第37話 ~アルミナVSマルティア~
ユースの剣の射程圏内より大きく離れた位置から、エディが長巻を振り抜いてくる。
槍のような長尺の武器を操るにしてはその動きも速く、五秒あれば五度以上の刃を差し向けてくるエディの連続攻撃に、ユースも苦しく凌ぎ続けるのみ。
振り下ろされた長巻の刃を横に打ち払えば、素早く切り替えされた長巻の刃が側面からの攻撃に繋げられる。
バックステップでかわすも、今度は突きの一撃が伸びてきて、それを上方に殴り上げる剣でユースは凌ぐしかない。
上がれば斜めのけさ斬りの攻撃が直後に続き、片手握りの剣でそれを横殴りにはじくユースも、両手持ちの武器を打ち返す自分の手元が痛くなってくる。
「どうした、来いよ騎士様よ! 防戦一方じゃねえか!」
「ぐっ……く……!」
血気盛んな表情で、何度も何度もユースへと長巻の刃を迫らせるエディの前方、ユースの表情はずっと痛みに歪んでいる。
盾を操る左腕が、肩の動かず上がらない。彼の戦闘スタイルの主力とも言える、盾が全くの使い物にならないこの状況は、ユースにとってあまりにも苦しいものだ。
これは、仮に盾だけ失って左腕だけはまだ使える、そんな状況よりもよほどにつらい。片手のみで操る剣で、両手ぶんの力で武器を振り回すエディの長巻を、打ち払うたび右手が軋む。
「やるなぁ、流石に騎士団の若き雄だ。アルバー帝国の堕落した兵とは大違いだな」
かきん、かきんと、剣と長巻の刃の衝突音が響き渡る中、さらにユースを苦しめるのはリープの存在だ。
エディの後方、巨大蜻蛉の魔物キラーリベルがホバリングする背上に座り、薄ら笑いと共に戦況を眺めるあいつから目を切りきれない。
あの巨大生物の風によって辛酸を舐めさせられた直後の今、いつあれが動きを見せるのかわからない以上、意識を切ることも出来ない。
「っ……!」
「ム……!?」
それでもまずはエディの打破だと、前に踏み出せるのはユースの思い切りの良さだ。
ほう、と呟きながらリープが高所から眺める目線の先、エディの長巻を剣で殴り上げた瞬間のユースが、一気にエディに駆け迫る。
エディは冷静に大きくバックステップだ。
接近するユースと後退する自分、間の距離を保てば、尺の半分を占める長巻の根元は充分ユースに振り下ろすことが出来る。
はじき上げられたものを腕力任せに、もう一度下降させてユースの頭を割りにかかる刃に、ユースも前に進みながら横っ跳びにかわすしかない。前進が遅れる。
両手で長巻を操るエディは、ユースの横にはずれた長巻の刃をひねり、ユースの左側から胴を立つ横薙ぎの一振りに切り替える。
左腕を上げられない、盾を使えないユースには嫌な攻撃で、身をひねりながら右手に握る剣で、左方からの攻撃を打ち上げる迎撃に移るしかない。
凌げはしたが、これで前進は完全にストップだ。
さらにはもうひとっ跳びぶんの距離を作ったエディは、打ち上げられた長巻の刃を引き、素早くユースの喉元を狙った突きを放ってくる。
これを後ろ跳びにかわしたユースは、踏み出す前よりもエディに距離を作らされた形になった。
「ぃが……!?」
大きな声を溢れさせたのはユースだ。
右手握りの長巻の突きを放っていたエディは、空けた左手で腰元の小銃を抜き、ユースに奇襲の銃弾を放っていた。
ぎりぎり反応して身を横に跳び逃していたユースだが、銃弾はユースの左の二の腕を深めにかすり、筋を傷つけ皮膚を抉っていく。
動きが止まりかけたところ、咄嗟に後退したユースの目と鼻の先を、エディの長巻の刃先端が風切っていく。
かわせはしたものの、ただでさえ駄目になりかけていた左腕が完全に死に体になり、エディとの間に出来た距離は今日最大まで広がった。
接近できない、盾は使えない、敵の後方には怪物も控えている。
スタミナお化けのユースの息が荒くなっているのは、決め手を見つけられずに傷ばかり深くなっていくこの状況に、精神を追い詰められている表れだ。
「ふふ、今日のところは様子見だけのつもりだったが、これなら想定以上の収穫に繋がりそうだな」
ユースに二発の駄目押し銃弾を放つと、小銃を腰に収め、改めて長巻を両手持ちにしたエディ。その後方上空で、リープは表情どおりにほくそ笑んだ呟きだ。
二発の追加銃弾を、足捌きだけでかわしてみせたユースを睨むエディに油断や慢心は無く、安全圏から高見の見物に徹するリープの余裕とは対照的である。
「エディよ、そいつを仕留めたらもう撤退するぞ。その首さえ獲れるなら今日のところは上々だ」
「あいよ……!」
打開策が見つけられないまま、エディが再びユースとの距離をじりりと詰めてきた。
