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90、イルフェースの過去

 俺の両親は、俺が小さい時通り魔に殺された。外で遊んで帰った後、当時の近所の人からその知らせを聞いた。父と母は、たしか普通の【職業】を持つ人達だった。“たしか“というのは、本当に幼い頃だったから記憶がぼんやりとして、両親の顔も声も今は思い出せなかったから。


「······またですか、マリ姉さま」


 父と母が亡くなってからの世話は、近所の人がしてくれた。二日に一回、カビの生えたパンと水を持ってきてくれた。優しい人だと思った。突然のことに、哀しみよりも現実かどうか理解出来ず、どうやって生活すればいいのか分からず、食にさえ困っている、そんな俺の面倒を見てくれたのだから。


「たまには、私の苦労を知ってください」


 だが、それが違うと知ったのは、しばらくしたある日の昼。偶然にも、その近所の人間(正確には人間等)が立ち話をしているのを聞いたからだった。それを物陰で聞いた俺は、一人で生きる決意を固めた。それが“俺の両親は死んだんだ“と自覚する瞬間でもあった。


「わかってますよ。ライラにはいつも感謝してますから」


 結論から言うと、その近所の人間は『俺の両親の遺産』を奪い取ろうとしていた。俺の父と母に親族は居なかったから(その理由は知らないが)。『【職業】と無縁で操作も出来ぬ子供が遺産を下ろして、大金を持つのは危ない』また『自分は世話をしているから』と偽り、協会にある両親の遺産から少しずつ金を着服するようにして(一度だけ役人らしい人間が来たが、その時だけいつもと違う服を着せられたのはそのせいだろう)。


「そうやって、すぐ優しいことを言う······」

「あなたを頼りにしてるんですよ、ライラ」


 それから、その日に全ての金を下ろした。だが残金は、今の場所へ引っ越し、ただ同然の働きをしながら細々と暮らす程度にしか既に残っていなかった。


「それに大丈夫ですよ。今日はマルクが居ますから」


 無意識とはいえ、俺が、人に何を考えているのか悟られない目をし始めたのは正確にはそこからかもしれない。“人“は信用できない生き物だと思うキッカケでもあったから。


「······そうですね。ただ、そこの医者には後でキツく灸を据えといてください」


 そこから戻る転機はリズ――あの四人だった。


「彼も、この時間の訪問は迷惑だと知ってるはずですからね」


 あの四人のおかげで、それなりに笑えるようになった。

 “人“を――少しだけ信じられるようになった。


「それでは、私は仕度のため戻らせて頂きます」

「はい。そちらはお願いしますね、ライラ」


 あの四人は、良い友人であり仲間だった。しかし――、


「······マリ姉さまは、意地悪なほどに優しすぎです」


 家で、待っていてくれる人とは違った。

 帰りを、微笑んで迎えてくれる人とは違った。


「だから、もう一言だけ小言を」


 良いも悪いも、人殺しも全部(くる)めて――、


「誰も彼もと、涙を流させないでください」


 優しく、抱き締めてくれるほどの“存在“ではなかった。


「私の“守る戦意“も······削がれますから」


 全てを包んで、受け入れてくれるまでの人ではなかった。


「程々にします」


 【聖女】のたった一言の言葉は、再び疑心暗鬼に取り憑かれ歩き疲れた俺を解き放った。十数年振りの、あの日の帰りから今日の今まで全て包んだように、鮮明な音と形で迎えてくれる――とても優しい温もりだった。


「おかえりなさい、イルフェースさん。お疲れさまです」

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