第4話 ~ユース隊長の夜のお仕事~
時を隔ててその日の夜。
ユースはナナリー女王ならびにセプトリア王国に貸与されている家、現在の住居の自室にて、一人で机と向き合っていた。
インク入りの瓶を横に、手には羽ペン、目の前には罫線の枠組みと少々の文字が書かれた書類らしきもの。
祖国を離れ、エレム王国騎士団の小さな分隊の"隊長"という立場のユースは、一日ごとに騎士団員としての活動報告書を作っている。最近のユースは、これが毎晩の日課である。
「ユース、いいか? 入るぞ?」
「ん……シリカさんですか? はい、どうぞ」
ある程度まで筆が進んだところで、何か他にも書くことあるかなって、筆を止めていた頃合いのユースに、扉をノックする先輩の声が届く。
ちょうど筆が詰まりかけていたタイミングでもあったため、一度ユースはドアの方に体を向け直し、報告書作成を中断する。
「捗ってるか?」
「ん~、そこそこ……今、ちょっと詰まりかけてたところです。――あ、すいません、ありがとうございます」
ユースが夜更かししてでも報告書をしっかり書きたがる、そんな性格の持ち主であるのはシリカも知っている。彼がまだ寝ていないことを確信していたシリカは、差し入れとして温かいコーンスープを持って来てくれた。
それを受け取ったユースは、吐息で少し覚ましながら少量を口に含む。喉を通せば、寒いこの季節、体が芯から温められる心地を味わえる。
「相変わらずだな、お前は。人のいい所ばっかり書いて」
「そ、そうですか? 別におかしなことは書いてないでしょ?」
ユースが書くこの報告書というのは、明日には郵送により祖国エレム王国に送られ、騎士団に届けられる。その報告書を見て、騎士団は祖国を離れているユースやシリカ、アルミナらの活動具合を知り、人事査定の指針の一つとする。
ちょっと俗なことを言えば、ユースやアルミナに対する騎士団の評価に関わることだから、ユースらの立場や給料にも響いてくるのがこの報告書ってやつ。
そしてシリカが指摘するとおり、ユースは身内のことを報告書に書く際、その人のいい所ばっかり書くのである。
別に、誰でも身内にはついつい優しくなることはあるから、特別ユースに限った特徴ではないが。
「細かいからなぁ。ほらここ、アルミナがハルマ様との会話を弾ませにくいお前をフォローしてくれたこととか」
「あれは正直、助けられましたもん。っていうか、アルミナの一番いいところってそういうとこだし、それはちゃんと書いておかなきゃダメなんじゃ」
「ふふ、そうだな。確かにそうだよな」
訓練場で銃士達に、上手にものを教えていたアルミナのことも書いているし、報告書にアルミナの仕事ぶりを良く書こうと思えばそれだけでも充分なのである。
それだけでは飽き足らず、他にも何かないかないかと探して、よりよく身内を組織に報告しようと努めるから、報告書も長くなるし夜更かしがちにもなるんだけど。
「あんまり根を詰めるなよ。連日睡眠時間を削るような生活をしていると、本当にいつか体調を崩すからな」
「気をつけてはいるつもりなんですけど……やっぱ慣れないから、シリカさんのようにぱぱっと報告書を作るのは、ちょっと俺まだしんどいかなって」
「そのうち慣れるよ。私も初期は肩に力を入れ過ぎてた記憶があるが、いつからか慣れてきて、そうでもなくなってきてたからな」
「シリカさんもやっぱり、昔は苦労してました?」
「慣れないうちは正直大変だったよ。ほら、私はお前よりも年下の頃から、報告書を作る立場にいたからな。あの頃はもう、修練に実戦に筆作業にで、毎日頭が痛かった」
「俺がシリカさんの隊に入った頃も?」
「その頃にはもう慣れてたよ。報告書を初めて作った時から3年ぐらい経ってたしな」
