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第40話  ~ユースいきなり大ピンチ~



 季節は春を迎え、すっかりいい季節になってきた。

 桜が咲くころには温かい昼の風が王都を吹き抜け、心地よい気温は市中の空気を活性化させる。

 暑さに嘆く者も現れよう夏までの、最も過ごしやすい適温で毎日を送れるこの季節は、多くの人に幸せな心地で町を歩かせてくれる、年間を通して最も素敵な時期の一つだろう。


「ユース、ナナリー様からお手紙来てるよ。お仕事かな?」

「ん、なんだろ」


 三週間ほど前、ハフトの都で大立ち回りして怪我を負ったユースとアルミナだが、しばらく医療所のお世話になった末、今はもう退院済みで自宅でゆるゆる過ごしていた。

 擦り傷の多かったアルミナも、今や傷跡ひとつない綺麗な肌で日々を過ごしており、のどかな安息日の朝を迎えていた頃である。


 朝刊に混ざって郵便受けに入っていた封筒を持ってきてくれたアルミナが、差出人の名前を見て封を切らず、それをユースのところへ持ってきてくれた。

 形式上は隊長のユースに、部下にあたる傭兵のアルミナが、女王様からのお手紙ですよと渡すような場面であるはずなのだが、普通に友達なので話し言葉は普段どおり。別におかしなことではないが。

 よくよく考えてみれば社会的に見ると、過剰なほどアットホームな職場である。


「あー、なんかお呼ばれしてる。俺一人で来て欲しいってさ」

「お仕事の依頼ないし指令だったら内容書いてるよね? 書いてない?」

「書いてないな。とりあえず、来てくれってだけの内容」


 ナナリーは、ユース達に何か頼みたいお仕事があれば、ひとまず手紙にその内容を書いて寄越してくれる。

 この国に渡ってきて以来、雪山や魔法都市への道で女王護衛をするだとか、アルバーシティの極道組織の制圧などの大仕事をやってきたユース達だが、合間に小仕事をすることも多かった。

 兵に剣術指南をして欲しいだとか、国仕えの商人の護送だとか、一日か二日で終わるような仕事をだ。

 そういう場合は、その内容が手紙に書かれて届けられるのである。


 今日届いた手紙には、仕事の内容などは書いておらず、城に来て欲しいとだけ書いてある。

 これは、来てから詳しいことを話す、というケースでもない限り、単に遊びに来て欲しいとの手紙と解釈していい。


「最近ナナリー様、お仕事くれないよね。なんでかな?」

「そうだなぁ。怪我も治ってるのに、こんな長いことお休み貰ってるような形でいいのかな」


 医療所から退院して以降、さあ元気になったし仕事も頑張るかと張り切っていたユースだが、意気に反してナナリーからの仕事の依頼はあまり来なくなっていた。

 どうしたんだろうと疑問視していたユースとアルミナだが、朝刊をアルミナから受け取ったシリカは、二人と違ってその理由にも想像が至っている。


「色々気遣ってくれているんだろう。私がナナリー様の立場だったら、きっとそうする」

「そういうものですか?」

「ちょっと大仕事が続いていたから、休暇をくれてるんだと思う。

 心配しなくても、もう少ししたら仕事も増えるよ」


 シリカの言うとおり、少なからず最近のナナリーは、ユース達に気を遣っている。

 数日跨ぎのアルバーシティの対フラックオース組の任務や、イレギュラー気味に発生したハフトの都の乱戦と、短い期間でユース達に、怪我をも伴う大きな仕事を任せ過ぎたと思ってくれているのだろう。

 形の上では現在ナナリーに仕える形のユース達、しかし一方で同盟国からのお客様でもある。

 大きくて危険な仕事を、短期間にいくつも任せておいて、終わればそれじゃあ次はこの仕事、という使い方は、ナナリーにもしづらいことだと想像しやすい。


 それに、シリカはここまで説明しなかったが、大きな仕事を数々をここしばらく、異国のユースら頼りともとれる形で達成していることも、ナナリーは良い傾向とは捉えていないだろう。

 自国が抱える問題は、自国の面々のみで解決していくのが、やはり理想の自立形だ。

 ハフトの都を守ってくれたことへの感謝として、長めの休暇をくれているという推測しやすい名目の裏には、騎士様頼りばかりじゃ良くないとするナナリーの本意も隠されている。


「そういえば最近、ユースはナナリー様には会いに行ってるか?」

「とりあえず三日に一回、ナナリー様にはご挨拶に行ってますよ」

「会ってから、お喋りは?」

「ちょっとだけ。お忙しいでしょうから、あんまり長いことお話はしないですけど」

「たまにはじっくりお話したいとでも思ってくれてるんじゃないか?

