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85、空虚の叫び

 全てが元に戻っても【無心】は使わなかった。“これ“を消してしまったら、死神に、完全に染まる気がしたから。鎌は元通り、手元に現すことが出来た。その黒い柄は、命の灯と心を凍らせてしまいそうな冷たさだと初めて知った。


「お前は、何故、鎌を振るう?」

「······こっちが聞きたいくらいだ」


 感情を置き去りにした淡々とした、だが憂いの顔で、胡座で座る奴の首に鎌を当てていた。しかし、抵抗や降伏の素振りなど全く見せぬ褐色肌の男は「馬鹿馬鹿しい、そんな奴に負けるなんてな」と、悔しさも焦燥も感じさせず煙草を吸いにかかる。


「まだ、何か企ててるのか?」


 尋ねると、男は煙草に火を付けながらこちらを一瞥。


「いいや。安心しろ、これ以上は時間がなかった」


 推理ゲーム中の鋭い眼光から伝わる威圧感はまるでなく、ダグニスの食堂で初めて話したような調子だった。男は火を付けると煙草を一口。その後、一仕事終えたように、長く、ふぅ······。と、白い息を吐いた。とても、死の淵に立たされている人間の行動ではなかった。


 どこまでも奇妙な男だ······。


 そう思いながら、こいつに勝てた理由を振り返った。


『そしてまた、他に一つだけ敗北条件がある。“心の深層で()()()()()の負けを認めること“だ』


 一番の理由は“【聖女】の言葉“だが、もう一つ理由を挙げるとしたら“これ“以外になかった。こいつの話した“ルール“が、()()()()()()()()()()()()()()こと。


 ······推理は、最初から不完全だった。


 冷静に考えれば、先に『俺と刺し違えるつもりだった』ことの不自然さに気付いたはずだが、こいつの、畳み掛けるように感情を揺さぶる、考えることさえ奪うほどの“再現“がそれを阻害した。事実、俺は完全にこいつの術中に嵌まっていた。そして、最後まで抜け出せなかった――あの言葉がなければ。


『逆じゃないと、変じゃありません?』


 こいつは、俺の【職業】を本気で剥奪する気でいた。


 肝心のルールが“己にも適用される“ことを、俺の敗北条件――すなわち『制限時間内に覆せなければ負け』を述べた直後に伝え、あたかも俺だけの敗北条件ものであるように思わせた。また、中途半端に、且つ、とても自然に、本題へ繋げてもおかしくはないよう噂の“死神“が俺だと、奴が確信するに至った理由を敢えて切り上げた。あれは、俺の興味を誘うための、それによって時間を奪うための罠だった。


 そして、奴が長く笑ったあのタイミング。あれは、完全に勝利を確信したから。俺に致命的なほどの動揺を生じさせ、確実に殺せると思ったから。その時に目を見張ったのは、そんな常識的なことを“知らない“など“計算に入れていなかった“から。嘲笑と驚き、勝利の笑みだろう。


 これ等全てを直接聞いたわけではないが、やはり『先に、俺と刺し違えるつもりでいた』ことが、それ等を『別の目的がある』と裏付ける重要な証拠となっていた。


 そして気付いた。


 奴の目的が“推理の再現“ではなく、『真実』によって“俺の心を崩すこと“だと。


 それが、奴の勝利への道筋だった。第二の計画だった。


 しかし――、


「どうして、刺し違えるつもりで、あの協会前に現れた?」


 それを“第二“としたことが、こいつの()となった。


 事前に計画を立て、偽の手帳を作るほど予備の計画まで入念に準備をし、俺をここまで導いた。それだけ周到に準備した人間だから、自分が反駁出来ない『答え』さえも辛くも分かっていた。ガルバスを殺した証拠が無いと気付かれたら“負け“だと。