今はユースも、隊を率いる隊長という立場だが、元はシリカの部下として腕を鳴らした立場である。細かい話はさておき、シリカはユースよりも4つほど騎士としての階級が上の人物であり、今でもユースにとっては尊敬してやまない先輩なのだ。
そうしてシリカの部下として働き始めてからもう4年近くになり、そろそろ騎士としての実力も備わってきたユースに、隊長職を任せて人を率いる腕を磨いて貰おうというのが、騎士団のユースに対する今の方針である。
こうして部下を率いる隊長として、セプトリア王国にて上手にユースがやれるなら、今の彼の平騎士階級よりも、一つ上の階級にユースを昇格させることを、騎士団は視野に入れている。
そうして今の隊長職を預かるユースだが、ほぼ初めての立場に就くということで、報告書作成も含めて慣れない仕事が増えて、苦労する時期である。
シリカの下で働いていた頃のユースは、自分のことに遮二無二頑張っていればよく、彼の努力はシリカが報告書に書いて騎士団に報告してくれていた。
今はユースが、アルミナを含む部下を常に監査し、その仕事ぶりを報告する責務を背負っているわけだ。自分のことだけを考えていればよかった昔と違い、明確に人の上に立つ立場になると大変である。
「なーんかでも、聞いたことありますよ。シリカさん俺のことそう言いますけど、シリカさんも俺やアルミナのこと、結構いいようにばっか書いててくれたらしいですね」
「む、誰だそんなこと言ってた奴は」
「察して下さい、あの人しかいないでしょ」
「まあわかるけど」
ユースがシリカのいち部下でしかなかった頃には、同じ隊にシリカよりも年上の熟練騎士がいた。とっても強くて頼もしいけど、一癖も二癖もあるユースの先輩である。誰のことかはシリカにもだいたいわかったので、いちいち名前は出さないが。
「だから俺も、身内のいいとこは書き逃したくないですよ。シリカさんにそうしてよくして貰えてきたから、今の仕事も任せられるようになったっていうのに、俺がその辺を蔑ろにする奴じゃダメでしょ」
「私はお前とは違うぞ。悪いけど、お前のダメなとこも結構書いてた」
「あ、はい。具体的には言わなくて結構です、わかってるつもりですから」
「前のめりに敵軍に突っ込む命知らずなところだろ、お偉い様を前にすると萎縮するところだろ、乗馬がどうしても上手くならないところだろ」
「もーいいです、全部わかってます。勘弁して下さい」
ユースはその辺り、結構気にしているのだが、報告書に書いても騎士団にはマイナス査定対象にならないような話ばかりであって、客観的には別段たいした話じゃない。
正直シリカも、心配になるから一部は何とかして欲しいと思ったりもするのだが、もう全部ユースの個性として受け入れている部分ばかりだし。
「努めて身内をよく見せようとするお前の姿勢はいいんだがな」
「でしょ、俺絶対コレ間違ってるとは思いませんよ。アルミナがいい加減な仕事してるなら褒めちぎるのは間違ってるけど、あいつそういう奴じゃないでしょ」
「それに注力し過ぎたお前が、体の使い方を間違えて体調を崩すことを、私は常に危惧している」
あんまり厳しい表情ではなく、やや微笑みを携えてのものではあったが、ちょっとユースにもぐさりと刺さった。
ユースみたいな奴には、心配してるんだぞって言う方が、叱るより効く。
「これはそんな辛辣に言うつもりはないが、今日の剣術指南の時も、お前ちょっと体が硬かったぞ。睡眠不足が祟ってるんじゃないか?」
「やー、あれは……ほら、女王様の前で緊張しましたし……」
それも事実だろうとは思う。実際シリカの言うとおり、彼女が知っているはずのほど、ユースは彼本来の実力は発揮しきれていなかった。
