第71話 ~ナナリー風邪を引く~
「ダメですよ、今日はお休みです。聞き分けて下さい」
「し、しかしじゃな、女王たる妾が……っ、けふっ、えふっ……!」
「その体調でお仕事が務まるわけないでしょう。
今日は絶対安静です。こればっかりは譲れませんよ」
自室のベッドで上体だけ起こしたナナリーは、真っ赤になった顔色でニトロに反発しながらも、言葉が続かず咳き込んでいる。
明らかに熱があって顔色が悪く、誰がどう見ても風邪である。
それでも今日の務めは果たすんだとナナリーが駄々をこねるので、ニトロも今日ばかりはと主従の垣根を強く無視し、厳しい態度で制しているわけだ。
「やっぱり連日の無茶な働きぶりが祟ったんだと思いますよ。
睡眠時間を削りがちなのは以前からもそうでしたが、ここ最近は本当に如実でしたからね」
「ニトロぉ……風邪で弱ってる相手に説教なんて、せめて治ってからでもよいではないか……」
「ナナリー様」
「うぅ……」
氷で冷やした水でタオルを冷やし、それを絞るニトロも、ナナリーの抗議には首を回して振り向いてでも強い声。
これを機に、無理をしないことの大切さを学んで頂きたいので、ここぞとばかりに釘を刺しておきたいところ。
病で体を打ちひしがれている上、お叱りの言葉を受け取ってしまったナナリーは、気丈な性根も跡形なくしょんぼりしてしまう。
「……すみません、言い過ぎました。
でも、俺も単に女王様を案じているだけじゃなくて、偏にナナリー様を心配してるんですよ」
確かに風邪をひいてつらいところに、叱られまですれば泣きっ面に蜂だし、徹底して苦言を呈し続けるというのも、ニトロからすれば病人をいじめている気分にもなってしまう。情あらばあるほどにそうだろう。
気の強い女王様、まして婚約者にあんな顔されたら、それでもきっちりお叱りを、とは出来まい。
単に謝るだけに留まらず、心配しているんですよと感情のこもった声を向けるニトロの口調は、病人に訴える丁度いい苦言の呈し方としても、さっきまでよりも別の意味での正解かもしれない。
「ナナリー様が、セプトリア王国のために御身を捧げて下さるお姿は、頼もしくてご立派だと思います。
それ以上に、ご自愛頂き、常にナナリー様に健やかであられることの方が、俺達にとっては大切です。
きっと、みんなそうだと思いますよ」
「わかっとらんわけでは、ないんじゃが……」
「疑ってはいませんよ。ナナリー様は、お優しいですからね。
でも、わかって頂けている上でなら、もっと折り合いをつけて下さった方が俺達も嬉しいんですよ」
優しくナナリーをベッドに寝るよう促したニトロが、ナナリーの額に冷えたタオルを置いてくれる。
冷たくて気持ち良く、ナナリーも深い息の一つでもつきたいのだが、思うところが複雑で態度には出せない。
「……はぁ」
「誰でも風邪ぐらいは引きますよ。
自己管理がどうだのと、わざわざ自責されることはありません」
タオルの冷たさに対する安らぎではなく、不甲斐なさに滅入るナナリーの息遣いと感じたニトロは、ひざまずいてナナリーに顔を近づけてそう言う。
風邪が伝染りかねない距離で、優しく諭す表情でそう言ってくれるニトロの姿は、女王としても女性としてもナナリーを強く慈しむ想いに溢れている。
主の頭を撫でるニトロの態度は、いち衛兵としてはあまりに僭越でありながら、ナナリーにとって無二の婚約者としての行動としては、ナナリーの心を温かくするもののはず。
「これから三日は安静にして、政務も一度お休みにしましょう。
もっと早く治るかもしれませんが、念のためにね」
「……わかった」
間が挟まったが、不満の色はさほど表れていなかった。
ちゃんと聞き分けた態度である。優しくされて、観念して、今のナナリーならニトロも信用し、独りにして部屋を出て行けそうだ。
