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第5話   ~ユースVSニトロ~



 ユースはとっても微妙な気分だった。


 朝食を終えたぐらいの頃合いに、ユース達の家を一人の使者が訪れた。ニトロ様から書簡を預かっております、と。

 城へとお帰りになる使者様を見送って、手紙を開いてみれば、ユースもこてんと首を傾けた。


 今日、ユースどのに一対一の勝負を申し込むから、昼過ぎに訓練場に来て欲しいとの旨。王族に使える衛兵の文章らしく、言葉遣いも丁寧でしっかりしたものだったが、その内容にはユースもはい? である。何なの急に。


 そんなわけで昼過ぎのこの時間帯、ユースは昨日も訪れた訓練場に赴いていた。シリカやアルミナと共に現れたユースを、訓練場の兵らも迎え出てくれた。

 木剣はどの尺のものにしますか、盾は昨日と同じものでいいですか、革鎧はあちらですよと、改めて色々ご案内してくれたりも。要するに、話はだいたい聞き及んでいるご様子で。


「あのー、シリカさん」

「なに」

「負けたらごめんなさいって、先に言い訳しちゃダメですか」

「だめ」


 とりあえず木剣を数度素振りしてみたユースが、自信なさげな顔でシリカに弱音を吐く。

 作りものでも何でもない、素の顔だから困る。ユースとの付き合いが浅い人が、彼を傍目から見て頼りないと評する気持ちは、確かにシリカもわからぬではない。シリカも返事する際、苦笑してしまう。


「あんた言わば今、エレム王国騎士団代表みたいなもんでしょー? 負けたら騎士団の名に傷がつくかも? んふふ♪」

「んふふじゃねーよ、わかってるよ、シャレになってねーよ」


 アルミナはいたずらっぽくユースをからかってみるが、ユースにとっては勘弁して欲しいところ。

 もしも自分が負けたら、案外エレム王国の騎士様っていうのもたいしたことない? なんて思われかねないわけで、それはユースも嫌なのだ。

 ユースも騎士団に属する者としての責任感というものがあって、自分の属する組織の名を貶めかねない結末は、何としても避けたいところ。傭兵であり騎士ではないアルミナの、気楽な態度が少し羨ましくすら思う。


「まあ実際には、負けたからって威信がどうとかいう話にはならないだろうけどな。負けない方がいいのは事実だけど」

「シリカさん。それ安心させようとしてくれてるのか、プレッシャーかけようとしてるのかわかんないです」

「なるようになればいいんだよ。結果がどうなっても、その後はその後考えればいい」

「勝ったら勝ったでいいし、負けたら負けたで励みましょうってことですね~」

「負けちゃダメなんだってば……色んな意味で……」

「主にどんな意味で?」

「シリカさんにも恥かかせることになるだろ。負けられるかっ」


 これにはちょっと、シリカも驚いた。態度には表さないけど。ユースを育ててきたのはシリカ、だから自分が負けたら師にも恥をかかせることになると、ユースがよりプレッシャーを感じている姿は、シリカが想像していた以上のものだった。

 あんまり重圧を感じて、全力が発揮できなかったらそれはそれで困るが、これはこれでシリカにとってはちょっと嬉しい気持ちになる。


「よしよし頑張れ、シリカさんの一番弟子♪」

「うるさいな、言われなくてもわかってるよ。つーかお前、俺が緊張してるの煽って楽しんでるだけだろ」

「あんた童顔だから、怖がってる顔してるとかわいーのよ。なんか年下いじってるみたいでさ」


 ほっぺつんつんする指先を突き出してくるアルミナに、ユースはしっしっと手を振って対応。過剰に緊張気味のユースに、普段どおりの絡みっぷりをしてくれるアルミナのおかげで、どことなくユースも肩の力が抜けたりもするのだが、それを高次の気遣い方と解釈することは流石にユースも無い。