 案外ユース、ナナリー様とじっくりお話したことはないだろ」

「言われてみればそうかな……でもな~」

「女王様だし無礼は厳禁なお方だけど、そんなに緊張しすぎて接しなくても大丈夫だよ。

 私もここ数日、何度かナナリー様には会いに言っているが、かしこまり過ぎない程度の接し方の方が、どうもナナリー様は喜んでくれるんだなとはわかってきた」


「最近シリカさん、ものっすごい頻度でお城に遊びに行ってますよねぇ」

「アルミナもまた来てみたらどうだ? 異国の方々と交流を深めるいい機会だぞ」

「やー、お城に遊びに行くのはやっぱ私もちょっと恐縮が勝っちゃいますよ。

 シリカさんぐらい、ああいう雰囲気に合った大人の人なら似合うけど、私ほらガサツですし」

「大丈夫だって。お前は元気で明るいだけだよ、礼儀も押し引きもしっかりしてるしな」


 休日続きのユースらだが、その日々の過ごし方は様々かつ、だいたいパターンが決まっている。

 ユースやルザニアは訓練場に赴くことが多く、アルミナはそれに同行することもあれば、お買い物に行くことが多い。

 最近のアルミナは、市場で出会った老夫婦と仲良くなったらしく、たまにその老夫婦の家に遊びに行って、畑仕事を手伝ってお茶をご馳走になり、縁側お喋りを楽しんだりすることもあるそうだ。シリカとは違う形で、セプトリア王国で親しい相手を増やしていらっしゃる。

 自然とユースとルザニアが一緒に行動する機会が増えており、以前よりもユースもルザニアと話しやすくなり、この二人の親密さも増してきている。


 チータは読書していることと本を買いに行くのが殆どだが、たまによくわからないタイミングで出払って、よくわからないタイミングで帰ってくるのでパターンらしいものは無い。

 街角の噴水のてっぺんに立って眺めを確認してきたとか、歓楽街の街灯の並ぶ間隔を調べてきたとか、ちょっとよくわからん奴である。魔導士の皆様には、こういう偏屈な方も少なくないが。


 シリカは来国以来この傾向にあったが、セプトリア城に赴くことが非常に多い。

 そうしてお城の兵士様や仕え人、ハルマやニトロ、果てはナナリーとも、ニトロの妹イリスとも親交を深めていっており、談笑したり、相手次第では大人同士のディスカッションしたり。

 いつかシリカが帰国した後も、ああやっぱりエレム王国の騎士様はいい人だなと、セプトリア城の方々には好印象が残るだろう。それはエレム王国から見て、外交的な意味で非常にプラスである。

 騎士としてのシリカの最たる仕事は、初めての隊長職に就くユースのお目付け役だが、使える時間で彼女なりに騎士団の利を獲得しているわけだ。放っておいても、楽しみながら仕事しなさる人である。


 アルミナは意図すらせず下町で同じようなことを進めているし、シリカは国のお偉い様相手にそれ。

 ユースも、自分もそういうことが出来た方がいいんだろうなとは思うけど、流石にこの二人の真似はする気にはなれない。本来は内気気味なユースをして、この二人の社交性はちょっと怪物的過ぎて見える。


「たまには頑張ってみろ、女王様のお話相手もさ。いい経験になるぞ」

「そうそう、ナナリー様はユースのこと気に入ってくれてるみたいだし、これを逃したら一国の女王様と仲良くお話できる機会なんて、今後二度とこないかもしれないよ?」

「ん~……」


 内心では、二人とも簡単に言ってくれるよなぁなんて思っちゃったりもするから、ちょっとユースも苦めの笑いが出る。

 だいたいその顔で、ああ自分にはハードルの高い話だと思ってるんだろうなあって、シリカもアルミナもさっさと読み取れてしまうぐらいには、この二人もユースの性格を知りま尽くしている。

 それでも、頑張っておいで、と優しい声と笑顔でエールを送ってくれる二人だから、苦手なことにだって挑戦してみようって、ユースも自然と思えてくるのである。


「……どういうご用でのお呼ばれかはわかんないけど、お話する機会があるなら頑張ってみようかな」

「そうそう、その意気。頑張れ、隊長♪」

「変に緊張しなくたって、お前は無礼の口を発するような性格はしてないさ。

 肩の力を抜いて、普通にしていればそれだけで大丈夫だよ」


 エールを受け取り、よしと意気込み、あぁ違うこんなに片肘張るんじゃねえやと軽く息をついて、肩の力を抜くユースが一人で不器用な挙動をしているのを見ると、シリカもアルミナも微笑ましい。