この後、城内にはナナリー病床の報が言い渡され、女王の風邪は周知されることになる。
期せずして訪れた女王様の不本意な休日に、セプトリア城の人々が普段と違う動きを見せる日々の始まりだ。
「ナナリー様、失礼します」
「あー、ダウィラスか……入ってよいぞ……」
ニトロが城内にお触れを出して間もなく、最初にナナリーの部屋を訪れたのはダウィラスだ。
意気消沈していたナナリーは、ニトロを見送る際、大臣のダウィラスを呼んでくれと言っておくのを忘れてしまっていたのだが、勝手に自己判断で来てくれる辺りはやはり頼りになる。当然でもあるが。
女王不在の国務を回すにあたって、ひとまず多くの責任を負って仕事を進めるのが、大臣ダウィラスの役目の一つでもある。
「お体、いかがですか?」
「しんどい……
あんまり、叱ったりせんでくれ、わかっておるから……」
「ニトロに叱られたんですな。
大丈夫ですよ、私はそういうつもりで来たわけではありませんから」
ダウィラスは普通にしていてもそれなりに強面寄りなのだが、今日は努めてその表情からは覇気が薄められている。
無表情だと怖い大人の顔に見られる自覚はダウィラスにもあるらしい。妻子持ちの彼は帰宅する際、一人娘に向ける精一杯の優しい顔を作るのだが、それに近い顔を作っている。それでもちょっといかついが。
「ニトロが恐らくナナリー様に言ったことには、きっと私も同意は出来るんでしょうが、今はひとまず
ご療養され、熱を引かされることに専念して下さいませ。
苦言などは風邪が治ってから、たっぷりと」
「未来が真っ暗なのじゃ~」
「冗談ですよ」
やや朗らかに笑いながら言うダウィラスなので、冗談であることもちゃんと通じているらしく、ナナリーも元気のない顔ながら笑って返答が出来た。
治ってから説教されることを今から想像すると嫌になるが、わざわざ先のことを悲観するよりも、今はこうして冗談話で気を紛らわせようとしてくれるダウィラスの気遣いの方が嬉しかろう。不器用でも優しさは優しさだ。
「風邪を引くと、みんなに優しくして貰えますよ。
ひとまずは普段の張り詰めたものから開放され、単なる病床の少女としての日々を嗜むのもよいかと」
「んふふ、甘んじるのもちょっと気が引けるがのう……」
「甘えておけばいいんですよ。
女王様だからというわけでなく、好きな人がつらい時に優しくしたいのは誰でもそうです。
今日からしばらくは、いかに貴女が愛されているかを再認識するチャンスかもしれませんよ」
「そう、か……そうかも、しれんな……」
元よりナナリーは、幼王としながら良政を敷き、民にも愛される名君としての道を既に歩み始めている。
そうした彼女の頑張りは、一般庶民以上に城内の者達がよく知っているし、彼女に近しい者であればあるほどに君主に対する愛も深い。
風邪を引いた我が子に親が優しくなるのと同じで、この後の展開はダウィラスにも容易に想像できて、かつ確信すら出来るのだ。
「……ダウィラス。
今の立場で言うのは憚れるが、普段妾に回している国務に関わる書類だけは、一応回してくれぬかの」
「ふむ?」
「いや、あの、働こうというわけではなくてな……
その、退屈じゃし……読み物代わりにでも、目を通すぐらいはよいじゃろう?」
「それならば、仰せのとおりに致しますよ」
ダウィラスも、作り笑いじゃない微笑ましい笑みが溢れた。
働くわけじゃないと強調するナナリーが、ニトロに叱られて堪えているのが見て取れたからだ。
あの婚約者、普段はナナリーに強く言われると怯んでしまう衛兵でありながらも、こういう時にはちゃんと人生のパートナーとしての使命も果たせているじゃないかと、仲睦まじい二人を想像して微笑ましい。
「でも、あまり考え込んではいけませんよ?
