103、心を取り戻した後で
探偵の側に浮く、羽根付きの砂時計は逆さになって砂を落とし始めていた。
「さて、お前はそこの“死に損ないの男“の記憶を読んだはずだから分かっていると思うが、俺が問うのは【聖女】マリアンヌの殺害についてだ。······とはいえ、勝敗は見えている。俺がはっきりとそれを口にすれば終わりだろう。だから、何千年もの時間をいま、正しく刻み直したお前に、これまでの経緯でも話そう」
男――“神“の呼吸はやや乱れてはいるものの、少しだけ落ち着き探偵の言葉に耳を傾けている。黙りなのは心が読めないのもあるだろうが、話す余裕がないほど、人間である男の身体の内に何かが起きているからだと思った。それを表すかのように、男の黒い髪は毛先から白くなり始めてもいたから。
「俺は、そこの死神が“この世界を終わらせる“と俺を訪れた時点からここまでが見えていた。この男は、お前の護衛であるハーウェイルという障害があろうとも必ずお前の前に現れ、諦め悪くももがくだろうと。そして案の定、今の状況だ。お前の性格、またお前の心を読むスキルが人を通じて読めないのも把握済み。お前も読んだであろう“俺とそこの男との記憶“。『スキルは通用しない』『扉がある』『ここで待たせてもらう』などは勿論全て罠だ。見事に引っ掛かってくれたな」
探偵は「どうだ? 久しぶりに心が読めない状態は」と“神“に振るが、“神“は荒く息をついているだけで答えなかった。
そんな中、もしや砂時計の時間、俺がやられながらこの場所に来るまでの時間も計算されていたのでは。と、ふと思ったが、流石にそれは半分正解で半分間違いだった。
「しかし、厄介だったのはこの転移だ。砂時計が落ち切る程の時間まで次の転移は不可能だからな。往路は自由だが、復路はお前の意思で帰すことが出来る。だから万一、お前の気が変わり、その男を面倒だと帰還させていたら俺の計画は頓挫していた。お前が強制的に帰したのにそれでも再び訪れようものなら、転移後すぐに殺される可能性も高いだろうからな。それが最悪のケースだった」
しかし、言葉とは裏腹に悠々と魔方陣の外へ歩く探偵。
「仮にその死体を見て俺が証拠を取ることも可能だが、同時にその瞬間、俺の“野望“も読まれただろうからな。その時は流石に、この【論理】も対処されるだろうからな。そうしたら詰みだ」
そして探偵は、石段の下でやや前屈みの“神“の前に立つ。
するとその時――“神“が探偵に向かって襲いかかった。もし、スキルを発動している本人が倒されれば解除されるという恐れが頭に過り、俺は急いで鎌を発現させた。――が、しかしそれは杞憂に終わる。探偵は男の法衣を掴み、腹に一撃入れてから足を払い、そのままあっさりと“神“を仰臥させた。鮮やかな体捌きだった。
「ただの人間より力のないお前が、俺を殺せるはずもない」
“神“は、よろよろと頭を起こし探偵を見ては、
「何故、私の邪魔をする······」
「何故、邪魔をされないと思う? お前は数え切れないほど試行を繰り返して、そして人に不幸をバラ撒いてきた」
「不幸だけではないはずだ······」
「そこの【死神】の前でよく言える。所詮、ほとんどが暇潰しでしかないだろうに」
探偵は聞いているはずのない“それ“を的中して見せる。“神“はそれでもまだ認められぬといった苦渋の顔。
「ただ、今回の【死神】という職業については恐らく“命の再生“――つまり、“生“と対の位置にある“死“に鍵があるのではないかとお前は思ったのだろう?」
「······何が言いたい?」
俺も奴と同じことを思っていた。探偵の話から、奴はただ暇潰しで【職業】を生み出していたと思っていたが、まるでそこに、それ以外の目的があるような口振りだったから。
すると、探偵は思いもせぬことを口にする。
「お前は、最初の【聖女】を甦らせようとしていたんだろう?」
「そこまで、知っているか······」
最初の【聖女】······?
この“神“が“誰か“を······?
「何があったかは知らない。そんなもの残っているはずもないからな。だが、不可思議な点は、お前がマリアンヌに【聖女】を与えた時から生まれていた。恐らく、“最初の聖女“と同じ雰囲気を彼女に感じたから与えたのだろう。だから、そうしてお前は“2番“という数字を持った【聖女】の職業を彼女に与えてしまった。人に、お前が人であるというヒントと共に」
あの数字に、そんな意味が······。
俺はその数字の意味など考えたこともなかった。何千億という人間に【職業】を与えてきた“神“が、人に恩寵を与えてきた数だと思って。しかし、その数字のことも思ったが、それ以上に別の疑問が浮かんだ。
「待て······。ならどうして、そいつはマリアンヌを殺した?」
正確には“殺せた“――だろうが。
仮に俺が同じ境遇にあったとして、同じ雰囲気を持つ者を俺なら殺せるとは思えなかった。しかし、それ等は俺視点の話に過ぎず、
「簡単な話だ。“自分の愛する者“と“似た者“。それを命の天秤にかけただけの事。あのまま放っておけば、彼女に賛同するものが増え続けたことだろう。そうなれば、数の暴力という事も有り得る。こいつにとって“人間“は、自分が創造した【職業】を試す道具だ。それを大量に殺しては本末転倒だろう。だから、マリアンヌという芽を早めに摘むことを選んだ。······それと、まだ事実は聞いてないが、恐らく、お前の寿命を延ばしたのは“亡くなったマリアンヌの頼み“なんだろう? だから言っておくが、お前の寿命が延びたのは、こいつの都合の良いよう偶然が重なっただけのことだ。気にするようなことじゃない」
偶······然······?
その瞬間、俺は救われた気持ちだった。
ずっと、俺のせいで彼女は死んだと思っていたから。
探偵に目を向けられる“神“も否定の素振りはなかった。
······よかった······よかった。
ローブの上から祈るように、あの“贈り物“を握りしめた。
汚い人間なのかもしれない。
都合のいい解釈かもしれない。
それでも、彼女が死んだのは“俺の寿命を延ばしたからではない“と知り、心の底から安堵した。人を殺し続けてきた俺は、到底、彼女の命の足元にも及ばないと思っていたから。もう大事な人間の命を失いたくなかったから。
“こんな命“のためでなくて······よかった······。
それでも、マリアンヌが俺のために命を投げ出そうとした事実は変わらなかった。だからそれだけは、胸が震える想いで精一杯受け止めた。
ありがとう······。
そうして、情けなくも込み上げる涙を堪えながら、ローブの胸の辺りからそっと手を離した頃、探偵が自分のコートのポケットに手を入れる。
「さて、そろそろ終わらせよう。俺がこのまま手を下してもいいが、残念ながらその権利は俺にはない」
ふと、二人に視線を戻すと、いつの間にか“神“の肌は艶が失われ、シミや皺が全身に現れ始めていた。髪も全て白髪へ。目の前の男の命は今、何千年の時を越えて、その終わりを迎えようとしているのだと分かった。だがしかし、その放っておいても死ぬであろう老人の命を探偵は、
「どうする? “死神“」
残酷にも、安息の俺に委ねた。
不気味に笑うことなく、直視する――鋭い眼光で。




