76、隠れた本心
合鍵を作ること、着替えや多少の金銭を持たせる事を考えながら俺はルグニス協会に向かっていた。ちなみに、リリィは俺の隣――少し後ろをちょこんと歩いている。あの医者は『置いてやってもいい』と言ったものの『ただし、お前があの娘と二人で話してからだ』と条件を付け加えていた。理由は、リリィが「嫌だ」と言った場合だけは認容出来ないから。それでも置いていくのは『育児放棄やペットのポイ捨てみたいで胸糞悪い』からだそう。やはり彼を選んで正解と言える。
とはいえ、この娘と話すためだけではなく、俺のほうも今日から病院に預けるつもりはなかった。ルグニスの店や薄暗い危険な通り、そういったものを軽く教えておくつもりだった。病院で預かる預からないは関係なしに、この国では一人で生きられるようになってもらわないと困るからだ。
俺は任務や殺しのために居ない時が多い。また、預けられるようになった場合でも、看護師等がいつも彼女の相手を出来るとも限らない。最優先は患者なのだから。
だから、そんな時に食料を買ったり散歩することぐらいは出来るように······程度の計らいだ。この齢の娘に「ちゃんと大人のように働いて生きろ」と、そこまで強いるつもりはない。金は皮肉にも“寿命を削った能力“のおかげで、ある程度なんとかなるのだから。
まぁ······それもいつまで続くか分からないが。
今の所たった二ヶ月で、俺一人の生活単位なら四年は生きられるほどには稼げた。だがそれでも、娘が一人で稼げる年齢になるにはこれでも程遠い。“正しく終わりを迎える道“を歩ませるのに必要な金としては、まだまだ微々たるものだった。
魔物討伐の依頼なら、増やしても容易いか······。
そんな事を考えていると協会の前へ着いた。真昼だからだろう。その外観だけは、石造りのようにしてある建物入口横には、ちょっとした人の列が出来ていた。その奥には『リアカーのパン屋』と『生活雑貨の露店』。夫婦で営んでるようだった。今は雑貨露店を片手間に、短髪の夫がパン屋を手伝っている。
ふと、あの女の言葉を思い出した。
『あっ、カリーナさんは協会に来てる“露店商の奥さん“ですよ』
あの言葉はどちらの意味かと思ったが、どうやら“パン屋の奥さん“という意味らしい。エプロンと緑の三角巾をする彼女は、肩甲骨辺りまであるウェーブの髪を右側で束ねて胸の前に流していた。夫に比べ、少し若く見えた。
いつも朝から依頼を受けて国外へ出向き、昼を跨いでルグニスへ帰ってくることが多いため、こんなものがあるのは初めて知った。しかし、露店に服は無さそうなため、今は用がなさそうに思えた――が、協会の中へ入ろうとした時、
ん······?
