第78話 ~信念の剣~
「ユぅ~スっ、お手紙だよ~ん」
「何の理由もなく陽気なスタイル」
「あんたのツッコミほんと付き合いいいわ」
夕方前のまだ昼のうちと呼べる時間帯、夕食の買い出しに出かけていたアルミナが帰ってきた。
自室で読書を嗜んでいたユースの部屋をノックし、意味もなく機嫌よさげな足取りと声色で、郵便受けに入っていた封筒を渡してくれるアルミナに、ユースは近付き封筒を受け取る。
付き合いが長いユースは、何かいいことでもあって上機嫌なのかな、とは全く思わなかった。
本当にご機嫌な時のアルミナは、何か、どこか、これとは違う。遊んでいるだけだとわかる。
「あれ、何これダウィラス様から?」
「みたいね。
割り印ピッタリだし、なんか大事なお手紙だったりするんじゃない?」
部屋の入り口付近、開けっ放しのドアのそば、ユースは封筒の開け口を破る手が鈍る。
糊付けされた封筒の口には、現在のセプトリア王国大臣、ダウィラスの割り印が押されているのだ。
これはつまり、手紙の差出人がダウィラス本人かつ、手紙が封筒にダウィラスが入れて以降、未開封で他の誰の目にも触れていないことを意味している。
公書か密書か、そういう手紙を出す時のやり方だ。
中に書いてあるのは重要なことなんだろうな、とはユースにも、アルミナにだってちょっとわかる。
「なんだろ。
こういうのって、私は立ち会っちゃ良くないのかな」
「いいんじゃないの。
差出人が俺個人ならともかく、エレム王国騎士団様になってるし」
形式上はこの部隊、ユースが隊長なので、騎士団宛に手紙が来た場合、最初に目を通すのはユースであるべき。
それを、名目上は部下であるアルミナらに話すかどうかを決めるのは、一応ユースに一存されるのである。
とは言え、本質的にはユースとアルミナの関係なんて同列だし、ユースが手紙の内容を一人だけ見て、それをアルミナに隠しておくシチュエーションなんてまず想定されない。
気にせずぱぱっと封筒を開封し、中の手紙を取り出して広げるユースに躊躇いはなし。
「ん~、どれどれ?」
ユースが目の前に手紙を開いて読む姿に、アルミナはその横から覗き込むように手紙に目を通そうとする。
せっかくだからこの機会に、ユースと肩が触れ合うぐらいの距離感を楽しもうとする辺り、手紙の中身を読む前は、アルミナも楽しく日常を過ごしていたものである。
だが、手紙の内容に目を通す二人の間に、会話は一切生じなかった。
一度全文を読み、何かの間違いかと思って文頭に目線を戻し、改めて全文を読み直す二人。
そうせずにはいられないほど、手紙の内容は信じ難い。
「……シリカさん、もう帰ってたか?」
「う、うん……チータもルザニアちゃんも居間にいたよ……」
「よし、行くぞ……!」
行き先は、身内が全員揃っているという居間。
急を要す展開に、足早に部屋を出るユースに続き、アルミナは出遅れてすぐ追いつくほどの早足で続く。
あまりに突然の、明日ニトロの処刑が執行されるという報。
大きな足音と共に居間に降りてきた二人の姿には、シリカもチータもルザニアも振り向かずにはいられなかった。
”拝啓、エレム王国騎士団様。
並びに、騎士ユーステット=クロニクス様。
此度は皆様に、セプトリア王国大臣、ダウィラス=セッティマンとして依頼致します。
明日の正午、セプトリア王都中央広場にて、ニトロ=エルジニスがあらぬ罪を着せられ、処刑される運びと