それは主にユースの言うとおり、女王様の御前で体が硬くなった部分も大きかろうが、最近ユースが睡眠時間を削り気味という事実がある以上、関連付けて警鐘を鳴らすのも、ある意味一つの意識の持ち方である。実際にはそんなに関係ないかもしれないが、意識の問題として。
「お前、もっと出来るのにな。せっかくお前が、皆様にかっこいい所を見せられそうな場面だったのに、向こうからの評価が上程度に収まってしまったのは私もちょっと残念」
「うぐ……す、すみません……」
それは、実は別視点から見てもしょうがない。
昼の剣術指南の場での話だが、シリカもユースも指南役を務める中、どうしたってセプトリア王国の面々の視線を集めたのはシリカの方だった。
シリカは元々、人間の体など一撃必殺で駄目にする牙や爪を持つ魔物と戦うことが多い中、攻撃を受けても無事に継戦できる体をしていないから、そもそも相手の攻撃を受けない身のこなしと素早さを軸に戦い方を作っている。
ゆえに速い、めちゃくちゃ速い。華がある。見る者が、人間ってあんな素早く的確に動けるもんですかっていう派手さを持っているから、ユースよりも人目を惹き、すげぇって思われやすい。
対するユースの戦い方は、良く言えば堅実で、悪く言えば地味。
的確に敵の攻撃を、体捌きと盾でいなしながら、敵の隙を突く賢明な戦い方を主とする。合戦などでは視野も広く、味方を守りながらの戦い方も得意とするユースなのだが、一対一の戦いであると派手さに欠けるのも事実なのだ。
ユースとシリカが一緒に剣を操っていると、残念ながら映えるシリカの陰に霞んでしまう。
それに、ユースを育てたのがそもそもシリカであって、シリカは人に剣術を教えることには慣れている。手合いした相手へのアドバイスも的確なシリカと比較すれば、ユースの慣れない指南ぶりは見劣りしてしまうのだ。
単体で見て、それなり以上の仕事をやっているユースではあるのだけど、色々巡り合わせが良くない部分もあるという話。シリカもシリカで、指南役としての仕事に手を抜けないから、こればっかりは仕方ない。
「あんまり自分で言うのもなんだけど、お前を育てたのは私なわけで」
「はい、全面的に同意します。別に前置きいらないですよ」
驕ってません、純然たる事実です。シリカに育てて貰ったから今の自分があるって、ユース自身もはっきりわかっている。周りも全員、絶対そう言う。
「お前に対する愛着もそれなりなので」
「う……はい」
「お前がみんなに評価されるようになると、私もとっても嬉しい」
可愛い可愛い後輩だ。ずーっと、シリカさんシリカさんで後ろをついて来てくれたユースなので、シリカだって彼の成功は自分のことのように嬉しい。
一緒に行動するようになってからもうすぐ4年、付き合いも長い。愛着もそれなり、と、照れ隠しに弱い言葉を使っているが、正直言えばそれなりどころじゃない。シリカにとってはアルミナもそうだが、抱きしめたいぐらい愛着ありまくり。
「あんまり、無茶するなよ。万全の体で、毎日を大切にして臨んでくれ。そしたら何でも上手くやれるお前だって、私は確信してるから」
「わ、わかりました……肝に銘じておきます……」
夜更かしもほどほどに、と深い釘を刺され、ユースも、自分は間違ってないでしょ一点張りだった思考にストップをかける。よかれと思ってやってることでも、周りに心配をかけるんだったらあんまりやらない方がいいのかな、って思ってしまうのが彼の性格である。
それも、今より無鉄砲だった昔よりは、成長した思考回路を持っている証拠。股の間で椅子に両手をついて考え込む、そんなユースの姿勢には、彼の成長を見守るシリカも微笑ましい。
「私もそろそろ寝るよ。早く寝ろとは強く言わないけど、夜更かしし過ぎ、早起きし過ぎは控えめにな」
「……はいっ」
