80、フェア
男はタバコを取り出し、マッチで火をつけていた。
「俺は、あの村の村長であるジェイムズの息子――“ロジャー“だ。【職業】は【探偵】。それ以上の紹介は不要だろう。誤解のないよう言っておくが、親父は何も関わっちゃいない。まぁ、嘘だと思うなら終わってからでも問いただせばいい」
使用したマッチは地面へ落とされ「さて、話を戻そう」という男に踏みにじられる。
「これから行うゲームは、さっき言った通り推理ゲームだ。俺が今日まで集めた情報を頼りに、殺人があった『その日の真相』を暴く。つまり、お前がガルバスを殺したという“罪“を確かなものにするわけだ」
俺が“奴“を殺したのは事実だ······。
そんなゲーム、俺には敗北しかないだろう······。
「だが、勘違いするな」
すると、男は見透かしたように言った。
「これはあくまでゲーム。お前が実際殺してようが、俺の『推理を覆すことさえ出来れば』このゲームの“罪“には問われず、お前の勝利だ。その際には【職業】も無事返還される」
それを聞いて、少しだけ安堵してしまっていた。
······それなら俺にもまだ、嘘でも弁明の余地はあるわけか。しかし······、
「俺が推理の穴を見つけられず、覆せなかった場合どうなる?」
「その場合はお前の負けとなり、永遠に【職業】の剥奪だ」
「剥奪?」
「正確には“封印“だな。その【職】に関する“全ての能力の封印“。あのブルーの画面を眺める以外の全てが、平凡な人間と何も変わらなくなる」
永遠に【職業】の剥奪。もしそれなら寿命も一緒に······、と一瞬、淡い喜びのようなものが頭を過ったが、直後の奴の言葉で、残念ながらその可能性は低い――と失墜。“【職業】剥奪“と“封印“とでは俺の場合、全く意味合いが違う。
故に、もし自分が負けた際の未来――寿命の制約だけが残った時の未来をふと思った。そしてその際には、
“能力なし“で人を殺さなければならない――と。
山賊を殺した時に覚えた、生温かく、ドロリとした、あの命を奪う際の気味の悪い感覚が手に甦った。思えば、これまで幾つも心臓を握ってはきたものの、それでも一番重く、この両手に一番残っていたのは、やはり、あの感覚だった。
“あれ“を、毎日続けるのか······?
俺が魔物に手足をちぎられても慣れてしまったように、それもいずれ麻痺してしまうのかもしれないが、今“この手“で、再び人間の――命を守る殻を破って奪命するのはとんでもなく恐ろしく思えた。そして、ただそれだけではなく、
そうなったら、誰を殺す······?
たった一日で、執行人になる前の俺が、死刑囚に手を下せなくなった俺が、外で『死刑に値する人間』を探して容易に殺せると思えなかった。それは感覚的なものだけではなく、自分自身の能力としても。
これまで殺した人間は、【死神】の力がなければ無理だったのだと思い知らされた。
俺そのものは······こんなにも弱いのか······?
急に、そういった人間が殺せなくなることに悲観し、自分の脆さを痛感した。“死までのこと“だけが頭を巡り、牢に放り込まれることなど微塵も考えなかった。
すると、
「続けてもいいか?」
男がつまらなそうに煙を吐いて、灰を落としていた。ふと、現実に返った。
いや······そうだ······。
危うく一人で終わらせる所だった。
今、そんなことはどうでもいい······。
冷静に考えればこのゲームは、俺に絶対的に有利な条件。なんせ奴は、“あの夜“について全てを知っているはずがないのだから。
どんな醜くても勝てばいい······。
平然とした顔で貫き通せばいい······。
これからも、人を殺し続けるために――。
「あぁ、他にも何かあるのか?」
これまでの、人間を殺す時のような冷淡な情動が途端に戻りつつあった。
「クックックッ、そうこなくちゃな。ゲームが始まる前に負けを認めたのかと興醒めするところだった。俺はまだ、大事なことを言ってないからな」
「大事なこと?」
男は、自分の顔辺りに浮かぶ砂時計を目線で示す。
「さっき“推理を覆せなければお前の負け“と言ったが、制限時間はこれ――砂時計が落ち切る前に反論することが出来なかったらお前の負けだ」
砂時計の下に砂が溜まっているが、恐らく二、三十分が妥当だろうと思える。
「そしてまた、他に一つだけ敗北条件がある」
「なんだ?」
「“心の深層でこのゲームの負けを認めること“だ。つまり“どう足掻いても無理だと心が悟っても駄目“ということだ」
「心が悟る? それはスキルが判断するのか?」
「あぁ、そうだ。その場合、これ以上の議論は不要だと砂時計が勝手に消える。······心配するな。贔屓なんてものはない。心が認めさえしなければ、推理を覆すための嘘も駆け引きも可能なぐらいだ」
なるほど、そりゃいい······。
ルールは理解してしまえば単純だった。
俺は、単なる“自己弁護“をするだけ。
ともあれ、こいつの推理を『理由付けて邪魔をする』のが俺の一番の役目と言える。そうすれば、自ずと奴の推論は崩れるのだから。
「ゲームとはいえ、やけに親切に教えてくれるんだな」
ふっ、と奴は小さく鼻で笑う。
「仕方ない。これがゲームを始める条件だからな」
「始める条件? ······っ!?」
すると、さっきまで奴の横で浮いているだけの砂時計が、徐に逆さになり始めていた。
「ゲームは、互いがルールを知らなければゲームじゃない。念のため言っておくが、武力行使は問答無用で反則負けだ。まぁ、素での闘いなら俺のほうが強いから止めておけ」
そして羽根のついた時計が逆さになりきると、溜まっていた白い砂がサラサラと落ち始める。
「さて、始めるか」
持っていたタバコを落として靴で躙る男。そして――、
「最初は、お前が奴と口論した“ルグニス協会“から入ろう」
さっきまでタバコを持っていた男の手――右手には、いつの間にかあの――俺が壊したはずの“黒い手帳“が握られていた。まるで奇術師のように取り出したそれに目を奪われていると、手帳を開く奴はそれに向けた顔をそのままに、目を側めて俺に言う。
「今さら、さっきのが偽物で、手帳が俺の【職業武器】だなんて言う必要は······あるか?」