なりました。
女王ナナリー様のご決断であり、我々もその過ちを未然に防ぐために説得を試みましたが、もはやナナリー様の
心変わりは絶望的なものと成り果てました。
はっきり言って現在のナナリー様は、ご乱心なされていると申して過言ありません。
つきましては皆様に、その処刑を阻止して頂きたい所存です。
手段は問いません。恐らく当日、現地では、多数のセプトリア兵も処刑場を囲むことになりましょう。
こちらから付随して願い出ることがあるとすれば、その場に立ち会うナナリー様のお命だけは手に
かけられぬよう望むのみであり、武力的な手段を行使されても一向に構いません。
立場上、皆様がセプトリア王国女王の意向に背く形となりますが、それによって皆様の名誉や地位に影響が
及ばぬようには、こちらも全力で善処させて頂きます。
極めて苦しい状況にお招き致しますのは重々承知でございますが、何卒よろしくお願いしたく存じています。
このような間違った形で、ニトロのような、誠実で、未来ある若者が、尊厳を穢され世を去ることは、
あまりにもむごい仕打ちであると私は強く信じています。
我々セプトリア王国の一同、心より騎士団様のご協力をお待ちしております”
「はい、頑張りましょう」
「え、チータ……」
「時間が勿体ない。さっさと決断して作戦会議した方がいい」
ダウィラスから届いた手紙の全文は上記のとおり。
あまりの内容にルザニアは絶句し、皆の前でそれを読み上げつつも現実に頭がついていききっていないユースを前に、チータの発言の早いこと早いこと。
あえて表情を全く動かさず、無言を通して場を見守ることに徹しているシリカを除き、ユースもアルミナもルザニアも、チータの判断の速さにはびっくりだ。
「お前のことだから、本音とは裏腹にちょっと悩むんだろ。隊長だからな。
ニトロを助けに行きたい、感情的にもお前の信じる騎士道的にもそう、でもそれをやって滑ったら、自分だけじゃなく部下にあたる僕達の立場にも影響が及びかねないから決断を躊躇する、そんなとこだろ」
「え、あ、ハイ……」
「どうせじっくり考えたところで、ニトロを見捨てるなんて最終結論になるこのメンバーじゃないんだから、応じるべきか応じないべきかを論ずること自体時間の無駄だ。
僕が五人ぶんいるんなら、色んな観点と価値観から議論してもいいかもしれないがな」
客観的に考えて、懸念すべきことは山ほどある。
ユース達に迫られる決断とは、ダウィラスの頼みを引き受けるか、引き受けないか。
無視するならそれまでだが、引き受けるとなると、かなり危険な要素がつきまとう。
「あのー、チータ。
ものっすごく低レベルな質問するかもしれないけど、あんたを信じて確認させて貰っていい?」
「なんだ」
「これ引き受けるのって、やっぱ相当にヤバい?」
「相当にやばいな。
女王ナナリー様が誰かを処刑しようと決断したところを、属国者でもない僕達が妨害するんだ。
はっきり言って暴徒の所業、まして国の、女王様の意向に逆らうわけだから、国家反逆者とさえ言えるな。
訴えられたら勝ち目ないよ。どう考えたってこっちが悪い」
反論の余地なし。アルミナもわかっていて聞いたに近い。
感情面で言えば、ニトロを助けに行くと即決したかったユースが、その結論をすぐに出せなかったのはそのせいである。
自分はともかく、大事な先輩、友達二人、後輩を、そんなことに巻き込むとあっては。
「で、でもさ?