断じてユースの射程範囲外、しかしエディの射程範囲内ちょうどを慎重に保つエディの用心深さを前にして、ユースの表情は苦悶と行き詰まりに曇る。
なんとか剣を構え、指先までじんじんする拳に握力を加えたユースの前、エディがくんと長巻の先を上げ、次の一撃の始まりを示唆していた。
「……ん?」
その時のことだ。勝負ありとほぼ見ていたエディとユースの戦いを、高所から眺めるだけだったリープの視界端を、ふっと何かが横切った。
ちらりと目に入っただけのそれ、しかも離れた地上での出来事、今のリープには気にも留めず見過ごしてもいいであろうような光景。
それを、無性にいい予感がしなかったのか、キラーリベルの背上にて、座り姿勢から少し腰を持ち上げていたリープの行動は、結果的には最善の行動であったと言える。
「なに……!?」
「勇断の太刀!!」
思わずリープは、そこが地上から大きく離れた場所であるにも関わらず、立ち上がるような勢いに乗せてキラーリベルの背を蹴っていた。
跳躍し、近場の民家の屋上めがけて跳んだリープの後方、どこから何を蹴って跳んできたのかさっぱり不明の、金の髪をたなびかせた女騎士がキラーリベルに迫っている。なお空中。
懐刀の魔法の名を口にした大声に、思わずユースとエディもそちらを振り向いたその瞬間、稀代の女傑は既に愛用の騎士剣を振り抜いている。
人がその背に余裕を持って座れるような、巨大な蜻蛉の姿をした魔物キラーリベル。
それを、剣身よりもさらに長く伸びる魔力の輝き、迸りを振り抜いた女騎士の一斬が、大きな三日月形の残影を残す一太刀と共に掻っ捌いてしまった。
四枚の翅もろとも、腹部を含んで体を真っ二つにされたキラーリベルは、突然のことに何が起こったのかわからぬかのように、空中でぐいっと頭を上げ、いななくような仕草を見せた。
がちんがちんと顎を鳴らしたのはまるで断末魔。二つに分かれた巨大生物の肉体は地上へと落ち、どしんと石畳の上に落下する。
これからひくつくキラーリベルの肉体から離れた場所に着地した彼女は、鋼のブーツで石畳の上に着地してすぐ、ぎらりと鋭い眼差しでエディに振り返る。
「シリカさ……」
「っ、と……おおっ!?」
シリカの方に振り返っていたエディも、肝の据わった若頭が滅多に出さないような声と共に地面を蹴る。
急接近してくるシリカがあまりにも速すぎて。
あっという間に間合いにエディを捉えたシリカの騎士剣の一振りは、後方に跳んでいたエディの鼻に剣先をかすめさせている。
やば過ぎる。そう悟って咄嗟に長巻を一回転させ、柄の尻でシリカの腹を横殴りにする反撃を放っていたエディの反撃がなんとか功を奏し、シリカに騎士剣でそれを打ち返す行動を促せた。
エディはその隙に、とにかく大きく後方へと跳んだ。全力で三度だ。大きくシリカから距離を作るために。
一方シリカは一度ユースの方へと駆け寄り、ユースの前に立つようにしてエディの方を振り返った。
遠目からでも彼女は既に、左腕を上げられないユースの緊急性を悟っていたようだ。
「アルミナは!?」
ユースの表情がシリカの背後で曇る。
アルミナをマルティアから守りきれなかったことも、気に病む最たる一因だ。
それに加えて、自分を守るようにシリカが盾となってくれているこの現状が、独り立ちを目指している今の彼にとっては、歯噛みする状況に他ならない。
「……連れ去られたんです。シリカさんは、アルミナを助けに行ってくれませんか」
「……どこに向かった?」
「あっちに……」
攻め立てられていた苦しい状況にありながらも、ユースはしっかりマルティアがアルミナを連れ去って行った方向を見ていたようで、その方向を指で差す。
剣を前に構えたまま、ちらりと後ろを見たシリカはその方向を確かめた。これで情報の交換は終わり。
「あいつはどうする」
「一人でやれます……!」
「……左腕は使えるのか」
「それでもやります……!」
「…………」
エディを見据えて問うシリカに、ユースは我が身を彼女の前まで進ませ、力強い声でそう言った。
不安はある。ユース以上にシリカの方が。
負傷した後輩を、いかにも只者ではない長巻持ちの前に置き去りにして大丈夫かという想いはある。
ユースの戦い方を他の誰より熟知する彼女をして、盾を使えない状況がどれほどユースにとって厳しいものかはわかっているはずだ。
「ユース」
「はい……!」
「やってみせろ! エレム王国騎士団第14小隊の名にかけて、絶対に!」
「……はいっ!」
ぽんとユースの肩を叩いて最後、シリカの俊足の足が金属ブーツの音を立て、その場を立ち去る音がユースにも聞こえた。