 この後しばらくして、玄関の扉を開き、朝日の降り注ぐ外景色をバックに振り返ったユースが、いってきますを言う姿に、シリカもアルミナも笑顔で手を振っていた。

 出発前からちょっと緊張を携え、だけど今日は頑張るぞと心に決めているあの顔は、見送る側も気持ちがいい顔というやつだ。

 二人の見立てどおり、固い決意を新たに家を出発したユースは、セプトリア城への足を前向きに進めていたものである。


 そう、この時点までは。











 さて、到着しました謁見の間の前。


 大きなこの扉の向こう側に、ナナリー様はお待ちである。

 何度かご挨拶程度にはここを訪れているユースだから、来た目的がそれだけならそこまで緊張はしない。

 ただ、今日はナナリーから、遊びに来て欲しいと解釈できる手紙で呼ばれた立場だから、今までとは違って少々緊張する。

 ナナリー女王様を退屈させない口を使えるかな、いやそこまで難しく考えるのは違うのかな、などなど、色々思いながら一度胸を手で撫で下ろす。


 深呼吸三回、その三回目は特に大きく。

 緊張感は薄れきらないが、臆病な足に、もう充分休んだよなと発破をかける儀式にはなっている。


「……よしっ」


 覚悟を決めて、謁見の間の扉を開く。

 大きく荘厳な飾りの扉を開く中、触れ慣れた重みと、開門の音がユースに実感として得られ、やがて開いた光景の向こう側に、小さな小さなナナリーの姿が見えた。


 そして閉じた。

 謁見の間への扉をゆっくりと開いていたユースが、扉の向こう側の光景を目にした瞬間、速攻で扉をばたんと閉じてしまった。


 おかしいな、アレは見間違いだろうか。

 ナナリー様に会いに来たはずなのに、こんな場所にいるはずのない誰かさんの後ろ姿が見えた。


「いや、えと……いや……」


 それはユースにとって、世界で一番、いっちばん顔を合わせたくない人物だったのだ。

 開いたばかりの扉を閉じ、背中をその扉に預け、嘘だろ見間違いだろとと遠い目で天井を仰ぐほどに。


 でも来てしまった以上、ナナリー女王様にお会いしなければ。

 先程までも緊張感とは全く違う意味で、嫌な胸騒ぎに心臓がどくどく鳴りだしたユースは、もう一度謁見の間の扉を開く。

 もう今度は閉じない、現実と向き合うぞと、一応覚悟も固めてだ。


「あらあら」

「うげ……」


 覚悟を固めた割には、既に振り返っていた件の人物に手を振られた瞬間、ユースは扉を閉めそうになった。

 マジでいらっしゃる。何故こんな所にまで。

 あの人はここからずっと離れた海の向こう側、魔法都市ダニームにお住まいのはずなのに。


 10歳にも満たぬ少女のような風貌のナナリーと立ち話をしていたその人物もまた、8歳ほどの幼女にしか見えない小ささと顔立ち。

 ぶかぶかの紫色のローブで身を包み、藍色のナイトキャップをかぶった彼女は、小さな体躯の腰元まで届く紫の長髪を長く溢れさせている。相変わらず、触り心地のよさそうなさらさらの髪だこと。

 左手に箒を持ち、右手を振ってユースに笑顔を向けてくれているが、ユースはあの笑顔が本当に苦手、怖い。

 顔立ちこそ幼子のそれでありながら、どうしてあんな性悪を隠しきれない笑みが出来るのかと、ユースはつくづく疑問に思う。


 魔法学者を本業とし、魔法都市ダニームでは賢者とも呼ばれる大魔法使い、ああ見えて御年60歳。

 エルアーティ=ネマ=サイガームの名で名高く、世界でも指折りの生きた偉人の姿を見て、ユースの表情は個人的感情から曇りまくっていた。


「ふふふ、どうしたの? そんなところで立ち止まって、おかしな子ね」

「…………」


 邪悪に笑った口元を手の甲で隠し、細めた目でこっちを見てくるエルアーティの顔が、とにかくユースは苦手である。

 ユースには彼女の全体像が、獲物を見定めた食虫植物にしか見えない。紫色のローブも、毒々しい色使いに見える。


 テンションだだ下がりのユースは、思い足取りで謁見の間を歩いていく。

 その沈痛な面持ちと足取りには、ナナリーもニトロもどうしたんだろうと心配になりかける。

 二人はユースとエルアーティの、過去に色々ありすぎた関係について何も知らないので。


「風邪でも引いてるの?」

「いえ、別に……」

「随分と顔色が良くないみたいだけど」

「気のせいです。

 おはようございます、ナナリー様」

「あ、うむ、おはよう?」


 エルアーティと長く対話がしたくないのか、ユースはナナリーへの挨拶へと話を曲げる。

 二人の間の空気、特にエルアーティがユースに歩み寄れば、ユースもちょっと体を傾けて逃げたがっている挙動など、おかしな両者の距離感には、ナナリーもニトロも異変を感じている。