ダウィラス様が言ってる、"皆様の名誉や地位に影響が及ばぬように"っていうのは、そうならないように取り計らってくれるっていう表明だよね?」
「大臣ダウィラス様と女王ナナリー様、どっちが上で、どっちが強い決定権を持ってると思う?」
「で、ですよね~……
甘く考えてはいけませんか~……」
協力要請をするダウィラスも、そんなことにはならないよう、全力を尽くしてはくれるだろう。
だが、大きな権限を持つダウィラスとて、その権威はナナリーに劣るのだ。現に彼ですら、ナナリーによるニトロの処刑執行令を止められていない。
ダウィラスに協力することを決断するならば、後ろ盾であるダウィラスの庇護とやらが不発に終わることは想定内のことであり、国家反逆者として見なされるのは覚悟すべきことである。
「僕達がニトロの処刑の阻止に動くとする。で、それが成功したとする。
だが後日、僕達はナナリー様つまりセプトリア王国に求刑され、投獄されるという道筋はあり得るだろうな。
そうなったら、今度は僕達が手を出せない状況になり、改めてニトロは処刑される、ということもある。
無駄骨かつ、その後僕達も処刑されて共倒れ、は、想定すべきことだろう」
辛辣であるが、そのとおり。
ニトロの処刑現場に駆けつけて、何とかその断罪の刃を止められるか否か。
ダウィラスの計らいが成功して、ユース達は罪に問われることを回避できるか否か。
この両方が成立しないと、ユース達五人もニトロも助からない。
特に後半が、ユース達の力ではどうにも出来ないことの上に、分の悪い話だから相当に厳しい。
「と、そこまで想定した上でユースに聞く。
お前、どうしたい?」
「あ、あの、さ……俺は……」
「お前の言葉でどうぞ」
ユースのことをよくわかっている奴の聞き方で、しかも見立てはだいたい正しい。
そう言ってユースの方を見つつも、視界の端にアルミナを含んでいるチータは、とある一つの綺麗な回答をユースに望んでいるかのように、そわそわしている彼女を見受けている。
チータがよくわかっている相手というのは、同い年で同性のユースだけではなく、アルミナのことだってそう。
「俺一人でも、やりたい……
みんなに、ついて来てって、言えないけど……」
「はい、そうだな。
で、この分隊には僕以外、同じことを言いそうな人種が四人いるよな。
というわけでどうせ結論出てるから、みんなでやりましょうという結論になりますよねと」
論じたところでそうなるのがわかっているから、チータは最初に結論を言ったのだ。
どう考えたって、ニトロが処刑されるようなことをする人には思えない。それ自体はチータの目線から言ってもそう。ダウィラスの手紙の後半を読めばよくわかる。
そんな人が、理不尽な裁きで命を落とそうとしている状況を知り、黙っているような人がチータから見た四人の仲間にはいない。
こいつらが躊躇うのは、周りを巻き込むのは怖いという辺りのみであって、自分がその後でどうなろうとも信じる正義のために自分は突っ走る、そんな連中でこの五人は構成されている。
凡人から見て頭がおかしいと思えるぐらい、自分の命を懸けるべき時に懸けられる感性を持たずして、騎士や傭兵は務まらないのだ。
でなければ、自分達より見るからに強い、強大な魔物に立ち向かうなんて、そもそもはなから無理な話である。
己の命を最優先の価値観が根底にあっては、なかなか真の戦人は名乗れない。
大前提として戦場とは、いつどんな形で命を落とすかもわからないのに、我が身が最も可愛いのであれば、始めから戦場に立つべきではない。
「アルミナもどうせやりたいんだろ?」
「当ったり前じゃん。
私がいい人だってはっきり信じてるニトロが、ヘンな疑いかけられて処刑されそうになってるんなら、ナナリー様相手だろうが私おもっきし銃ぶっぱなすよ?」
「ちなみに真実のほどは確定ではないんだが、万が一ナナリー様が正しくて、ニトロの方がクロだったら?」
「一緒に心中するわよ。
私、人を信じる時は、ダマされても自分が悪いんだってはっきり決めてる」
「ルザニアは?」
「だ……黙って、見過ごすことなんて、出来ません……!