話の合間合間にユースが飲み干した、コーンスープの入っていたカップを受け取ったシリカが部屋を去る。
はあ、とユースが溜め息を漏らしたのは、シリカに言われたことが効いたからだろう。彼女に育てられたユースであり、それに強い恩義も感じているせいもあって、少々シリカの言うことを重く受け止めすぎるきらいはあるけれど。
連日夜更かししていたユースが、この日ばかりは報告書作成もここから手短に切り上げ、早めに寝るんだから、その影響力の大きさは見て取れよう。
隊長職を預かって、立派にやっていきたいと望むユースだけど、やっぱりまだ親離れはしきれない。
自信があるタイプでもなし、自分だけで前に進んでいくのはちょっと怖いし、まだちょっとシリカさんにリードされていたい弱音があるのも本当である。
誰しも、独り立ちし始めた頃なんてのはそんなものだ。謙虚であれば、あるほどに。
それはユースの弱さでもあり、それでも何とか自分で歩いていこうと努める気概があることが、見方によっては強さである。
なお、ああ言ってユースの前を立ち去ったシリカだが、自室に戻ってすぐに寝たわけではない。
彼女は彼女で、ユースがどのような活動ぶりを見せているかを報告書に書き、騎士団に報告する役目を預かっている。
形式上は、ユースが指揮する分隊の一員として活動するシリカであり、言わばユースの部下みたいな立ち位置になっているシリカだが、騎士としての階級はユースよりずっと上、そもそも先輩。
ユースに何かしら頼まれたら(ユースがシリカに"命令"するのは彼の性格上無理)それに従うシリカだが、その本質はユースの隊に所属しつつ、彼のことを騎士団に報告するお目付け役という立場である。
ゆえにこの後、シリカは、夜更かししてでも報告書を頑張って書こうとするユースの姿勢などを、今日も相変わらず頑張ってますよと自分が書く報告書に記す作業に移っていた。
ついでに、頑張ってたアルミナのことも、ユースと被る形になろうとも、余談気味に書き添えておく。
この先輩あってあのユースあり。シリカもシリカで身内の美点は見逃したがらないし、それを細かに報告したがる傾向にある。
結局この日は、シリカの言いつけを守って早く寝たユースよりも、シリカの方が夜更かししているのである。
人のこと言えた立場ではないですよシリカさん、という話。
「はいナナリー様、次はこちら。その次はあの書類ですよ」
「ね~む~い~……」
「あなたが仕事サボって剣術指南を見に行きたいとか言うからでしょ。自業自得ですよ」
同時刻、夜更かししているお方が王室にもいらっしゃった。
この日、目を通すべき書類の数々の処理が追いつききっていないナナリー女王は、寝ることを許されず、ニトロに手伝われながら、無数の書類に目を通して判を押していく。
しんどそうな目をこすりながらの女王様であり、こんな体調でちゃんと書類の内容まで目を通せているのかと、第三者視点では心配されそうな仕事ぶりだが、案外その辺りはしっかりやれる女王様なので問題なし。
「あの書類らで最後ですから。後はご自分でやって下さいね」
「待ってぇ~……一人にされたら寝てしまうではないかぁ~……」
「俺も明日、朝早いんですよっ。……ああもう、いてあげますから頑張って下さい」
「たすかる~……」
「はい、よだれ拭いて。書類が汚れますから」
ほっといたらそのまま突っ伏して寝そうな女王様に呆れ顔ながら、ニトロもナプキンでナナリーの口元を拭いてあげたり。
出来の悪い妹に付き合う兄のよう、というのは見た目の例え話だが、彼も彼でハルマをああ睨んでいた割には、ナナリー女王に対して甘い。
うつらうつらと体を揺らすナナリーを揺さぶったり、書類を一枚一枚わざわざ彼女の前に持っていってあげたりと、尽くすニトロの甲斐あって、程なくして仕事は完遂された。そろそろ日付が変わりそうなこの時間帯になって、やっと片付いたっていうのも遅すぎだが。