 アルミナは単に遊んでいるだけである。気遣いで肩の力を抜こうとしてくれてるんなら、もっと他にいくらでもやりようがあるでしょっていう。


「そんな緊張しなくてもあんたなら……っと、そんなことくっちゃべってる間に」

「おーう、やっておるかー」


 意地悪しっぱなしではどうかとも思ったのか、素直に元気付ける言葉も向けようとしたアルミナだが、惜しい、主賓が来られたのでお喋りは中断。ユースをこの訓練場に招いた張本人が、見届けたがりの主と一緒に現れた。


「おはようございます、ナナリー=アル……」

「よいぞ、よいぞ、ナナリーで。毎度思うておるが、妾の名前は長くて呼びづらいじゃろ」

「や、そんなことは……」

「なんじゃったら、ナナと気安く呼んでくれても……もがっ? これ、ニトロっ?」


 ユースはナナリー女王にご挨拶する時は、フルネームで呼ぶようにしている。フランクな呼ばれ方を好むのか、古い愛称まで引き出してくるナナリーだが、その途中で横のニトロが手を出してくる。ナナリーの口を塞ぎ、彼女の語りを途中で打ち切らせる。


「軽率のあまり、流石に見過ごせません。お控え下さい」

「むぅ~、お堅い奴め……」

「ナナリー様」

「わーった、わーったわい……そんな目で睨むな、仮にも主君を……」


 女王と衛兵、明確に主従関係であろうはずのナナリーとニトロだが、眼差しといい言いっぷりといい、ニトロはナナリーに対して容赦ない。このやり取りを見てアルミナ辺りが、この二人って主従以上に特別な関係でもあったりするのかな? なんて鼻の利いた推察をし始めているが、それは今は関係のない話である。


「ともあれ、ユーステットどの。突然の呼び出しに応じてくれたことには感謝するぞ」

「いえ、そん……勿体ないお言葉です。セプトリア王国の皆様のお言葉に従うのは、当然のことですので」


 普通に、いえいえそんな的な返事をしそうになったユースだが、途中で気付いて、自分の思う騎士様像として理想的な言い回しに変更。シリカだったら多分、こういう返しをするだろう的な。

 拙くて、傍から見るアルミナもちょっと可笑しい。不器用なりに頑張ってるなぁとも思うから、笑ったりすることはないけれど。


「ニトロはもう、準備を済ませておる。ユーステットどのは、もう始められる状態ですかの?」

「はい」

「ふむ……では、ニトロ。さっそく始めるとしようかの?」

「はい」


 訓練場の真ん中に、ユースとニトロが向かっていく。離れた位置で見守る形のナナリー女王のそばには、常に彼女の隣に立つニトロに代わり、畏れ多くも訓練場の長が立つ形に。


 ただ、これから一騎打ちが始まるわけなのだが、ナナリーもニトロも少し気になることが。


「お前、その格好でやる気か」

「あ、まあ……そのつもりですけど……」

「たいした自信だな。それとも、舐めているのか」


 ユースは左腕に装着した小盾を除き、他に防具を身に付けもしない、殆ど丸腰に近い状態だ。

 要するに、革鎧やら篭手やら肘当てなど、体に身につける防具を纏っていない。これからニトロと木剣同士の一騎打ちを行なうわけだが、ニトロの攻撃を一太刀浴びれば、斬られはしないものの痛烈な殴打を体に受けることになる。


 訓練用の木剣とはいえ、その硬さと重さ、扱う者の腕力が合わされば、生じる威力は馬鹿にならない。フルパワーでそれを肋骨にでも受けたら、砕かれたっておかしくないのである。

 一太刀を受ければ怪我して当然の着こなしで、自分との戦いに臨まんと言わんばかりのユースの格好には、草摺つきの革鎧を身に付けたニトロも機嫌が悪くなる。


「舐めてるわけじゃ……一番動きやすい格好ってだけで……」

「エレム王国騎士団様はお強いものな。俺の攻撃を受ける備えなど必要ないってことか」

「いやあの、本当に違うんですってば」


 ニトロの攻撃なんて受けないよ、だから防具は必要ないんだ、とでも天狗になっている奴だと誤解されそうなので、ユースはちょっと強い声で反論する。そういう心外な誤解は御免被りたい。