自分の地位や名誉、命を重んじて、きっと正しいであろう人を見捨てているようでは、何のために教わってきた騎士道なのだか、わからなくなってしまいます……!」
ほらやっぱり。チータは肩をすくめたい想いである。
みんな感情に生き過ぎだ。そうでなきゃ為せないものもあり、それが今まさにニトロの命でもあろうから、これを笑ったり幼いと指摘するのも正しくないのだが。
ただ、いくらか年齢以上に大人の価値観を持っているチータをして、もう少し理性的に動く集団であった方が危なげなさそうなのに、とは思う。
ちょっと驕ってでも、自分のような理性優先の人間がおらず、ユースとアルミナとルザニアの三人だけで行動させていたら、たいへん危なっかしいんだろうな、なんてチータも思ったりする。
まあ、情に厚いながらも理も重んじた上での決断を下せるシリカが目付け役にいるから、仮に自分がいなくてもどうとでもなる、というのはチータもわかっているのだが。
ちら、とシリカの方を見たチータだが、シリカは目線だけ逃がしてチータと目を合わせず、口元を拳で隠して表情すら少し隠し気味。
あちらの最年長様、隊長ユースにあらゆる決断を委ねて成長を促すべき立場ゆえ、あまり口を挟まないスタンスである。まずい話に流れそうなら、積極的に口を挟むであろうけれど。
同時に話に介入してこないシリカという時点で、チータの決断や話の回しぶりは、問題ないと太鼓判を押してくれているようなものとも言える。
「あ、あの……シリカさん、俺……」
で、せっかく静観を決め込んでいるのに、わざわざ話しかけてくる奴もいる。
隊長職半年目、長いような短いような。しかしこれから他国に対し、国家反逆に等しい行為を取ろうとするユースにとって、やはりこの決断は半年経験ではちょっと重すぎる。
やっぱり自分を長年導いてくれた、経験豊富で最も頼もしい人に、自分のこの決断は大丈夫ですかと確かめてみたくなる気持ちは沸くだろう。
後輩ルザニアに見られている意識はあるだろうが、それでも聞いてしまうぐらいには重たい。
「自分で決めなさい。
自分で決めたことに、自分で責任を持つ覚悟でな」
「は、はい……」
突っぱねられた。優しい顔を作るでもなく、その声色に肯定的な含みを持たせるでもなく。
普通なら命令口調になりそうなところを、諭す親のような口調であったことも、この声色ではやや冷淡にすら聞こえる。
存外シリカも心を鬼にして、人に頼らず自分で考えて決めるユースを、なんとか実現させようとしているのである。
ユースは顔を上に向け、ぎゅうっと掌で顔を拭くような仕草。
それに際して息を止め、掌の過ぎ去った顔ではあっと深い息を吐く。
閉じていた目を開き、改めてチータの方を向く。腹を決めたと言える顔かはわからないが。
「……やろう、チータ。
協力してくれないか。三人じゃ限界があるかもしれない」
「国家反逆行為に僕なら巻き込んでいい感じか」
「いや、まあ……
でもなんか、ここで頼めないのも水臭くない?」
「最初からそれをわかって、最初からそう決断できるお前ならもっと良い」
何度同じ釜の飯を共に食い、何度同じ難敵に立ち向かい、何度同じ日に傷だらけで医療所に担ぎ込まれたか。
一緒に死んでくれ、って頼み合える間柄である。普段はそんなことわざわざ口にしないだけで、共に強大な魔物に立ち向かってきた二人の生き様というのは、頼み合って一緒に戦ってきたのと大して変わらない。
水臭いという言葉で形容した、ユースの言葉の使い方が正しいのかどうかは微妙なところだが、それはある程度的を射ていると言っても良い。
「よし、それじゃあ明日はニトロの処刑執行阻止だな。
作戦会議を始めるか。アルミナ、ルザニア、夕食の準備を頼む。
その間、経験豊富な聖騎士様と優秀な参謀、あとちょっと頼りない隊長の三人で作戦会議しておくから」
「はいはーい、お任せ致します。
行こ、ルザニアちゃん」
「あ……はいっ」
「優秀な参謀って誰」
「僕」
話の流れを察したアルミナは席を立ち、ルザニアを引き連れて台所の方へと向かっていく。
自称優秀な参謀様に適度な突っ込みだけするユースだが、そこで何の遠慮もなく自称返答するチータの姿には、笑ってる場合じゃないこの状況下ながら、少しユースも小さな笑みを吹き出してしまった。
「まあ、頼りない隊長っていうの、ホント否定できないけどさ……」
「なんで僕が仕切ってんだ。お前の仕事だぞ」
「ごめんってば。あーもう、早く始めよう、作戦会議。
お前のブレーンについていけるかわかんないけど、全力でやるから」
「無茶はするなよ」
「お前それは積極的に見くびりすぎ」
敵わないなと思いつつ、謙虚に苦笑いするユースだが、頭脳や経験で自分の上を行くチータに、あるいは作戦会議に協力してくれるであろうシリカに、必死で食らいついていこうとする面持ちだ。
いかんせん、口様も含めてやはり頼りない隊長ではあるのだろう。背伸びしなさ過ぎるのも考えもの。
人の上に立つ人間であるならば、多少の意地で自分を大きく見せようとすることがあったって、ついていく人間にとっては頼もしく見えることだってある。
剣士としての力量で言えば、ユースはちょっとぐらい威張ってもいいだけのものがあるので、少しぐらいは格好つけたっていい部分があると、彼をからかってばかりのチータですら少しは認めている。
きっとこいつは、何歳になってもこんな奴なんだろうなと、シリカもチータもよく思う。
それが良いことなのか悪いことなのかはわからないが、それと友人であることを選んだチータも、そういう後輩を可愛がってきたシリカも、今さらあまり変わっていって欲しいとは思えないから複雑だ。
結局最後は、そばにいる限りは支えてあげなきゃな、っていう結論になるのである。
「シリカさん、中央広場の見取り図とか書けます?