リリィが、その列の前で立ち止まっていた。
はぁ······。
自分もそういう人間だったはずなのだが、子供というのは面倒で世話が焼けるんだな。と、ふと思った。俺も、彼女ぐらいの年頃にはまだ両親が生きていたため“苦労を掛けたのかもな“とも。
ともあれ、身長がまだ未熟な彼女はその列が気になるようだった。道中はなんだかんだ小走りで必死について来ようとしてたのだが、今は俺が全く側に居ないにもかかわらず、ただ夢中にそちらを見詰めている。大人でも魅かれるような、焼きたてのパンの香ばしい匂いが僅かに漂っているのだから仕方ないのかもしれないが、彼女はすっかり誘惑され、全く動く気配もありそうになかった。
しょうがない······。
パンを買う金ぐらいは持っている。ここで生活させるための金を下ろしている間にでも、食べさせて待たせればいいだろう。それに俺も昼はまだだ。
列に並んで軽く手招きし、彼女を呼んだ。どうせ「欲しい」と言わないのだからそうした。リリィは、パァッ、とここに来てから一番で少女らしい顔を見せた。
そうしてくれたほうが、俺も楽なんだけどな······。
しかし案の定、すぐに躊躇いの顔を見せる。彼女なりに考えた『良くも悪い癖』が現れていた。ただしかし、そちらがそうであっても、こちらとて変わらない訳じゃない。
放っておけば来るだろう······。
俺は構わず彼女に背中を見せて、列の前方を向いた。すると、しばらくして、いつの間にか隣に居る少女。少しだが、扱いには慣れ始めていた。そして“パン屋に夢中で視線も合わない彼女“をチラと横目に見ては、
この癖も、ちゃんと使い分けれるようになればいいが······。
――と、保護者のように要らぬ心配をしていた。
しばらくして、自分達の番が回ってきた。
対応してくれたのは夫のほう。
気さくそうな彼は「いらっしゃい! 何にする?」と、開口一番そう言うが、注文に迷う俺等――特にリリィを見兼ねては「今日のオススメはこれだよ」と彼女の目線まで屈んでは助言。結果、リリィは、カラフルな粒が乗ったチョコクリームパンを一つ選んだ。俺は、クロワッサン二つとリンゴのデニッシュを一つ。
「まいど! ちょっと待っててくれ」
金を渡すと、彼は紙袋に丁寧にパンを詰め始める。リリィは、それを初めて見るかのように、その作業にさえも釘付け。
夢中になれるものがあるのは良い事だと思うが······。
少しだけ、不安を覚えるほどの夢中さだった。――と、その時、不意にも声を掛けられる。
「ここのパンは評判らしいな」
左側――妻のほうでパンを買う男だった。グレーの帽子にグレーのロングコート。彼の声は、俺に聞こえる程度に小声だった。俺は目を側めただけだったが、注文を終えて、同じように待っているだけの男は会話を続ける。
「ただ評判······噂って言っても色々あるよな。子供の神隠しだとか、狂人になった人間だとか、ある村近辺の山賊皆殺しだとか――あぁ、綺麗な姉ちゃん。そのトマトは抜いてくれ。――そして、その山賊を殺した············」
男はこちらを目を滑らせると、意味ありげに、
「死神、の話だとか」
思わず指先がピクリと動いた。
俺は平静を装って徐に隣を見た。よく見ると一昨日――『神環の日』を知る前、俺が協会へ向かう際すれ違いざま、ひどく怪訝にこちらを見てきた男だった。
なんだ、こいつ······?
わざわざ、今この場で引っ張り出してくる話題ではない。どう考えても不自然だ。
「死刑囚の変死を知ってるか? 皆が皆、心臓発作で死ぬんだ。奇妙なものだよな。あそこまで強固に警備されてるのに、滅菌だってしたのにここ二ヶ月、死刑囚は立て続けに死んでいるらしい。まるで、死神が順にそいつ等を訪れてるみたいじゃないか? それこそ、透明にでもなって」
「――っ!?」
こいつ、まさか【透過】まで知ってるのか······?
「まぁ、俺もそんな馬鹿げたことがあるとは思ってないがな。············けど、もしかしたら、そこのお嬢ちゃんなら知っ
てるかもしれない。とある国では『七歳までは神のうち』なんて言葉があるくらいだ。だから、神だった時の記憶が残ってれば、死神とだって友達かもしれないだろう? どうだ? あんたはどう思う?」
どうも何も、昨日一昨日のことだ。
彼女が忘れているはずがない。
子供であり、自分から喋らないリリィにそんな口止めは“必要ないだろう“としてこなかった。
「さぁな。この娘はもう九つだ。そんなこと無駄だろう」
自分でも“見当違いな答えをしている“とすぐに思った。失言だとすぐに思った。動揺と、リリィに口止めをしていなかった焦りから思わずそう口にしてしまった。
「なら、試しに聞いてみてもいいか?」
そして男は、まるでその言葉を逃さないように薄ら笑いを浮かべていた。その後、小さく肩で「ケッケッケッ」と笑う様は、死神が首に触れるような不気味さを帯びていた。