「はぁ……すまんのうニトロ、助かったわ……」
「はいはい、そこで寝ない! ちゃんとご自室へ!」
そのまま机にぐにゃりと溶け伏せそうなナナリーを、後ろからニトロがぐいっと持ち上げるように立たせ、寝室へと導いていく。幼女のような小さな体のナナリーは抱えるのも簡単だが、そこまでやるのは流石に甘やかしすぎ。自分で歩いて貰う。
それにしても立たせる時といい、見た目は幼くとも一国の女王ナナリーに、衛兵とはいえここまで気安く御体に触れに行けるのはニトロぐらいだろう。
衛兵という立場で、大臣などでもない彼が、マンツーマンで女王の国務の手伝いをしている点といい、ちょっと特別な関係の二人でもあるという話である。
「……ニトロぉ」
「なんですか」
「何をそんなに、かりかりしておるのじゃ……」
「よく言いますね。こんな遅くまで手伝わせておいて」
「それは謝るけど……何か他にも原因があるじゃろ……」
くぁ、と今日数十度目のあくびをしながら言いのけるナナリーが、厚かましく見えて的を射たことを言うので、ニトロも次の言葉に詰まった。
確かにニトロがナナリーに対して、もっとしっかりして下さいよと気が立っている部分もあろう。それに紛れて普通は見逃しかねないところだが、そもそも彼が今日はずっと不機嫌であったことをナナリーは指摘している。
ユース達に妙に冷たい当たりであったこともそうだが、他にもある。
「ユーステットどのらの剣術指南を見てから、どうにもぬし落ち着かんもの……何か思うところでもあったのかと思うてな……」
眠い顔、声、それでもきっちり的確なところを突いた問いを発するナナリーだ。だらしなく見えたって王政を立派に果たす女王様、その眼力は眠気に負けないほど鋭い。
ニトロもがりがり頭をかいて、不機嫌の最大の原因を脳裏に浮かべた仕草を見せる。
「……明日、騎士ユーステットに一騎打ちを申し込もうと思っています」
「んあ? よい話じゃないか、やればよい。んで、ぬしが不機嫌な理由と関係があるのか?」
「…………」
露骨に沈黙を作るニトロは、言いたくないことを胸に秘めている表れとも取れる。
問うてから、ニトロからの返答があるまで、ナナリーも次の言葉を紡がない。
「あいつ、本当に強いんですかね」
「そりゃ強いじゃろ。エレム王国の騎士様じゃからな」
「それにしたって頼りなさ過ぎです。以前この国に来てくれた騎士様とは見劣りし過ぎますよ」
「人を見た目で判断するものではないと思うがのう」
「わかってますよ。それを踏まえても、です」
肩書きを妄信してユースを高く評価するのと、見た目には強そうに見えないユースをたいしたことなさそうと評価するのでは、どちらが正しいのかも計りかねるところ。どちらも本質を見るには情報不足である。
それをはっきりさせるために、ニトロはユースとの一騎打ちに臨みたいと言っている。ある意味、現状では計りきれないユースでもあるため、それはナナリーにとっても望ましいことだが。
「俺が負けるようなら、今後あいつにもそれなりの態度を取るようにしますよ。俺が間違ってたってことですからね」
「……ははぁ、なるほどな」
ナナリーが、ちょっと笑った。
こちらもユースとシリカと同じ、付き合いの長い間柄。ある程度の会話を介して、だいたい相手の胸の内が読めることも多い。
「ぬし、負けたりせんかと不安になっておるな」
「……ご冗談を」
はい、図星。セプトリア王国随一の剣士として、女王の前で弱気を見せまいとごまかすニトロだが、彼とてユースが兵に剣術を指南する姿を目にしている。
