68、ラプスロッド
横顔で特に印象を覚えたのは、透き通ったブラウンの瞳に、綺麗に反った睫毛だった。小鼻で、少し丸みのある小顔だと、子供の手を握りながら優しく叱る姿が、不思議と目に焼き付いていた。噂のことを聞きながら、口角がいつも上がった女だと改めて思っていた。ベールで髪は見えなかった。
何故、ここに······?
あれからすぐ、俺は自然と彼女の後をつけていた。見失わぬようすぐに通りへ出てしまったため【透過】も使わず。それからでも使おうと思えば使えたが、人混みで突然消えるのは小さな騒ぎになると思い控えた。
ここは、人を売買する市だろう······?
買う側売る側、どちらにしてもこんな場所に無縁であるはずの彼女がいることに違和感を覚えた。フードを被る彼女はやや俯き、ラプスロッドの闇に溶け込むよう黒のローブに身を包んでいる。今は口元さえも隠すように。
皆が皆、同じような格好をしているため、斜め後ろから歩いているとすぐ見失いそうになった。だが、なんとか追えた。追っている時、今も彼女は口角が上がっているのだろうか。と、ふと思った。
五分弱して、彼女は止まった。
まるで、移動サーカスのように大きいテントの前だった。
マリアンヌは、中の見えないその円錐のようなドームの前で、拳銃を腰に添える男と話していた。一言二言何かを交わし、そして、側にあった幌つきの馬車へと乗り込んだ。その馬車は程なくして何処かへ出発した。
物陰から始終を見ていた俺は、表へ身を出した。彼女を追い掛けることも可能だったが、そこまで追い掛けるべきかと問われればそうでもなかった。俺の本来の目的は、人を金にする保証書を貼れる人間を探すこと。咄嗟に追い掛けてはいたものの、これ以上は必要ないだろうと思った。
しかしとはいえ――、
こんな場所に、こんな大きなテントがあると思わなかった。
今までの露店は小さな出店で、檻に入った男や鎖に繋がれた女が一緒に置いてあるのがほとんど。目の前の鮮やかさとあやかしの異様さに気を取られて、全く気付かなかった。大きいテントとはいえ、上のほうが遮光されているだけで闇に溶け込んで見えるのだと知った。
俺は近くにあった、檻に入る売り物の男も胡座で眠り、椅子に座る店主も眠たそうなその露店を尋ねた。
「ちょっと聞いていいか?」
身体の大きさが分かるほどの、デカイ黒のローブを身に纏う、頬が膨らんだように丸い顔の主人は、俺が客ではないと分かるのか面倒くさそうに「あぁ?」とこちらを見た。
「なんだ?」
「ここに来るのは初めてなんだが、そこのテントは?」
「······へっ、そんなことも知らねぇで来たのか」
店主は鼻で一蹴。だが、親切に教えてくれた。
「特別な商品を売買したり、人間を商品にするための場所だ。馬車で人だけを大量に売りにくる奴もいる。まっ、俺ら商人の大半は最初にそこへ行って、売り物を逆らえないようにしてもらうんだけなんだがな」
「逆らえないようにする?」
すると、その言葉は興味を引いたのか、店主はややこちらに顔を寄せて薄笑いを浮かべる。
「商品に、店主あるいは顧客に逆らったら『金になる呪い』を掛けるのさ」
「――っ!?」
いや、そんなまさか······。
狙いの人物がそこにいると知った驚きもあるが、だが、それ以上に今は――、
“あの女“が、そんな取引を······した······?
非人道的なことを全く感じさせないあの【聖女】が、“ダグリスの翁“と同じ契約を交わしたであろう衝撃に強く動揺を覚えた。小さく抱えていた疑問が、一気に頭の中を埋め尽くしていた。
あの女に取引するメリットが? 理由が? いや······なんだ······? リズの時、俺の側にいた彼女に、祈りの言葉を後でくれた彼女にそんなものが? 人を売った······? ······子供? そうだ。彼女はそういえば子供を連れていた。あの子供はどこの子だ? ······いや、そんな目立つことは考えにくいか。なら何故ここに······? 彼女は協会の人間··················っ!?
ひとつ、会話の中で彼女と繋がりそうな点があった。
それなら、可能性として十分にあり得る······。
『信頼が99%なのは許してくださいね。信頼が100なんて人は、残念ながらこの世には居ませんから』
それは、そういう意味だったのか······?
「もう一つ聞いていいか?」
「あぁ? しょうがねぇ、なんだ?」
「その金の呪い······それってのは、安く人を買ってわざと逆らわせる奴もいるのか?」
すると、店主は俺の目を長いこと見た。
そして、肩で薄気味悪く笑う。
「······ひっひっひっひっ。あんた、もしかしたらこの場所が向いてるかもしれねぇ」
その笑いはまるで、あやかしの仲間を受け入れているかのようだった。
「そうだ。それで金を稼ぐ奴だってごまんといる。親から捨てられたガキを貧民街から拾って売るのもいれば、あんたの言う通り、安く買った人間を金にして売り飛ばし、成り上がった奴もいるくらいだ。まさに一攫千金の街だろ? ここは。――へっ、ここのボロ商品もそろそろ逆らってくれたほうがいいくらいなんだがな。餌代だってそう安くはねぇってのに············あ? ······ちっ、行っちまいやがったか」
いや、そんな馬鹿げたことあるか······?
俺が考えたのは、店主の言う『わざと金にして稼ぐ』ではない。だが、彼の言葉はかなり、俺の考えの可能性を高めた。その考え――彼女がここへ来たのが稼ぐことではなく、もし、金そのものが目的だとしたら。
俺には“それ“を必要とする場所に心当たりがあった。いや、二十歳以上ならほとんどの者が心当たりあるだろう。
······俺に能力を与えた神。
その神の居る場所へ行く前の――あの空間。
一面、余すとこなく金で覆い尽くされ装飾された空間。
“天上の間“。
もし、あれが全て、元は人だったのだとしたら······?
寒気を覚えた。
人をわざと金に変え、天上の間の補修に当てるという、狂気的なことを、もしもあの彼女――彼女等がしているとしたら······。
これまでの彼女の言葉や、微笑が、全て悍ましく思えた。
俺は自然とテントのほうへ歩いていた。中を見るまではひょっとはしたら、“あやかしの虚言“なのでは? と、彼女に一縷の希望を持つように心で思っていたからだった。
だが、
「――っ!?」
咄嗟に物陰へ隠れていた。
それはまるで、その俺の考えを裏付けるような光景だった。その者――その人物はちょうど、あの大きな三角テントから現れた瞬間だった。
協会の人間だった。
彼女のように入り口の見張りと二、三話をして、彼は馬車に乗り込んだ。馬車は程なくして、彼女と同じ方向へと去った。
その人物に間違いないことを、俺は記憶の中と確かめた。
······間違いなかった。
やや出張った目をした初老で、怖く見える細い身体。今去ったばかりのその者は、俺に最初の手引きを教えてくれた、天上の間の守衛――【神官】ハーウェイルだった。




