1歩すすんで10歩さがっているような
今度こそは質問に答えてもらおうと意気込みつつ
「いろいろと気になることもあるだろうけど、意識を散り戻したばかりで大分混乱もしているだろう。
怪我で体がまいっている状態だと思うから、まずはゆっくりと休んで落ち着いてから、話を整理しよう。
話をするのも億劫じゃないかい?」
白いコートの男と、白い簡易ドレスの使用人だけになった部屋で、優しく諭すように言われたところで納得いきません。
いろいろと気になることどころか、気になることしかないのよ。バカにしているのかしら。
ゆっくり落ち着けと言われたところで、落ち着けるわけがないでしょ。落ち着ける要素なんて一つもないわ。
何もかもが、私にとっては納得がいかないことだらけだというのに。
頭を打って混乱している『だけ』ではすまされないくらい、自分のおかれ置かれている状況が呑み込めないのですもの。
とにかく聞くべきことは、
「ここはどこですの」
冷たい問いかけに、白いコートの男は、自分の忠告がまるっと無視されたことに苦笑いを浮かべながら答える。
「葛城病院だよ」
カツラギビョウイン……?
聞いたことない名前。庶民用の医療施設かしら。
どのような手違いがあれば、わざわざこの私が庶民用施設に運ばれるというの?
そもそも我が家の担当医は、エルバート先生よ。エルバート先生はどこ?この目の前の男は誰?何の権利があって私の側にいるの。
「あなたは?」
「私は、君の担当医の小林だよ」
コバヤシ……?
奇妙な名前ね。
国外の人なのかしら。庶民用の施設ならば、諸外国からの出稼ぎで来てるものも多いと聞くわ。
あら?担当医?って言ったわよね。何の権利があって、この私の担当医をしているのかしら。
どこの素性のものかわからない男に、私は診断されたというの?
なんてことを……。
ショックを受ける私を知ってか知らずか、コバヤシは言葉を続ける。
「それで君は、学校の階段から足を踏み外して落ちてここに運ばれてきたんだよ。」
ん…?ガッコウ?
ガッコウとは何かしら。学園の言い間違えかしら?
外国の方だから、この国の言葉をいまいち理解していないのかしらね。
そんな男がこの私の担当医だなんて……。
もし学園内で倒れたのだとしたら、学園内の医務室で事足りるのではなくて?
学園長には、私の身に一体何が起きたのかを問いただせば、場合によっては首ですわ。
「怪我自体は全身を打ってるものの、大きな怪我はなかったんだけどね、頭を強く打ったみたいで、気を失っていたんだよ。」
…え?ちょっとお待ちなさい、足を踏み外した?
この私が?
そんな間抜けな失態を学園でおかしたというの?
ありえないわ!断固としてありえない!
落ちていく無様な姿を、誰かに見られていた……?
「おーい?大丈夫かな?ずいぶんと難しい顔をしているね。やっぱりお話しはこれくらいにしようか。もう少し休んだら、色々と思い出すかもしれないから、今は体を休めよう?全身も痛むだろうから、あまり考え事は毒だよ。」
長い間無言で眉間にしわを寄せてている私の顔の前で、コバヤシは手のひらをヒラヒラさせる。
馬鹿にしているのかしら。でも、もはや怒りもわかない。
「そうね……とても疲れたわ……」
コバヤシの提案を受け入れ、休むことを選択した。
ほんの少しのことを聞いただけなのに、謎が深まるばかりで、なんだか疲れてしまったわ。
「何かあったら、すぐナースコールをするんだよ。」
そう言い残してコバヤシたちは部屋を出て行った。
本来ならば、『今すぐ家のものを連絡によこしなさい!』だの、『こんな小汚い小屋にいるなんて我慢できない。いいから家に連れて帰りなさい』と言いつけたいところだけれども、全身の痛みもあってか、そんな気力も起きない。
結局知りたいことが、まったく知れなかったどころか、余計にわけがわからなくなっただけ。
コバヤシから得た情報によれば、私は学園で階段から足を踏み外して、何かの手違いでこの庶民施設に連れてこられたというのね。
何故、庶民用の施設に?
……まさか!あの女が……?
真っ先に浮かぶ、悪い予感。
けれども、こんな意味のない嫌がらせを、あの女がわざわざするかしら?
したところで、あの女になんのメリットが?
階段から足を踏み外したと、いうのも、もしやあの女が私を階段から突き落としたからでは!?
私の無様な姿と、庶民施設に送り込むことで私を笑いものにしようとした?なんて卑劣な。
でも、あの女がそんなまどろこっしことをするかと、腑に落ちないものがある。
ふと、脳裏にあの勝気で高慢な笑みが目に浮かんでくる。
きいいいいい……!!!
世界で一番思い出す価値のないことを思い出してしまったわ!
首をふって浮かんできたものを振り払う。
今はそんなことより、興奮して人の話を聞かない中年の女と、頼りなさそうな中年の男の存在。
彼らが連呼していた『さくら』とは一体何者なのか。
私は彼らを全く知らないのに、彼らはまるで私を知っているようだった。
私の著名さを考えれば、一方的に知られていることは当然あるにしても、ならば、あんな無礼で態度を?そんなの自らの首をはねてくると言っているようなもの。
何が目的なの。
考えても考えても、思い当たることがなにひとつないので埒が明かない。
体中が痛いばかりか、頭痛までひどくなってきたよう気がする。
何もわからない、心当たりも浮かばない。
わかるのは『わからない』ということだけ。
そもそも階段から落ちた記憶もないのんですもの……。
ここに来る前に私は、何をしていたのかしら。
あの日はダンスのレッスンがあって、中庭でお茶をしていたのよね。それで、そのあとは?
そのあとは……?
思い出せない。
全く思い出せない。
思い出せないものを思い出そうとするのは、こんなにもイライラするものなのね。
「そもそもナースコールって何なのよ……」
考えるのも億劫になり、奇妙な音が響く部屋の中で再び眠りにつく。
事件が起きたのは目覚めてすぐだった。
結局、疲れて眠りました