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42、平和の住人

 灰色の目――と言ったが、正確には治らぬ病気のようだった。目の水晶体レンズが白く濁る、老人の白内障に近いもののよう。


「半年前から急に病気になっちまってな。目はちゃんと見えなくなるわ、そのせいで足は怪我するわ、ほんと、自分の運命を呪っちまうよ······」


 動く左膝を立て、壁に持たれる男は自分を嘲るように、へっ、と力なく笑う。俺は、松葉杖を拾って彼の横へ立てた後、ずっと、立ったまま彼の話を聞いていた。


「まぁ、あんたの人生には同情するよ。自分のせいでないにもかかわらず、悪いほうばかりへ転がってくんだから」


 少しだけ、自分を彼と重ねながらそう言った。


「ともあれ、どうしてそこまでして金を払おうとするんだ?」


 これまで聞いた話を要約すると、彼は病気でも働いたが、いよいよ今月の『税』が払えないということらしい。検問の警備員が言っていた、あの『一月に一回、更新しないと国民として扱われなくなる』というやつだ。ちなみに、その更新にかかる金のことを、この国では『税』『国税』と呼ぶよう。彼はそれが払えず、非国民になるのを避けるため、外の親戚を訪ね、金を取りに行きたかったようだ。


「あんた妙なこと言うな。もしかして外から来たのか?」

「あぁ。今朝、来たばかりだが」

「そうか。なら仕方ないな。明日の演説を聞けば分かると思うが、この国は、国民ならば、絶対の平和と平等が保証されているんだ」

「平和と平等?」

「それこそがこの国の一番大事で、たっといことだ。そんな国なら家族を住まわせてぇと思うだろ?」

「まぁ、家族の安寧が約束されているならいいかもな」

「だろ? だから、俺は金が取りに行きたかったんだ」


 ――ん? 彼がいい人間だというのは分かるが······なんだ? この違和感は?


「罪を犯そうとか考えなかったのか? 窃盗とか」

「言ったろ? この国は平等が一番だ。皆、同じように当たり前に税を払ってるんだ。そんな奴等の平等を奪うようなことは出来ねぇよ。――へっ、あんたの思想は危ねぇな」


 ······。


 確かに『自分の家の周囲に借りる』という事を先に提示しなかった辺り、危ないかもしれないが······。


「あんたが優しすぎるんじゃないのか? いくら平和と平等が保証されてるとはいえ、一人くらい罪を犯す奴はいるだろう?」

「いや、そんな人間はいねぇよ」

「どうして、そう断言出来る?」

「それは、ここが良い国だからだ」


 まただ······なんだこの感じ······。


「そんな良い国か? ここは」

「あぁ、良い国だ。税さえ払えば平和が得られ、平等が保証されるんだからな。犯罪だって、反逆罪と侵犯以外聞いたことがない」

「その二つは十分、国民を恐怖に陥れると思うが······」

「恐怖は覚えるさ。だが、絶対に安心だ。誰一人として国民がそれで死ぬことはない」

「へぇ、それはすごい」


 しかし、そんなこと可能なのか?


「ただ、それだけ良い国だって言うんなら、さっきの金の件だが、その良い国とやらに住む人間に金を借りて税を納めたらいいんじゃないか? ここで借りた奴にはあんたの言ってた、外のツテから借りて返せばいい。そうすれば、あんたもあんたの家族も国に残れる。――あんたは人が良さそうだ、この町にも、少しぐらい支援してくれる人間は居るんじゃないのか?」


 よっぽど孤独でない限り、居るだろうと思えた。この男でなくても、その家族――妻などの付き合いを通じて近所からなど。だが、俺は耳を疑う言葉を聞かされる。


「何言ってんだ、あんた。そんな人間、居やしねぇよ」


 居ない? どういうことだ?


「人望がないのか?」

ちげぇよ。さっきから言ってるだろ? この国は平等の国だ。平等こそが尊いんだ。だから、国の外で貸し借りを作るならまだしも、国内で貸し借りを作るなんてのはおかしいだろ?」


 おかしい? どこがだ······?


「ちょっと、意味が分からないんだが」

「だから、金を借りるっていうのは『借りた側』が下になって『貸した側』が上になるだろ? そんなので払った金は平等の金じゃないってことだ。それくらい分かんだろ」


 理屈としては、分かるが······。


「それは雇用関係だって一緒じゃないのか? 店と顧客だってそうなる」

「それは正しい平等だ。金を産むための正しい平等。しかし、あんたが言ってるのは間違った平等だ。【スキル】や【職】で労力を提供して得るのは正しいが、対価無しに手に入れるのは間違いってことだ」

「その【職】こそが不平等の象徴じゃないのか?」

「どうして? 皆、同じように二十歳に与えられるだろ? 平等以外の何者でもないじゃないか」


 何を······言っているんだ······?


 ここまで『金』と『平等』の価値観。そして【職業】についての認識の違いを感じたのは初めてだった。


「さてと、あんたと話してたら働くしかないと思えてきた」


 そして彼は、壁に手を付きながら立ち上がると「皿洗いくらいさせてもらえるか? その前に一回帰らねえとな」と、独り言を呟きながら服についたゴミを払う。


 俺は、その様子をまだ呆然と見ていた。


 価値観などは十人十色。だから、彼みたいな考えがいるのも、そう言った国があるのも頷けはした。だから、これ以上追及していいものか分からなかった。


 この国じゃ、俺が、間違ってるのか······?


「ちょっとした世話になっちまった、ありがとな。じゃあ、俺はそろそろ行く――」

「待ってくれ」


 彼は、これが正しいというのだ。恐らく国民も。ならば、この調和を保つのが正しいと言えるのではないか?


「なんだ?」


 立ち去ろうとしていた彼は、身体を前に向けたまま、顔だけをこちらに向ける。


「一つだけ聞かせてくれ。税を納めなければ――もし、非国民になったら、あんたはどうなる?」


 俺は、制約の事など忘れてしまうほど、自分がおかしいのではという疑心に駆られていた。そして、その疑心による不安から、この国に興味を抱いてしまった。


 昼に感じた郷愁の念。賑やかなのは嫌いだが、それでも、平等に、平和に過ごせるなら、そんな、過去を取り戻せるような事が出来るのなら、そこに浸りたいと思ってしまった。嘘で『転居の下見』と口にしたが、本当に、この国ならそれが取り戻せるのでは、と思い始めていた。本当はあったであろう明るい未来を、運命に翻弄されながらも立ち上がった彼の、揺るがない自信の向こうに覗いてしまった気がした。そこに安心感があるのだと思ってしまった。


 俺は、ずっと不安だったのか?

 こんなにも、皆と同じように生きたかったのか?


 だから、この国の――この国に住まう者達の生き方について興味を持ってしまった。『平和』と『平等』という『夢』を買うように、そう思ってしまった。自分の居場所を――探すように。





 だが、そんな馬鹿な幻想を見る俺は、自信に満ちた男の生き生きとした言葉で、瞬く間に醒めることができた。


「税を払えなかったら、殺されるのは当たり前だろ?」


 ······あぁ、この国はおかしい。


 そして俺は――【死神】なんだということを思い出した。

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