僕うろ覚えなんですけど」
「けっこう広いぞ。まあ私も自信はないが、私の記憶とチータの記憶を合わせて空間把握してみようか」
「ユース、紙とペン」
「こらパシらせるな、俺も一応隊長だぞ」
そんなこと言いながら、不機嫌な顔ひとつせず紙とペンを持ってくるこの隊長である。
こんなユースを見るシリカをして、この身内間で隊長職うんぬんの肩書きは、最終決断などを除けば本当に何の意味もないんだなぁと苦笑いしそうになる。状況が状況なので笑えず、表情を隠すのが大変。
「こっち建物ありましたよね。侵入経路に使えません」
「想定するに、断頭台の位置はこの辺りだろう。人が集まるのはこっちだろうから、向きはこう。
となれば護衛にあたる兵士様の布陣はこうなることが想定されるな。まず第一案だが」
「こっちにこう、という可能性もありますからね。
現地判断が出来るように場合分けして考えましょうか」
「こっちは衆目の集うであろう場所だから、恐らく通ろうと思えば通れるぞ。
密度にもよるけどな。有力な経路として意識していいと思う」
「もしそっちが駄目だったら、こっちに回り込む想定でどうでしょう。
動線を考えたら、こっちから出てきた民衆はそっちが詰まってる場合こっちに流れるでしょうから、多分こっちが空きますよ」
「いいな、合理的だ。
ただ、その場合は護衛がこう采配されていた場合に壁が出来るかもしれない。それは意識しておくべきだ」
「ふむ……なら、その布陣の場合はこっち側から行きましょうか。
そうでないなら元の案のままいけますしね。ちょっと強行気味には違いありませんが」
「…………????」
熟練騎士と参謀魔導士の会話に、ユースはちんぷんかんぷんである。
紙に中央広場の概形を書き、丸やらバツやら点やら書き込み、ストラテジーの連続会話。
ゆっくり話してくれるならついていける内容なのだが、いかんせんシリカもチータも素早い頭の回転で、ずいずい話を進めていくものだから、常人脳のユースの頭ではこの速度にはついていけない。
これも経験である。先輩の作戦会議に立ち合わせてもらうようなものだ。
チータもシリカも、十歳年上の軍隊脳連中の会話に平然と混ざれるぐらいには頭が発達しているので、そこにおいてははっきりとユースの先人である。
現地兵としての経験は豊富なユースとて、そういう経験はあまりしてこなかったので。
「で、ユースついて来てるか?」
「頑張るから、続けてくれ……」
聞くに徹する。お勉強モードで結構。いつかはそれが、血肉になるだろう。
夕食の手伝いをするでもなく、作戦会議に口を挟むでもなく、仕事のないユースだが、無意味ではない。
何せニトロを救うための対話だ。意志力を以ってそこに参加しているだけでも意味がある。
アルミナとルザニアが夕食を作り上げて持ってくるまでの間だけでも、シリカとチータは明日のニトロ救出作戦の下地は完成させてくれた。あとは食後、もっとその作戦を洗練していくだけだ。
黙々と夕食を取る間、シリカとチータの話していたことを頭の中で反芻し、なんとか深い理解に及ぼうとするので必死のユースだが、それでこそ学習であろう。
先を行く人々に追いつこうと思えば、人の倍ほど努力しなければいけないのである。
ごちそうさまの後も、食器を片付けた居間のテーブルにて、三人の作戦会議は続いた。
勝負は明日、それも一発勝負。
失敗した時のことなど考えない。ただ成功させることだけを考えて臨む騎士団の火は、明日の上天に昇るはずの太陽と同じだけ、小さくながらも強く燃え上がっていた。