 だから、砂時計はそれを感知した。

 俺が口にした瞬間、判決を下すように。


「先に現れた理由はお前の言った通り、凶器――それを使った完全な証拠が取れてないから。命が惜しくない理由は、私事しじで命を繋げようと思う『欲』が無いから――だ。これでいいか?」

「命が惜しくなくなる程とは、よっぽどの私事だな」

些末さまつでつまらんことだ」


 あの時の砂はもう、空に見えるほどだったから寸分の差だろう。どう転んでもおかしくはなかった。


 先にここへ導かれていたのなら、俺は確実に負けていた。この選択が正しいのかは分からないが、そうなれば間違いなく今頃、絶望の闇の底の底で、目も当てられないほど惨めにわめいていたことだろう(今はまた、違う苦痛の荒波が暴れてはいるが······)。


「なら、未練はないのか?」

「あぁ。俺は、今日までやれるだけのことはやった。野望はあるが、こんなとこでつまづく程度ならそれも叶わんだろう」


 こいつの“野望“が何かは知らないが、生きる意味を、命を費やす意味を、自分の使命と言えるものを持っていたのだと思うと、少なくとも、俺よりマトモに生きているように感じた。


 再び、落ち着きつつあった亡霊が騒ぎ始めた。


 俺は、延ばしたこの命をどうする······?


 空っぽの俺には、後悔と罪悪感以外、何もなかった。


 その先を考え始めたところで、


「待たせたな」


 男が、煙草の吸い殻を地面へすり潰した。

 別に待っていたつもりはないが、奴はそう言った。


「やはり、終わった後の一服はいい。結果はどうであれ、終わったことを身体の芯まで教えてくれる」


 ······。


 態度もそうだが、死を前にしてもこう言える奴の精神が分からなかった。また、先の『未練はない』と、はっきり、濁りなくどうして言えたのかについても。


 今際の際で、醜くも、ただ“生きたい“と思ってそれを選択した俺とは対極だった。


 すると、


「冥土の土産に聞いていいか?」

「なんだ?」

「お前の『制約』は、毎日、人の命を奪うことか?」

「······知ってたのか?」

「ただの憶測だ。今日までほぼ毎日、お前の所業と思しき死に方で人間ひとが死んでいた。それだけの理由だ」


 充分な理由と憶測だった。


 驚きはあったが『あの日の夜』を“再現“したこいつなら、それぐらい知ってても不思議ではないと思えた。


 ただしかし――、


 少し、こいつが尋ねた理由が気になった。


「お前にも、その『制約』はあるのか?」


 俺はそう尋ねたが、しかし予想とは違った。


「残念だが、俺の【職業】に制約はない。強いて挙げるとしたら先のスキル【論理ロジック】が、同じ相手に使えないくらいだろう」


 そして男は「不便なものだ」と付け加えて鼻で笑った。準備が掛かりすぎる、ということなのだろう。


 ともあれ“奴のスキルが連続で使えない“ことに、奴の言葉でハッと気付かされ安堵した。もしあれが連続で使えていたなら、俺はまた“あの状態“へ逆戻りしていただろう。そしたら内容に関わらず、今度は、心が完全に心が押し潰されていたはず。


 駄目な安堵だが、今は僅かに【死神】で良かったと思っていた。しかし、


 もう、先の罪の重さを忘れつつあるのか······?


 そう自問しては、


 いや、一生忘れるな······。


 戒めのように、そう自分へ言い聞かせた。そして、それを胸に抱えながら、


「そうか、それだけ聞ければ充分だ。そろそろ終わらせよう」


 鎌を持つ手に力を入れ直した。


「時間を掛けて、気が変わられても困るからな」

「くっくっくっ······そうだな」


 それは、別に意図もなく口から出ただけの言葉だったが、奴は静かに笑った。だが、何かを企む笑いではなかった。


「俺も久々に楽しんだ。“面白い“と夢中になってしまったほどだ」

「こんなものを“面白い“と思えるお前が、俺には分からないな」


 俺には、苦痛を覚えるだけの時間だった。

 “罪“を知るだけの時間だった。


「くっくっくっ、そりゃあそうだ。お前はまた、人から果てしなく掛け離れた位置に戻っているんだからな。ヒーローのような『誰にでも勝つ存在』ではなく『忌み嫌われる存在』のほうに」


