表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
83/100

第77話  ~真相~



「今、何と……!?」

「何度も言わせるな、妾も望んでなどおらぬわ……」


 朝になって謁見の間では、女王と大臣が真逆の顔色で声を発し合っていた。

 欝病のように気力を失った表情で頭を抱えるナナリーに対し、対するダウィラスは血が昇った頭で目を見開いている。

 たった一言の決定で、両者が朝からこれほど顔色を二極化するほど、ナナリーの口から出た決断は衝撃的なものだったのだ。


「……明日、ニトロを処刑する。

 手筈はもう、そちらに伝えてあるから、おぬしもその段取りで……」

「ご冗談を!

 いったい何がどうなればそのような流れになるのですか!」


 普段は常に冷静沈着な男とて、これを聞かされては声を荒げずにはいられない。

 聞き間違いでなかったことまで含め、信じられないという表情でダウィラスがナナリーに抗議する。


「……女王たる妾の決定に、いちいち説明が必要か?」

「理由も聞かずに承諾できる事柄ではありませんでしょう!

 納得に足る理由とやらをお聞かせ頂きたいものです!」


 婚約者の処刑を決断した女王様よろしく、額に手を当てうつむき気味に、滅入る表情と態度を見せていたナナリーが、ぎろりとダウィラスを睨んで見上げる。

 威圧感の凄まじい眼力だが、それでも怯まずダウィラスは問い詰める。ここは一歩も引き下がれない。


 はぁ~っと鬱陶しげな溜め息を吐くナナリーの目は淀んでいる。

 椅子の肘掛に両腕を置き、一度天井を見上げるほど背もたれに背中を預けると、そこから改めて背筋を正して説明する体構えを作りだす。


「まず妾は、イリスが妾に毒を盛った犯人であると結論付けた。

 それを否認したがるおぬしらも、明確な否定要素を出すことが出来なかったであろう。

 今さらこの結論に異を唱えられ、これ以上待てるほど妾も寛容ではおれぬ」

「それすら早計であるという前提も今は隅に避けましょう……!

 そこから何をどうすれば、ニトロの処刑に繋がるのかと尋ねているのです!」


「では、イリスはどうやってヴィール液を手に入れた?

 おぬしも知ってのとおり、城住まいになって以降のイリスは、外出すらも控える身じゃ。

 それがどうして、ヴィール液のような用途の狭いものを仕入れる道筋を獲得できた?」

「それも含めて我々はイリスが犯人ではないと主張してきたのです!

 城籠もりのイリスが、あのような劇薬を入手できるという話自体が不自然だと!」


「イリス一人では無理であろうな。

 だが、協力者がいれば話は変わってくる。

 むしろ、考えれば考えるほどに、それを抜きにしてイリスには不可能なことであろう」

「まさかナナリー様は、それがニトロだと仰るんじゃないでしょうね……!」


 短く、無言の睨み合い。

 さっきから反抗的だが、女王の妾になんたる態度かと目で訴えるナナリーだが、その意志を理解しながらもダウィラスは強い眼差しを返している。

 主君だろうが関係ない。決して許容できない決断を前にして、保身に逃げて黙ってなどいられるものか。


「イリスに最も協力し得る輩が誰かと言えば、ニトロをおいて他にはいまい。

 血の繋がった兄妹じゃ。絶対に裏切り合わぬ関係であろう」

「馬鹿げたことを申さないで下さい!

 いったい何の動機で!? 果たしてその根拠は!?

 否定できる要素こそあれ、肯定できる要素すらないでしょうに!」


「……ぬし、言葉を選べんのか?」

「選んでいますよ……!

 ナナリー様の発想は、そう断言するに相応しいものです!」


 ナナリーの推察を、"馬鹿げたこと"と表現するのは、すなわち女王に対する暴言に他ならない。

 言い間違いではないとダウィラスは重ねて断言しているのだ。もう腹は括っている。

 これを本当に実行する君主なら、ダウィラスはこの女王様を主君だとは認められない。


「ならば黙らせてやろう。

 妾がニトロを協力者だと断じた根拠は、2つある」

「お聞かせ頂きたいものですね……!」


「ニトロがシェバの町のシャプテ商会に、毒の出所についての調査に赴いた時にどうなった?