風邪で体が弱っている時に頭を使いすぎると、冗談抜きの知恵熱も出ますので」
「うむ、わかってお……」
「ナナリー様、イリスです。
入ってもよろしいでしょうか?」
ダウィラスと語らっていたナナリーの元へ、二人目の訪問者が訪れた。
ノックして問うその声に、入ってよいぞの声をナナリーが発すると、名乗ったとおりの人物が入室する。
ドレスに身を包んだ元一般庶民は、既に部屋にいた大臣様に丁寧にご挨拶すると、ベッドに身を預けるナナリーのそばに両膝をつく。
見下ろすことをせず、女王様と目線の高さを同じにする所作を自然に出来るイリスは、よく出来た挙動であると評価されるべきだろう。
「それでは私は退室させて頂きます。
イリス、ナナリー様に粗相の無いようにな」
「はい」
多忙なる身のダウィラスは、ちょうどナナリーの新しい話し相手が出来たことを機に去っていく。
粗相の無いように、というのは挨拶のようなもので、イリスならそんな失態もあるまいとダウィラスも思っているようだ。
面倒がらずにダウィラスを立って見送ったのち、改めてナナリーのそばで両膝をつくイリスは、その一連の動作を何の苦も無く果たしている。
「ナナリー様、大丈夫ですか……?」
「ただの風邪じゃ。
そこまで神妙な顔をせずとも……というか、近くないか? 風邪が伝染ってしまうぞ」
「あ……す、すみません……」
風邪が伝染るかもと心配されたのに、近いよと注意されたように受け取って、座ったままでしゃなしゃな後ろに退がるイリスの姿に、ナナリーもちょっと気が和む。
イリスの父ヘンリーがナナリーの父の衛兵を務めていて、かつイリスとナナリーが同い年ということもあり、二人は古くからの馴染みである。
幼い頃は、王女だの気にせず仲良く遊んでいたもので、本来は元気で活発なイリスの姿も知っているナナリーをして、こうもお姫様化した最近のイリスを見ると、時の流れを感じたりもする。
自分の体は大きくならないけど、イリスを介して、みんな時が経てば大人になっていくんだなと実感させられるのだ。
「汗はかかれていませんか? お拭き致しますよ」
「やや、そんなことは女中にじゃな……ほれ、おぬしは妾の友人じゃろう?
そんな献身的に尽くしてくれんでも……」
「友達なら、看病するのは普通のことですわ」
こうしてイリスがあっさり女王に反論してくる程度には、二人の仲は親密なのだ。
優しい友人の笑顔でそう言ってくれるイリスには、ナナリーも胸の奥が温かくなる。
「……じゃあ、お願いしようかの」
「はい、お任せ下さいませ」
幼い頃と違って、主従の言葉遣いになってしまったイリスだが、昔馴染みを慈しむその姿は、昔と何も変わらない。
少し気が引ける顔ながら、小さく微笑み快諾してくれたナナリーの言葉を喜ぶように、イリスはニトロがあらかじめこの部屋に持って来ていたタオルに手をかける。
「痛くありませんか?」
「うむ、大丈夫じゃ」
ドレスを脱いだ、幼いナナリーの背中をタオルで拭くイリスの力を受け、ナナリーの表情はほのかに笑っていた。
熱もあるし、突然風邪が治ったわけじゃあるまいし、頭が痛くて体がだるいのは変わっていない。
それでも安らいで表情が緩むぐらいには、友達の気遣いは胸を温かくしてくれるのである。
「おぉ、シリカどの。来てくれたのか」
「おはようございます、ナナリー様。
お体の方は如何ですか?」
「風邪なりにまあまあじゃ。今日もう何度そう聞かれたかのう」
時は過ぎて昼前の時間帯。
どこから早々に聞きつけたか、フルーツバスケットの見舞い品を片手にシリカが、ナナリーの部屋を訪れていた。
ナナリー女王様ご病床の報せを積極的に発したのは城内だけで、まあ多少は城外にだって話も漏れるだろうが、それにしたって見舞いに現れるのが早いシリカである。
