第69話 ~信疑~
「おはようございます、ナナリー様」
「あ~、うむ……おはよう……」
「顔色が優れないようですが、いかがなさいましたか?」
玉座に構えたナナリー女王に、謁見して朝の挨拶をするダウィラスだが、見るからにナナリーのまぶたが重そうだ。
ナナリーのそばにはニトロもいるが、彼は彼で怖い大人のダウィラスにちょっと腰が引けつつも、弱ったナナリーを心配する気持ちの方が強そうな顔である。
「いや、別に……それより、昨夜頼んだ件については、済ませてくれたかのう?」
「はい。結論から申し上げますと、断定要素はありません。
現時点では潔白と見て間違いないでしょう」
「そうか~……
ふぁ……っ、と、と、すまぬすまぬ……」
「またあまり寝ておられないのですか?」
「まあ、そんなところであるというかないというか……まああまり気にするな」
大臣との会話中に、耐えきれずにあくびするナナリーの姿を見れば、寝不足ゆえの顔色なのが明白だ。
元々ナナリーは、若くして女王の座に就き、手に余るほどの仕事を抱える側面もあって、寝不足がちになって朝一番は眠い目をしていることが多かった方だ。
ただ、最近はちょっと度が過ぎている、と、ダウィラスもニトロも思っている。
昨晩といい、一昨日の晩といい、その前の日の夜といい、相当に睡眠時間を削って働いているナナリーの姿が、二人には想像できて仕方ない。
「ナナリー様、政務について語らう前に、一つだけ申し上げてよろしいでしょうか」
「うむ……?」
「単刀直入に申し上げますが、ナナリー様はもっとご自愛されるべきです。
明らかに睡眠時間が足りておりません。いつかお体を壊されますよ」
「う、うむ……?」
「ニトロからも、同じ事を言われたことはありませんか?」
ダウィラスのその言葉を耳にして二秒後、ナナリーが横のニトロの方へとぐるんと目を向ける。
じとーっとした目でニトロを見上げる。おぬしまさかダウィラスにそう言うよう頼んだのか、という目。
「いやあの、ナナリー様、俺はダウィラス様には何も……」
「ナナリー様、別にニトロに何か言われて、こう申し上げているわけではありません。
ニトロの性格も鑑みれば、貴女を心配してそう言うであろうことは容易に想像できます」
「むむ……」
ここ最近、夜遅くまで仕事をするナナリーを心配し、もっと寝て下さいとニトロが言上することは多かった。
その都度ナナリーは無視して働く、寝ない。
だからって、ニトロとてダウィラスに、大臣様の立場からも言ってやって下さいよ、なんて頼むことはしない。そもそもニトロは、ダウィラスに自分から話しかけるのは苦手である。
「家臣一同、ナナリー様の身に何かあったらと懸念する想いは同じです。
いかに今が大事な時期とはいえ、ナナリー様に無理のある生活習慣を繰り返して欲しくはありません。
セプトリア王国家臣団一同の総意として、私的な意見としてまずそう申し上げたい」
「むぅ……ダウィラスぅ、妾も女王なのじゃから、私的な意見で説教するのはちと……」
「加えて、公的な意見としても申し上げます。
寝不足、不規則な生活は美容の敵です。
度が過ぎればナナリー様も、異国の方々の前にお顔を出す時すら、万全でない顔色、あるいはやつれたお顔を見せることになり得ます。
見せる相手が民であっても同じです。国家の最高責任者が褪せた顔をしていては、民も不安になるでしょう」
「お、おおぅ……」
説教されるナナリーの機嫌が悪くなりかけたが、ダウィラスが続けざまに放った言葉の羅列は、拗ねかけたナナリーを鎮めたようだ。
女性――まして年頃は思春期の少女、ナナリーも寝不足が美に響くと言われると、ぐさっと来る。
公的な意見、と前置きを置いている以上、元気の無い顔を見せるのは女王として不適切だという理屈も添えているが、前半部分の美意識に問いかける言葉が、ナナリーの心をがっちり掴んでいる。
「状況が変わり、今が大変な時期であるとご自覚されているお姿には、深く敬服するばかりです。
ですが、気の休まる暇が無いのは、苦しいことを言えば今後もずっとです。
ナナリー様とて王政に携わる者とは、常に気を緩めてはならぬものだと思われているのでしょう」
「……うむ」
「ですが、どこかで休むことも必要なのです。
大臣に就任したばかりの私を、即座に信頼して下さいとはとても申し上げられません。
しかし、ナナリー様に代わって政務に取り掛かれる者の頭数は実存するのです。
どうかナナリー様ばかりが背負われるのではなく、積極的に人を使う女王様であってもよろしいと思うのです」
今が大変な時期、というのはよく使われるものだが、じゃあどうなったら大変な時期じゃなくなるの、という問いに対し、はっきりとした答えは案外返ってこない。
王政なんて尚更だ。今はハルマが消え、ダウィラスがその地位に就き、新体制を迎えたばかりで大変な時期、というのも確かだが、その"新体制を迎えたばかりの時期"はいつ終わる?