 不審火でシャプテ商会の本陣が全焼したという話になったな?」

「それが何だと……!」

「元より話が出来すぎておるとは思わんのか?

 いよいよニトロが真実に手を伸ばそうとしたという時に、商会の本陣ごと証拠を得られる環境そのものの消失。

 まさか、ぬし、これが本当に偶然の出来事であったとでも推察しておったのか?」


「ナナリー様は、それが誰の仕業だとお考えなのですか……!?

 まさかそれが、ニトロの仕業とでも仰るのですか!?」

「それ以外に、犯人像が無い」

「知人から無理に犯人を絞り出そうとすればそうなりますよ!

 ナナリー様に毒を盛った真犯人がイリス以外にいて、ニトロの動きを見て取ったその真犯人が、ニトロに先んじてシャプテ商会に火を放った可能性が等しくございます!」


「ほぉ。つまりぬしの言う、イリス以外の真犯人という奴は、ニトロの動きを先んじて読み、シャプテ商会に足を運び、証拠隠滅に動いたということか?

 ニトロがどう動くかは、城内のみで交わされておった情報であって、漏洩する可能性を見ればきりが無いぞ。

 それともぬしは、イリスとニトロ以外の真犯人が城内におったとでも言うつもりか?」

「機密情報を確保できなくとも、向こうの一手がニトロに先んじる形に間に合っただけという説もある!」


「仮説、仮説、ぬしはそればっかりじゃのう……!」

「ナナリー様の主張とて、推察と仮説の域を逸しておりませぬ!」


 頭の回転が早いダウィラスは、ナナリーからの詰問にその場で反論を作り上げ、身内に犯人がいるという説、そのすべての地雷を避けて論を紡ぎ上げる。

 イリスとニトロの共犯説を否定するために、他の身内に懐疑の目が向くのでは、それはそれで望ましくない。


「ならば、もう一つの根拠じゃ……!

 昨日妾が、ニトロにイリスとの面会を許したのは知っておるな……!?」

「ええ、存じておりますとも……!」


 ふぅーっと深い息を吐き、ナナリーは興奮した息遣いを一度鎮める。

 ダウィラスだって同じことがしたい。したとしても落ち着いていられるかはわからないが。


「……イリスとニトロの面会に立ち会った看守長に、二人の会話を記録して貰った。

 一言一句、決して間違えぬように記録せよとな。これが、その内容の写しじゃ」


 ナナリーはそう言って、傍らから、筒状に丸められて紐で縛られた、一枚の紙を取り出した。

 そんなことをしていたとはダウィラスも初耳だが、それはこの際たいした問題ではない。あり得る話かつ、不当でも何でもない。


 ナナリーに差し出された紙を受け取ったダウィラスは、そこに書かれた文字列にざあっと目を通す。

 一度看守長から受け取った内容を、今ここでダウィラスに見せるためにナナリーが自分の字で書き映したのか、字はナナリーのそれであったが、内容そのものは昨日ニトロとイリスが交わした会話としっかり一致している。


「これが何か……!?

