65、あの日の続き
今朝、起きたばかりは妙な気持ちだった。
軽い苛立ちと充実感が混在していた。
苛立ちの理由は分かってる。グレイナにあんな事を言っておいて自分を棚に上げているからだ。今回のことは「自分は全くの加害者ではないのか?」と問われれば、どちらなんてのは一目瞭然だった。
リズのことを最優先に“あいつならば“と想いを尊重したが、全ての事実をもし皆が知ったなら『都合の良いことを言っている』と軽蔑することだろう。間違いなく。
······そう。
俺は本来、人のことを言える立場じゃない。たとえ、この選択は間違いじゃないとしても、そこは忘れちゃいけない。こんな俺が講釈垂れを続けようものなら、それこそ、ただ歳を食って偉くなっただけの枯れ木と何ら変わらない。単なる自己肯定になるだろう。今まで消してきた人間となんら変わらなくなってしまう。
俺は“あの日“から穏やかな日に弾かれた。もう戻れない。どれだけ足掻こうと、人を殺さなきゃいけない運命に変わりはない。それは······絶対に。
だが、しかし――、
ともあれ、今回は危うくどちらの声も、聞こうとせずに終わらせてしまうところだった。これだけは“間違い“を犯さなくて良かったと思ってる。
とはいえ······、
それも、一人では怪しかったものだが。
昼をいくらか過ぎた病院は、ここに患者がいるのかさえ疑わしいほど静かだった。だが――、
「おう、元気か?」
「おかげで、それなりに」
医者はそれが通常だとでも言うように、ちょうど一つの部屋から出てきた所だった。今日は、ストライプのパジャマを着ていた。
「そりゃ良かった。嬢ちゃんの効果は覿面だな」
「効果?」
「ほら、彼女は素で“人を癒す能力“があるから」
「へぇ······」
昨日の昼をふと思い出した。
あれは、素なのか······。
落ち着きを取り戻してから、実は“あれは【聖女】の力ではないのか?“と、心の隅で思っていたためやや驚いた。
しかし――、
「問題なかったのか?」
「何が?」
「いや······あの聖女、土足で人に踏み込んでくるっていうか······」
流石に「図々しい」とは言えなかった。だがともあれ、人によってはあの踏み込み方は毒だろう。そうは思った。――が、
「あぁ、大丈夫だ。あの子は、苦しみに溺れる人を逆撫でにするような真似は絶対にしない。もし近いことをしたなら、それは、傷口から鉛の弾丸を取り除こうとするようなもんだ。――必要な処置さ。残った鉛は身体を蝕んでいくからな」
なるほど。
俺は彼女に、その鉛を取り除いてもらったわけか。
すると彼は、自分の出てきたばかりの部屋を顎で指す。
「そのおかげで、こっちも少し元気になってくれたよ。――あぁ、あの子の御両親だ。今日の昼、【聖女】の嬢ちゃんが来てくれてな、なんとか話だけは進められるようになった」
「話?」
彼は少しだけ、こちらを真っ直ぐ見据えた。
「あの子の葬儀だよ」
あぁ、そうか······
近いうちに来るとは分かっていたが、いざ、それを告げられるとやはり気持ちに幾らか影が落ちた。
しかし、彼は医者として、大人としての言葉を述べる。
「いつまでも、あんな薄暗い地下室じゃ可哀想だろう? それに実際問題、遺体だって腐らない訳じゃない。あまり長引かせると、あの身体に、また余計なものを増やすことになる」
その言葉は、俺を言い聞かせるには十分だった。
「······あぁ、確かに」
そして俺はそれを聞いて、もう少しだけ――エゴかもしれないが、彼女の想いに応えようと思った。
「日程は?」
「明後日から二日間。もし知り合いが居たら声を掛けてやってくれ」
「わかった。······ありがとう」
そして彼は「あぁ、頼むよ」と“感謝の言葉を述べた俺に“まだ何か言いたげだったが、背中を見せて手を掲げると「じゃあ、俺は一旦寝るよ」とそのまま去っていった。
まずは、ノーヴィスに知らせるか······。
それから四日間だけは、俺は、死刑囚の元へ行くことはなかった。
四日後の夜。月は雲に隠れる、微風の冷える夜だった。
ノーヴィスは、リズの墓の前に居た。
「どうして昼だけでなく、二度、此方へ呼んだかと思えば······そういうことですか」
俺は、グレイナを連れて闇夜から現れていた。
「貴女の事は聞きましたよ、グレイナ」
「あら、そう。軽蔑する?」
「その、髪を触る癖が直ってなければ、そうしたでしょうね」
一触即発の空気だったが、ノーヴィスがそう言うとそれは闇に消えた。グレイナは、胸元辺りで髪をいじっていた手を下ろしては腕組みに変えていた。
「やだ、そんな私のこと見てたの?」
しかしノーヴィスは、やれやれ、と溜め息を吐き、首を振る。
「馬鹿言わないでください。こっそりガルバスが言ってたことですよ。“後ろめたいことがあると、いつもそうだ“って」
「へぇ、彼がねぇ······」
そうしてグレイナは、リズの隣の墓へ目を移す。
奇しくも、隣の墓はガルバスのものだった。
「まぁ、いいわ。今日はお互い突っつき合いは無しにしましょう」
「貴女が言えたものですか。······まぁしかし、そうですね。わざわざ呼ばれた理由も見当が付いてきましたし」
そして、墓の前で座っていた俺を見るノーヴィス。
「それで······その水筒の中身は? 匂いからして紅茶ですが」
「あぁ、ようやく淹れ方を覚えてな」
「どうしてまた?」
「“将来の彼女のために“ってリズに貰ったんだが、生憎、俺はそんな縁を持てそうにないからな。だから、どうせなら“お前等と“と思ってな。お前等と飲むなら、リズも文句言わないだろ?」
紐で括った木のカップを解いては並べ、それに紅茶を注いでいた。
ちょうど五つ――ガルバスの分も含めて。
正直、癪だが······今日はいいだろう。
そう――。
俺が覚えている彼女は、最後にこれを望んでいた。
そして、最後の手紙でも。
「呑気なものですね。二人は死んでるのに」
「ほんと、馬鹿みたい。············でも、あの子は哀しんでたものね、私達がああなったのを。だから今更だけど、それでも、あの子がどこかで喜んでくれるのなら――私はそれでいいわ」
「······そうですね。リズならきっと喜ぶことでしょう」
「まぁ、私の彼はまだ不機嫌かもしれないけど」
「グレイナ、今日はそういうのは止めと言った所でしょう? それにガルバスも、こういうのは嫌いじゃなかったはずです」
「ふふっ、そうね」
そして、全員にカップが配られる。
「じゃあ、今日はあなたが声を掛けて」
「そうですね。私達を呼んだのですから」
「······じゃあ、そうさせてもらう」
初めて、ガルバスの役目は苦手だと思えた。
少々、罰当たりかもしれないが、俺等は墓にもたれていた。そして、カップを高々と持ち上げる。
「今日は、リズのために」
人肌のような風が、頬をつついていた。
楽しい時間は短く感じると、人は謂う。
とても、短い夜だった。
家に帰った俺は机にあった手紙を丁寧に折り畳むと、それを封筒にしまい、引き出しの中へそっと置いた。そして、間違ってもその鍵のついた引き出しが二度と開くことがないよう、カチリ、と固く錠を閉ざした。
『この値が0になると貴方は消滅します。残り:3年分』
第四章まで読んで頂き、ありがとうございます。次話より第五章になります。
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