思えば当初の想定以上のことが、ここセプトリア王国を訪れて以降は起こり続けてきたものだ。
はじめはセプトリア王国の女王様に仕えるだけの仕事と聞かされ、こうしてこの国へと渡ってきた。
魔物の軍勢を退けるため、日々戦うばかりだった過去とは違い、今までとは違う形の仕事が多くなりそうだと、当初の新しい頭で臨もうという意識でいっぱいだった。
それが、ナナリーを護衛がてら一緒にピクニックに行っただけで、女王の命を狙う刺客と対峙したり。
暴力団のボスを叩くための任務の先陣を切ったり。
魔法都市ダニームまでナナリーを護送するだけの任務のはずが、街を焼き討ちするフラックオース組との大規模闘争に発展したり。
仕舞いには、王都を攻め込む魔物の群れとの抗戦などと、かつての独立戦争を経て平和になったはずの国では、こんなに連日起こるまいはずの出来事の数々に、僅か半年で断続的に遭遇してきた形である。
そして今、女王様は大臣にご乱心と称され、異国の友人となったニトロは断頭台への旅路を強いられ始めている。
世の中は、予想外なことがよく起こる。それにしたって、当初の想定を超えて、数々の出来事に直面し、ユースはこのセプトリア王国で、良くも悪くも経験を積む形となった。
いつまで自分が、このセプトリア王国に身を置く予定だったのかはわからない。
だけどきっと、明日の戦いが、この国において起きる出来事の中では、最大の一事であると、就寝前のユースは直感している。
明日ユースは、異国の女王様に真っ向から逆らうのだ。
想像したこともない、そんなこと。知り合いがそんなことしようとしたら、ユースだって事情を知らなければ、そんなこと絶対にやめとけって言うはずだ。
そんなことを明日実行に移そうとする自分を鑑みて、ユースが眠れなくなるのも無理はない。
自分のやろうとしていることは正しいのだろうかと、決めた後でもなかなか信じることが出来ない部分はある。
寝付けぬ体を起こしたユースは、夜長に部屋を出て、廊下をきしきしと歩いていく。
向かう先は、何年も自分の面倒を見続けてきてくれた人の部屋だ。
こんな時間にどうなんだろうとは思いつつ、今のユースは誰かにすがりたい。
「……シリカさん、起きてますか?」
「ん……起きてるよ。
どうしたんだ? 入っておいで」
ノックして恐る恐る気味に尋ねたユースだが、張りはあっても優しい声で許しを頂いたユースは、ドアノブに手をかけ入室する。
薄明かりに照らされた部屋で、シリカはまだ就寝の準備すらしておらず、机の前に座ってユースの方を振り返っていた。
ペンを握っている姿からも察せるとおり、明日に向けてまだ色々と考え続けてくれていたのだろう。
「眠れない顔をしてるな」
「あはは……そうですね……
やっぱりちょっと、自信ないですよ……ほんとにこの決断、正しかったのかなって」
「でも、やる、と」
「まあ……そうなんですけど」
腹は決めている。ユースもシリカも、他の三人もそう。
今さらその決断に疑問を投げかけて、何をどうこう論じる意図はユースにもないのだろう。
でも、不安はやはり残るのだ。
そんな時に、決して発展性のない会話であっても、誰かにその胸の内を打ち明けることで、少しは胸のつかえが去ることだってあろう。
シリカもそれはよく知っているから、不毛な会話に夜更かしするのも悪くないと思っている。それでユースが、少しでもすっきりするのなら。
「……シリカさんが隊長で、決める立場だったらどうしてました?