兵の多くはシリカに目がいきがちで、ユースの強さをあまり重く読み取れていなかったようだが、ナナリーとニトロは違う。ハルマと同じで、武人の強さの本質をしっかり見抜ける目を持っている。
「侮っておったユースどのの訓練場の姿を見て、流石に見方を変えたというところじゃろ。しかし、今朝あんな態度を取ってしまった手前、それをすんなり受け入れるのもやりづらい、と」
「……だから、確かめるために一騎打ちするって言ってるんですよ」
「ぬしは不器用じゃなあ、相変わらず。そんなことせんでも、素直に自分の目が曇っておったと認めて謝った方が絶対いいのに」
「一つはっきり言っておきますけどね」
「うん?」
「俺は訓練場の奴らみたいに、負けて元々なんて態度で臨みませんよ」
あ、不機嫌なのはこのせいでもあったか、とナナリーも気付いた。
エレム王国の騎士様、確かに名高い肩書きではあるが、だからってそれに挑む立場として、負けても仕方ないやで手合いに臨んでいた同僚の心持ちが、ニトロは随分気に入らなかったと見える。
ニトロもエレム王国騎士団の強さは重々承知だが、それでもはなから自分達が劣っていると決め付けて臨むのは、謙虚ではなくただの卑屈だと考える。
正しい意地だ。自国を守るために力を養い、日々を歩んできた自分達に胸を張り、相手が誰であろうとも負けないぞと挑む姿勢の方が、誇りに満ちたものだと言える。
突き詰めて言えば、国力で勝る相手にもしも国を侵攻されたら、勝てませんで諦めから入るのが、果たして兵としての正しい心構えなのかという話。
「だから、負けられないんです。勝って、俺達だってエレム王国の騎士様にも、そう気安くは優位を認めさせない力があるんだって、証明しなきゃいけないんですよ」
「……そうか」
ニトロはナナリー女王の衛兵だ。この国で最も、絶対に危害を加えられてはならない人物を守るという、極めて重要な役職に就いている。
それは、セプトリア王国を代表するレベルの実力者が担うべき役目であり、それに相応しい人物だと認められて衛兵たるニトロには、相応の実力も備わっている。
そんなニトロが、もしも他国の騎士に敗れたとなれば、国を代表する者が負けたという重大な失態と言われても、決して過言とは言いきれない。
決して軽率な気持ちで、単なる自分の意地だけで、ユースに一騎打ちを臨もうというニトロではないのだ。
祖国の威信を懸け、同僚に自信を持たせることを目指し、それに挑まんとする責任感が彼にはある。
ちょっと、難しく考え過ぎなところでもあるが。ナナリーも、そんな思い詰めるようなことをしなくてもいいのにとは、ニトロに対して思わなくもない。
「わかった、期待する。妾は、ぬしの勝利に張ろう。ぬしが敗れることあらば、仕事も真面目にやることを約束する」
「普通は逆でしょ、それ」
「そうか? 賭けた方がはずれたら、いやなことも受け入れねばならんのが賭け事じゃろ」
ナナリーはニトロの勝利に賭ける。なので、その賭けがはずれてニトロが負けたら、ナナリーはいやなこと、つまり仕事もサボらず居眠りもせずに仕事をすることを誓うと。
なるほど、ギャンブルの理念には沿ってますね。詭弁が上手な女王様で何より。こういう時は普通、ぬしが勝ってくれるなら妾も頑張るぞ、と応援すべきところではないんでしょうか。
「じゃろ」
「もういいです」
呆れて不機嫌になってしまったニトロは、寝室に辿り着いたらナナリーへの挨拶も手短に、さっさと自分の寝室に帰ってしまった。冗談も通じないほど明日に懸けているニトロの姿には、ナナリーもやれやれと思わされるばかりである。
ああいう奴だから、誰よりも信頼してそばに置いている。だけど、気負い過ぎていつも張り詰めている彼のことが、心配になることもある。
ナナリーとニトロの関係も、シリカとユースの関係にちょっと似ているかもしれない。