第42話 ~セプトリア王国のトージュの村~
「じゃあ、行ってきます。後の事は、すみませんがよろしくお願いしますね」
「ああ、頑張って来いよ」
カナリアを連れ添って迎えに来てくれたハルマと共に、ユースとアルミナがセプトリアの我が家を出発する。
シリカは見送り、ルザニアも同様。わざわざ見送りの列に並ぶことなんて少ない性分のチータも、珍しくユースとアルミナを見送る三人組に加わっている。
「さて、ルザニア。私達も私達でやるぞ。支度しておいで」
「はいっ!」
ユース達が去った後、さっそくシリカもルザニアを促し、出かける流れへと移っていく。
ユースとアルミナが明日と明後日、トージュの村という場所に宿泊するため留守になる。その二日間、シリカはマンツーマンでじっくりと、剣の修行に付き合う算段だ。
ついさっき決まったことなので、ルザニアも出かける身支度が出来ておらず、家の中に一度帰っていく。
すぐに出てくるだろうし、後は二人で訓練場にでも行って、がっつり木剣を打ち鳴らし合う予定である。
「知りませんよ、後悔しても」
「ん、何がだ」
「ユースとアルミナを、二人だけにしてよそに行かせるなんて」
「二人だけって、ハルマどのやカナリアっていう子も……」
「違いますよ、随分と余裕ですねぇって意味ですよ」
「……ま~た下世話なことばかり考えて」
短時間の二人きりになった途端、チータがいきなり切り込んできた。
チータはシリカの、ユースに対する感情がどういうものなのかを知っている。
その感情世界においては、シリカにとってアルミナは、かなり強力なライバルであることも。
自分の関与できない場所に、二日間もライバルをユースと寝食を共にする場所へと送り出したシリカに対して、余裕ですねぇというのはそういう意味である。
この二日間で差をつけられても知りませんよ、と。積極的なアルミナが強敵なのは知ってるでしょ、と。
「そりゃまあ僕も、下世話な性格は自覚してますよ。
ただ、これでも貴女は非常にお世話になった先輩であると認識していますし、そういう人の心配をする気持ちは普通にあるんですけど」
「……そんなに心配か?」
「心配ですね。
シリカさんはけっこう、良かれと思って見切り発車して、後から後悔するタイプですから」
大人になって落ち着きが出てきたから、最近はあまりそういう面を見せないが、シリカは本来かなりの直情型。
想いあまって勢い任せの行動に出て、後から頭を抱えるようなことを案外やってきている。
自覚があるからシリカもちょっと、痛い所を突かれた顔をして、次の言葉を詰まらせかける。
「……そうは言っても、これがベストな人選だろう。
ユースはトージュの村へ行く、だがナナリー女王様のお膝元から全員が離れるわけにもいかない、年長者の私が残るべき、って普通の判断じゃないか」
「アルミナを同行させる必要性は?
連れもなく行かせるのは不格好ですが、ルザニアでもよかったですよね」
「それはほら、あのカナリアっていう子が行くんだったら自分も行きたいって顔、アルミナもしてただろ。
だからユースも、一緒に行く連れにアルミナを選んだんじゃないか? 何もおかしくないだろ」
「要するにこれしか人選は無かったと。まあ間違ってはいませんね。
シリカさんは詰んでたと形容するしかないですかねぇ」
「むぅ……なんだよ、わがまま言えばよかったのか?
私情で仕事の人選に干渉するなんて、一番やっちゃいけないことだろう。
まして今は私が隊長でもないのに」
大丈夫、シリカが正しい。
ユースとアルミナでトージュの村へ行き、シリカとルザニアとチータでお留守番。
問題ない。私情ゼロで適切に定めた人選である。
「正しいことをやったと自信を持てるなら、待ってる間に不安になって、腑抜けた姿は見せないで下さいね」
「こら、馬鹿にしてるのか。私はそこまで……」
「昔ユースを別の部隊に短期移籍させた時のこと忘れたんですか?
