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16、お人好しの感情

 俺は一旦家に戻り、それからルグニス協会へ向かっていた。それは、救ってくれた御礼と治療費を返しに行くため。そして結局は、今日の『命を延ばすために繋がる依頼』を受けに。服は面倒だったからそのまま、グレーの簡単な寝巻きにローブを纏っただけ。少し風が吹く今日には丁度いい纏いだった。纏った時に気付いたが、ローブは表が真っ白で、裏はカラスの羽のような漆黒の色をしていた。


 協会に着いた俺は昨日と同じ道を辿り、あの無駄な備品が置いてある奥の場所へと向かった。今日は人は少なく、昨日より早く彼女の元へ通された。


 面会室は相変わらず、扉が閉まると世界と隔離されるような場所だった。俺の背後にある格子窓と蝋燭。明かりはそれだけ。だが、不思議と暗いという雰囲気は感じさせない。それは、俺の正面にいる、椅子に座る彼女の存在が特に大きいのかもしれないが。


 その彼女は入ってきた俺を見るなり「あら」と、やや目を丸くしていたが、俺が椅子に座ると元の落ち着いた様子で、俺にも見えるあの薄青のスクリーンを出して操作しながら「ふふっ」と小さく笑って口を開いた。


「ここへ二日連続で来た人は初めてですよ? それに登録初日であんなボロボロになった人も。昨日は一体どんな依頼受けたんですか?」


 この時初めて俺は、祭服から髪も見せぬ、俯き加減の彼女の、あの聖女のような微笑みではない、いかにも女性的な興味の笑みを見た。


「昨日は······」


 だがともあれ、言えるはずがなかった。その世間話をするような細目とは裏腹に、俺は昨日依頼を受けず、仲間だった奴に殺されかけ、おまけにそいつを返り討ちで殺しただなんて。


「どうかしました?」

「······いや、なんでもない。――どうして俺を助けた?」


 不自然な会話だったが仕方ないだろう。他になんと逃れればいい。この、血とは無縁そうな彼女から。俺はそうして自分の秘事を避けるため話題を変えたが、その後の彼女の言葉には耳を疑った。


「――? 人を助けるのに理由なんて必要ですか?」


 完全に、寝耳に水だった。


 俺は、小首を傾げやんわりと微笑む彼女の顔を、瞼を持ち上げた疑いの目で見たが、たった二度の対面ではあるものの、その顔はとても仮面を被っているようには思えなかった。そして同時に、


 確かに、助けるのに理由を求めたなら、自分の為でしかならなくなるか······。


 そう思うと、彼女が聖女だというのを思い出すと同時に、あの医者が言った『人が良すぎる』という言葉の意味が分かった気がした。ただ、その後で不意にも、何故、俺は『殺人鬼』ではなく『死神』なのだろうとも思った。どうしてそんなことが浮かんだのかは分からないが。


「それで、今日はどうされました?」


 少し呆気に取られていた俺は、その言葉で「あぁ」と自失から返った。


「立て替えてくれた治療費を返しにきた」


 俺は持ってきていた革袋を、衝立下部にある穴から向こうへ通した。彼女は困った顔をしていた。だが、やがてそれに手をつけては袋を開く。


「別によろしいのに。············しかも、少し多いですよ?」

「余剰はあんたの生活の足しにでも使ってくれ。助けてもらったお礼もある。あと、先に言っておくが、返されても受け取るつもりはない」


 それを聞いて、革袋の紐を絞めこちらへ渡そうとしていた彼女の手は、衝立を通す手前で止まった。そしてこちらへは通さず、彼女側の穴の横へそっと置く。


「······そうですか。では、好きに使わせてもらいます」


 彼女はしんみりと言った。やや眉尻が下がっているようにも見えた。


 ······変わった女だ。


 しかし、俺はそんな彼女の様子は気にせず、他に借りていた物について尋ねた。


「それで、このローブとかはどうすればいい? 後日、洗って返そうと思うんだが、受け付けにでも持っていけば――」

「いいですよ、そのままで」


 俺は面食らった。それは、この衣装を返さなくていいという驚きではなくて、聖女を職とする、おっとりとした彼女が、素っ気なく人の言葉を遮ることがある事にだった。そして彼女は、


「それは協会の備品ですから」


 と、また今まで見てきたような、あの聖女の笑みを見せる。だが、直前も口角は上がっていたが、ほんの少しだけ不満が見えた、あの表情は尾を引いているように見えた。聖女の中に、まだ憂いさが見られた気がした。そうすると、これは後で思ったことだが、この後の言葉は、彼女自身のそれを誤魔化しているように思えた。