 私には、これがナナリー様の推察した結論に至る要素だとは思えませんがね……!」

「……わからぬか。

 ニトロの発言部分をよく目で追ってみい」


 そう言われてダウィラスは、頭に入っている文章をもう一度読み直す。

 結論なんか変わるはずがない。書いてあることは何も変わっていない、受け取ることも変わらないのに、結論が変化する要素など何一つない。


「1つ。"ニトロ、ダウィラス、他の家臣団の数人もイリスの処刑には反対している"とイリスに伝える旨。

 2つ。"それなら妾もイリスの処刑になど動けまい"というニトロの読みの発言。

 そして3つ。"必ず何とかしてやる、俺がそこからお前を救い出してやる"という旨の発言」


「何も不審はないでしょう……!」


「1つ目。数名の身内を抱き込んでいるという情報を、共犯者が実行犯に伝える情報。

 2つ目。それによって状況が上向きであるという、投獄された仲間への報告。

 そして3つ目。妾という女王に変節を促し、結末を変えるという宣言、すなわち謀反を表す決定的な発言じゃ」


「な……」


 開いた口が塞がらないとはまさにこのことだ。

 ダウィラスには、ナナリーの言うことが全くわからない。いや、意味はわかる。そんな推理も無理にでもなら不可能ではない。

 しかしそれは相当に穿った推察、邪推というものであって、他者を裁く根拠としてはあまりに暴論である。


「ニトロはイリスとはっきりと手を結んだ関係であり、妾の毒殺に失敗したことを見受け、しかし生きた妾を傀儡にし、己の意のままに女王を動かそうとする人物である。

 これは王国において、極めて危険な思想であり、ニトロはそれの持ち主である。

 国民的英雄の遺した子息ということもあり、元より支持する者も多いだけに尚更見過ごせぬ。

 これを以って妾は、ニトロの処刑を決定する。これはもう、覆らぬ決定じゃ」


「……確認しますが、冗談ではありませんよね」

「この期に及んで、妾が冗談を言うとでも思っておるのか……!」

「笑えぬ冗談にしか聞こえませぬ!

 そのような空想ごとで、人の命を断ずるなど愚の骨頂としか言いようがない!」


「……ダウィラス、ぬしは本当にいい度胸じゃのう」

「これ以外にこの話を形容する言葉が見つかりませぬ!

 はっきり申し上げましょう! ナナリー様は間違っておいでです!

 改められるならここだけの話に致します! お考え直し……」

「いい加減、黙らぬかあっ!!」


 勢いよく立ち上がったナナリーは、大振りの拳をダウィラスの腹にどすりとぶつけてきた。

 幼い体、小さな拳、それでも全力で振りかぶって人の腹を殴れば、それなりの重みにはなるのである。

 傷やあざが残るほどではないにせよ、腹部に軽くない一撃を受けたダウィラスは、片足を半歩下がらせて言葉を途中で切ってしまう。


「わ……っ、妾が、軽い気持ちでこのような結論を導き出すと思うか……!

 妾が、父上亡き後、どれほどニトロに支えられてきたか、知らぬぬしらではあるまい……!」

「っ、ぐ……!

 なればこそです……! そのような暴論で、彼やイリスを裁くなど……!」


「それでも、王国を内から腐敗させ得る存在など、根絶していかねばならぬのが王政じゃろう!

 それがたとえ、妾にとって掛け替えのな……掛け替えの、なかったもので、あったとしてもっ……!

 いや、だからこそ、情に流されることなく断じていかねばならぬのが、女王というものであろうがあっ……!」


 途中から声を震わせ、言葉を詰まらせていたナナリーは、徐々に涙目になりつつダウィラスを睨みつけている。

 どれだけ激情の乗った顔であろうと、あどけない顔立ちの涙目は、それだけで男にとっては責めづらくさせる魔力を持っている。

 勿論、それを見せつけられても一歩も引かないのが、今のダウィラスという男。他のケースならまだしも、ここで泣き落としに屈してたまるものか。


「っ、掛け替えなき者ならば尚更に、あらぬ罪で葬ることなど、断じてあってはなりません!

 必ず、絶対に後悔する道だとわかっているのです!

 どうしてそうとまでわかっている私が、今のナナリー様の決定を受け入れられるというのですか!」


「うるさい、うるさいっ……! もう、決めたことなのじゃ!

 これが妾の王政じゃ! 妾がすべてに優先するのは、このセプトリア王国の平定じゃ!

 それを脅かすものはすべて……っ、すべて、排除する! そうした覚悟で妾はこの座に就いておる!」


「そうではない!

 ニトロやイリスはこの国を脅かすような人物では……」

「黙れえっ! うるさあいっ! 今すぐ出て行け、妾の前から消えろ!

 はぁはぁ……出て行け、出て行けえっ!」


「ナナリー様……!」

「出て行かぬならぬしにもそれなりの対応をするぞ……!

