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104、最後の選択

 この“神“が居なければ、今頃、俺等は各々が思い描く未来を歩んでいたかもしれない。こいつが居なければ、誰も死なずに済んだ未来もあったに違いない――心からそう思った。


 俺は······こいつに全てを奪われた。


 その事実は揺るがない。


 時間は戻らない。死んだ者は生き返らない。

 何千年と“命の再生“を試みたこいつの存在が、皮肉にもそれを確かにする。

「復讐するならこれが最後だ。どんな憎き相手の身体を斬ろうが、そこに魂が無ければ何の意味もない。罪に科される“刑“の正しき姿は苦痛だ。全てから救われたお前が与えるのは安らぎか? それとも苦痛か? それを選ぶのはお前だ」


 漆黒のコートに身を包む探偵は煙草を取り出し、それに火をつけながら言う。


 俺は······死の淵を二度経験している。


 一度目はガルバスを殺した後。そしてもう一度は、ハーウェイルに貫かれた時。どちらも消えそうになる意識の中で、この暗闇に身を委ねてしまえば楽になる、身を委ねてしまいたいと思う程の苦痛にも負けぬ安らぎがあった。


 痛みのまま殺せるのなら······。

 魂に苦痛を刻み続けられるのなら······。


 そんなドロリとした感情が浮かんだ。


 しかしふと、あの彼女だったら許してしまうのかもしれないと思った。だがやはり――、


 俺はこいつを、殺したい······。


 俺はそんな清廉な人間にはなれそうになかった。それは沸き上がる衝動ではなく「返せ」と鬼気迫る、哀願のような怒りだった。意味のない行動だと分かっていても、襟元を掴んで床に何度も強く押し付けたくなるような――そんな感覚。


 許せるものか······。


 それだけの苦しみを俺は受けてきた。

 こいつの、勝手な望みのせいで。


 ······。


 胸の辺りをローブの上から握り締めた。

 右手の鎌の冷酷さと、対になる温もりが伝わる。


 ガルバス、リズ······マリアンヌ······。


 亡き者の名を呼んだ。


 お前等は許すか······?


 しばらくそうしてから、探偵の足元にいる死の淵の“神“の傍へ立った。


「······決まったか」

「······あぁ」


 仰向けになって息を漏らす“神“の目は虚ろだった。

 その焦点の合わぬ、灰色の目だった。


 その奴の顔を見下しながら言った。


「お前のせいでどれだけの哀しみが生まれた。どれだけの苦しみが生まれた。何千年のほんの一部でしかないが、そこで俺は死にたくなる程の苦しみを何度と覚えた。そしてそれを、お前は嘲笑って生きてきた。だから、その惨めな命が尽きる前にちゃんと聞きやがれ」


 死神の鎌を捨てるように、奴の首横へ突き差した。


「······」


 どうやって、こいつの魂に苦痛を刻むか。

 どうやって、こいつに復讐を成し遂げるか。


 【死神】になって苦しみを知った俺が、こいつに出来る最大の復讐は――これ以外にはない。


 最低の人間だって分かってる。

 最低の方法だって分かってる。


 それでも――これが全部、俺の受けてきた“苦しみ“だ。




「······お前の時間は、全て無駄だったな」




 その瞬間、“神“は目を見開いた。

 そして一筋の涙を右目にから流し――そのまま息絶えた。


 それから“神“は、二度と動くことはなかった。


「······それがお前の答えか」

「······あぁ。これでいい」


 “神“の死を受けても、晴れない気持ちだけが残った。


「······」


 俺はもう、鎌を握ることはなかった。

 願いと全ての復讐を終えたから。


「······最低だな、俺は」


 この“神“への正しい罰は“生き返らせれぬ事“を自覚させること。何千年と固執してきた行為の全てを“無価値“だと悟らせることだった。

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