「お姉さま、ユースどのとはお知り合いかの?」


 ナナリーは、友人であるエルアーティのことを、親しみを込めてお姉さまと呼んでいる。血縁関係などは全く無い。


「ええ、よく見知った間柄。肌を重ね合ったこともあるわ」

「ありません」

「あるでしょう?」

「ないんです」


 ユースの中では無かったことになっている。あっても絶対に認めない。


「あの、ナナリー様、今日お呼び頂いたご用っていうのはもしかして……」

「あ~、うむ、そういうわけなんじゃが……

 昨日の夜、お姉さまがこちらにいらっしゃってな。窓からのご来賓で、妾もびっくりしたんじゃが」

「この間、あなたがダニームまで会いに来てくれるって言ったから私も楽しみにしてたのに、不測の事態があって流れちゃったじゃない。

 あれには私もちょっとがっかりだったのよ。だから来ちゃった」


 エルアーティはその手に持つ箒に座り、空を飛ぶことで有名だ。賢者と呼ばれて長いエルアーティだが、その様は魔女ともよく言われる。

 遠い遠い魔法都市ダニームからそうやって、海をも越えて友達のナナリーに会いに来たそうである。


 だからって、一国の女王様のお部屋に、サプライズ狙いとはいえ夜に窓から登場というのもどうなのか。

 ナナリーとエルアーティが個人同士の友人関係ということもあるが、それが許されてしまうぐらいには、エルアーティの持つ賢者という肩書きは、一国のお偉い様と対等を張れるほど貴ばれるものだということだ。

 単に凄い魔法使い様、とエルアーティの地位を認識するよりも、魔法使いの王国の元老院とでも例えた方が、彼女の地位を理解するには適切かもしれない。


「んで、夜通しお喋りさせてもらったのじゃが、お姉さまに今エレム王国の騎士様がいらっしゃっているという話をしたら、会いたいと仰ってな。

 そんなわけで、ユースどのをお呼びさせて頂いたわけじゃが……お姉さま、またハメておるな」

「ハメただなんて人聞きの悪い、別におかしなことは言わなかったでしょ?」

「いや~、ユースどのの反応を見ておるとなぁ。

 賢者との顔合わせなんて平の騎士じゃ緊張するだろうから、呼ぶ手紙には自分の名前を出さないで欲しいとか、ご自分のことを隠されておったことに他意を感じるぞ」


 ああ、やっぱりあの手紙の内容にはエルアーティの悪意も乗ってたんだなと、ユースの表情もうへぇとなる。


 要するに、ナナリーは普通に"賢者エルアーティ様がエレムの騎士様に会いたがってるから来て欲しい"と、手紙に書こうとしていたのに、エルアーティが自分の名前を載せないでと介入していたわけだ。

 自分がユースに避けられる人物であることをエルアーティはわかっているから、手紙に自分の名前を出すと、最悪ユースが仮病でも使って逃げる可能性すら想定していたと。

 こうして、相手にとっての嫌なものを隠蔽しての、釣り手紙が作られたのである。何も知らないナナリーは、いつの間にか共犯者にされていらっしゃった。


 だいたい、エルアーティはセプトリア王国にユースが来ていることを、はなから知っていた人物である。

 細かい話は割愛するが、そもそもユースがこの国に来るきっかけを作ったのはエルアーティなのだ。

 まるで、呼べば来る相手がユースだとは知らなかった、みたいな挨拶や素振りは非常に白々しい。


「――とまあ、お呼びしたのはそんな用件じゃ。

 なんかこう、ユースどのには申し訳なかったのう。災難に巻き込んでしまったようで」

「いいえ、いいえ、別にそんな……悪いのはエルアーティ様なんで……」


「こらユース、あなたがそんな辛気臭い顔をするからナナ姫が謝るようことに……」

「悪いのは全部エルアーティ様なので、いやホントに。ナナリー様、ほんと気になんてしないで下さいね」

「あーうん、わかっておる。お姉さまはイジワルなところもあるのう」


 絡まれそうになったら意地でも無視して、ユースはナナリーとの会話を押し通す。

 だいたいユースの受難を察してはくれているらしく、ナナリーもちょっと渇いた笑顔である。


「ねえ、ユース」

「何ですか」

「そんな邪険にしないで頂戴? 久しぶりに会ったんだし、愛想のひとつぐらいは見せて欲しいわ。

 ほら、笑って? ね?」

「…………」


 小さな背丈のエルアーティが、ユースの手を引き自分の方を向かせて、人差し指で自分の口の端を持ち上げ、笑った口の形を作ってみせる。

 笑顔を作って私を歓迎しなさい。そう命じてくるエルアーティに対する、ユースが辛うじて作った笑顔がなんと力無いことか。

 