あの時のことがある以上、貴女がいくら強がっても説得力ありませんよ」
シリカが完全に言葉に詰まった。めちゃくちゃ痛いところを突かれた顔になる。
昔々、シリカはユースを自分の指揮する部隊から一度離れさせ、別の隊長騎士様が指揮する部隊に預けたことがある。
自分の指揮する小さな小隊内だけでは経験できないことも、他の部隊でなら得られるだろうと思ってだ。
ユースの成長を望んでの、良かれと思っての短期放流というやつである。
ところが日が経つにつれて、よその部隊では上手くやっているユースの話を聞くやら、普段自分が相当厳しくユースをしごいていることを気にしだすやら、色々な要素が絡み合った結果、シリカは徐々に不安に陥った。
もしかしたら、よその部隊の居心地が良くなって、もう自分の部隊には帰ってこなくなるんじゃないかって。
あの時はユースに選択権があったので、ユースの性格次第ではそういう結末もあったのだ。
結論から言えば、結局ユースはシリカさんの下が一番いいと決めて帰ってきたのだが。
ユースが自分の隊に帰ってきた時の、シリカの安堵っぷりったらなかったものである。嬉しすぎて、ユースを抱きしめる寸前までいっていたほど。
ユースに対する恋心が芽生えていない、その頃ですらそうだったのだ。
単なる師弟愛だけで言っても、シリカはユースと離れ離れになるのがちょっと、いや、かなり嫌。弟子離れ出来ていない自覚はあり。
今回はどうだろう。ユースはたった三日後に帰ってくる。
ただし、出発前と同じユースで帰ってくるか否か。
シリカの強力なライバルさんが、シリカのいない所でユースに、あの積極的な性格をまんべんなく発揮してアプローチをかければ、果たしてユースはどうなるだろう。
気持ちがシリカじゃない方向に傾いたユースが帰ってくる可能性というのは、あのアルミナが関わっている以上、充分に想定できることである。
「ルザニアと鍛錬をしている間だけは忘れられて、でも夕食時の食卓にユースとアルミナだけがいないことで現実を思い返して、急に不安になってくる貴女が想像できてできて。いやぁ、心配ですよ」
「……………………ば、馬鹿にするなっ。私がそんな、浮ついた気持ちでそう揺らぐものかっ」
返事にかなりの間を空けて強がるシリカの横で、顔も見ずにチータは溜め息をついてみせた。これ見よがしにである。
ああ駄目だ、僕の予言を絶対に当たるだろうなぁ、と。チータの確信は早い。
「じゃ、まあせいぜい頑張って下さい。あんまり後輩に格好悪い姿見せないで下さいね」
「……ふんっ。お前の言うようなことになんかなるかっ」
あらかじめここまで釘を刺されて、情けない顔なんか見せるものかとシリカは固く決意する。
さて、ユースとアルミナがそばにいない明日、そして明後日の朝、彼女がどんな顔をして日々を過ごすのか。
チータはそれを、内心楽しみにしているのであった。予言者ごっこはけっこう楽しいものである。
「おー」
「おー」
「凄いでしょう」
時は夕過ぎ、西の果てにお日様が触れかけるような春先の時間帯、ユース達はハルマと共に、トージュの村に到着だ。
赤々とした夕陽がまだ光源として生きている時間帯だから、村の風景がよくわかる。
わかってしまうと、ユースとアルミナのリアクションは当然、かつこれでも控えめな方。
「豊かなセプトリア王国だと思ってたけど、こういうぼろっちい村もあるんすねぇ」
「忌憚なきご意見をどうも。あまり大きな声では言わんようにな」
早馬を下りて関所を越え、人通りも皆無な夕方のトージュの村を歩く中で、カナリアがぽろっと口にしたコメントが実に的確だ。
ひたすらに、村全体がぼろっちい。
腕のいい大工が作ったとは思えない、素人の手作り感すら漂う木造の家々が、並びすらいびつで乱立している。それを構成する材木も見るからに黒ずんでいて、築数十年を思わせる古臭さ。
