表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
95/109

94、オワリノヒ

 マリアンヌは、紛れもなく聖女だった。


「そろそろ行こうと思う」


 それは個人的なものではなく、この彼女なら、誰に対しても慈悲深く接すると思ったから。それが寂しいとも思わなかった。彼女に好意を抱いた理由が“その性格“なのだから。


「一応、日が変わるまで大丈夫ですよ?」

「いや、もう十分だ。あんたに死体の世話はさせられない」


 あれから、互いに手を重ねたまま話をした。


 彼女の所にいるライラという“少女“が、実は、俺の年上であること。医者は怒るかもしれないが、リリィを“よろしく頼む“と伝えたこと。リズ達のことから俺の両親のことまで、本当は彼女は全部知っていたことなど――そんな話を。


『彼女は子供じゃないですよ? なんと、私の一つ下です』


『ふふっ、子供扱いするとすごく怒りますからね。また会うことがあったら、大人の女性として扱ってあげてください』


 また会うことなど決して無いのに、何を言ってるんだろうと思った。


『マルクは不機嫌になるでしょうね。でも、そうなりながらも、きっと、あなたのお墓にはちゃんとお参りするんですよ。“何やってんだ、俺は“とか呟いて。そしたら、化けて出てあげてください。彼は出不精で反応が薄い人ですから、驚くぐらいのことがあると丁度いいんです』


 誰かのために睡眠を代償にして出不精だろうに、そう言われる彼に少しだけ笑うように同情した。それと共に、結局謝らずじまいだったな、とも。


『不謹慎な部分もありますが、噂は、この狭い世界の、私の唯一の楽しみですから』


『ちょっとした自慢ですが、私は一度見た人の顔と名前は忘れません。だから、リズさんとノーヴィスさんから同じ名前が出た時は点と点が繋がった感じでした。実は、初めて会った時“この人かー“って思ってたんですよ?』


 人のことが好きな彼女にはぴったりの才能だと思った。ただ、少しだけ怖さも覚えたが。下手な悪さは出来ないな、と。


 あっという間の時間だった。


 彼女の左右に置かれた蝋燭は、いよいよその灯火を終わらせようとしていた。懺悔の後に「そういえば」と、彼女から返された――机の上に置いて開いたままの懐中時計を見ると、針は日が変わるまで残り三十分を切っていた。


 ちょうどいい時間だろう······。


 そっと、名残惜しい手を離して、右側に置かれた懐中時計をローブの内にしまった。それをしまい終えた頃、


「イルフェースさん」


 そう呼ぶ彼女の手は、まだ木台の上だった。


「これから、どちらへ行かれるおつもりで?」

「特には······考えてない」


 本当は決めている。家でひっそり死のうと。


 しかしそれを尋ねられた時、もしかしたら彼女は傍に来るつもりなんじゃないか、と思い、嘘をついた。やや自意識過剰なのかもしれないが、それでもやはり、彼女ならあり得なくもないと思った。先も述べたが、そんな彼女に俺の死体を触れさせるのは酷。そしてまた俺は、そんな神聖な者に“果てしなく穢れた己“を、ここでの接触以上に触れさせることをしたくなかった。だから嘘をついた。


「じゃあ······世話になった。ありがとう」


 彼女は、伏し目がちに黙ったままだった。

 しかし、俺が立ち上がった時、


「イルフェースさん」


 と、彼女は俺を呼び止めた。

 その真剣な目に、もう一度だけ彼女に身体を向けた。


「なんだ?」

「やはり、明日を生きるつもりはありませんか?」

「······幾つもの“明日“を奪った俺が人の命を奪って“明日“を繋ぐのは利己でしかないだろう。だから、考え直すつもりもない」

「そう······ですか······」


 彼女は、それ以上引き止める事はしなかった。ただその代わり、何かを思い出したような顔をしては、


「少しお待ちを」


 と、台に置いた手を自分のポケットに移す。そして、


「······これを」


 祭服のポケットから取り出した物を手のひらに乗せ、衝立の穴からこちらへ差し出した。


「これは?」

「昨夜、子供達と一緒に作ったんです。私のはもう一つ作ってありますから、これをあなたに。私の代わりと思って持っていて下さい。これから旅立つのに、独りじゃ寂しいでしょうから」


 衝立に空いた僅かな隙間を通るその手のひらには、複数の丸い石が付いた装飾。その一部には十字架が付いていた。


「······どうして、そこまでしてくれる?」

「リリィさんに夢を与えてくださったあなたに、独りはあんまりですから。それに、私も両親を亡くしてますので、独りの寂しさは知ってるんです」


 もう話も終わりだというのに、彼女は身の上をサラリと話した。


「さぁ」


 だが、話も終わりだから、話したのかもしれないと思った。自分のことで俺の時間を奪わないために。


「大事にする」


 言葉通りにも心で思いながら、手のひらから装飾品を拾った。嬉しさもあったが、心からそう思った。


「送ってかなくて大丈夫か?」

「はい。後の仕事がありますから。お気持ちだけで」

「······そうか」

「残念ですか?」

「······そんなことない。············いや、少し」

「ふふっ。私もです」

「······」


 目を細める彼女の真意は分からなかった。


「マリアンヌ」

「はい」

「あんた、行きたいとことかないのか?」

「行きたいとこ、ですか······」

「そこで、命を終わらせようと思う」

「そうですか······」

「どこかあるか?」

「んー、そうですねぇ············なら、私は海が見たいです」

「······それは、わざと言ってるのか?」

「何がでしょう?」

「俺の力じゃ、今から海までどう頑張っても間に合わない。馬車でも半日だ」

「······ふふっ、慧眼です」

「······」

「でも、海に行きたいのは本当ですよ? まだ一度も行ったことありませんから」

「······そうか。なら残念だ」

「ですね」

「······」

「······」

「ありがとう、マリアンヌ。逢えて良かった」

「いいえ、こちらこそ。イルフェースさん」


 最後だけは、余計な一言はなかった。


 身体を翻した。


 彼女が消したのだろうか、芯が燃えやすかったのだろうか、ドアを開けた際に消えたのだろうか、彼女の右に置かれた蝋燭だけが先に消えていたのを、部屋を出る直前、振り返って最後の微笑を見た時に――ふと気付いた。