「なぁユース。お前エルアーティ様のこと、そんなに苦手なのか?」

「あー、まぁ……昔、いろいろあってな……」


「まったく、あんなに良くしてあげたのに。

 あなた、自分にとって利を感じない女は、もう用済みと捨てるような人だったかしら?」

「そういうわけじゃ……うわっ……」

「ふふ、ナナ姫との再会も嬉しいけど、あなたとの再会も嬉しいわ」


 無邪気な笑顔で、ユースのお腹の周りに腕を巻きつけて、ぎゅっと抱きしめてくるエルアーティの挙動は、一見あどけない少女が兄に甘えるそれのよう。

 表向きはそうである。実際、今もそういう顔を作っている。真下からそんな笑顔で、ユースの顔を覗き込む。


「だっこして?」

「いや、あの……」

「しなさい?」

「ぅぐ……」


 豹変した。無垢な笑顔から具体的にどう表情を変えたわけでもないのに、顔全体に影が落ちたように、エルアーティの笑顔が妖しげなそれに変貌する。

 お願い声から命令口調になったその声色も、低く尖って相手の喉元をちくりと刺すようなもので、それだけでユースの背筋が嫌な意味で凍る。


 渋々、嫌々、ユースがエルアーティの体を抱きかかえ、自分の胸元まで持ち上げる。

 エルアーティはユースの首元に頬を寝かせ、両腕でユースの首回りに抱きつくと、甘えるように頬ずりする。


「うふふ、それでいいの。ああ、好きな人にだっこされるのは楽しいわ」

「…………」

「私、しばらく王都に滞在する予定だから、これからしばらくよろしくね?」

「い゛っ!?」


 そう言ってエルアーティは顔を動かし、ユースの耳元にふうっと息を吹きかけた。

 ぞわりとして目を見開いたユースから溢れた声は、奇襲の一撃に驚かされたゆえでもあり、同時にエルアーティが発した言葉に対するリアクションでもある。


 これからしばらく、この人がそう遠くない場所で過ごす。

 つまり今後も、何度か顔を合わせ得る。それがユースにとっては、ただそれだけですごい凶報。


「よろしく、ね?」

「……………………はい」


 ユースの耳元で囁くような息遣い、その甘い吐息でユースの耳をくすぐりながらも、エルアーティはユースの首を抱く指先を立て、爪先をちくりとユースの首に突き立てている。

 逃がさない。そんな意思表示がそこに込められているような気がして、ユースは鳥肌が立ちっぱなしだ。耳をぞわつかせられている、それだけのせいだけじゃない。


「なんていうか……ユースも大変だな」

「…………」


 気の毒そうにそう言ってくれるニトロに、ユースも色々言いたいことがあったはずだ。

 そうなんだよ、とか、わかってくれて嬉しい、とか、そんな言葉が喉の奥までは反射的に上っていた。

 だが、エルアーティがユースの首筋に突き立てた爪に少し力を強く込め、余計なことは言うなと示唆する挙動のせいで、そんな吐露すら封じられてしまう。


「そんなことないわよね、ユース。私と再会できて、嬉しいわよね?」

「…………」

「……ねぇ?」

「……………………ノーコメントですよっ」


 意地で強めに言い返したユースの首筋を刺していた爪の力が、くすりと笑ったエルアーティの息遣いと共に弱まった。

 そう簡単に何でもかんでも言いなりにさせられてたまるかと、意思表示を見せたユースではあるが、にしては"嬉しくないです"と断言を返すことが出来ない程度には押されている。


「大丈夫よ、ユース。これから何日でも、会える機会はあるのだから」

「そうですか、そうですね」

「帰るまでには、そんな生意気な口も利けないあなたに仕込み直してあげるわ。

 覚悟、しておきなさい、ね?」


 一寸先は闇。天災も人災も、いつどこで見舞われるものだかわからない。

 ユースにとって、後にも先にも世界一苦手な人物との日々の幕開けは、何の変哲もなかった日常的日々の中で、極めて唐突に訪れていた。

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