 一人にさせい! 消えろ! 今すぐ、出て行けえっ!」

「くっ、ぐっ……! くぅ……!」


 話にならない。あまりにもだ。

 涙を散らし、喚きながらダウィラスを殴りつけるナナリーに、心底歯噛みしながらダウィラスは謁見の間を追放される。


 扉を閉め、振り返り、扉の向こう側のナナリーを見つめながら、苦々しい顔をすることしか出来ない。

 きっとあれは、心変わりを促せるナナリーではないのだ。

 そして彼女の言うとおりなら、既に明日のニトロの処刑に向けて段取りは進んでおり、女王の勅命でその流れが決まっているのであれば、ダウィラスにそれを止めるすべはない。


「はぁ……はぁ……」


 歯ぎしりしながらダウィラスが謁見の間の前から去っていく中で、荒い息を吐きながらの泣き顔のナナリーは、玉座にとすんと座って背を丸める。

 袖ではしたなく涙を拭い、両手で顔を覆い、その顔を膝に近づけるほどうつむくのだ。

 まるで泣きじゃくる顔を誰にも見せたくない、か弱い少女のような姿がそこにある。


 その掌の中で、涙を拭った後のナナリーの表情が、にやぁと笑ったものであったことなど、決して誰にも想像がつくはずもない。

 誰もいない謁見の間、いたとしてもナナリーの表情を覗き見ることなど出来ぬ空間にて、悪辣な魂を宿した権力者は、すべてが思い通りに運んでいる手応えに笑いが止まらなかったのだ。











 事は、昨夜に遡る。


 場所は、セプトリア王国の地下牢獄。それも死刑囚のみが収容される、地下四階層。

 そこで鎖に繋がれて、気を失っている男の顔に、ざばあと大量の水がかけられていた。


「う……ぅ……」


 顔に冷たい水をかけられたニトロは、それによってゆっくりとだが意識を取り戻した。

 気を失う直前のことはすぐに思い出せない。深い眠りから目覚めた直後のように、ぼうとした視界と頭で細い目を開いていたのである。


「お目覚めかのう?」

「…………っ!?」


 聞き慣れた声に尋ねられたことよりも真っ先に、ニトロは今の自分の状況に絶句した。

 天井から吊り下げられた鎖、その先に繋がる手枷を両手首に嵌められ、その手を頭上に固定されて吊り下げられるような形だったのだ。

 さらには両足首にも、床から繋がれた短い鎖と足枷がかけられており、歩くことすら出来ない状況だ。

 手足の自由を奪われる拘束を課せられたニトロは、両手を頭上に縛られたような形で、冷たい石床の上に裸足で立たされていたのである。


 そして何より、目の前の光景だ。

 何年も主君と認め、敬愛してきたナナリーが、身動きの取れない自分を満足げに見上げている。

 加えてそのナナリーのすぐ後ろには、見慣れぬ男が腕組みして立っている。


「な、ナナリー様……!?

 これはっ、一体……!?」


 がちゃがちゃと鎖に繋がれた手足を動かすニトロだが、自由を失った自分を再認識させられるだけだ。

 出来てせいぜい、腰より上を少しひねる程度。目を逸らすつもりなどないが、眼前のナナリーから顔を逸らすことすら満足に出来ない。


「くふふふ、誰に話しかけておる?」

「ここはどこ……そっ、それよりも、そいつは何者なんですか……!?