 月のない夜だった。

 満天の星が、これからの死を嘆いているようだった。


 俺に、そんな器があるわけじゃないが······。


 黒いローブのまま、片膝を立ててベッドにもたれながら見上げていた。家の窓から覗く夜は、本当は明日があるのではないかと思わせるほどに透明だった。しかし、一度だけ赤い流星が見えるも願い事は浮かばず、やはり、明日を生きたいという意志がもうないのだと知った。


 だが、それで良かった。

 正しい贖罪をするには時間が無さすぎた。


 だから、誰かを殺して明日を繋ぐよりも、得られるであろうそれを繋げず、恐怖に耐え、その怖さに震え、本能と理性による苦悩と葛藤を繰り返しながら死ぬのが、今の俺に出来る最大の罰と贖罪だろうと思った。


 それさえ、甘えと言われたら仕方ないが······。


 部屋の柱時計は、残り十分を切っていた。

 立てた膝を両方にして、顔をうずめた。


 ············怖い。


 久々に思い出した感覚だった。

 得体の知れない何かが、側を泳いでるような感覚。


 ······どうして、今さら怖がる?


 そう自問した俺に“誰か“が答える。


 それが、お前の与えてきたものだろう?

 それが、お前の感じなきゃいけない恐怖だろう?


 分かってる······。


 さっきまで紛れていたのが嘘のように、恐怖は胸の内で渦巻いた。


 怖い······。


 震える自分を強く抱き締めた。


 すると、コトリ、とローブから何かが落ちた。

 聖女に貰った装飾品だった。


『私の代わりと思って持っていて下さい。これから旅立つのに、独りじゃ寂しいでしょうから』


 それを思い出しては拾い、そのまま胸に強く押し当てた。ほんの少しだけ収まった震えを感じながら、もう一度、深く顔をうずめた。


 ············怖い。


 数十年のように――とても長く感じる夜だった。






 目が覚めたのは、必死にドアを叩く音だった。

 頭はボンヤリとして、先に晴れた青空を見ていた。


 朝、か······。


 徐々に覚醒する脳は、そのドアの音を脳に届ける。


 ······誰だ?


 ゆっくりと立ち上がり、玄関の方へ向かった。

 何も考えずドアを開けていた。


「······?」


 ドアを開けきった瞬間、自分の腰に何かがぶつかる衝撃があった。眩しい朝日が広がる視界の正面には何もなかったが、その視線を下ろすと、そこには黒いワンピースを着る、フワリとした白に近い金色の髪があった。


「······っぐ······えっぐ······」


 彼女は泣いていた。


「リ······リィ······?」


 どうして泣いているのか分からなかった。


 あれ······?


 そして、これがリリィだと脳が認識した所で、ボンヤリした頭が急激に醒め、自分のことを思い出した。


 俺は、たしか······死んだはずじゃ······。


 これは、夢ではないかと思った。

 変な夢を見てるのではないかと思った。


 あの世ではないかとも、“死“は同じ時間を繰り返す“始め“なのではないかとも思った。しかし、俺に抱き付く少女の感触が、これは『昨日の続き』だと俺に知らせる。


 どういう······ことだ······。


 俺が生きていること。

 彼女がここにいること。彼女が泣いていること。


 全てを疑問に思った。


 どうして、俺は生きてる······?


 結局、制約に踊らされていただけなのか? とも思った。


 すると、


「その様子だと······違うな。お前じゃなくて良かった」


 右側から声がした。

 玄関横の壁にもたれるようにして、彼は居た。


「あんたまで、どうしてここに? それに、その格好······」


 彼――医者のマルクは黒い礼服に身を包んで、赤い腫れを目の周りに携えながら煙草を吸っていた。無精髭は綺麗に剃られていた。そして身体を起こすと、吸っていた煙草を捨ててそれを踏みにじり、こちらを向いた。


「口にするのもつれぇ。だから、端的に言うが許せ」


 一方的なその言葉を聞いた瞬間、どうしてか、心臓が鈍い音を鳴らした。森でガルバスの『真実』を聞かされた時よりも激しく。


 聞かないほうがいい――そう直感が働いた。

 だが、直感は彼の言葉まで止めるに至らなかった。


 だから彼は、その“現実“を口にした。

 関わりのある誰もが受け入れがたい――その“現実“を。


「嬢ちゃんが······マリアンヌが············昨夜、死んだ」


 ············は?


 右手から何かがこぼれ落ちた。

 握っているのも忘れていた、彼女からの“贈り物“だった。


「なん······で······」


 複数の丸石と十字架を繋いだ“贈り物“の紐は、たったそれだけで解け、地面で弾けるように珠を散らした。


 なんで、彼女が······?


 自分の命など、本当にどうでも良くなった。

 頭が真っ白で、何も考えられなかった。


 どう······して······。


 静かな町の外れで、堪えられなくなったリリィの泣き声だけが、しばらく大きく響いていた。

次回から最終章です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