仮に一ヵ月後に、その終わりが迎えられたとしよう。だが、その頃にはまた新しい問題が生じているかもしれない。
常に仕事が山積み、新難題も常に生まれ得る王政において、大変でない時期なんて無いのである。
別にそれを特別な例に取らずとも、民間商業などでも似たような性質はいくらでもあるが。
今が大変、今が大変と高い意識を持つのはナナリーの美徳かもしれないが、その"今"に限らず"ずっと"無茶を続けそうなナナリーであると、ダウィラスは現時点で危惧している。
それをはっきりナナリーに言ってくれる彼の姿には、同じことを思いつつもナナリーにそれを上手く伝えてこられれなかったニトロは、内心、よく言って下さったという想いである。
「今日は今一度、ご就寝されてはいかがでしょうか?
お疲れの目で私と対話するのも、目が痛いでしょう」
「ま、まあのう……そうでないと言えば、嘘になるが……」
「お任せされたことは、ナナリー様がお目覚めになるまでにも進行させて頂きます。
ですから家臣団一同の懇願とお捉えになって、僅かばかりでもご休息頂けないでしょうか?」
「……うむ、わかった。
確かにおぬしの言うとおりじゃ。こんな頭と目と顔で、公務を正しく進められるかと問われても言い返せぬ。
おぬしの箴言、確かに賜った」
すげぇ、とニトロは目を丸くするばかりだ。
ナナリーは、明らかに弱いところを突かれると簡単に萎れるが、国政に関するスタンスにおいては極めて頑固であり、そう簡単に他人の忠告にも従わない。
それは最高責任者たる女王としての自覚があるからで、国のトップである自分が頑なにあらねばならぬという意識の表れなので、それは王としては美点でもあるのだが。
そんなナナリーに大臣職就任から十日も経たずして、箴言を受け入れさせるにまで至るダウィラスの語り口には、ニトロが驚かされるわけである。
「では、ダウィラス。詳しいことは、また妾が目覚めてから話すとしよう。
とりあえずは最優先事項として、監視の強化だけは進めておいてくれ」
「承知しております」
「特に、シャプテ商会じゃぞ。
一度叩いて埃が出んかったとは言え、相手も名うての商売人じゃ。
腹に一物があれば隠し通す手段も十重二十重じゃろう。くれぐれも、目を離さぬように」
「…承知しております」
二度目の返答において、僅かにダウィラスは返答が遅れそうになった。思考が挟まったからだ。
それでも違和感を感じられることのない程度に、素早く返答できたのは機転の賜物だ。
「ニトロ、すまんが女中に寝支度をするように伝えてくれぬか。
二度寝というのも少々女王としてだらしないが……必要な休息と割り切ろう」
「かしこまりました」
ニトロの返事の声は明るかった。表情には出していないが、声が一段高かったので丸わかり。
ああ、心配だったナナリー様が積極的に休んでくれる、という想いが溢れまくっている。
一礼して去っていくニトロの姿を目で追うダウィラスも、あまりに微笑ましいものだから、女王の御前で厳格な顔を保っている今、口の端が上がりそうなのを耐え気味だ。
「すまぬのう、ダウィラス。
では、後ほどな」
「かしこまりました。
それでは、失礼致します」
最後までダウィラスは厳格な大臣としての顔を崩さず、謁見の間から退出する。
その大きくて頼もしい背中は、きっとナナリーの信頼を少しずつ勝ち取っているはずである。
「――ダウィラス様」
「引き続き、監視対象を見張る構えを継続しろ。
あるいは、今よりも人手を割き、より厳重な構えとしても構わん」