ダウィラス様の依頼に応えてニトロを助けにいきました? それとも、別の決断をしてました?」
「ん~……まあ、私だったら、ちょっと決断までに時間を作るかもしれないけど、やっぱりダウィラス様の依頼を引き受ける方向で動いていたと思うよ」
「それってやっぱり、感情が勝ってですか?
それとも理念を詰めても、それが正しいと思いますか?」
「どっちも、かな。
私の観点で言えば、やっぱりこれはニトロを助けに行くべきだと思う」
こういう時にシリカは、ユースに合わせて背中を押すだけ、をやるタイプではない。
シリカが自分の価値観でもユースと同じ判断をした、と明言したことは、己の決断に少し自信が得られたユースを作ると同時、どうしてだろうとも思わせる。
「ダウィラス様の手紙には迫真のものを感じた。
お前もあの人とお話したことはあるだろう? 言葉遣いがしっかりしていて、エレム王国騎士団である私達に対する礼儀と語りかけ方を徹底されているお方だ。
そんな人が、会話よりも時間をかけて作れるはずであろう手紙を作るにあたって、あんなにも乱れた文章と言葉遣いを用いていたのは、相当に状況が切迫していることを察することが出来る。
たとえナナリー様本人に言う言葉でないにせよ、主君をご乱心と形容するなど、よほど今のナナリー様がおかしいんだと確信していなければ書けないよ。あのようなお方なら、尚のことな」
「…………」
「正直、ニトロが処刑されるに値する狼藉をはたらいたのか、それともナナリー様が間違っているのかは、私は推測の域を逸していないと思う。どちらだって、等しくあり得ることだ。
だが、ダウィラス様のお言葉や、あまりにも性急すぎるニトロの処刑執行などを顧みて……私が信じて動きたいのは、ダウィラス様やニトロの方かな。一応、感情論を抜きにして考えているつもりだよ」
ユースにしてみれば、心強い後押しにはなっている。
やはりユースが明日の行動を決断した最たる要因は、ただ友達を助けたいという感情論なのだ。
どんなふうに理屈を付け加えても、それはすべて後付けである。モチベーションの原点に感情があり過ぎる。
そんな所に、理で以ってシリカに肯定して貰えるのは、ユースにとってはやはり嬉しい。
「それにな、ユース――
そうだな、少し視点を変えてみようか」
「視点を、ですか?」
「物事を難しく考えるから、自分が選んだ道が正しいのかわからなくなる。
問題を簡略化してみないと」
悩んだ時は、問題を簡略化する。
簡単なようで難しい、しかし可能ならば目の前が拓けることもある思考の組み換えである。
しばしばシリカは昔から、ユースに何か相談された時は、こうして悩みをほどく手ほどきをしてくれる。
「私達の決断1。ニトロを助けに行く。成功する仮定で話をする。
これによって得られるメリットは、ニトロが生き延びる可能性を生み出せること。
これによって生じる問題は、成功したとしても国家反逆者として見なされ、私達の命が失われ得ること。
ならびにやはりニトロも助からない、という可能性も存在するということ」
「……はい」
「私達の決断2。暴勇と判断し、明日は見に回る。
これによって得られるメリットは、私達が危険に晒される可能性は無いということ。
そしてこれによって生じる問題は、私達がこの決断をした場合、絶対にニトロは助からないということ」
「あ……」
「お前は2つ目の決断を選んで、明後日以降を胸を張って生きられる性格をしてないよ。
何年もお前を見ている私が言うんだから、絶対に間違いないって自信がある」
本当に、視点を変えてみれば簡単なことではないか。
明日何もしないことを選んだら、自分達の安全を確保するのと引き換えに、ニトロを見捨てると言ったって何一つ過言ない。
「大事なのは、お前が、ニトロは潔白だと信じるか、信じないか。
お前が決断するにあたって一番考えるべきことは、それに集約されると思うんだ」
ナナリーがニトロを処刑すると言っている。それに値する狼藉をニトロがはたらく人物かどうか。