「俺は戦場でもこういう格好ですよ。あんまり装備を増やすと動きが悪くなるし……」

「ふん、訓練の時すら防具もつけないのか?」

「あー……あの、実はですね……」


 ニトロの言い分はちょっとわかった。戦場ではどういう格好であったって、訓練の際は、木剣を受けても怪我をしたりしないように、最低限の防具をつけるものだろっていうのがニトロの発想だ。

 確かにそう、普通はそう、それで自分の言い分が言い訳がましく聞こえたんだろうなってのは、ユースにもわかる気がした。


 ちゃんと説明しないとわかってもらえそうにないので、ユースはすすっとニトロに歩み寄る。ニトロの顔に自分の顔を近づける、ユースの気安い行動には、ニトロも何だいきなりと身構えかけたものだが。


「俺の剣の師はあの人なんですけど、あの人相手の手合いは防具なしなんですよ……攻撃を受けることあらば、痛みと一緒に覚えろっていうのがあの人の教え方で……」

「……あの人って、あの人か?」


 ひそひそ声のユース、ちょっと意外そうな声のニトロ。ユースが言うあの人っていうのは、要するにシリカのことなのだが。


「俺あの人に何度もボッコボコにされてますし、ぶっちゃけ慣れっこなんで……訓練だろうが実戦だろうが、動きやすい格好でやるのが俺なんで、気にしないで欲しいっていうか……舐めてるとかではホントないんで……」


「……ふぅん」


 いまいち信じきってもらえたのかわからない反応をされたが、ニトロは別の意味で、信じられないなって気分。

 清楚で大人、愛想もよし、見るからにお優しい美女にしか見えないシリカであって、そんな人物だとはちょっと思いにくいのである。シリカも騎士であることはニトロも知っているから、剣を握れば強いんだろうなとはわかっているが、今ユースが説明したような厳しいお方であるとは、少し見た目のイメージから離れ過ぎている。


 知らないって幸せなことである。


「なんとなく、あいつ今、私の話をしている気がする……」

「奇遇ですね、私もそんな気がします」


 ニトロとひそひそ話しているユースが何を言っているのかは聞き取れないシリカだが、ユースが誰のどんな話をしているのかは読めた気がした。ユースが大声で話せないことを言ってる時点で、彼が人目を気にする相手なんて今この場で一人しかいないし、シリカには自覚があるから気付くというだけだけど。

 同じ理屈で、アルミナにもなんとなくわかるのである。ああユース、怖い時のシリカさんの話をしてるんだろうなって。シリカに剣術を仕込まれたユースと同じく、アルミナもシリカには色々とみっちり仕込まれた立場なので、その気持ちはすごくよくわかる。


「ちゃんと俺、全力でやりますよ。仮にも、騎士団の名を背負う立場ではあるつもりですから」

「……そうか」


 今のユースの言葉には、ニトロもあまり疑念を抱かなかった。信念のこもった声だったからだ。

 小声でも伝わる意志力の言葉を最後に、立ち合う場所まで離れたユースだが、それと対峙するニトロも、これから木剣を握る手を、結んで開いてしてしまう。思わずである。


 ニトロもまた、セプトリア王国代表の兵として、他国の勇士との一騎打ちには敗れてなるかという想いで、そもそも果たし状を叩きつけている。ユースも同じということだ。

 諸々あって、ニトロの方こそユースのことを侮っていた部分もあるが、こうなってくるとそうした雑念も、意識せず自然に頭の中から締め出される。


 ここまで至れば言葉は要らなくなる。木剣を両手で握り締めるニトロと、右手に握り締めた木剣を一度ひゅっと振るユース。

 いつでも始められる。そう見届け人らに示すかの如く、ユースとニトロが構え合う。


「では、ナナリー女王様。始めても、よろしいですかな?」

「うむ」

「ユースっ、頑張れー!」

「こらこら」


 開戦の合図を務めるであろう、訓練場の長が、二人の一戦を見届けたいとしたナナリーに対する許可を取るのがまず始め。

 元気いっぱいの声でエールを贈るアルミナを、後ろからこつんと頭を小突くシリカは、女王様の前であんまりはしゃぐなよと注意。

 叱られたアルミナは口元を押さえ、やっぱりそうですよねすいませんと、あまり反省色のない目でシリカに会釈する。わかっちゃいるけど、やっぱりユースを応援する声は我慢したくなかったということか。気持ちはわからないでもないのでシリカも怒っておらず、温かい目でアルミナを一瞥してユース達の方を向く。