「は……これ以上、ですか」
「ナナリー様はそうお望みのようだ。
そうするしかあるまい」
自室に戻ったダウィラスが呼びつけた召使いは、城仕えの庭師として普段は働きつつ、その実ダウィラス直属の諜報部隊の一員だ。
この諜報部隊というのは、表向きに王都内を哨戒するセプトリア兵とは別に、一般人に扮するなどして、王都を見回る任務を預かる者達のことを指す。
時にはかなり危険な潜伏任務も果たす、優秀な人材らである。たとえばアルバーシティのフラックオース組の悪事、その尻尾を掴むために暗躍したのも彼らということだ。
「……ここだけの話、いくら掘り返しても何も出てこないと思いますよ。
シャプテ商会は誠実かつ堅実で、不正は身を滅ぼすものであるとよく知っている商会です」
「わかっている。
ナナリー様のご指名が無ければ、私もさっさと切り上げている」
女王の命令だから仕方ない、やるしかないと言うダウィラスも、召使いの苦い顔と心は同じで、表情こそ崩してはいないものの声が重い。
諜報部隊を指揮する責任者として、気乗りしていないことをはっきり匂わせている。
「以前より――ハルマがまだいた時から、国庫からの資金流出問題は指摘されていたことだ。
その原因を突き止める任務もハルマは担っていたようだが、とうとうそれは発覚しなかった。
その指揮官が私に変わったことをきっかけに、ナナリー様は事件が解決に向かわぬかと期待されているようだ」
「ですが、それは……」
「ああ、わかっている。
長い間、ハルマの主導では事件が解決しなかったこと、加えてハルマが疑念を残す形で去ったことにより、ナナリー様はその資金流出にハルマが噛んでいたと疑っておられるのだろう。
だから指揮官が私に変われば、事件解決への進展を得られるのではと期待されるのだ」
流通の書面上では出所のわからない銭が、国庫から少しずつ抜かれているという由々しき事態は、長く長く続いていたことだ。
はっきり言って、そんなことは簡単に出来るものではない。
王政に関わる身内に、首謀者がいるのではという噂が立ったこともあるが、むしろ自然な発想である。
「シャプテ商会はハルマが王城入りする前に務めていた先であり、あいつとの繋がりも強い。
加えてシャプテ商会は、国営貿易にも少なからず接点を持っている。
ナナリー様が想像されているのは、国庫から資金を抜き取る首謀者はハルマで、シャプテ商会はその協力者である、といったところなんだろうな」
「発想そのものは自然です、理解も出来ますよ。
しかし、ですね……」
「何度も言わせるな、わかっている。
シャプテ商会はどう考えてもシロだ、あいつらがそんな愚を犯す連中であるはずがない」
「……申し訳ありません」
ナナリーの仮説はこう。
ハルマとシャプテ商会は、国庫資金の横領の共犯。
だからハルマは資金横領犯を探す大役を背負いながら、その実共犯者であるシャプテ商会への国による睨みは弱くし、事実を隠蔽し続けることが出来た、という話。
だから、資金横領犯探しの主導者がダウィラスに変わった今なら、容赦なくシャプテ商会の悪事をも暴いてくれるはず、という算段なのだろう。
一方で、そんな推察されるナナリーの思惑とは裏腹、ダウィラスは既に逆の結論を導き出している。
既に数日前からシャプテ商会に探りを入れてはいるが、どう考えたって連中をクロと呼べる根拠がない。
かなりきつくやっているのだ。商人に扮したエージェントを介して、古い商業記録を要求したり、ここ最近の銭の流れを逐一報告させたりと。