普段から親睦を深める意味で城に訪れることの多いシリカだが、おおむね今日も朝早くから城に来て、ナナリーについてのことを聞いたのだろう。
聞くや否や、さっさと市場まで言って見舞い品を買ってきて、こうして現れるフットワークが素早い。
「イリス様がご看病を?」
「朝からずっとなぁ。そこまでしてくれずとも、と言うのに」
「お気になさらずに。
こんな時ぐらい、お勤めの一つぐらいは果たしたいのですわ」
朝から何度もナナリーの額に当てるタオルを氷水で冷やし、絞り、それを繰り返しているイリスの手は、温室育ちの姫様には少し重い仕事でもあろう。
今もぎゅうっと冷水上がりのタオルを絞るイリスだが、凍る手に不快感ひとつ感じぬ顔でそれを果たし、またナナリーにそれを手渡してくれる。
少し赤く鳴り始めているイリスの指の内側を見るに、今来たばかりのシリカにも、さぞ懸命な看病をイリスが続けていたことは想像することが出来る。
「イリス様はお優しいのですね。
お手は冷たくありませんか?」
「あ……い、いえ、その、ありがとうございます……」
冷えた手であろうことを気遣って、シリカが両手でイリスの手を握ってもみもみと、自分の手を温かさを分け与えてくれる。
献身的なイリス、その手を見下ろし敬意に満ちた恭しい表情のシリカを、イリスはやや近くで目を合わせずに見るわけだが、手を握られたイリスが女性でありながら少しどきりとするほど、慈愛に満ちたシリカの顔は美しい。
ときめきとは全く違うのだが、改めて見ると本当に綺麗な人だって思わされるし、手を介して伝えられるシリカのぬくもりは、その内面の高潔さすらも伝えてくれるかのよう。
武人としてのシリカの姿しか想像したことがないと、こういうことを自然にやってくるシリカの性格には、驚かされてしまいがちである。
「土産話の一つでもあればよかったのですが、なにぶん急なことでしたので特に用意も無く」
「いやいや、来て頂けただけでも嬉しいですぞ。
異国の方ながら、耳にするや否や訪れて下さる姿には頭が下がる」
「風邪を引くと退屈でしょう?」
「ヒマじゃな~。
これなら仕事しておった方がまだマシじゃ」
「ナナリー様、ダメですよ?」
「かー、やっぱり兄妹じゃのう。
なぁなぁシリカどの、今朝もニトロが妾に説教してきおってな。
仕事切り詰めるから風邪引いただのなんだの、イリスも全く同じこと言いおる」
「あはは……そうなんですか?」
なんとなく想像がつくのだけれど、シリカは初耳のふりをする。
勤勉なナナリー、それを案じるニトロ、ましてこうなってしまったこと、それを総合すれば看破しやすい。
「シリカどのもイリスやニトロに言うてやってくれい。
妾は女王なのじゃぞーと。頭が高いぞーと」
「シリカ様、ここはナナリー様に折れてはいけませんよ。
本当このお方、頭が下がるほどの働き者でして、放っておいたら、いえ放っておいたからこんなことになってですね」
「こ、困りましたねぇ……板ばさみは勘弁して下さいよ……」
一国の女王様に堂々と逆らうわけにもいかず、かと言って無感情にイリスの訴えを退けるのも冷たい。
仕事意識のみならナナリーに合わせておけばいいのだが、親しみある対話とはそれだけのものではないので。
ナナリーもイリスも軽い気持ちでシリカを困らせにかかっているので、シリカも気軽にこういう返答が出来るのだが、それでもやっぱりたじたじである。
こらイリス、シリカどのを困らせるな、いやいやナナリー様が始めたことでしょ、と、あっさり二人が話を流してくれて、あとは短時間の談笑である。
話題も特にない、軽く適当なやりとりを繰り返すだけのお喋りだ。
中身も無いが、病床で退屈しているナナリーは、三人で話せるこの時間だけで暇を潰せるから良い。
「ユースやアルミナ、チータやルザニアにもお伝えしましょうか?