少数の、石造りあるいはレンガ造りの家も、雨にやられてか外面が汚らしく、外観からは清潔感を漂わせない。
枠の砕けた窓も散見する。腐りかけの板でバッテンだけして、外から中が見えないようにしてあるが、なんとも風通しのよさそうな窓もどきである。
正直どの家屋や建物を見ても、雨漏りないしすきま風、床下からのネズミや虫の侵入を防げそうな建造物は一つもない。
今は春だが、これが夏場になると村人全員、就寝中に家屋に侵入し放題の蚊と激戦を繰り広げていそう。
スラムに耐性があるかと事前に尋ねてきたハルマだが、まさしく村全体がスラムと形容しても遜色ない、そんなトージュの村である。
「お二人、あまり嫌な顔をされませんね。多少は顔に出されると思っていたのですが」
「私達の故郷の村でも、これぐらいのアレコレはありますよー」
「騎士団入りしてからは王都に住むようになりましたけど、俺もアルミナも田舎育ちですからね」
匂いもちょっときつい。立ち小便するおっさんも数多くお住まいなのか、腐ったような色の草が生えた場所のそばを通った瞬間に、鼻を刺すような刺激臭も感じた。
一部の人はもうこの時点で、顔に出るどころか回れ右して、村から脱出するために走り出すだろう。
ユースとアルミナは、王都の繁華街裏を巡回することも多かったので、本人らも別に慣れたくて慣れたわけじゃないが、わざわざ顔をしかめたりしなくなってしまっている。
ユース達の故郷、エレム王国の王都は一般には清純なる都だが、繁華街裏の居酒屋が並び立つ区画などは、立ち小便する酔っ払いが多いので清潔感には欠けている。
裕福な国家の都とて、必ず一部にそういう斑はあるものだ。
騎士団本部のあるエレムの王都を例に取れば、育ちの良くない傭兵の皆様もお住まいの都なので、かえって小奇麗一色では成りえないのが当然の話である。
「前方右手のあれとかは? ああ、あんまりジロジロ見るものではありませんが」
「ん……ああ、でも戦災に見舞われた村ではよくあることですし」
ハルマがユースらの視線を促す先方には、橋の下に木材を固めて、木組みと呼ぶにもおこがましい作りものがある。よく見ればそのそばには、新聞やら煙草の吸殻やらも落ちている。
要するに生活感だけは感じる、粗雑すぎる建築代ゼロの家、らしきもの。今は出払っているホームレスさんの住居である。
「私も昔、故郷を魔物に滅ぼされましたからね。
運よく孤児院に拾って貰えたからよかったけど、そうじゃなかったら私もああした生活でしたもの。
別になんとも思いませんよ、何か事情があるんだなあとしか」
「ユースさんもアルミナさんも、王都育ちの都会派だと思ってたらそうでもないんすね……」
エレム王国から来られた騎士様と、それに仕える傭兵というユースとアルミナは、清純なる都で生まれ育った二人を肩書きからカナリアに連想させていたようだ。
当人らの言うとおり、生まれも育ちも片田舎、王都入りしてからも荒っぽい傭兵連中らとの付き合いも多いユースとアルミナなので、存外そのイメージとは真逆の方にある。
むしろ二人とも、今でもお城やら荘厳な建物を前にすると、それだけで内心ちょっと緊張してしまうぐらいには、田舎者根性が抜けきっていないぐらいだ。
臭い、汚い、ぼろっちい、まるで山賊の集落とでも呼べそうなスラム色の村。
そんなトージュの村を訪れても顔色ひとつ変えないユースとアルミナの姿には、二人をここへ導いたハルマもどこか安心した顔色だ。
事情があってこんな有り様である、セプトリア王国の一部を目の当たりにしても、引かず、蔑まず、普通に受け入れてくれる異国の方との巡り会いは、ハルマも嬉しいと感じるばかりであろう。
「では、さっそくですがまずは村長の家に行ってもいいですかな?