 お離れに……」

「うるさいのう」


 つかつかとニトロに歩み寄ったナナリーは、握り拳をニトロのへその上に突き刺した。

 か弱く握力に乏しい拳でも、鳩尾に刺されば男のニトロでも息が詰まる。

 言葉半ばにしてそれを止められたニトロが目を白黒させる中、一歩下がったナナリーは、ニトロを殴ったばかりの手で口元を隠し、くすくすとご満悦の笑みを浮かべている。


「そうじゃのう、何から教えてやろうかのう。

 ま、貴様(・・)が最も知りたいのは、わし(・・)のそばにおるこやつかな?」

「はっ、ぐっ……くっ……!」


 腹を打ち抜かれた苦しみに喘ぎながら、ニトロは憎々しげにナナリーのそばに立つ男を睨み付ける。

 そうだ、思い出した、こいつにやられたんだ。憎むべき敵はこいつだとニトロが認識する。


 膝を伸ばして立てないニトロが見上げるほどその男は背高く、太い腕と足は力強さを想像させる。

 藍色のノースリーブのシャツは、その巨漢に丈こそ合ってあるものの、男の張り詰めた腹筋と胸の筋肉はそのシャツを内から押し返し、筋肉のラインが衣服に浮き上がるほど。

 露出した腕は禍々しく黒い刺青で埋め尽くされており、アーミーパンツを纏った二本の脚は、鉄の棒で殴ってもこの男を倒せないのではないのかと、そう思えるほどの頑強さを思わせる存在感だ。

 そして短い灰色の髪の下、鋭い眼光が無言でニトロと目を合わせており、その鼻と口元は隠されている。

 血を沁み込ませたかのような赤黒いマフラーで、その男の顔の下半分が隠されているからだ。


 一目見てわかる。間違いなく、歴戦の強者である。

 百戦錬磨のユースと一騎打ちして、強者が漂わせる風格というものをよく学びつつあったニトロをしていっそう、この男が持つ風格には体が震えそうになる。


「こやつはわしの右腕にして、名をカイザーと言う。

 わしに忠実に仕える配下の中でも、最も強く、頼もしい」

「そんな……っ!

 セプトリア王国に、そんな兵士がいたなんて、俺は一度も……」


「貴様、何か勘違いしておらんか?

 誰もこやつがセプトリア王国の兵士だなどとは、一言も言っておらんがのう」

「は……?」


 ナナリーの言っていることが何一つわからない。

 そもそもナナリーの言葉遣いが、彼女本来のそれではない。

 何より最も、自分を見上げて見下すようなナナリーの目が、最も親しみ合った女王様のそれとは異なり、(どぶ)のように濁りきった光を発している。


「のう、ヘンリー=エルジニスの忘れ形見、ニトロ=エルジニス?」

「…………」


 頭がついていかない。現実を理解できない。

 ニトロの直感がかろうじて発するのは、目の前の相手が自分の知っている、ナナリー様ではないという発想。


 それは、殆ど合っている。


「長かったぞぉ……貴様ら親子、そしてセプトリア王国……

 わしの帝国はおろか、わしの命まで奪っていった貴様らを、何度許すまじと憎んだか知れぬ……

 こうして木偶と化した貴様を見上げるまでの四年近くは、気が遠くなるほど長く感じられたものじゃ……」


「お、お前……誰、なんだ……?」

「おい、カイザー」


 ナナリーは、くいとニトロを親指で指し示し、最も頼もしい配下に指示を下す。

 ただちにニトロへと二歩歩み寄ったカイザーが、身動きの取れぬニトロの脇腹に、大きな拳を横殴りに叩き込んできた。


「ごあ゛……っ……!」

「口の利き方に気を遣え、無礼者が。

 わしを誰だと心得ておる」


 泡を吹きそうなほどのダメージに、ニトロは再び意識を飛ばしそうになる。

 かろうじてそれだけは耐えたニトロの脚は震え、まともに立っていることも難しい。

 脚が体を支えてくれないから、びんと張った腕の先、手枷がニトロの手首にひどく食い込む。殆ど宙吊りだ。


「……あの日わしは、ヘンリーの刃に切り裂かれ、アルバー城の玉座の前に倒れた。

 無念でならなかった……憎しみは止め処なく溢れたものじゃ……!