「そうだ。折角ですから、写真を撮り直していきましょう。マルクのおかげで肌艶も良くなったようですし」

「写真? それにマルクって?」

「――? あなたを診てくれたお医者さんですよ? 御存知じゃないんですか?」


 あの医者、マルクって言うのか······。


「あぁ。名前聞く前にどっか行っちゃって」

「そうですか。彼は仕方ないですからね。病院なのに、肝心の医者が病人みたいなものですから」

「あぁ。あの眠気がどうのっていう」

「そうです。彼の能力だから仕方ないんですけどねー」


 彼女は、俺にも見えるあの薄青のスクリーンを操作しながら軽い調子で話していた。俺はその時、彼女が何をしているのか疑問には思っていたが尋ねなかった。


「けど、倒れたあなたは彼のほうへ向かってたから、てっきり御存知かと思ってましたよ?」

「場所だけは知ってたんだ。それに、物心ついた時から病院の世話になったことはなくてね」

「まぁ、そうなんですか? 見た目より意外と健康体なんですね」


 そして、ニコリとこちらを見て笑った彼女は、スクリーンを俺のほうへ見せた。彼女が何かを押すように宙を左手で押すと、スクリーンが透明の衝立を越えてこちらへやってくる。


「······これは?」

「写真の変更には本人同意が必要なので、そこの同意だけ押してください」

「写真? 俺は撮り直すなんて一言も――」

「好きに使っていいんでしょう? このお金」


 彼女は微笑んで、意地悪そうにそう言った。

 女性的な笑みに見えた。


 よくよく考えればそのまま立ち去れば良かったのだが、どうしてか、言葉に窮した俺はまるで流されるように従ってしまった。そして同時に、それで彼女が金をすんなり受け取るのなら構わないか、と思っていた。


「写真を撮り直すのに、金かかるんだな」

「管理してるリストの更新費用······とでも言えたらいいですが、実際はそれを建前に、協会の資金を増やしてるだけなんですけどね」

「まぁ、あんたがいいならどうとでも使ってくれていいけど。それより、そういうことは明かしても大丈夫なんだな」

「別にやましいことに使ってるわけじゃないですから」

「へぇ。どっか、夜店みたいに勧めてるのかと思った」

「こんな感じなんです? そういったお店というのは」

「······いや、どうだろうな」


 俺の失言だった。だが、彼女は「なんですか、それ」と気にせず小さく笑っていた。彼女が【聖女】が似合う女だということを不意にも思い出させる笑みだった。


 本当に、そういうのとは全く無縁なのかもしれない······。


 別に、憐れだとか欲情みたいなのは浮かばなかったが、まるで、彼女は箱入り娘のように思えた。


 この箱の中に楽しみはあるのだろうか······?


 そして、そんな箱入り娘は、既に同意ボタンを押して写真を撮ろうとしていた俺に言う。


「ローブ裏返してみましょうか。黒のほうが様になると思いますよ?」


 そんな中、俺はふと思う。


 しかし、こんな無垢な女になら、


「あっ、いいですね。ついでにフードも被りましょう」


 写真を撮り直したいとかこつけて、


「カッコいいですよー。あと何か持てたらいいですけど······武器はここじゃあ無理だし······」


 会いに来る男は一人くらい居そうなものだが。


「まぁ、良しとしましょう」


 意外と現れないものなのだろうか······?


「じゃあ、後は自分のタイミングで撮ってくださいね」


 そして、俺は写真を撮り直した。――が、それを撮り直した時、俺は安息のようなひとときから、現実へと瞬く間に戻される。思わず「ふっ」と笑ってしまうほどだった。


「······まるでそのままだな」


 皮肉なほどに、彼女の持ってきた黒のローブは俺には似合いすぎた。肌艶が若干良くなったのと、薄い肉と皮があるからなんとか人を保っているが、それでも撮った写真に映る者は死神のようだった。


「どうしました? 私はよく似合うと思いますけど」

「いや······俺もよく似合うとは思う」


 当然、その意味を言いはしなかったが。


「これ、顔しか見えてないけどいいのか?」

「はい。目と鼻、口さえ見えてれば大丈夫です」


 彼女はまた、自分を思い出した俺の心境とは真反対の微笑みを見せる。しかしやはりその笑みは、


 ······実は、ちょっとした商売にしてるだろ。


 内心、鼻で笑うようにそんなことを思える笑みだった。それぐらいの効力はあった。


 そしてともあれ俺は、別にこれだけで自分の【職業】へと繋がるとも思えなかったため、このままの写真で了承することに。彼女はその後、自分のが採用されたのを満足そうにしながらスクリーンを操作していた。


「はい。変更完了です。じゃ、この中から代金頂いておきますからね」

「あぁ。好きにしてくれ。――じゃあ、俺は行くから」

「はい、お疲れ様です。次は怪我しないでくださいね」


 それは保証出来ないが。


「······心遣いだけ受け取っとっておく」


 そうして、やや振り回されたが、俺は本来の『恩を返す』という目的を終えた。そして立ち上がり、気持ちを切り替えて、今は冷酷に、次に誰を殺すかだけを考えた。――が、しかし、俺がこの隔離された部屋を出ていこうとした時だった。


「あっ、でも」


 透明な衝立の向こうに立って、手を前で組んでいた彼女はキョトンとした顔で小首を傾げると、彼女に背を向け横目で見ていた俺に言う。


「流石に、そのまま出ていくのは目立つと思いますよ?」


 彼女はまた、やんわりと頬を緩ませた。


 ······本当に、調子が狂う。


 フードを払った俺は、黙ってそのまま部屋を後にした。

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