108、海と岬、彼岸花
リリィには手紙を残した。「俺は、急用で遠国へ行かなくちゃならない」などありきたりな嘘を記して。子供にも分かりやすいよう簡単に一度書いたが、切迫感が出ないため書き直した。どうせ医者の彼が読み直してくれるだろう――そう思って。マリアンヌの“贈り物“の件のお礼も書いた。「拾ってくれてありがとう」と。
それ等の手紙をベッドの傍に置いてルグニスを後にした。――が、そこから海へ向かう途中、手紙の内容で「お前が作るパンをまた食べに来る」と書いたことを後悔していた。彼女を、過去に囚われないようにしたいと思いつつ、そんなことを書いたから。
食べられたら、いいんだけどな······。
それと、看護師が帰ってきて、その別れ際にリリィの手をそっと握った時、寝言ではあったが「お兄ちゃん」と呟いていたことが苦しかった。俺はそんな綺麗な人間じゃない――そう思いながら彼女の少し下がった布団を直して、頭を静かに触った。ふわりと柔らかな、綺麗な髪だなと思った。
······。
胸が痛み、生きたいと思ってしまった。それと共に、
······怖い。
急に、死への恐怖と生への欲望も。
······嫌だな。
月の無い夜空は星が鮮やかに瞬いていたが、【浮遊】を使って越える山々の風はとても冷たかった。
海岸に着いたのは、夜が白け始める頃だった。まだ日は見えないものの、白い砂浜の続く岬の果てまでは薄っすら見えた。左に草が生え、もう半分は白い砂だった。中程まで行ったその岬の、白と緑の淵に腰を下ろした。鬱蒼とした森を越えたここなら人も滅多に来ないだろう――そう思いながら。
穏やかな漣が聞こえた。
ザザザァ······と鳴る中に時折、水の跳ねる音や海鳥の鳴き声を聞いた。それ等を少し聞いてから、俺は、彼女からの“贈り物“を取り出した。その十字架を両の手のひらに乗せ、海が見えるようにした。しばらくそうしていた。明るくなりつつある海ではあるものの、まだ一つ一つの星が揺らめいてるような気がした。
しかし······闇が晴れていくにつれ、怖くなった。
――それ等の光も失われていくようで。
いつの間にか俺は“贈り物“を握り締めては胸に当て、立てた両膝に顔を埋めていた。心が乱れると共に、堪えなければならない衝動が再び顔を出していたから。明日を生きる人間が憎くないのか。羨ましくないのか。お前は最低な人間だ――と、俺と入れ代わろうとするように。
その度、手の内にある彼女を意識した。
これまでが――“間違い“にならないように。
自分を殺そうと考えた瞬間もあった。
だが、山を越える時再び強く『生きたい』と思ってしまったため、それが出来なくなっていた。もし、何事もなく今日を生きられたのなら、今日と同じように明日を迎えられたのなら――そう考え、あの時の決意が嘘のように崩れていたから。
怖い······。
本来なら死んでいたあの日の夜のように、その感情だけが胸の内を支配した。しかしいつしか、あの日マリアンヌが俺の帰りを迎えてくれた時のような、頭の先から包まれるような、まるで子守唄のような優しい温もりを全身に感じた時――それは静かに、俺の意識と共に消えていった。
“世界“が崩壊してから数週間後のこと。とある岬で一人の男の遺体が発見された。白と黒のローブに身を包むが、しかし中身はまるで死神のように骨と化していたそう。身体を丸めて横になるその死神の右手には、手作りの“ロザリオ“が大事そうに握られていた。まるで「決して放さない」とでも言うように。
それを発見した旅人は何も取らずに去ろうとしたが、持っていた煙草を取り出すと、火をつけたその一本を遺体の脇に刺し、残りの入った煙草の箱を右手のロザリオと丁寧に交換した。死神の骸はその旅人を黒い眼窩の奥でしっかりと見ていたが、まるで受け入れたようにそれを手放した。そして、ロザリオをロングコートの内にしまう旅人はポケットから懐中時計を取り出すと「昼前か。帰るのに何時間掛かることやら」と呟いて、その場を去っていった。
それからさらに数ヵ月経った頃、その遺体も自然に還っていた。ローブは砂に埋もれ、骨は土へ。そして、その土に還った彼の跡には一輪の真っ赤な彼岸花が咲いていた。誰かに摘まれようと獣に喰われようと、風に揺られ、まるで彷徨う魂のようにゆらゆらと毎年咲いた。
しかし、数十年が経った頃、隣にもう一輪咲いた。
真っ白な彼岸花だった。
その彼岸花は頭を真っ赤なほうに寄せていた。まるで「行きましょう。皆、待ってますよ」とでも語りかけるように。また「あんなことしたのに臆病ですね」と頬を突いていた。
その翌年から“孤独な彼岸花“が岬に咲くことはなかったが、代わりに、一面とも言える無数の彼岸花が咲いた。それは、赤と白が綺麗に入り混じった、誰もが優しく心を奪われるような――そんな優しい光景だったそうだ。
以上で完結になります。
本作「【死神】になったから、この世界を終わらせようと思う」を最後まで読んで頂きありがとうございます。
https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/1398216/blogkey/2557453/
ユーザー名をクリックして頂くか、上記URL「活動報告」にちょっとした解説と全編を通しての後書きがございますので、もし宜しければ目を通して頂けると幸いです。




