合で時間を逆算すると、嬢ちゃんが死んだのは日付が変わる前だった。嬢ちゃんがお前と会うことは昨日聞いてたから、だから、最初にお前を疑った。悪かったな」
『その様子だと······違うな。お前じゃなくて良かった』
それであの言葉か······。
「ただ、それだけじゃあ、まだ事故の可能性は······」
「深夜じゃ人の往来は少ないが、三、四時間もそこを人が通らないことのは稀だ。だから恐らく、誰かが気付かれないよう移動させたんだろう」
舌打ちして、彼は顔をしかめた。――が、
「ただ確かに、他の場所で倒れていた嬢ちゃんを、怖がった誰かが“他の誰かに見つけてもらうため“に運んだ可能性は否めねぇ。そればっかりは、俺にも······な」
再び疲れた顔で目を逸らす。そして、少し間を置いて、
「他に、嬢ちゃんの亡くなった時間を特定した理由に、遺体の硬直とかあるが······その辺も聞いておくか?」
言い終えてから、彼は、力のない目をこちらへ向けた。
光のない目だった。
「······いや、もういい。悪いことを尋ねた」
「構わねぇ」
彼は目を逸らすと、リリィのほうへ向かった。だが、一旦歩みを止めると、
「お前じゃないとしたら、犯人がいると思ってる俺にはそれが誰かなんて分かりやしねぇ。俺はそいつを今すぐ殴り殺してやりたいぐらい憎いが、ただ······嬢ちゃんがそれで報われて、許すかどうかなんて考えると············今はもう、何も考えたくねぇ」
そして医者は、リリィと共に散らばった珠を拾い始めた。
······。
彼は、マリアンヌが突然亡くなるなど信じられないから、そんな事をしたのだろう。哀しみに打ちひしがれ、殺意に等しい憎しみを抱いたことだろう。赤く晴らした目はリリィのものよりもひどかった。いや、どの参列者よりも。
――マルクの憎しみは消えるのか?
そんなことが浮かんだ。
しかし、その答えはすぐに返ってきた。
いや、消えないだろう······。
俺が“友人“にさえ抱いた“憎しみ“が、両親を殺した通り魔への憎しみが完全に消えているかといえば、そうではないから。
······。
その憎しみを、彼は悟られないようにしている。
······何のために?
俺も哀しみと、生まれつつある憎悪に暮れてないわけじゃない。
犯人に知られないため······?
それ以上の隠す理由は分からなかった。――が、
······っ!? ············あぁ、そうか。
しゃがんで地面に目を配る二人を見ながら、茫然と考えている内に気付いた。彼が“そうしている“意味を、彼が言った最後の言葉から理解し、奥歯を強く食い縛った。
「マルク」
呼び捨てだったが、彼は振り向くだけだった。
リリィも振り向いていた。
「もう少しだけその娘を頼む。後で叱ってくれていい」
「あ?」
その後、彼は何か言っていたが、俺は聞かずに踵を返した。
そのカフェは、ルグニスの参列者の通りから一つ外れた場所だった。
「おい、手を貸せ」
男は新聞を片手に、隣の通りの悲劇など知らぬというように、足を組んで悠々とコーヒーを飲んでいた。
「なんだ? 指定の日より早く来たと思えば、待ちきれず脅しか?」
「減らず口を聞いてる時間はない。殺すぞ」
「くっくっくっ······。出来もしないことをよく言う。お前じゃ手に余るからここへ来たんだろう?」
「······」
「そう殺意を見せるな。話を聞かないと言ってるわけじゃない」
そして、男は新聞を置くと。
「――で、何の用だ? このタイミングだから差し詰め“アレ“だろうが、他に面白いことでもあるのか?」
白い帽子に白いロングコートの褐色肌の男は、白と黒の波がある通りへ目を側めて、再びこちらに顔を向ける。一昨日のように、興味を抱いたような鋭い切れ目――『真実』を射抜くような鋭い眼光だった。
······そうだ。
俺がここへ来たのは、あの医者がリリィに『真実』を隠す理由を知ったから。そしてその『真実』を隠す理由は、一番は他でもない“あの彼女“のため。
······昨日、孤児院の“あの少女“も言っていた。
『ここは未来のための神聖な場所』
そして、
『乱暴を、私は望まない』
――とも。
それは“その少女“自身の想いではなく、そこを作った“彼女“の想い。
“乱暴を望まない“
もしそれがその字面通りの意味だとして、医者もそれを抱えていたとしたら、あの明け方に俺を殴りはしていない。あの少女も『守る戦意も削がれる』などと口にはしない。だから『乱暴を、私は望まない』と“あの少女“が言った意味は、
リリィのような、子供が居る場所では――という意味だ。
しかしそれは“彼女の想い“の欠片でしかない。
その全貌を教えたのは“報せ“を持ってきた医者。
どうして、“彼女の死“を短く伝えたのか。どうして、その『真実』を尋ねた時、俺の後ろを気にしたのか。どうして『救われも、許しもしない』と言ったのか。
それも理由は一つだ。
······全部、繋がるから――子供に。
もし、あの時全て話していれば、リリィはさらに悲しんだだろう。憎しみも抱いたかもしれない。もし、マリアンヌが亡くなった『真実』を聞かれていれば、憎しみを生むだけでなく、リリィの抱く“彼女“が崩れたかもしれない。もし、復讐を果たしたとして、これまで孤児院に何度も寄ったであろう彼に、また同じように子供が接してくれるとも限らない。不信感や恐怖を抱いてもおかしくはない。
こんな形で、“彼女の想い“が分かるなんてな······。
同時に、彼女を殺したのは俺だろうと思った。
だが、もう今はそんな後悔などしてられなかった。
「くっくっくっ、どうした? ここへ来た理由も忘れたか?」
何度も、短い道中で思考した。
考え得る限りの“人“の『幸』と『不幸』を考えた。
『あなたが二度と“過ち“を起こすことはないと。――絶対ですよ?』
だから、これからすることが“過ち“だというのなら、彼女を消した“今日“の全てが“過ち“だろう。私情は混じってるだろうが。いや、私情が混じってなきゃやってられない。私情が混じってなきゃ、やってられるか······!
俺が“今日“生きている意味があるとするなら、この、眼前で嫌らしく含み笑いする男のように“人そのもの“を軸とした信念を貫いて死んでもいい理由があるとするなら、俺にはもう“これ“しかなかった。
そうだ······。彼女の本当の願いは、本当の祈りは······。
『寂しい子供の“未来“が、正しく、哀しみを負わず、いつまでも明るく続いていくこと』
それが、今、手に取るように分かる。
俺もいつか、一部だが抱いていたことだから。
リリィには少し、迷惑を掛けるが······。
だから、それが彼女の“秘めた想い“だっていうんなら、俺は――、
「【死神】になったから、この世界を終わらせようと思う」
“未来“への禍根を断つために、
“この世界“を終わらせなくちゃいけない。
二十歳になってから崩れる“この世界“を。
――愛する、マリアンヌのために。




