70、金の雨
金の滴が落ちた瞬間、“キュベリィ“と呼ばれる女の身体は右肩から左の腰にかけて真っ二つになっていた。後ろからだったため斬れた方向は逆だが、刃の端だけ解いた【透過】は、俺が最初に殺した“あの男“のように崩れた。
金の滴は娘の頬に当たり――弾けた。
それよりも多くの血飛沫が娘には掛かった。
女を中心とした金の絨毯は、瞬く間に血潮で汚れた。
屈強な男達は分離した女王の身体に、異形なあやかしを見たように目を見張り、娘を押さえることさえも忘れた。娘は自分を押さえる手を振り払うと、母親の元へよろけながら走り、咽び泣いては寄り添って母を呼んでいた。娘の頬についた血で、像はルビーのように幾らか汚れた。
女王に続いて、呆然と立ち尽くす男を二人殺した。
テントの中は瞬く間に騒ぎになっていた。檻の中や、商品を見ていた商人からは悲鳴。特に檻の中からは「待ってくれ!」「置いてかないで!」と、拒むように睨んでいたはずの者達に助けを求めていた声が多かった。
するとその時、そんな騒ぎでも響く声がした。
商人等がテント出口へと走って逃げ出し、腰を抜かした黒ターバンの商人を俺が殺そうとしている時だった。
「どうやら、妾を殺そうとする不届き者がいるようじゃ」
同時、サーカステントの入り口が、まるで見えない巨人がカーテンを閉めたようにバッと塞がれる。商人等はそれでも閉じた隙間から逃げようとするが、カーテンはまるで固い金属のように固まって動かなかった。
「まだこの中に居るんじゃろ? 不届き者め」
声は、俺の背後から聞こえた。
······面白い。
女王は、背後の台座の上――背もたれのある豪奢な金の椅子に座って足を組み、肘掛けに肘をついて頬杖を付いていた。女の死体があるはずの場所に身体はなく、流れ出たはずの血液は僅かになっていた。
「ほれ、妾は此処ぞ? 殺して見るがよい」
俺の【再生】と同じタイプのスキルと思えた。血がやや残っているのは、恐らく鎌の効果によって修復し切れなかった部分だろう。
······なら、望み通り殺してやる。
【浮遊】と【透過】を使用。ここ二ヶ月で新たに覚えたスキルもあったが、今は必要ないだろうと控える。
他人には見えないが、俺は黒のローブを靡かせ台座のほうへ風のように飛ぶ。そしてすれ違いざま、今度は女の頭を寸刻前と同じように斬り分ける。頭を狙ったのは、自分のスキル【再生】が『頭を失くしても可能なのか』確かめるために良いと思ったから。
金の背もたれと、一緒に女の頭がズルリと滑り落ちる。だが、
――っ!? これは······。
今度は血はが上がらなかった。
斬った女の断面が金で出来ていた。
身代わりか······。
直前まで確かに口は動いていた。しかし、相手に俺が攻撃するタイミングは見えるわけがない。となると――、
金を自在に操れ、身体も金に出来る······か?
俄に信じがたいが、その可能性は存分にあり得た。俺が身体を消し、仮に腕を失くしても再生出来るほどだ。今さら、スキルによって身体が物質に溶け込むとしても、なんら驚くことではないだろう。
そして俺が斬ったのは女ではなくただの物。ということは『頭を失くした場合の修復は可か不可か』というその仮説は確認出来そうもなかった。そんな形のない人間の頭を斬るのは至難の技だろう。しかし、とはいえ――、
本体をどう見つける······?
これまでと変わらず、こちらが返り討ちに会う可能性はほぼゼロではあるものの、一度隠れた敵を見つけるのは困難だった。そして敵は、俺を殺すのが無理だと悟ったら逃亡を図ってもおかしくない。ここで無理をせずとも、自在にテントまで操れるのだから奴は場所を変えるだけのことだろう。
それにまた、俺としても再びわざわざ探しに行く――そんな面倒なことだけは避けたかった。
と、その時――、
「金を容易く斬るのは見事じゃが、そんなものか?」
鼻の中程から上は無いにもかかわらず、女の声がした。台座に座る像から聞こえたような気はするが、しかし、反響した声は正確な位置を掴ませなかった。
「来ぬか。なら、次はこちらから行くぞ?」
直後、テントの中で雨が降り始めた。
「ひっ」
悲鳴を上げたのはあの黒いターバンの商人。商人は空から降ってくる滴に怯えては身を屈めていた。こんなテントの中に雨など入って来るはずもないのだが、それは確かに降っていた。
なるほど。金の雨······か。
もし、俺が女の能力を知らず【透過】も使ってなければ、今頃自然と天を見上げ、針の穴のような隙間から染みた滴が口へと入り、俺は物へ変えられていたことだろう。今回の事前準備は、成功の部分が大きいと言えた。
ともあれ、しかしこれは――、
まだ相手が俺の位置を掴めてない証拠でもあった。
消えていることまでは掴めてない証拠とも言える。
また、あえて二度目の攻撃後に使ったのは商人達への配慮だろう。自分は無事、味方だと知らせるための。多くの商人にとって今この雨は、自分達の命を脅かす暗殺者を炙り出すための、救いの雨にもなる。それが普通の考えだ。その証拠に、先まで身を屈めていた黒ターバンの商人は、自分が金にならないことを悟るとそっと顔を上げていた。
ともあれそうして、テント内で金に変わった者、その素性を持ち物や首輪から商人でも商品でもないと判れば、自然とその者が暗殺者ということになる。また、余計な暗殺も防ぐことにも。
だが――、
俺は絶対に雨には当たらない。
この【透過】がある限りは。
しかし、
見つけるのが先か、逃げられるのが先か······。
互いの命の取引は、そこで命運が別れるとも言えた。