あの四人なら、きっと聞きつけたらすぐに来てくれますよ」
「いやぁ、気持ちはありがたいのじゃがお控え頂いてよいですかの。
あまり皆様はご意識されておられぬかもしれぬが、シリカどのらは我々の客人ですからな。
こんな時にまでご足労頂くのは、流石に気が引けてしょうがないですからのう」
「そうですか。
では、もしかしたらあちらも何かのきっかけでナナリー様のことを耳に入れるかもしれませんし、先んじてナナリー様がそう仰っていたと伝えておいてもよろしいでしょうか?」
「うむ、そうしてくれるとありがたい。
元気になってから顔を合わせたいからのう。そう思うと、風邪も早う治したいといっそう思える」
「ふふ、病は気から、ですか?」
「治したいと強く願えば願うほど、きっと治るのも早いのじゃ」
「精神と肉体と霊魂、魔法学理論ですね」
「くふふ、話がわかる」
事務的なお話をしながら、話を合わせ、弾ませ、ナナリーの話し相手を務め上げるシリカ。
一方で、先にこうした言質をナナリーから取っておくことで、うちのちょっと若い隊長さんに対するアシストも成し遂げている。
ナナリーが風邪を引いたとなれば、ユースも騎士団の隊長として見舞いに来たがるだろう。
元々仕事だとかを抜きにしても、大事な人が風邪を引いたら見舞いには必ず行くような奴である。
しかし、騎士団の隊長として見舞いに行く、という立ち位置になると、見舞いに行く前にやたら悩むユースの姿が、シリカには容易に想像つくのである。
女王様の見舞いなんて何を持って行けばいいのだろうとか、邪魔でない時間はいつだろうとか、こういう場合の最初の第一声は何だろうとか、最善を尽くそうとして色々考え過ぎてしまうような奴だって、シリカが一番よく知っているのだ。
流石に相手は異国の女王様、気軽に行けばいいじゃんという次元でもないので、悩むのは正しいのだが。
ナナリーの性格なら、きっとこう言うだろうと思って誘導し、お見舞い不要の言質をシリカが取ったことで、ユースは悩みを増やさずに済むのである。
自分の知らないところで誰かが自分を支えてくれている、というのを失念しないタイプのユースだが、これもきっとその一例に含まれる一幕だろう。
「実際、あいつらまで見舞いの品を持ってきたら、この部屋がいっぱいになってしまうかもしれませんからね」
「まあのう……」
フルーツバスケットを持ってきたシリカはそれをテーブルの上に置いたが、シリカが持ってくる前からそのテーブルの上には、バスケットが六つ置いてあった。
そのうち一つはニトロ、そのうち三つは別々の女中の三人、あとの二つはとある老兵と兵士長が持ってきたものである。
昼前から既に、こんなにたくさん見舞い品である。日没までにあとどれぐらい増えることやら。
「気持ちは嬉しいが、食べきれん。絶対に」
「風邪が治りましたら、皆さんで食卓を囲んで召し上がられては?」
「お、それはいいですのう」
室内風景だけ見ても、セプトリア王国の女王様がいかに愛されているかが見て取れる、シリカにとっては気持ちのいい光景だ。
果たして女王様が弱っている今こそと、媚びた大人達の捧げ物だろうか。そうじゃない。
セプトリア城に仕える人々の人格と気高さを、個人的な付き合いからもしっかりと感じ取っているシリカをして、見舞い品から溢れるナナリーへの純愛は、表情が緩むほど明確に感じられる。
国とは君主が旗を持ち、そのそばに集う数多の民こそが作り上げるものだとよく言われる。
一度大きな苦難を乗り越えて独立した、現在のセプトリア王国に愛着を得つつあるシリカをして、こんな国がずっと永く生き続けてくれることは、自ずと願える一つの夢である。
また時が経ち、おやつ時。
「すいません、お入りしてもよろしいでしょうか……?」
またナナリーの部屋に来訪者。またというか、またまたというか。
シリカが短時間で帰ってからもう数時間、入れ替わり入れ替わりでばんばん見舞いが現れる。列でも作って待っているのかと。
「おぉ、ルザニアどの。
見舞いに来て下さったんですかの?」
「はい、その……
お風邪のようだとお伺いしましたので……」
一人で来た。何度かお話したことのある女王様が風邪を引いたと耳にして、付き添いも求めず自己判断で、一人で見舞いに現れたのである。
隊長職などを背負っているわけではないながら、騎士として今仕えている人の病床に参らずして何とする、と、こんなに緊張した顔でありながら訪れる辺り、肝の据わった19歳だ。
勿論ダウィラスなどに話を通して、来ても問題ないかなどの確認なども果たした後であり、そうした手続きもしっかり取っているのもしっかりしたものである。
「シリカどのから、何か聞いてはおらぬか?」
「シリカさんですか?