正直、まだ日が浅いので断言するには至れないが、これだけやって何の足がかりも無いんだったらもういいんじゃないでしょうか、っていうぐらいにはやっている。
捜査的な意味では結論を出すには早いのだが、加えてダウィラスが知るシャプテ商会の人物像、商会像と合わせてみれば、割と早くから結論は出ているのである。
「とにかく、継続しろ。向こうに悟られても構わん。
可能な限りなら、シャプテ商会と取り引きしている相手方の商売記録も漁れ。
露骨にいっても構わんから、徹底的にやれ」
「…………」
「悪行を暴く目的と言うよりは、完全潔白であることを証明してやれ。
そう言えるだけの根拠と情報をありったけ集めろ。
そうでなくては、今のナナリー様は納得して下さらぬ」
「……わかりました、続けましょう。
ただ、シャプテ商会との関係は悪化すると思いますよ」
「やむを得ん。女王様の命令だ」
いちいち商売記録を漁られたり、あれこれ本来聞かなくてもいいようなことを聞かれたり、捜査という名目で痛くもない腹を探られるシャプテ商会が、不愉快に感じるであろうことは想像に難くない。
悪いことはしてないんだしいくらでも調べてどうぞ、それで潔白であることを知って下さい、と向こうが清々しく笑ってくれるならありがたいが、そんなものは詮索する側が期待してはいけない。
時は金なりの商売人、無実の身でありながら連日、何やかんや時間を使わされて調べ上げられるなんて、面白いはずがないのである。
だいたいもっとシンプルな話、お前何かやってるだろと疑われて面白い人間がいたら、そいつは余程のお人好しだ。
召使いの懸念は恐らく当たるだろう。ダウィラスも同じ想い。
迅速な足を運び、ダウィラスの前から去り任務へと動く召使い、諜報員を見送るダウィラスは、眉間に皺を寄せ握り拳を顎に当てていた。
今の状況は、彼にとっても面白くない。
「……これで進展があればいいのだが」
期待していない呟きだ。
暗礁に乗り上げたセプトリア王国の実状を、現時点で理解している者は非常に少ない。
その数少ない理解者の側に立つダウィラスは、ここ最近ずっと頭を悩ませている。
「馬鹿野郎! 公書認定の実印がついてねえじゃねえか!
てめぇこのままで話を進めるつもりだったのか!」
「え!? い、いや、その書類は確かに一度提出……」
「お役所様だって人間だろうが! 漏れだってあろうがよ!
てめえがしっかり確認していねえことの言い訳にはならねえんだよ!!」
同日の昼、シャプテ商会本館の敷地内にて、貫禄いっぱいの大商人が怒鳴り声を上げていた。
声を発しているのは商会の元締めザイン、叱られているのは若い商人だ。言葉遣いからして身内、つまり部下だろう。
どうやら商売上で用いる契約書に、必要な判がついていないのが問題で、そんな契約書をそのまま使おうとした若い商人が怒鳴られている、という図式らしい。
これは叱られている方が悪い。情状酌量のある言い分はありそうだが、それでも怠慢を責められても仕方ない立場である。
「今がどういう時期かわかってんのか!?
ほんの小さな解れから商会全体が傾きかねねぇ状況なんだぞ!
この期に及んでてめぇはまだ危機感を持ちきれねえのか!」
「あ、え……す、すみません、申し訳ありません……」
「おーい! お前らもきっちり危機感を共有しろよ!
どんなに時間が惜しくても、商売手続きに一切の省略は認めねぇ! きっちりやりきれ!