ひとまず、第一目的だけは済ませておきたいですので」
「わかりました。アルミナに、宿の予約でも取ってきて貰った方がいいですか?」
「それはご心配なく、特に必要ありません」
「さすがハルマ様、先に確保してあるんですねっ」
「いや、この村の宿なんていつもガラガラですよ。予約なんかいりません」
ちょっとはハルマをよいしょしておこうとしたアルミナに対する、ハルマの返答はまあ肩透かし。
訪問者もそう多くない村であることがよくわかるお返事だ。
馬鹿にするようなイントネーションを一切含まない、そんな言葉とともに目的地に向かって歩いていくハルマに続き、ユースとアルミナ、カナリアの三人も、トージュの村を縦断する。
時々視界の端々に入る村人の服も、容赦なく言えば小汚いものばかりだ。
布をありあわせ、縫い合わせただけの服がなんと多いことか。大人も子供も、女性すらも。
そんな村の中にあって、きちんとした身なりのユース達はむしろ浮いているぐらいで、時たま見かける村人の方がこちらを二度見しているほど。
逆にユース達の方が、じろじろ周りを見渡しちゃ駄目かなと、目線をハルマの背中に集めているぐらいである。
不快感は感じぬのだが、ユースやアルミナにとってはそう経験の多くない村への訪問となった形だ。
世の中には、こんな村もある。
「失礼なかったでしょうか……?」
「なんのなんの、何も心配されることはありませんよ。毅然とした態度であられましたしね」
「ユースそういうのすぐ不安がるよねぇ」
村長宅を訪れたハルマの用事なるものはすぐに終わった。
やったことと言えば、挨拶して、ハルマがユースとアルミナをエレム王国の騎士様一行だと紹介し、向こうがちょっと恐縮したことでまず一つ。
ハルマと村長の間で、今月の租税がどれほどかを確認したことで一つ。
今日と明日はこの村で泊まっていきますから、何かお手伝いできることがあればという旨を伝えたことで一つ。カナリアはそのために連れてきたという旨もここで説明。
以上、他にたいしたことは特に何も。
村長さんも、決して身なりの良くはないお爺さんだったが、身なりなど関係なく向こうのお偉い様、年長者に、失敬などはなかったかとユースは心配していたようだ。
問題はなかったようで。目上の人への対応は全面的に大丈夫だよ、とシリカにも太鼓判を押してもらっているユースなのだが、自信が伴わないうちはやはり不安にもなるようだ。
「それにしても、あの家からあんなに税が取れるんですか?
僭越なことを言っちゃいけないんでしょうけど、この村ってそんなに儲かってるんです?」
「はい?」
「あ、でもそれは俺も思いましたよ。けっこうな税額だなあって」
「あたしもっす。国を支えるには、税金ってけっこう必要なんだなあって現実知った気分っす」
「…………?」
アルミナ、ユース、カナリアの言っていることに、ハルマはきょとん顔である。
ハルマと村長さんとお話していた内容は、三人とも聞いていた。租税の額もだ。
三人は、いかにも貧しそうなこの村の村長から、あんな大額の租税を取るのはけっこう搾ってますねと遠回しに言っている。
「あれ、もしかして勘違いされてます?
あれは村長から頂く税ではなく、この村全体から頂く税の額ですよ」
「……へっ?」
「はいっ?」
「えっ」
今度は三人の方がきょとんとして首をかしげた。仲良く三人、右側に。
"一家から頂く税"にしては高すぎると思ったのであって、それはつまり、高いという範疇でなら一家からの税としても納得できる額である。
それが村全体から頂く租税額という話になると、分母が激増して分子は不変、実数は極小まで落ち込む。
「どおりで皆様、リアクションが薄いなぁと思ったんですよ。
お呼びしてのサプライズの一貫に、すごく安い村税の数字をお見せするというのも含んでいたんですけどね」
「えっ、あの……あれ、マジなんですか? めちゃくちゃ安くないですか?」
「マジですよ。ここはそういう村なんです」
恐らくユースとアルミナの貯金を足せば、その程度のお金ででも、この村全体の租税相当額が払えるのだ。ユースとアルミナは節制家だから、年不相応なぐらい貯蓄が多いというのもあるが。
言うまでもなく、村単位の租税としては格別に安い。はっきり言って、取っていないも同然である。
的を射る極論だが、この村は、申し訳程度に税を王都に納めているという認識でも、恐らく何ら差し支えない。
「そもそも、こんな有り様で村が放置されているのは何故だと思います?
