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89、朝日の出迎え

 ルグニスから十分程の、暗い林の中を歩いていた。


 途中までは街道と言える砂利道だったが、今は足元に草が生えた(と言っても、足首ほどの高さもない草だが)道と言えるか怪しい場所。霧も出ていた。日の光は取り込めるほどだが、空を隠すほどの背の高い広葉樹が果てしなく連なり、同じ所を歩いているような錯覚を起こした。どれだけ歩いても、鬱蒼と草が生い茂っている箇所だけは、視認できる限り一切見当たらなかった。


 どこへ連れていく気だ······?


 人気のある場所から徐々に遠ざかっているのは明らか。空が薄っすらと色を知り始めるも、林の中はまだ、微かに相手の影が見える程度。そのため、さっき殴られた苛立ちというのもあるが、この医者にも疑念を持ちつつあった。


 俺を片付ける気か······?


 二人が直接話しているのを見たことはないが、今日こんにちまでの『病院でのやり取りや』『協会で会った時』など、個々との記憶を辿れば、二人が“男女の関係“までいかなくとも親しい間柄であることは容易に想像がついた。


 【透過】だけ準備しておくか······。


 “治療の役割分担“をしているのだろうが、それにしては相手への尊重を(特にこの医者には)強く感じた。そしてそれは、敵味方と分断された時どちらへ()()かにも繋がる。この医者は間違いなく、あちら側に()()だろうと思えた。


「······」


 リズの件を思い出した。だが、


 その時は、仕方ないよな······。


 “あの恩“が彼等にはあるが、それでもラプスロッドの一件は、俺にとってそれ等を覆せるだけの天変地異だった。俺の知る限り――思う限りだが、恐らく一番“善“に近いであろう人間が、俺の思う“悪人“等と全く変わらぬ行動をしていたのだから。初めて、諦めるように「一番の諸悪は、人の心か」と思う瞬間だった。だがしかし、


 人のことは、言えないか······。


 今のこんな自分を、あの瞬間ときの俺が見たらさぞ嘲笑うだろう。世界がそうなら仕方ない。と、そう言い訳をするように自分に言い聞かせていた。


 俺はただ、その色に染まりつつあるだけ······。


 そう、何度も言い聞かせた。


 なんとか見える――前方の白い影を頼りに警戒しながら、それからも歩き続けた。スキルを準備してから五分も経っていないと思う。これまで会話は一切無かったものの、ふとした時、その白い影は前を歩きながら話し出す。


「お前、昨日言ってたな。あの病院うちに置いて欲しいって」


 静かな声だった。


「もうじき着く場所を見てなんも気が変わらねぇなら、俺があのを引き取ってやる。こんな俺でも、今のお前より幾分大事にしてやれるだろう」


 返事はしなかった。

 それはそれで、有り難いと思っていたから。


 そして――医者は立ち止まった。


「ここだ」


 その声を聞いて、やや伏せがちだった目を上げる。

 ハッ、と息を飲んだ。


 いつの間に······。


 さっきまで小雨の降る、永遠とわに続くような林の中だったのが一変、ただ、円形に木々に囲まれたような――明かりが差し込む草原になっていた。その中心には何十人と入れそうな三階建ての立派な屋敷。霧が晴れた草原に、翼を広げたように大きく構える、薄明ながらも白塗りと判る――塵の一つさえ無いように思えるその純白の綺麗な建物は、黒いローブを着る俺を場違いと思わせる程に美しかった。


 この男の······家か······?


 しかし、すぐに“違う“と思った。


 とても白衣の内にパジャマを着る男の家とは思えなかった。万能な医者だからこれぐらい稼ぎは得られるかもしれないが、彼の“無精髭“と“よれた水色の下衣“が“違う“と思わせた。


 すると、


「ここは、普通に歩いただけなら辿り着かない。あの林の正しい道を通らなければ、張られた結界によって街道ヘ戻されるからだ」


 何を言っているのか分からなかった。――しかしすぐに、あの霧、あの“果てなく続いたように見える林“のことだと分かった。また、それ等の全て(やや語弊はあるが)の幻が【スキル】によるものだとも。


 そんな、広大に使えるスキルがあるのか······。


 そう思いながら、段差のある大きな玄関へ向かう医者の後をついていった。しかし、少し離れて先を歩く医者が、その玄関前の三段程度の白い階段を上った時だった。


 ――っ!?