相手先に面倒がられても、しっかり説明して納得して頂く口を使えよ! わかってんな!?」
先日、シリカと一対一で話していた時には落ち着いた語り口だったザインだが、仕事の現場に立てばやはり商売人の親玉だ。
腕っ節ひとつでのし上がった商人だけあり、今でもまだまだ尖った一面が目立つ。
話のわかるよく出来た旦那、と部下には慕われるザインではあるも、一方で怒らせたら怖いという共通認識も身内間では広がっている。そうした舐められない大人でなければ、商会のボスは務まらないのである。
「……あの、すみません。お取り込み中ですか?」
「ん……おーおぅ、これはこれは聖騎士シリカ様。
すみませんな、いかにもお見苦しいところを見せてしまって」
ちょうどそんな所を訪れてしまったシリカは、ちょっと気まずそうに声をかける羽目になった。
対するザインは、さっきまで激怒していた顔色をもコロッと変え、まさしく豹変した笑顔でシリカに応じている。同一人物であるのを疑いたくなるほどの、変わり身の速さ。
「少々、お話したいことがありまして推参致しました。お忙しいのでしたら時を改めますが」
「いえいえ、お待ちしていましたよ。
さっそくでよろしければ、私の部屋へとご案内致しましょう」
「はい、よろしくお願いします」
一般人なら、二重人格か何かかとさえ思えるようなザインの変わり身っぷりを見ると、どっちがこの人の本当の顔なんだろうとびびったりもしそうだが、シリカは特に動じない。
こんな人、いくらでもいる。平静時とヒートアップした時とで、別人のように人が変わる大人。
付き合いの広いシリカは、こういう大人とは何度も対面してきたので、あぁこの人は切り替えが早くてきっちりしているんだな、としか思わないのである。
だいたいシリカ自身だって、戦場以外では見た目どおりに優しくて落ち着いた女性でありながら、戦場あるいは後輩の剣術指導に臨めば一変、同じ人とは思えないほど鬼に変わるタイプ。
腕っ節一本でのし上がった叩き上げの武人や商人には、仕事あるいは使命に臨む際、普段の人柄とは全くかけ離れた顔を見せる、という人が案外多かったりするもので。
「すごい迫力でしたね。
私、あんな剣幕で叱られたら縮み上がってしまいますよ」
「騎士様でもびびる迫力でしたかな?
そいつぁいいや、まだまだ俺も現役でいられるってこったな!」
ザインの部屋に行くまでの間も、今の光景を話の種にして、淑やかに笑うシリカと豪快に笑うザインの談笑風景があるほどだ。
ああいう顔を見せるぐらい、仕事に命をかけているザインにシリカは敬意を覚えるし、それに対する理解が明らかであるシリカが相手だと、ザインも一人の人間としてシリカとも気兼ねなく付き合いやすい。
単に相性のいい価値観を持つ者同士なのか、それとも人生経験豊富な大人同士、適応力と理解力が高いから噛み合わせが容易なだけか。
いずれにせよ、シリカとザインは馬の合う大人同士と言えそうだ。
「――とまあ、最近は王室の方々に目をつけられていましてねぇ。
細かいところまできっちりしなきゃいけない状況で、ピリピリせんわけにもいかんのですよ」
「明言があったわけではないにせよ、確定的なんですね」
「ええ、間違いないでしょうな。
執拗さと細々しさが尋常ではありません」
ザインの部屋にてまず説明されたのは、ここ最近のシャプテ商会の状況だ。
ダウィラスが指揮する諜報員により、このシャプテ商会に細かい探りが入れられている事実は、ザインは勿論、商会に所属する多くの商人達も察している。
諜報員の皆様方も、ザイン達に悟られないよう調査が出来るに越したことはないのだが、隠そうにも限度というものがあるし、察されているのは致し方ないところであろう。
そもそも商人というのは往々にして、例えは悪いがそんじょそこらの小悪党より鼻が利くのである。甘く見てはいけない。
「ここ、シャプテ商会はハルマどのが昔、お世話になった職場なんですよね」
「ええ、アルバー帝国から帰化してきたあいつを受け入れたのが我々です」
「……それで、ということですか」
「恐らくそうなんでしょうな。
どうもハルマは、王室の方々に悪事の一端を担っていた人物だと睨まれているようだ。
我々は共犯として疑われている、まったく理不尽な話です」
苦々しげなことを言う割には、その瞳に浮かぶのは寂しげな色。
ザインほど気の強い商人なら、理不尽な疑いをかけられていることには、怒ることはあっても気落ちなどしまい。
別の感情、具体的にはハルマの顔、今はもうこの王都を去ってしまった顔見知りを想起して、寂しさに似た感情を胸の内に抱いているのだろう。
「……つかぬことをお伺いします。
お気に触られましたら、私のことを殴っても構いません」
「ん、む……?」
「ザイン氏の見解では、ハルマどのが悪行に加担していた可能性は、果たしてあると思いますか?」
いきなり殴ってもいいなんて言い出すから、何を聞いてくるんだと思ったらこれだ。
あまりに意を決したような、真剣な眼差しを向けてそう問いかけてくるシリカの姿には、ザインもくふっと小声で笑ってしまう。
「ふふふ、何ですか?