まずは探すことから始まるにせよ、アルミナを救うためにシリカが動いてくれたことを、ユースは振り返らずに確かめることが出来た。
残されたのは自分ただ一人。
シリカの推参、かつ彼女の強さに顔をしかめていたエディが、それが立ち去ったことに僅か安堵するような表情を真正面に、ユースは改めて剣を構えた。
「舐められたもんだ……!」
手負いのユースが、自分一人で充分だと言わんばかりの態度であることに、エディも決して機嫌のいい顔はしない。
一方、民家の屋上に飛び移り、俯瞰でユースとエディを見下ろすリープも、仮面のような笑顔とは別、内心では複雑である。
キラーリベルを失った今、恐れていたのはシリカとユースの二人がかりでエディを討ち取られる展開であったのだが、そうならなかったのは具合の良い話。
問題は、手負いのユースにエディを任せて良しと判断された、向こうの一見非合理的な判断である。
「むぅ……表向きは、こちらに都合のいい運びだが……」
リープには見えた。ユースとシリカが言葉を交わしたあの短時間と表情で、どれだけ信頼を寄せ合う二人であるのかは。
エディに苦戦していたユース、まして今は負傷した彼が、なおもエディとの一騎打ちを担う図式を継続する。
これをあの二人は、合意の上で選んだのだ。
ユースの勝算を疑うべき図式なのに。リープよりもユースらの方がそう。
それでもこの道を選んだユース達が、何からの勝算を持っているのであればと仮説を立てれば、リープも決してこの状況を楽観視できない。
「……地力比べだな。まあいい、見せて貰おうか、騎士様の実力とやらを。
元より私は、それを果たせればそれでいいのだからな」
乗り物を無くしたリープは、周囲に一度目を配り、再びユースとエディが立ち合う姿に目を下ろす。
フラックオース組において、若頭にして最強の武人とも言えるエディを相手に、エレム王国騎士団の若き雄はどれほどの力を見せるのか。
ユースを討ち取る形になれば最善、叶わずともユースの力量を計れればその次によし。
今のリープの薄ら笑いは、感情を隠すための作り笑いではない。
「行くぞ……!」
「かかって来いや……!」
大きく距離を作っていた二人が前に踏み出す。
先手を打って長巻の先を振り下ろしたエディ、それを剣で打ちはじいたユース。
火花を散らさんほどの金属音が、完全に一対一となった二人の熱をまるで象徴しているかのようだった。
「っ、く……! な、何よ、これぇ……!」
夜の路地裏。表通りの騒がしさとは逆に静かなこの場所は、今は誰も見向きもしない場所。
仮に何者かが来てもわかるように、ここに来るための道の入り口には、少数のヘルハウンドが配されている。
そんな場所でアルミナはたった一人、手首に巻きついた鞭を介して宙吊りにされていた。
足を地面に着けられず、手首縛りにされた手を頭上に上げさせられる形で、伸びた腕は自身の体重で軋むように張っている。
「ふふ、元気だけはあるのね。いたぶり甲斐がありそうだわ」
少し前に全身を地面に叩きつけられた直後で、声も息苦しそうなアルミナの手を縛る鞭は、上方に伸びたのち弧を描いて、マルティアの持ち手に繋がっている。
宙吊りにされた体勢が苦しく、体をひねってよじって足掻くアルミナだが、少し前に地面に全身を叩きつけられたダメージが響き、身を打つ痛みがアルミナの顔色を悪くさせる。
喘ぐように息を吐くアルミナを真正面から見るマルティアは、アルミナに傷つけられた頬を撫でながら、嗜虐的な笑みとともにアルミナを見上げていた。
「この鞭は、芯の深くに異国のご神木の根を通したものでねぇ。
"親和性"に富むこの鞭は、使い手の意のまま、生き物のように動くよう設計されているのよ。
まあ、ある意味ではこれも魔法学の一つなのかしらね?」
まさしく蛇のように、マルティアの手元から伸びてアルミナの手首を拘束し、曲がりつつも張って人一人を宙吊りにする鞭。
ただの鞭でないことは明らかで、しかもこの鞭は、マルティアの思うように曲がり、踊り、張り、絡みつく、そんな自在性に富む武器なのだ。
「ぁく……!?」
「どう? たいした代物でしょ?」
マルティアが小さく笑うと共に、手元の鞭に内心で念ずれば、アルミナの両手首を一纏めに縛った鞭が、ぎちりとより強くアルミナの手首を締め上げた。
握っていた拳が開き、電撃を通されたように硬い指の曲がり方をするほど、アルミナの手首を締め上げる鞭の力は強い。
アルミナの表情が苦痛に溢れるのは当然で、反比例するようにマルティアの笑みはより満足げなものとなる。
「さぁて、どうしてあげようかしら?