 ストトトトトトッ、と、空から降ってきた巨大な針が、玄関階段まであと数歩の俺の行く手を阻んだ。そして、頭上から声がする。


「それより先、あなたの立ち入りは許可できない」


 ······子供?


 さっきまで何も無かった真っ白な屋根の上に、奇抜な赤と黒のドレスに金髪ツインテールの、左手に、地面に刺さったものと同じ大きさの針を持つ“少女“がいた。そしてその少女は、軽やかに宙返りしながら同じ高さまでふわりと降りてくる。


「ここは未来のための神聖な場所。敵意を持つ、素性も分からぬあなたを立ち入らせることはできない」


 敵意······? 嵌められたか······?


 針の向こうに立つ少女の牽制に、咄嗟に【透過】をローブの内に発動していた。二ヶ月で染み付いた行動が、また普通の生活ではまず絶対に見ないであろう針が、自然と俺にそうさせた。


 武器はこの針か······? いや、しかし······。


 子供が、そんなものを使えるのか? ――それが頭を過り、これ以上の行動に歯止めを掛けた。相手にも、これ以上の攻撃の様子はなかった。しかし、


 一触即発の雰囲気に変わりはない。


 顎を引いてキッとこちらを睨む赤瞳あかめの少女からは、下手に動けば容赦しないという意思が強く見えた。


「そのまま後ろへ戻れば何もしない。乱暴を、私は望まない」


 何を試してる······?


 医者のほうへ目を側めるも、白衣のポケットに手を入れたままだんまり。


「俺はそこの医者に連れてこられただけだ。今ここで帰る意味が分からない」


 すると、やや眉をしかめて医者のほうへ目を滑らす少女。


「どういうつもり、マルク? 私の“糸“に触れるような人間を連れてくるなんて」


 医者は変わらず口を開かなかった。


 糸······?


 それが恐らく少女のスキルだろうが、林の中――またこの玄関へ向かう途中も、それらしいものに引っ掛かった感触はなかった。そのため俺は、いつ戦闘になってもいいよう、気付かれぬであろう身体の内全てに【透過】を掛けた。


 案の定、気付かぬ少女。そして、


「マルク、聞いてるの!?」


 身体を向けず、叫ぶように医者へ言った。しかし、それでも医者は黙り。いよいよ少女は、こちらを向いたままだが苛立ちを露にして言う。


「私はこれから食事の仕度があるの! だから、こんなことに時間を割いてる暇は無いんだから、さっさと答え――」


 ――と、その時だった。

 キィッ、と静かに玄関の扉が開かれた。


「騒がしいですよ、ライラ。いつも朝は静かにと······あら?」


 思わず目を見張った。


「あなたは······」


 そう彼女が言ったと同時だった。

 彼女よりも小さな影が、彼女の腰辺りから飛び出す。


「あっ、裸足じゃ駄目ですよ」


 しかし“それ“は祭服を着る彼女の言葉を振り切って、俺の腰に抱き付いてきた。俺を阻む針も“少女“の手の針はいつの間にか消えていた。


 抱きついてきたのが、一瞬、誰か分からなかった。


 ボサボサだったはずの白のような金色の髪はとかれ、ボロ切れのような服ではなく、この建物のように真っ白なワンピースを着ていたから。近くで、心配そうにこちらを見上げる――その青い瞳を見た時、ようやくそれが誰か分かった。


 リリィ······? 


 頭の中が混乱した。

 ずっと、拐われたと思い込んでいたから。


 どうして······?


 すると、その混乱を解くように不機嫌な声がする。


「ここは、嬢ちゃんが作った孤児院だ」


 孤児······院······?


 不意にも、俺とは違う種類の――事態が掴めずキョトンとしている“彼女“と目が合った。ラプスロッドで見た時と変わらぬ、透き通ったブラウンのと綺麗に反った睫毛だった。そして、何を口にしようか悩んだ彼女はこちらをしっかりと見ると、


「ふふっ、おかえりなさい」


 ベールを脱いだ彼女は、この建物が似合う、ショートの――綺麗な亜麻色の髪をしていた。木々を越えた朝日に照る、首を傾げてやんわりと笑う『この日の微笑み』が、それからもひどく脳裏に焼き付いて離れなかった。

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