 ヘンリーめ、セプトリア王国め、年端もいかぬ餓鬼のくせに我が帝国に刃向かう愚王めと、何度呪詛が脳裏に駆け抜けたかわからぬわ……!」


 ニトロの父、ヘンリーが英雄視される最大の根拠とは、アルバー帝国からの独立を確定させた実績に由来する。

 かつてのアルバー帝国の皇帝、ベリリアル皇帝を討ち果たしたことが、ヘンリーが成し遂げた最高の功績だ。


「……気が付けばわしは、祖国へと帰る中でのヘンリーのそばを漂う、得体の知れぬ存在となっておった。

 いや、その時はもはや、己をそうであったとすら認識しておらなかった。

 ただただ憎く、わしを息絶えさせたこの男も、わしと同じ末路を辿れ、わしと同じ苦しみを抱け、この世で幸せを享受することなかれと強く願っておっただけじゃ。

 今にして思えば、それがヘンリーに討たれたのち、わしが初めてこの世に顕現した時の記憶と呼べよう」


 郷愁深い表情でそう語るナナリーの顔を、ニトロは震える瞳で見つめていた。

 理解は出来ない。それでも言葉の意味はわかる。

 少しずつ、少しずつ、ナナリーの発する言葉が、最悪の現実をニトロの脳裏に伝えている。


「祖国に帰り着く前に息絶えたヘンリーを見下し、ざまあみろと歓喜してなお、セプトリアの王都に辿り着いたヘンリーの亡骸に駆け寄ってきた女王を見て、わしの憎しみは再び燃え上がった。

 戦火とは無縁のセプトリアの本土が憎くて仕方が無かった……

 アルバー帝国を裏切り、これから泰平を歩まんとする状況を作った主君が許せなかった……!

 ナナリー様と幼子を讃える呼び名を聞くにつれ、わしの憎悪は高まる一方であった……!」


 ニトロの心臓がぞっとする意味でどくどくと鳴る。

 一度流れ始めた冷や汗は止まらない。

 まばたきをすることも忘れ、まさか、まさかという想いだけが、ニトロの喉の奥で繰り返されている。


「ヘンリーのそばを離れたわしは、喉を引き裂かん想いでナナリーに飛びかかった……!

 だが、無力であったわしは、ナナリーの肌に傷一つつけることが出来なかった……!

 それでも絶えぬ憎しみに満ちたわしの魂は、日夜ナナリーに絡みつき、この幼き女王を不幸に陥れることを毎夜誓い続けた……!」


 ナナリーの口から発されるその言葉の主語が、どれ一つたりとも女王たる彼女ではない。

 ナナリーを第三者のように呼び、そうでない己を語るかのよう。

 そう、まるで今のナナリーは――


「……だが、長い時をかけてわしの宿願は叶った。

 憎き女王の魂に手をかけ、精神に手を伸ばし、肉体を奪い、今はこうして――死してなお、この世界にわしの意志を以って実在することが出来るようになった」


「こ…………皇、帝……?」


 自らに酔うように語り続けたナナリーが、結論を口にして間もなく、ニトロがその核心を口にする。

 それによって、改めてニトロと真正面、目を合わせたナナリーは、ほぼほぼ無表情となる。

 つかつかと、再びニトロとの距離を詰めてくる。


「ぐが……!?」


 次の瞬間、親指と、それ以外の指でニトロの喉元を乱暴に掴み上げて。


「くはははははははは!!

 そうじゃ! わしがアルバー帝国最終皇帝、ベリリアル=マーズ=アルバーじゃ!!

 憎きこの女王の肉体と意識を自由に乗っ取るまで、実に四年近くの時を要したわ!!」


 至近距離でその大笑いする顔をニトロに差し向けるナナリーの表情は、まさしく弱者を満悦に見下すことを好む下種の笑顔そのものだった。

 裂けそうなほどに口の端を上げ、かっと見開いた目で相手をこけ(・・)にし、ナナリーの喉が発する高い声でありながら、耳に不快感を覚えさせるほどの笑い声。

 今、その侮蔑的な笑い声が、あのナナリーの姿形からニトロへと向けられているのだ。

 今のナナリーが言っていることが真実でない限り、絶対にあり得ないはずの光景である。


「わしは復讐を誓ったぞ……!

 貴様ら憎きセプトリア王国の、すべてを左右させられる主君の肉体と声は頂いた!