セプトリア王国は福祉こそを最優先とする国ですが、その国の小さな領地内にあるこの村が、このような状態のまま手付かずであるのは、不可解に思われてもおかしくないのですが」
「いや、まあ……ちょっと思いはしましたけど、財政にも色々事情があるのかなとしか……」
「この村は、これでいいんですよ。国は殆どこの村の補助に携わっておりません。
そういう決まりなんです」
宿への道を歩く中、ハルマがここ、トージュの村の事情を説明してくれる。
充実した福祉を謳うセプトリア王国にして、補助を添えないという明言は確かにらしくないところだが、これははっきりと折り合いのついた決まり事なのだ。
「時に皆様。
破産して商人を営めなくなった元商人は、その後どうなると思います? はいアルミナどの」
「えーと……不衛生な鉱山で短い余生を過ごすか、船漕ぎとして体が駄目になるまで働くのが通説、でしたっけ……」
「若い頃に色香を売りにし、それに甘んじて他の道を踏まず、年を迎えて女としての武器を失った娼婦の行く末は? はいカナリア」
「頭を下げて二束三文で体を買って貰う、惨めな生活をすることが多いって先輩に聞かされてきたっすね……」
「一生懸命何十年も商会勤めを貫いてきながらも、その商業団体の破産により働き口を失い、年老いて雇われ先も見つけられなくなった老人は? はいユースどの」
「……財産が残っていなければ、施設を借りることも出来ず、道端に倒れることになりますね」
ハルマの問いに答えさせられる三人は、嫌なことを口にする中で表情も暗くなる。
自分がそうなるのも嫌だし、そうなった人を目にする、耳にするのもあまり面白い話ではない。
「ユースどのやアルミナどの、カナリアもそうかな。
若いうちからしっかり働き口を見つけ、今を充実して生きている。特にユースどのの所属する騎士団なんかは、長い間そこで務め上げれば、老後の保障もしてくれる組織でしょう?
私も幸いにも宮仕え、この仕事を続ける限りは老後も明るく、人生を保障されたキャリアを築き上げてこられました。
ですが世の中の働き手、社会人は誰もが誰も、そうした職に就いているわけではありません。わかりますね?」
「はい……特に商人の皆様は、明日の暮らしもわからない道だとよく聞きます」
「この村は、非常に言葉は悪いですが、成功された人生から脱落した人々が集っているのです。
かつて一度、魔物の襲撃に遭って滅びた村を再興させた末、この村にはそうした役割が与えられました」
この村が一度村に滅ぼされたというのは、もはや百年以上前まで遡る。
そこから数年かけて再興に至り、それ以来この村は、そうした役目を背負っているのだ。
「成功した人生からの脱落者、という言葉には、情けないイメージが付き纏うかもしれません。
実際そういう者もこの村にはいますよ。二十歳を超えても仕事に就かず、親のすねをかじり続け、その親が世を去って働かねばならなくなっても、四十路近く人生経験不足では何も出来ない、社会に馴染めない、そういう者もこの村には流れてきております」
いつの時代でも、そういう人はいる。何も珍しいことじゃない。
ユース達も顔色一つ変えずに聞いている。驚くような話じゃないからだ。
「ですが一方で、懸命に、夢に向かって努力してきても、成功を掴めなかった者もいます。
商人世界のありふれた逸話は聞いたことがあるでしょう? 大いなる夢を見て師匠の元から独り立ちした商人の大半は、弟子を取るほどまで大きくなることが出来ず、どうしようもなくなった借金だけを土産にその道から退かざるを得なくなるという話」
「……よく聞きますよ。成功する人なんてごく一部ですもんね」
どこの町にも村にも、店はあるし行商人だっている。
果たしてそのうち何人が、若き頃に自分が夢見た成功を手にしているのか。
構えられた店のうち、行商人から上り詰めて自分の店を持った者なんか想像以上に少ない。
親の店を継いだ者だっていよう。それだって、経営が続かなければ畳むことはある。
開いたはいいが、存在しているだけで客が入らず、傍目にはわからぬ内側で、店主が涙ながらに月末の支払いを計算している店も珍しくはない。
「先程皆様が見た、橋の下の組み家を見たでしょう?