私が、『貴女は私が元身内を疑うような人間だとお考えですか』と憤慨する可能性でも追いましたか?」
「いや、その……まあ、えぇ……」
「でしたら、その前に私の問いにも答えて下さいますか?
貴女はどうして、不躾を承知でそのお綺麗な顔を傷つけてでも、そんなことを問われたのですか?」
ザインは割と柔和な顔で応じている。
商人として長く、人の表情の機微を読むに秀でたザインには、肝を据えつつも少しばつの悪そうな顔からも、だいたい彼女の答えは読めているのだ。
読めていて、それがきっと確かめれば気持ちのいい答えだからこそ、敢えて口にして貰いたい。
「私は、ハルマどのが悪行に手を染めるような方には思えません」
「根拠はありますか?」
「直感です」
「ふふふ、そうですか。続きをどうぞ」
「だからこそ、確かめたいのです。
ハルマどののことを私よりも知る貴方にから見て、あの方はそうした可能性のある人物なのか。
……貴方から、私の望むものとは違う答えが出るなら、見方を改める覚悟も出来ています」
やはりザインは嬉しかった。シリカは、ハルマのことを疑っていない。
その根拠が直感というのは、ハルマと親しかったザインにとって、理屈をこねられるよりも嬉しい根拠である。
「意地悪な問答をお詫びしましょう。しかし、返答は本心のまま、詫びの意味は一切込めません。
その上で、私はハルマがそんな悪行に手を染める人物ではないと心から信じています」
「そ……っ、そうですか」
嬉しい答えだったので、シリカは一瞬顔が浮かれそうになり、すぐにそれを封じて冷静な声と顔。
思ったよりこの人は、感情が表に出やすい騎士様なんだなとザインも改めて思う。
「あいつの愛国心は本物ですよ。
ハルマがセプトリア王国の財源を私欲で傷つけたり、ましてアルバー帝国の残党どもと手を結んでいるなどとは決して考えられません。
少なくとも、あいつを見てきた私の目をすれば、そう結論付けて間違いないでしょう」
「やはり……」
「まあ、人を信じてばかりもいられない商人として言わせて貰えれば、愛国者を装うハルマに私ども皆騙されていた可能性、というのも否定しきれませんがね」
「ん……」
「ですが、あいつになら騙されてもいいかな。
そう思える程度には、あいつはいい奴ですよ。ちゃらんぽらんな所もありますがね。
商人に、騙されてもいいと言わしめる奴なんてなかなかいませんよ」
「は、あはは……ハルマどのに、ちゃらんぽらんな所、ですか」
「今度じっくり聞かせてあげますよ。
あいつは公務に対してはしっかりやりますが、私生活は結構自堕落してますから」
ほっとしてきたのか、シリカもザインの冗談めいた語り口に反応して笑うだけの余裕が出てきた。
それぐらい、シリカが、ハルマが疑うべき対象ではないという言葉を期待していた、つまり彼のことを信用している姿を見ると、こんなにザインにとって嬉しいものはない。
親しかった年下のことを、まして女王にまで疑われている友人のことを、私見で以って私は信じると言ってくれるシリカがいるのだ。嬉しい以外の感情はあるまい。
「我々シャプテ商会は潔白です。ハルマも潔白であると信じています。
我々とハルマの間に、黒い繋がりがあったなどというのは、事実無根の濡れ衣です。
なんだったら本音で言えば、シロだと証明するために全情報を開示してやりたいぐらいでもあるんですがね」
「いやぁ……それはお勧めしませんが……」
「ああ、わかって下さるんですね。
そうなんです、出来ないのが商会の苦しいところなんですよ」
悪いことしてないからいくらでも調べて、と言うのは簡単だ。潔白に自信があればあるほどにそれが最善手、という意見も確かにある。
だが、実際のところこういうものは、展開次第では最悪手にもなり得る。
図体の大きな商会というものは、いかに元締めザインの目が広く渡っていたって、所属する者の商売現場を、一挙手一投足すべて見ていられるものではない。
