15、日溜まりの部屋
目が覚めると、俺はベッドの上に居た。あの世はこんな所なのかと一瞬思った。だが、キュルキュルと滑車を鳴らす台車の音を聞いた時、ここが元の世界なんだと分かった。そこで最初にハッキリと捉えたのは、コーヒーを溢したような、染みが付いた天井だった。
助けられたのか······?
白いカーテンが風になびいていた。反対――右側には戸の無い入り口。錆びたようなあの音はその裏から聞こえたものだった。布団は羽のような柔らかさだった。窓からの日差しは暖かく、平和を感じさせる匂いだった。加えて、
俺は昨日······あいつを殺したんだよな······?
そう疑ってしまうほど、身体中の傷が綺麗に無くなっていた。全ては俺のキチガイな夢を見たんじゃないかと思えた。だが、試しにあの薄青のスクリーンを出した時、やはり現実だと分かった。Lvは47のままだった。そして、
『この値が0になると貴方は消滅します。残り:63年分』
一日一人殺さなくてはならない『この制約』は継続されていた。
やはり······。いま何時だろうか? 昼前だろうが······。
俺はスクリーンを消して辺りを見渡す。時計は部屋には無かった。――と、ここで、俺は自分が血の服ではなくグレーの簡単な寝巻を着ていることに気付く。自分の服ではなかった。また、懐中時計はベッドの左側に見つけたものの、これも自分の物じゃない白のローブと共に、背もたれのある椅子の上に置かれていた。そして、俺はそれを見つめながら最初の疑問へ。
一体誰が······。
すると、その時だった。
「覚めたか」
見ているほうと逆側から声がした。そちらを見ると、入り口を入った所で一人の中年男が欠伸をしていた。知らぬ顔だった。彼は黒髪で、まるでこの清潔な空間と無縁そうな無精髭を生やして、ストライプの入った水色のパジャマ姿をしていた。
「······あんたは?」
目尻に涙を溜めながら近くへ来る男へ尋ねた。この部屋にベッドは一つしかない。とてもここへ寝に来たようには思えなかった。
「俺は医者だ」
男は頭を掻きながら、また欠伸をした。この男が医者? と思ったが、だが、それを埋める理由は容易だった。もし彼が【能力】を持つ者ならば。
「あんたが助けてくれたのか?」
「いいや、俺は呼ばれたから治療しただけ」
呼ばれた? と俺は疑問に思ったが、それに答えるように彼は続けた。
「協会の前で倒れてたお前を、聖女のお嬢ちゃんが見つけたんだよ。仕事終わりに」
起きたばかりとも言える、気だるそうな、眠そうな声で彼は言った。そして「ったく、予定外の治療は眠くなっていけねぇ」と独り言。
「聖女のお嬢ちゃん?」
「一人しか居ねぇだろ。マリアンヌの嬢ちゃんだよ」
俺は面食らった。偶然、仕事終わりに出くわしたとはいえ、登録の時には手が通せるだけの透明な衝立があり、協会の外へは出れないようなほど大事にされている人間だと思っていたからだった。
「本当に、あの嬢ちゃんは人が良すぎる」
その意味は俺には分からなかったが、彼はとりあえず俺がここに至るまでの経緯を話してくれた。
どうやら彼女――マリアンヌがまず憲兵を呼び、死にかけの俺をここへ運んでくれたそうだ。そして、寝てたこの医者はナースに呼ばれ俺を治療。ちなみにこの医者は、死者以外ならスキルによってどんな怪我や病気もすぐに治療出来るらしい。
しかし、その分代償もあり、スキルを使うだけ眠気が蓄積するそうだ。先の独り言は、俺という夜間の救急による寝不足からの愚痴のようなものだった。
「治療費も嬢ちゃんから受け取ってる。だから好きに出てってくれて構わない。まぁ、ずっと居られるのは困るがな」
そうすると彼は「じゃ、俺は次の診察まで寝るから」と言って、体を入り口の方へ返す。そして歩きながら、
「血塗れの服は捨てちまったからな。······安心しろ。着替えさせたのはうちのナースだ」
と、部屋を出ていこうとする。――が、彼は敷居の前まで行った所で急に立ち止まる。そして、
「······ただ、これでも俺は医者の端くれでね。傷と服の不釣り合いな血の付き方ぐらいは分かるんだ」
俺は、背を見せたままそう言った男の発言に心臓が飛び出そうだった。しかし、後に続く彼の言葉は、決して俺を告発するようなものではなかった。
「血痕は街の外へ続いてたし、面倒だから深くは関わらないが、それを知らない人間だってこの世にはいるんだ。だから······そうだな······これは医者として一つ言わせてもらうが、仮にも『命を取るための命を救う』なんてことがあるなら······皮肉なもんさ」
そして彼は最後に「そのローブはあの嬢ちゃんのだ。感謝しな」と言って部屋を出て行った。俺は経緯を聞いた途中から、何故、彼がわざわざ自分でここへ来たのかを疑問に思っていたが、それがいま解決した。
そういうことか······。
彼は、これを伝えるためにだけにここへ来たらしい。説教のような、忠告のような、そんな言葉を伝えるためだけに。少しだけ、彼みたいな善良な存在にそう言われるのは堪えたが、ただ、それでも······。
じゃあ、どうすればいい。
その教えに従うとしたら、俺に課せられたのはもはや呪いだった。俺が二十歳になって踏み込んだ『この世界』は、そんな人の願望を単純に受け入れられるようなものじゃなかった。眠気と命じゃ、代償の秤が違いすぎる。
しかし――、
命は命······か。名前聞くの忘れたな······。
別に彼を殺そうとは微塵も思わなかったが、せめて、命を救ってくれた相手の名くらいは知っておきたかった。だが、今頃彼は寝ているだろうか。そう思うと、さほど無理に知る気も起きなかった。
俺は、ローブの上に乗る懐中時計を手に取る。
短針は“XI“を少し過ぎた所だった。
とりあえず、彼女の元へ行くか······。