「ユーステットどの、よろしいかな?」

「はい」

「ニトロ、いいな?」

「はい」


 客人に、身内に、最後の確認。

 わかりやすく、敢えて大きくうなずいた男の仕草が、間もなく始まる一戦の幕開けを示唆している。特に、二人に対してだ。


 エレム王国騎士団の若武者と、セプトリア王国衛兵たる若獅子の勝負付け。大きな意味を持つ戦いだ。


「それでは――始めっ!!」


 その一声の歯切れと共に、前に出たのはニトロの方。同じ年頃の兵とは比べ物にならない、完成された歩法と脚力での踏み出しは、瞬く間にユースを射程範囲内に捉える。

 ユースと同じだけの場数を踏んできたアルミナも、傍から見ていて驚くほどの速度に目を見張る中、ニトロの振り抜いた木剣は、切っ先が的確にユースの脇腹を薙ぐ軌跡を描いている。


 身をひねりながら木剣を振り下ろしたユースが、ニトロの木剣を下方に叩き落とすかのように殴りつけ、軌道の逸れた剣は体を逃がしたユースを捉えられない。

 ニトロの体勢にもぶれが生じるが、返す刃で木剣を振り上げたユースの切っ先が、顎を叩き上げにかかる。

 それに対して、自ら顎を引く勢いで体を沈め、それで後退する全身に勢いをつけ、乱れた体勢のまま退がるニトロが、ユースの木剣を前髪すれすれでかわす結果に繋げる。


 素早く引いていた木剣を、体勢の上ずるユースに向けて突きを放つ形に移るニトロだが、ユースが大幅のバックステップを踏み回避する。尺いっぱいに伸ばした突きが届かないほどのユースのバックステップは、相手の手の長さと武器の尺を見切って的確。

 さらに、突いてすぐ引っ込むところだった木剣を、横殴りに自分の得物で打ち払い、ニトロの体勢を崩そうとするおまけつき。


 横に木剣をはじかれた直後、ユースが再接近を図ってくる光景に、ニトロは冷静さを失わずに木剣を構えた。振り下ろされる木剣を、自らの木剣を額の前で斜めに構えて防ぐニトロの行動が、両者の武器が激しく衝突する結果を導く。

 木と木の激突であんな凄まじい音がするものかと思えるほど、細身に見えてユースの腕力が繰り出す一撃は重い。それを重力任せに振り下ろされて止めるニトロも、木剣を両手持ちでなければ不可能だったと歯を食いしばる。


 ぎりぎりと武器を接し合ったまま、木剣同士を震えさせていた二人が、突き放すように力を与え合ったのがほぼ同時。互いに一歩ぶん退がり、手の痺れが次の攻撃をほんの短時間遅れさせるはずの局面。

 先に動いたのはニトロの方だ。大きく踏み込み、左腕に盾を装備したユースの右側から、木剣の半ば部分を迫らせる大振りの勝負手を放つ。退がっての回避を認めない、反撃覚悟の深い踏み込み、一方で打ち合った手の衝撃から、即時反撃が来ることは無しと瞬時に読んだ判断は、ニトロの戦闘勘の鋭さの賜物だ。


 ユースは一歩下がる、それと同時にニトロの木剣を叩き落としに行く。先ほどと同じ対処の仕方。

 勝負手なのは見るも明らか、この一撃でニトロの体勢を崩せばほぼ貰った。そんな局面でユースが振り下ろした一撃は重みに満ち、ニトロの木剣に先ほど以上の力で殴りつけんとした。