あの家にお住まいなのは、五十歳までとある商会に務めていらっしゃった方なのですが、経営難を理由に解雇となり、老いた体では新しい職にも就けず、社会人として生きていくすべを失ったご老人なのです。
当時の妻と娘からも逃げられ、一人孤独に生きていく寂しさが、あの家には詰まっているのです」
「…………」
笑えない。誰だって、明日は我が身だ。
ユースやアルミナの働く場所は、運営に困窮して仕える者を切るような組織ではないが、社会的には誰にでもいつ訪れるかわからない話である。
二人よりも不安定な仕事で日々稼いでいるカナリアなんてもっとだろう。
「輝かしい人生の道のりからはずれるまでの過程は、人それぞれです。
若い頃からの勤勉を怠り、年を迎えてから相応の報いを受けて、どん底まで叩き落とされた者もいましょう。
一方で、決して怠惰とは言えぬ人生を歩みながらも、ただただ運に恵まれなかった者もいるのです。
ここ、トージュの村は、セプトリア王国のそうした人々を分け隔てなく受け入れ、ほぼ免税された土地をもたらす村として長く続いています」
お金を稼ぐ手段を失った人々は、税を納めることが出来なくなる。
税を納めなければ、その国に住まう権利を認めてもらえなくなる。
免税されて居住権を得られるというのは、決して当然のことではなく、それなりに特別なことに違いないのだ。
「私達はこの村に、農作物を多少納めてくれることしか望んでおりません。
こちらからすることと言えば、兵を派遣し魔物や賊からの襲撃より村を守ること、腕のいい医者を遣わすこと。
他にもまあありますが、ちょっとすぐには思いつかないぐらい些細なことばかりですよ。
建造物の舗装や立て直しをこちらからすることや、資源や食物の補給をすることはまずありません。あって天災に見舞われた時ぐらいですね。
それと引き換えに、税金などの本来あるべき義務はかなり控えめに設定させて貰っています」
「……天災っていうのは、もしかして飢饉も含めてですか?」
「勿論。自給自足をこの村に求めておきながら、採れねば滅びよと放任するのではセプトリアの名が泣きます。
基本的に国側も、積極的にこの村を助けることはあまり致しませんが、どうにもならぬ時にこの村に過ごす皆様の生存に向けて努力することは当然のことです」
「太っ腹っすね……帝国時代のアルバーには考えられなかったことっすよ……」
「国民だぞ。それを守るのが国の勤めだ」
援助に乏しく、しかしそこに住まう権利を容易に認める、小さな小さな農村。
これを良き里と捉えるか、貧しいスラムと捉えるかは人次第。
セプトリアのこうした政策スタンスに対する、異国からの意見も様々に分かれる。
「ハルマ様」
「はい?」
「……私達の国では、そうした政策は見られないんです。
何もかもが新鮮すぎて、驚きの方が勝っちゃうんですけど……」
けど、なんだろう。
アルミナは次の言葉を躊躇いがちに一度切ったが、その次を思い切って口にする。
「これで、上手くいくものなんですか? いえ、あの、僭越でしたらごめんなさ……」
「ふふ」
わかるよ、という大人の笑みだ。
確かにこんなやり方、上手くいくと限ったものではない。よその国でやっても、失敗例は山積みになろう。
それでもハルマが笑うのは。
「それを成功させているのが、セプトリア王国なんですよ」
ユースとアルミナは、ふとしたきっかけで異国を訪れる機会を得て、ここにいる。
アルバー帝都生まれ、今は名を変えてアルバーシティ育ち、すなわちアルバーという国の生まれと育ちであるカナリアも、元アルバー帝国の隣国にあたったここセプトリアへの旅は、異国への旅と言ってもほぼ相違ない。
年若い三人がそれによって得た刺激、祖国にいるだけでは決して見られなかった世界との出会いは、単なる好奇心を満たす意義に留まらず、この先の生涯の中で、何か大きな意味を持ち得る可能性もある。
それほどまでに、今までに知らなかった世界との触れ合いは、人の人生を一変させかねないほど大きいのだ。
自信に満ちた表情で、現在身を置くセプトリア王国の誇り高さを口にするハルマの姿には、それに説得力を持たせるほどの魔力がある。
彼がセプトリアの生まれではなく、アルバーの生まれであることを思えば尚更にだ。