いえ、特には何も……え、え、何かまずかったですか……?」
「いやいや特に。よう来て下さった」
ルザニアはシリカと顔を合わせず、独自に訓練場あたりでナナリー病床の話を聞いて、こうして見舞いに訪れたのだろう。
言われたことはきちんと守る子だから、シリカにナナリーからの伝言を聞いていたら敢えて来ないはずだ。
「その、こちら、お見舞いに……
つまらないもので……あ、いや、内容は面白いものでして、つまらないとはそういう意味じゃ……」
「ほう、これは恋愛小説ですかの? これを妾に?」
「あ、その、あの……こ、これぐらいしか思いつかなくて……
果物などは他の人が持ってこられるであろうと思いまして……
お、お気に召さなければお捨てになられても……」
めちゃくちゃ緊張している。
シリカやユースなど、頼もしい先輩の肩を借りずして、女王様に一人で会いに来たのだ。
こうなることは自分でもわかっていたであろうに、行くべきだ、行かなきゃで来たのだからたいしたもの。
「うむうむ、ありがたく頂戴しよう。
風邪を引くと退屈じゃからな。こうした嗜好品は本当に助かるぞ」
「あ、そ、そうですか……お喜び頂けたら、幸いです……」
「ルザニア様、肩の力を抜いて下さい。
ナナリー様はそんなにかしこまらなくても、ルザニア様に感謝されておりますわ」
この時間帯になってもまだ、イリスはナナリーの看病を続けていた。
今は梨の皮をナイフで剥いて、ナナリーに食べやすいサイズに切っていたところだ。
その仕事を半ばで切り上げて、ルザニアに近付いてきたイリスは、ルザニアの腰を後ろからふにふにと揉んで緊張をほぐそうとしてくれる。
急にそんなところを揉まれたもんだから、ひゃ、とルザニアは声をあげたが、そんな声一つ発しただけでも、かしこまりすぎた肩の力が抜けるのだから、イリスも上手にリードしてくれているものだ。
「ですよね、ナナリー様」
「うむ。ルザニアどの、心より感謝するぞ。
……いや、こういう言い方をすると緊張されるかな?」
「えー、あー、あの……」
「じゃ、言い換えよう。
うっす、ルザニアどの、ありがと」
「ふふふ、ナナリー様ったらあまりにもはしたないですわよ?」
「庶民はこんな風に感謝するんじゃろ?」
「知識が偏りすぎですわ」
庶民離れしすぎて無知な女王様を演じ、イリスの笑いを誘うナナリーの気さくさが、ルザニアの表情をも少しずつ溶かしてくれる。
顔色は今朝より少し良くなった程度だが、あどけなく笑ってくれるナナリーに、ルザニアも小さく微笑みを返すぐらいのことは出来るようになってきた。
「……イリスさんって、本当に淑女様って感じですよね。
私よりも年下なんでしょう? 自分が子供っぽくすら感じますよ」
「お、イリスもそんなことを言われるようになったか」
せっかく見舞いに来た以上、退屈している女王様を数秒だけでもお楽しみさせる会話を作って帰りたいルザニアだが、自分がそんなに喋り上手でないのは彼女もわかっている。
なので、今この場で思ったことを正直に言い、僅かでもお話しして帰ろうとしている。積極的なご奉仕だ。
「しゅ、淑女と言われるとむず痒いですわね……
これでも相当に矯正した結果、今があるわけでして、以前を思うと……ねぇ、ナナリー様」
「そうそう、こやつ昔はそれなりにお転婆、元気一杯の女の子でな。
今のイリスからは想像できぬかもしれぬが――そうじゃな、アルミナどのといい勝負するぐらい? 活発元気な女の子だったんじゃぞ」
「アルミナさんと同じぐらい、ですか? 想像できないんですが……」
「私、あんなに元気でした?」
「いや、言い過ぎたかもしれん。
アルミナどのと比肩する者は流石にそう多くないな」
相当に元気で、相当にお喋りで、相当に気が強くないと、アルミナとはいい勝負できない。
あれと同じと言うのは言いすぎか、とナナリーも訂正を入れたが、要は例えにアルミナが一度閃く程度には、昔のイリスはお転婆だったと解釈すればいいのだろう。
「私の父は、先代国王様の衛兵を務めていたのですが、そうは言っても生まれは庶民。
私やニトロも、生まれはあくまで庶民ですの。
ですがお兄様はナナリー様の許婚でして……あ、これはご存知でしょうか?」
「はい。
思えば凄いことですよね、あくまで庶民の生まれの方が、女王様と婚約とは……」
「お父様と先代国王様の繋がりが深く、私やお兄様は幼い頃から、幼少のナナリー様とはよく遊ばせて頂いておりましたのよ。
それも今にして思えば凄いことですけどね」
「イリスはけっこう長い間、妾にため口じゃったよな。
ニトロは最初からずっと敬語じゃったけど」
「そ、それはもう言わないで下さいまし。
今にして思い返せばなんたる無礼ですわよ……」
にししと笑ってイリスの恥ずかしい過去を発掘するナナリーに、イリスは激烈に気まずそうな顔。
一般庶民が王女にため口なんてえらいことである。
勿論イリスの父ヘンリーも問題視していたのだが、愛娘のナナリーに対等に話せる同い年の女の子がいることを喜んだナナリーの父が、それをむしろ推奨していたからこそ成立していた話。
「えぇとですね……
その後、お兄様がナナリー様の許婚となって、私は女王様の義理の妹になるということになりまして……
それで、今までのままでは流石に王室にいる身としてあんまりだということで、言動やら所作やらを皆様にご教育頂いて、今に至る……というわけです」
「それってその、ずっと平民として過ごしてきたけれど、つい最近になってから今の風に改めたということで?」
「つい最近と言いますか、もう四年以上は過ぎていますし、最近と言っていいかは疑問ですわね」
「そう、なんだ……」
「な、なんですの?
