63、憂いと弁明
食事を終え、マリアンヌを外まで見送っていた。
「世話になった。············ありがとう」
「いえ、私は食事をしに来ただけですから。――ふふっ、感謝の言葉をもらうとは思いませんでした」
「······」
いちいち、一言多い【聖女】だと思った。
あれからの食事は、ほとんど沈黙だった。だがとても、孤独を感じなかった。背中の窓から日を浴びてはいたものの、それとは違う、優しい温もりを感じる食事だった。一度彼女としっかり目が合った時、ニコッ、と笑う姿を見て、改めて彼女が【聖女】を与えられた理由が分かった気がした。
「それじゃあ、私はそろそろ戻りますね。御礼はいいですから、お時間ある時マルクに顔を見せてあげてください。彼、あぁ見えて心配性ですから」
そういえば、彼女をここまで遣わせたのはあの医者だったな······。
「わかった。そうしておく」
「よろしくお願いします。――あっ、でも」
「ん?」
彼女は、まるで献立を考えるように口元に手を当て、上を向きながら、
「御礼ですけど、イルフェースさんが、どーうしても、と言うのなら、また、食事のお誘いでも待ってますからね?」
「······それは、また考えておく」
「ふふっ、楽しみです」
······本当に、一言多い。
そうして微笑の彼女は「では、また」と恭しく頭を下げると、協会のほうへ去って行った。その影が見えなくなるまで見送った。彼女――彼女等のおかげで、いま進む方だけは間違えそうになかった。
俺も、行くか······。
一旦家へ戻り、白と黒が一つになった“あのローブ“を取りに行った。
夜半、独房に入り、スキルを解いた所で彼女は口を開いた。
「いらっしゃい。こんな早く来るとは思わなかったわ」
彼女は変わらずベッドに座り、月を見たままだった。
「さっきの呻き声は、あなたの仕業?」
「どうだろうな」
やはり、もう【透過】については勘付いているのかもしれない。実際、ここから幾らか離れた所では、死刑囚が覚めない眠りについたばかりだった。
「毎晩、そうしてるのか?」
「えぇ。彼が最期に見た物だろうから」
「彼?」
「ガルバスよ。······聞いた? 彼が死んだこと」
「······あぁ、この前知った」
「そう。彼と私の関係は?」
「ずっと前から知ってる。皆も承知だろ」
「皆······ねぇ······」
彼女は月から目を逸らすと、自分の髪をくるくると指でいじる。それからしばらくして、
「ねぇ。どうして、私がリズを殺したと思う?」
彼女は、そのままそう呟いた。
「知るか。だからここに来た」
「そう······」
そして、しばらく沈黙の後、
「あの子ね······私に“つらいのは分かるけど、前を向いて“って言ったの。······だから、殺したのよ」
「······それだけで?」
「······やっぱり、あなたもあの子と同じ側の人間なのね」
「何が言いたい?」
「私は、彼を死ぬほど愛してた。当然、彼も私を······。だから、そんな人が突然居なくなって、私は身体を失くしたようだった。生きる気力も無くなった」
「······けど、それとリズは関係ないだろ?」
「えぇ、関係ないわ。関係ない。何一つ関係ない。······けど、だからこそ、殺したいほどの憎しみを覚えたの。あなたに何が分かるのって。愛する人が居ないあなたに、私のこの苦しみの何がどう分かるのって。······彼が死んでから、私に“前“なんてなかった。何処へ行っても終わりのない暗闇ばかり」
そして彼女は小さく「今も······」と付け加えた。
とても真実を打ち明けるつもりはないが、もし、あの時俺が死んでいたなら、こんなことは起きなかったのかもしれない、と、ふと思った。
「私はあの子に“あなたが死ねば良かった“とまで言ったわ。······けど、それでも、あの子は“少しずつでいいから一緒に前を向こ? お願い“って言った。······ただただ煩くて眩しかった。だから、少し黙らせたの」
「それで、あそこまでしたのか?」
「あそこまで? ······あぁ、違うわ。最初は首を絞めただけ。カッとなって、両手であの子の首を掴んでね。けど、そしたら······死んじゃった。簡単に、コロン、って」
沸き上がる衝動を、拳を握って強く堪えた。
「信じられるか分からないけど、これでも蘇生しようとはしたのよ、一度は。······けど、駄目だった。いえ、私は途中で止めたの」
「······なぜ?」
そこでようやく、彼女はこちらを見た。
「あの子に、彼と同じものを感じたから」
「同じもの?」
「彼が、ある時からいつも巻いてた匂い。それと同じものを、あの子に感じたの」
「······ガルバスをリズにとられた、とでも言いたいのか?」
だがすると、彼女は「違うわ」と鼻で一蹴した。
「そんなくだらないありふれたものじゃない。もっと、本能の底の底からくすぐってくれるような匂い。彼に感じてた、私の大好きな匂い。それだけで濡れてしまうような、そそるほどの匂い。······それをね、唇を重ね、あの子の肺に空気を送り込んだ時、かすかに感じたの。鼻でスッと息を吸った時に。“あれ、この匂い······“って」
目の前の虚空を見つめるグレイナ。
物憂げな俯き顔に、少しだけ髪が掛かった。
「だけど、すぐ匂いは遠ざかりつつあった。私は焦った。“待って······!“って。――仕方ないでしょ? 彼の持ってた匂いだもの。弱り切ってた私には、そこに彼が戻ってきたと錯覚するほどだった」
グレイナは、再び髪をいじる。
「それから、私はその匂いを妄信的に追った。いや、狂信的と言ってもいいわ。その匂いが知りたくて、その匂いがもう一度でいいから嗅ぎたくて、なんとしても、その出所を突き止めようとした。······だから、あの子の身体を開いたの」
「······それで、見つかったのか? それは」
彼女は指を止めた。
「いいえ。最初の口付けが一番だった。隅から隅まで切り開いて顔を埋めもしたけど、結局、見つからなかった。近いものはあるのに、遠ざかるばかり。そして、やがて感じなくなった。そこでやっと目が覚めたわ。“あぁ、もう、彼はもう居ないんだ“って。あの子のおかげで、皮肉にも······ね」
グレイナは、また毛先の指に集中し始めた。
救いようのない話だと思った。
硬く握ったはずの拳は、だらりと、力なく開き始めていた。