それもあり得る、と見るのなら、敢えて見過ごすのも立派な選択肢だ。自業自得で処刑される人間を、どうしてわざわざ危険を冒してまで助けにいかねばならないのか。
ニトロを信ずるに値しない人間だと思うなら、むしろ見捨てて賢明とさえ言えるかもしれない。
だが、彼が潔白だと信じるのであれば。
我が身を守るために処刑される彼を見捨てるか。
それとも、たとえ必ずしも成功するとは限らないとしたって、彼が生存できる可能性を追いかけるか。
戦う力を持たない人々を、魔物や、暴力的な人間から守るために剣を握り、自分達よりもずっと強い魔物にでも立ち向かうのが、ユースの信じる騎士像だ。
シリカもそう。ルザニアも同じことを言っていた。
騎士ですらないアルミナですらそうだろう。あんな奴だが、チータだってそういう価値観に共感を以って戦える人物だからこそ、傭兵魔導士としてユース達と一緒に戦場に並び続けてきた。
失敗したら死ぬ、なんてのは、元より苛烈な戦場に何度も臨んできたユース達にとって、ずうっと前から克服済みの障害である。
それを恐れて立ち止まるような奴が、どうしてこれまでのような苦難に立ち向かって来られたというのか。
これがわかっているからチータは、ユース達4人は、ニトロを助けるためなら命や名誉すら懸けて臨もうと出来る、実行しようとする連中だと確信していたのだ。
これが、同じ信念を共有し、力無き人のために戦うこと、そのために命を張ることを潔しと出来る騎士と傭兵同士が、戦乱の中で築き上げてきた絆より生じた解答である。
重ね重ね、己の命を最優先の価値観が根底にあっては、なかなか真の戦人は名乗れない。
「ユースは、どうしたい?
ニトロを信じたい? それとも、そうじゃない?」
「……ごめんなさい。
本当に、それだけの話だったんですね」
煮詰まって簡単な問題すら見落としていた、そんな自分を笑うかのような苦笑いで、ユースは頬をかりかりとかいていた。
結論はもう出た。自分が選びたい選択肢は、やはり一つしかなかったんだって。
むしろ、これと違う決断をして、今後騎士を名乗っていくことなんて、きっとユースには出来はしまい。
シリカの言うとおりである。
「うん、わかったらもう今日は早く寝なさい。
明日に響いたら大変だぞ」
「はい……!
ありがとうございました、シリカさん……!」
少しは晴れた顔、前向きな笑顔すら少し含んだ表情で一礼し、ユースはシリカの部屋を立ち去って行った。
伸るか反るか、明日のことなんて明日にならなきゃわからない。だが、やると決めた男の顔だった。
あとは運命に身を委ねるだけ。明日は明日で、可能な限りの手を尽くす他ない。
明るい未来があるとしても、まずはそれからというものだ。
「……ふふ、あれならきっと、大丈夫だな」
シリカは一人残った部屋の中で、机の引き出しから一枚の封筒を取り出す。
ユースが来たと知って、隠してしまった封筒だ。これを見たらきっとユースが動揺すると思って、彼の目からは避けたのだが。
何せ、辞表である。
どうしてそんなものを、とユースに聞かれるのは想像に難くないし、理由も説明できるけれど、そんなことにこの晩時間を費やしたところで、明日に向けて得られるものなんてない。
所詮は、想定される良くない結末のひとつに対する、保険のようなものである。
あらかじめ用意しておくべきものではあるが、その存在を今から表沙汰にする必要はない。
「さて、と……明日は頑張る、ぞっ」
ふう、と息を吐いたシリカは、寝支度を進め、彼女も就寝への流れに入っていく。
チータもアルミナもルザニアも、作戦を把握し、今はもう早寝している頃だろう。
任務前夜と同じだ。明日に向けて鋭気を養い、万全の状態で明日の朝を迎えることを目指すのが、決戦前夜の戦士達に求められる課題である。
セプトリア王国を訪れたエレム王国騎士団の五人。
そんな若き精鋭らにとっての、この国における最大の戦いが、明日の正午に幕を開ける。
明日の南中に昇る太陽は、果たしてユース達を祝福する光の源となるか、それとも彼らが見る最後の光となるか。
運命と未来を刻む針は、沈みゆく月と同じように、既に動き出してその時へと止まらず進んでいる。