ザインの把握しきれぬ限りで生じた、罪とは無関係のちょっとした商売上のポカが、王室の捜査班に睨まれて、悪行の尻尾だとでも思われたらたまったものではない。
それでもし、間違った確信で法廷まで引っ張り出されようものなら、結果次第では無罪を有罪にする裁判にまで至りかねないのだ。
ここ最近、ザインは元締めでありながら現場に降りてきて、完璧な仕事をするようかなり厳しい態度で部下を指導していたが、それはこうした事情もあってである。
一般に、裁判とは被告が罪人かどうか"確かめる"ものだと思われがちだが、実際のところは被告が罪人かどうか"決める"だけのものに過ぎない。
司法の者達も所詮は人間、いかに慎重に裁判を進めてくれようとも、ミスひとつあればシロであるものが黒だと判決されることだってあるのだ。そして下された判決は、"真実"とされてもう覆らない。
勿論そんなことはレアケースの極みだが、仮に起こったら商会そのものが壊滅する大厄災、その可能性が一厘でもあるのなら、それは避けるべきことである。リスクが大き過ぎる。
わざわざこちらから、疑ってかかる連中に、自分の首根っこを差し出す必要は無い。世渡りの鉄則だ。
ザイン個人で話がつくなら別に構わないが、彼は商会に属する者達の人生をも背負っている。不要なリスクを感情に任せて背負うような者では、商会の元締め失格である。
「私は、聖騎士シリカ様にそう信じて頂けるだけでも救われる想いですよ。
あれを読んだから、ここに来て下さったのでしょう?」
「はい」
ザインの言葉にうなずいて、シリカは懐から一通の手紙を取り出した。
これは、先日シャプテ商会がシリカに、舞踏会で着たドレスと同じものを郵送した際、一緒に添えていたものだ。
荷物に潜めてシャプテ商会がシリカに届けた手紙――いや、ハルマの想いを伝える伝書とでも言い換えられる。
あまりに物騒な内容を書かれたその手紙を手に、ここシャプテ商会をわざわざ訪れ、ハルマを信じるとまで言い切ってくれたシリカのことを、そもそもザインは始めから信用している。
「……"疑わしきは女王様こそ"。
本来これは、逃げた逆賊の捨て台詞と捉えるべき言葉であるはずなんですよね」
「ですがシリカ様は、そんなハルマの言葉を信じると仰られる」
「は……」
「返答は要りませんよ」
「っ……?」
シリカは現在、セプトリア王国に仕える身であるべしと派兵された身だ。
ハルマの手紙の言葉を肯定し、間違っているのはナナリー女王だと口にするのは言語道断である。
仮にそう思っていたとしても、殆どここまででそうはっきり言っているにせよ、超えてはいけない最後の一線というものはある。
「極力、客観的に申し上げましょう。
我々が抱ける信念なるものは二つに一つです。
ナナリー様を信じ、ハルマこそが悪逆非道の糸を引く逆賊であると見るか。
それともハルマを信じ、ナナリー様があらぬ罪を罪とせんとする愚政の主か」
「…………」
「私は、ハルマを信じます。
ハルマは決して、セプトリア王国に反旗を翻すような人物ではない。
そんなあらぬ罪と繋げ、我らシャプテ商会を疑わしく見遣る女王様を、今の私は信頼することが出来ません」
重い発言だ。はっきりと、国家に背く発言である。
そこには、一度我が子のように迎え入れたハルマを信じ、それを悪しき者だと断じようとする者ならば、女王であろうと敵に回すことも厭わぬという、男の覚悟が溢れている。
「わた……」
「なりません!」
シリカは感情的になりやすい。
私も、と思わず口にしそうになったところを、ザインは怒鳴るような言葉で制した。
びく、と肩をすくめるシリカも今は、厳格な騎士ではなく一人の女性の姿に変わっている。
「私には、それをするだけの"筋合い"というものがございます。
気のいい青年を迎え入れただけの私を、あいつはまるで父のように慕ってくれた。
ゆえに私はハルマのことを、我が子と変わらず見ています。
無実であるはずの我が子を、罪人呼ばわりされる親の気持ちが貴方に想像できますか?