 かつてのアルバー帝国と同じように、わしにへつらう者だけが私腹を肥やし、意に沿わぬものは地を這う国を作り上げる!

 貴様らが夢見た泰平の安寧なる国など、わしが根底から崩壊させてくれる!

 今のわしにはそれが出来るからな! くははははは!!」


「お、お前……この、野郎……!」

「んんん? 怒るか? わしが憎いか? 殴りたいか? 八つ裂きにしたいか?

 今の貴様には何も出来ぬがのう。くひひひひ」


 あまりの現実に、絞り出すように単語を並べることしか出来ないニトロの首を、ナナリーの指がぎりぎりと絞め上げる。

 声を封じられたニトロは、がちゃがちゃと鎖に繋がれた両手足を暴れさせる。

 殴るための拳は降ろせず、蹴るための脚も振り上げられない。手も足も出ないとはまさに今のことを言う。


「心配せずとも、貴様は明後日には処刑してくれるわ。

 女王として、貴様を処刑するための方便はもう既に完成した。

 中央広場にて人を集め、多くの民が集う前で、貴様はわしの手で首を落とされるのじゃ」

「ん、だと……!」


「ここは誰も寄り付かぬ、死刑囚のみが入れられる地下牢獄最奥地じゃ。

 明日は一日、己の無力を噛み締めながら吠えておるがよい。

 わしを殺したヘンリーの一人息子、貴様を葬る明後日が楽しみで、今日は眠れそうにないわ」


 その発言は、ニトロを心の底からぞっとさせる。

 自分が殺されるからか。いや違う。

 自分が幽閉されているこの場所を聞かされた瞬間に、別の何かがばちりとニトロの脳裏に閃いたからだ。


「お前、まさか、イリスも……!?」


「おうおう、当然じゃ。あれもヘンリーの愛娘じゃろう?

 この地下牢獄に潜伏したカイザーに、精神的に追い詰める言葉も差し向けるよう頼んでおいたが、甲斐あって充分に、心身ともに衰弱しておるご様子じゃ。

 それを想像するだけでも楽しかったが、これからのことを思うとより楽しみでならぬ」


「ふざけ……っ、ぐ、あ、あ゛ああっ……!」

「いひひひ、もう口の利き方には気をつけんでいいぞ。

 もっとわしを罵ってみせい。貴様の悔しさが伝わってきてよいわ」


 ニトロの首をぎしぎしと締め上げ、言葉を発する権利すら手中にあることをナナリーが――ナナリーの肉体を奪い取ったベリリアルが示してくる。

 片目を閉じかけ、苦しむ表情で憎々しげにベリリアルを睨むニトロだが、それすらも今のベリリアルには、敗者のざまを見て楽しむ要素にしかならないのだ。


「貴様が処刑されたと知ったら、あの娘はどうなってしまうかのう?

 ただでさえ弱った心、貴様だけが頼り、そんなあ奴から永遠に貴様を奪い去れば?

 そうじゃなあ、断ち切った貴様の首を、あやつの独房に投げ入れてみれば面白いかもしれん」

「ぐっ、がっ……! く、ぅ……!」


「あやつ、壊れてしまうかもしれんのう?」


 ベリリアルはそう確信しているのだ。

 箱入り娘が無実の罪で劣悪な環境に押し込められ、明日には処刑されてしまうかもしれない恐怖に怯え続けた毎日で、心はとうに砕けそうだというのに。

 そこに兄の、血にまみれた首から上だけを見せ付けられようものなら、心の決壊には充分すぎる。


「そうじゃなぁ、何なら処刑はおぬしだけにして、イリスとやらは生かしておいてやってもいいぞ?」

「ぅぐ……!」


「心の壊れたあやつを温情とやらで流刑にして、ならず者の山賊が集まる山へと追放するなど、もっと面白いことになるじゃろうしなぁ。

 憎きヘンリーの愛娘じゃが、見た目はやはり捨て難いほどの上玉じゃしな。

 飢えた男達の群れに放り込めば、どうなるかというのは想像に難くないのぉ~」


 ニトロの手足が激しくばたつく。

 枷に食いつかれた手首と足首から血が滲みそうなほどだ。

 彼の自由を奪う鎖と枷は、それでもニトロを決して開放せず、最低の末路に妹を追い込もうと企む暴君に何一つ手を下させてくれない。


「で、何か言いたいことはあるか?」


「っ……殺してやる! この野郎!