 だが、ニトロの真骨頂はここにあった。ユースの武器と自分の武器が触れ合うその瞬間、フルスイングする武器の勢いを全く殺さぬまま、手首を回して武器を捻り込む。

 木剣の刃にあたる部分を上向けに振り上げる回転方向は、ユースの武器から受けた力と混ざり合い、互いの合力が接点で渦を巻くようにして、思わぬ形、ユースは上方に武器をはじき返されることになる。ニトロも似たようなもの、ユースを捉えんとしたはずの武器はあらぬ斜方へ流れていく。


 両者揃って武器をはじかれたように体勢が乱れる、しかし意図してそれを起こしたニトロと、相手の力でそれを強いられたユースとの差は大きい。思わぬ対処にユースが両目を見開いたその瞬間と、再び踏み込んでユースの胸元に木剣を突き出してくるニトロの追撃はほぼ同時だった。

 一瞬の差、それがこの白兵戦では極めて大きい。右手に握った木剣を上方にはじき上げられ、その腕を掲げる体勢でボディが隙だらけのユースに対し、ニトロが放った一撃は、間違いなく勝敗を決する決定打に繋がるそれだった。


 仮にユースが左腕の盾で防ごうとしていても、ニトロにとっては想定内の行動で、その次に繋がる動きもあったのに。ユースが、武器をはじき上げられた腕の動きに合わせ、片足を引く中で体を半回転させる行動はやや予想外。

 あまりに速いユースのスピンは、左足を軸に彼の体をニトロの突きから逃がし、しかもユースは回転するまま左腕の盾で、ほんの一瞬前に自分がいた場所に向けて伸びるニトロの木剣を横から押し殴っている。


 これが完全に決定打となった。両手持ちの武器による渾身の突きが、ほぼ垂直方向からの横殴りで乱されたニトロは、それを制しようとしてもユースの次なる行動に追いつけない。


 回転するまま自らに左半身を向ける形になったユースのそばへ、ニトロの体が侵入する。ユースは地を蹴る、ニトロから離れる、逃げるためではなく絶好の間合いを作るため。

 地から足が離れるのとほぼ同時、ユースが開いた自分の左脇の下から振り上げるような軌道を描く木剣は、二人の距離感が絶妙となったその一瞬に、その半ば部分がニトロの腹部に直撃する結果を導いた。


 革鎧を身に付けた上からとはいえ、ユースの腕力が木剣を介してニトロの腹部に与える衝撃は凄まじく、受けた瞬間にニトロは両目と口を開かずにいられなかった。手応えを得たユースが、既に空中で身をひねっていた体で、着地と同時にニトロに向かって構えるが、もはや勝負はついている。


 かはっ、と息を吐いたニトロは、意地でも倒れはしなかったものの、前に体を折り曲げて顔を上げるのがやっとである。両手に握った木剣は、武器を持ち上げることの出来ないニトロの腕を物語るかのように、(こうべ)を垂れて砂に触れそうなほど。


「――そこまで! 勝負あり!」


 一本入ったのだ。木剣ではない真剣での勝負であれば、ニトロの体に致命傷が負わされていたことを物語るに充分な当たり。たとえニトロが、まだまだやるというつもりでいたとしても、ここが勝敗を定めるべき区切りとして間違いない。


 腹を貫く苦しみから、あるいは敗北したことにニトロが歯を食いしばり、片目を開けない表情でユースを睨みつけていた。決着がついてなお、ユースは剣士としての眼差しを失わず、ニトロから目線をはずさない。

 悔しさに満ちた表情を前に、男が向けるべき眼差しなど一つしかないのだ。来るなら来い。訓練場の長が唱えた決着の合図すら、臨戦の意識に落とし込まれたユースの精神に対する抑止要素にはならない。


「ニトロ!!」


 ナナリーがニトロに向け、強く発する声も早かった。

 勝負はついた、もうやめよと含まれた一喝には、周囲も幼い姿の女王に確かな威厳を感じたほど。それはニトロに対して劇的な効果を生み、ユースを睨みつけていたニトロが目を伏せ、唇を噛み締める行動を強要する。


「……俺の、負けだ」


 死んでも言いたくないようなことを言う声で、しかしはっきりとそれを発するも、敗者の持つべき矜持である。

 その言葉を以ってようやくして、ユースは構えていた木剣を下ろし、ふうっと大きな息をついた。

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