28、霞の中の来訪者
何をやってるんだ、俺は······。
手は血に塗れ、顔にも僅かに散っていた。汚れを知らなかったローブが、裏地の白にまで、その鮮血を染み込ませている気がした。
苦しめて殺すはずだった相手に同情を覚え、自分を殺そうとしてた奴の願いを聞いてるだなんて······馬鹿馬鹿しい。
そして、そのせいでローブに残してしまった血の跡。この跡は、あの三日月の刃と違っていつまでも消えそうになかった。そして、今しがたの感触も。先までの高揚していた気分が、奈落の底まで落ちていくような気がした。すると急に、
······うっ。
目眩がし、吐き気が込み上げた。俺は入り口へ走り、ドアを腐らせては蹴破って外へ出た。小屋を出てすぐ、入り口の左に、俺は嘔吐した。少しだけ服に付いた。
その時だった。
「ひぃっ」
立ったまま地を見て左手を胸部に、右手を腹部で押さえる俺に、怯えに塗れた男の小さな声が聞こえた。
あぁ、そういえばまだひとり、外に居たな。
俺は、この惨劇を生み出す前――あの、酒を届けに来た下っ端が居たことを思い出した。そして、こんな致命的な隙を今すぐにでも掻き消すよう口元に酸っぱい感覚を帯びながら、あの三日月の刃を、伸ばした左手に発現させた。
目眩が収まらず、焦点の合わぬぼやけた視界の中、俺はゆらゆらと振り返り、相手を探す。相手はすぐに見つかった。ぼやけた景色の中でも、尻餅に後ろ手を付いているのが分かった。武器は持ってないように見えた。
俺はすかさず、【透過】を使おうとも微塵もせず、相手のほうへ跳び、鎌を振りかぶっていた。少しだけ気分が高揚した。
ひひっ。
このまま鎌を振り下ろすのは簡単だった。いや、実際振り下ろしていた。だが、その刃が命の灯火を裂く寸前で、俺は目の前にいる相手が誰かに気付いた。そして、我に返ったように手を止めていた。
命を容易く刈り取る鎌は、自分の首を守ろうとする男の左腕へ差し掛かる寸前で止まっていた。俺の視界は怪しかったが、朧月に掛かる雲が晴れた時、その弱く照らす月照は三日月の銀面に反射し、相手の顔をほのかに映し出した。
「······どうして、ここにいる?」
そして、ようやく俺の視界が安定した頃、
「そ、それは······」
緑のベストに白い髭、ボロボロの鳥打帽を被った村長は怯え切った目を俺に向けて、なんとかそれを口から押し出すように言った。
彼はやはり、火打ち石と、あの小さな壺を携えていた。