 イリスに手を出したら絶対に許さねぇ! ナナリー様から出て行けえっ!」

「ひひひはははははは!!

 おうおう吠えろ吠えろ! 貴様は無力じゃ!

 わしが憎いか!? 殴り倒したいか!? 首を絞めて殺したいか!?

 今の貴様は、ほ~れほれ、わしに触れようとすることすら叶わぬ」

「くそおおおおおおおおお!!」


 ニトロの顔の前で小さな手をひらひらさせるベリリアルだが、それに触れに行くことすら今のニトロには出来ないのだ。

 ニトロの叫びと鎖の音だけが大きくこだまし、悔しさに満たされたニトロは涙すら溢れそうな顔で、手枷を見上げ、足枷を見下ろす。

 こいつが自分に何もさせてくれない。憎き敵に拳はおろか、指先ひとつすら近付けさせてくれない。


 息を切らしたニトロが再び前を向けば、そこにはにやにやと笑うナナリーの顔がある。

 敬愛していた主君であり婚約者の、こんなあり得ぬ下種な笑みを見せられるだけでも拷問なのに。

 そんなニトロの嘆きも想いも、この独房への道を塞ぐ厚い鉄扉に遮られ、外界はおろか、同じ階層に幽閉されているイリスにすら届かない。


「くくくく……我が宿願、叶えられたし。

 ヘンリーは死に、その息子も殺し、その愛娘もまた絶望の果て、辱められて尊厳を失い消えていく。

 我がアルバー帝国に仇為したセプトリア王国もまた、わしの支配のもと様相を変え、かつての帝国の如し理想郷へと塗り替えられていくのじゃ……!」

「はぁはぁ……! 畜生この野郎っ……!

 イリスも、セプトリア王国も、お前なんかの好きになんかっ……!」


「好きなようにさせてもらうぞぉ?

 そのうち耐えかねた家臣や民によって反乱が起こり、わしは暴徒と化した者達に討たれるかもなぁ?

 それはそれでよい、ナナリー女王は愚政の末、愛すべき民に葬られた悪王として、歴史に永劫語られ続けていくのであろうからなぁ~」


 ニトロには聞くだけで耐え難い言葉だ。

 幼いままにして女王の座に就いたあの人が、どれだけ寝る間を惜しんで、必死に国のために尽くしてきたか。

 そんなナナリーの尊厳すら、やがてはこの皇帝の悪霊は奪い去ろうというのか。

 明後日には殺されると宣言され、その後も妹は最悪の末路へと送り出され、祖国は荒廃し、主君の名誉すら血と泥にまみれさせる予告をされたニトロの目からは、無念の涙しか溢れない。


「まあ、一日そんな未来を想像して存分に苦しんでくれ。

 婚約者を裏切り者としてこの手で葬った女王として、十日後の独立記念日とやらは存分に楽しませて貰う。

 来年の独立記念日とやらを、この国が穏やかに迎えられるかどうかも、楽しみじゃがな」


「くそおおおっ!

 てめえ、殺してやるっ! 殺してやるぅっ!」

「かははははは! よいよい、その意気じゃ!

 その無念の末に、裏切り者の汚名を着せられ貴様は死ぬ!

 良い気味じゃ! 皇帝たるわしに刃を向けた罪、屈辱にまみれて死ぬことで償うがよいわ!」


 絶えぬベリリアルの高笑いとニトロの絶叫が、誰にも聞こえぬ地下深くにて響き渡っていた。

 歪んだ精神の持ち主である主君のそばに仕えるカイザーが、終始無言でそれを見届けていたのみである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] ニトロの作った魔法に期待ですね、
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