それだけ許せぬことをされている私だからこそ、この道を進む筋合いというものがある」
「ですが……!」
「貴方には、ハルマのために命や地位、すべてを投げ打って殉じる覚悟がありますか?
あるとは答えさせませんぞ。その覚悟に足るほどの絆が、貴女とハルマにあるとは信じません。
貴女がそんなことを口にするほど、信頼関係というものを軽んじた騎士様ではないと私も読んでいるつもりです」
もしもハルマがナナリーに捕えられ、無実の罪で裁かれるようなことにでもなれば。
ザインはたとえ共に裁かれようとも、ハルマの味方をすると断言しているのだ。
国家を敵に回すことも厭わぬと表明したあの言葉は、それを行間に含んでいる。
それは死をも覚悟すべき茨の道。
家族にも劣らぬ己とハルマの絆、それに割って入る余地は、決してシリカにも与えぬと言っている。
シリカをそんな厳しい言葉で突っぱねるザインは、自分と同じ道にシリカが来てはならぬと訴えているのだ。
「感受性の強い騎士様に、お気持ちを汲んで手を繋ごうとして頂けるだけでも胸がいっぱいです。
ですが、あなたは私達とは何も関係ない。関係ないんです。私は、そうあって欲しい」
「…………」
「私のこの想い、ご理解頂けますか?」
シリカは頷けなかった。だが、心の奥底では認めている。
シリカにも、特別な家族がいるのだ。一蓮托生の、掛け替えのない四人。
彼ら彼女らといかなる死地にも臨まんというその時、余人を交えたくないほどに特別な絆というものは実在する。
信頼し合う者同士だからこそ共に血を流すことも出来る。そうでない者を巻き込みたくはない。わかる。
「……ハルマに一つだけ言いたいことがあるとすれば」
返答こそ無くとも、伝わったことだけ確信できたザインは、これ以上の言葉は必要あるまいとし、ふうと息をついて天井を見上げる。
遠い目を浮かべる彼の眼差しの先には、今はそばにいないハルマの姿があるのだろうか。
「参謀職を手放し、王都を離れるという一大決心をするのであれば、一言ぐらい俺にもそれを伝えて欲しかった……ということぐらい、ですかねぇ……」
話し言葉こそ変わらぬものの、思わず一人称が素のものになる程度には、実感のこもった言葉だったということだろう。
最愛の身内の一人は、一言の相談も挨拶もなく、王城はおろか王都すら旅立ってしまった。
夜のうちに王都を去ったと思われる彼は、ザイン宛に一枚の手紙――シリカが郵送を経て受け取ったあの手紙だけを残し、それ以外の音信は一切なし。
まるで我が子が無言で親元を離れた、そんな寂しさにザインは暮れている。
「……ハルマどののことですから、何か考えがあってのことだったのだと、私は思いますよ」
「そう、信じたいものですな」
もっとやりようがあったのではないのか、というのはシリカの思うところである。
仮にハルマが無実でも、逃げるように突然去ってしまったことが、彼に対する疑念を深めたのも事実だろう。
今の現状を招いたのがハルマのせいだとは思いたくないが、やはりもっといい道筋は無かったものだろうかと、寂しく取り残された者達は思わずにいられないものだ。
いったい誰が正しいのか。
果たして誰がどうすることが正解だったのか。
いかにそれを思い巡らせたところで、今はナナリーとシャプテ商会の間に、埋めようのない溝が生じたという厳しい現実があるのみである。