 ······そうか。


 こいつは“普通の人間“だった。あの【スキル】こそ俺を上回るほどの性能を持ってるが、それを使わず、先に俺を――“死神“を『自身の手』で殺そうとした。


 山賊の頭は『自分』に絶望し【力】に手を染めたが、こいつは“人そのもの“を軸とした自分の信念を貫き通している。これだけは俺やガルバス、ジークという山賊や、俺が殺してきた『どの人間』とも違う部分だった。


 そしてまた、仮に【能力】を使おうとあくまでサポート。【能力】に“使われる人“ではなく【能力】を“使う人“。推理の最中でも根元こんげんにあったのは――そこに見えたのは必ず“こいつ自身“だった。


 これが、こいつの生き方か······。


 下した敵ではあるが敬意を覚えた。畏怖をした。

 それを貫くためなら、命を代償でもいいという潔さに。


 俺は――空っぽな上に、惨めに思えた。

 醜くかった。


 だから、こいつに鳥肌を覚えた。

 少しだけ、自分もこうなれたらと思った。


「どうした、怖じ気づいたか?」


 この男は、あの医者とはまた違う、自分の核を持っている。


「お前を、どう殺そうか悩んだだけだ」

「くっくっくっ······“死神“も殺し方に悩むか」


 しかし――、


 だからと言ってなんだ······。


 俺はこれを続ける以外に、何も許されない。


 もう、引き返せないはずだ······。


 ゆっくり、鎌を振りかぶって掲げた。あの日は月だったが、今日は“日々のような白い太陽“が、弧を描く、鏡のような銀の刃を鋭く光らせた。


 いいのか······?


 ――葛藤をした。


 眼前に座るこいつは“普通の人間“だ。

 その境界線を越えるのか?


 短い時間に、何度も何度も自問した。


「さぁ、この熱が冷める前に殺してくれ」


 静かに、だが、まるで興が乗ってきたかのように奴は言った。その目に怖れは無かった。ただ、命の役目を終えたと言うように、悔いのない黒目と不敵な笑みが、その双眸と口角に若干見えるだけだった。


 俺は······なぜ【死神】を続ける······?


 奥歯を、擦りきれそうなほど強く噛んだ。


 せめてそこだけは、こいつのように『ぶれない信念』が欲しかった。そこに意味があれば、人を殺し続ける理由にもなったから。


 何故、続けたい······?


 分からなかった。


「あぁ、終わらせよう」


 だからだろう――。


 それが見つからない苛立ち。こいつへの僅かな敬意。

 目も耳も塞ぎたくなるほど強烈な苦悩を抱えながら、


「本当に、残念だったな」


 精一杯の負け惜しみを放った。


「俺に······ちっとも勝てなくて」


 そして――、


 鋭く、どんなものも斬り裂く人殺しの三日月を、俺は力の限り奴に向け振り下ろした。


 ············。


 やはり、手応えはなかった。


 俺は······間違ってない、はずだ······。


 鎌に付いた血と、褐色肌の探偵の血潮は、ガルバスを殺したあの日のように、この乾いた死地しちへとジワリと鈍く染み込んでいった。

第六章まで読んで頂き、ありがとうございます。次話より第七章になります。


「面白い」

「続きが気になる」


――等、少しでもそう思ってもらえましたら、ブックマーク、また、広告の下あたりの☆の評価欄から評価をしていただけると嬉しい限りです。


☆はいくつでも、読んで感じたように押して頂いて構いません。どんなものでも執筆の活力に繋がりますので、是非、応援のつもりでよろしくお願い致します。

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