そんな、まじまじと私のことを見るようなお話でしたか?」
「当たり前ですよ。生まれた時からそうした育ちであったならともかく、短い時間で佇まいまで改めて、王室に相応しい立ち振る舞いを身に着けられたということでしょう?
凄いことですよ、尊敬するばかりです。年の差なんか関係ありません」
急にルザニアが饒舌になってきた。好きなものを語る時は、意外に饒舌になれる子だ。
どうやら今の話を聞いたことで、年下ながらもイリスに強い敬意を抱いてしまったようで、声も眼差しも真っ直ぐに、相手が照れてしまうほどのものを向けている始末。
19歳にもなって、ここまで無垢かつ素直なルザニアも、それはそれで無自覚な魅力を持っているのだが。
「イリスも年上にここまで言って貰えるようになったんじゃなぁ。
くふふふ、王室修行も無駄ではなかったということじゃな」
「もう、ナナリー様、からかわないで下さいまし……」
昔のおぬしとは随分変わったのう、とでも言いたげな笑い方を向けてくるナナリーに、イリスは赤い顔で苦笑して応じるしかない。
でも、嬉しそうだ。評価されることは誰だって嬉しい。
イリスからすればルザニアは、二十歳にもなっていないのに強い騎士様として、人々の安寧を守るために戦う勇士様で、元より尊敬の対象である。
そんな人に、ここまで言って貰えるのであれば、それが目的ではなかったけど、幼い頃より立ち振る舞いを変えてきた自分に、もっと自信を持てるようにもなる。
「――ルザニア様」
「はい」
「尊敬する騎士様にお褒め頂き、心より光栄ですわ。
今日この日ほど、自分を変えようとしてきて本当によかったと思ったことはありません。
貴女のお言葉を嬉しく思うとともに、きっと自覚無きその気高さに、感謝の意を申し上げたく存じます」
両手でルザニアの手を握り、胸の前まで持ち上げて、イリスも真っ直ぐルザニアを見つめて言う。
綺麗な瞳だ。顔立ちや眼色の美しさゆえではなく、きっとそれは発する言葉が、心からのものであるがゆえ。
自分には勿体ないとさえ思いかけるほどのお言葉に、いかにも恐縮しそうなルザニアが、呑まれるようにその瞳に魅入るほど、イリスもまたその気高さを体現して見せている。
「……恐れ入ります、イリス様」
あとから思えばよく言えたものだと思えるであろうほど、騎士らしく応えることすら自ずと叶えられた。
敬意が共振し、二人だけの世界へと入り込めればその時、人は意外なほど、最も自分らしく振る舞える。
あがりがちなルザニアだが、それゆえ表面化しないことも多い、騎士としてルザニアが積み上げてきた精神が、この日、過去最も表に現れたと言っていい。
微笑んでくれるイリスに、ルザニアも恭しく微笑みを返し、それによって二人は互いの心が通じ合っていることを実感し合う。嬉しくなって、両者の笑顔はより柔らかくなる。
病床の女王様を差し置いて、向上心豊かな若者二人が自分達の世界に入り込んでいる姿を横から見るナナリーは、ただただこの光景を微笑ましく見守っていた。