うちのヘルハウンドの牙で、細切れにしてあげようかしら? それとも炎で全身を……」
「…………!」
「あら」
脅す言葉を並べてアルミナに近付いたマルティアだが、反抗的な目をしたアルミナが、左脚を振るってマルティアを横から蹴ろうとする。
マルティアも荒事には慣れたもので、宙吊りから放たれる蹴り、鋭さも芯の強さも欠けるそれなど、あっさりと片手の掌で止めてしまう。力はいらない。
「痛いわねぇ……もう少しおとなしくなってもらえないかしら、ねっ!」
「ふぐ……っ!?」
鞭の持ち手の端で、マルティアがアルミナの横っ腹に痛烈な突きを突き刺した。
言うなればナイフを突き立てるような、硬い棒での痛烈な一撃だ。アルミナが目を見開いて頬を膨らませるほど強烈な一撃は、彼女の呼吸機能を殺して息をさせなくする。
「ほらほら、どうしたの? さっきまでの噛み付くような目、もう見せられない?」
「ぇっ、ぁっ……」
マルティアはアルミナの蹴り脚であった右脚を脇に抱え、がくりと首をうなだれさせたアルミナの表情を覗き込む。
うつろな目になり、口をだらしなく開いたアルミナの全身から力が抜け、マルティアと会話が出来る状態ではないのが明らかだ。
鞭を握ったままの手で、マルティアは親指、人差し指と中指を立て、三本の指で作ったV字の型でアルミナの顎をくいと上げる。
「無様ねぇ。大人に逆らうとどうなるか、少しは思い知った?」
「かっ、ぐっ……うう、っ……!」
勝ち誇った顔で、見下すように見上げるマルティアと至近距離で目が合うと、アルミナの目にも反抗心が戻ってくる。
このアルミナの気の強さが、主導権を握っているマルティアにとってはむしろ嬉しい。
「ふふふ、いいわねぇ。いつまでそんな顔をしていられるかしら?」
「ぃあ゛……!?」
マルティアが鞭の持ち手側の端を、抱えたアルミナの左脚の太ももに突き立てる。
そのまま力任せに押し付けて、抉るように回して押し込めるのだ。柔らかい脚には一切の防御力など無く、痛覚の奥地までマルティアの暴力が浸食する。
「ほらほらほらほら……! もっと泣いて、もっと苦しんで……! あははははっ!」
「あっ、やっ……! あああぁぁっ……!」
泣き叫びたいほどの、鈍く深い痛みを得ても、全身打ちのめされて軋む体のアルミナはろくに抵抗も出来ない。
抱えられた膝よりも下、アルミナの足が力なく暴れているのが、抵抗すれども逃げ場のない彼女の地獄を体現していると言る。
呼吸が苦しいから悲鳴も詰まるように小さく、そうでなければ絶叫しているだろう。
涙目になって口をはくはくさせ、止められない苦しみの声を漏らすアルミナの表情を、間近で眺めてマルティアが邪悪に笑っている。
「私はねぇ、あなたのような気の強くて生意気な子の顔を、涙と苦しみでめちゃくちゃにしてあげるのが
いっちばん好きなのよねぇ♪」
「はぐ……っ……!」
アルミナの太ももから鞭の端を離したと思えば、その握り拳の裏でアルミナの脇腹に一撃。
女の子相応の、薄く柔らかい脇腹の肌は、マルティアの拳の一撃から無防備に肋骨まで衝撃を伝え、悶絶してうずくまりたいほどの苦しみをアルミナにもたらす。
「いいわ、その顔、もっと見せて見せて? ほら、こうやって……!」
マルティアはアルミナの右脚を抱える左腕の位置をずらし、脇の下にアルミナの足首辺りを抱える形にする。
アルミナの右足の膝を上に向け、その膝の上に鞭を握る拳を置き、脚を抱える方の腕では下からふくらはぎを押し上げるような力の込め方をする。
そのままアルミナの膝を右拳で押せば、マルティアの細い腕が拷問締め具のように、アルミナのふくらはぎをへし折らんばかりの強さで締め上げるのだ。
「あはははっ、いい顔! 痛い? ねえ痛い? 返事して?」
「~~~~~っ……! はっ、やあっ……!」
しかしボディへの二発目の攻撃を受け、声を発する息も吐けなかったアルミナが、いやいやと首を振りながら悲鳴をあげるほどの苦痛である。
銃を敵に向けていた射手の顔ではなく、囚われの少女相応に泣き顔一色。そんなアルミナが首を振るたび散る涙を、マルティアは実に楽しそうな顔で見上げている。
「……ふふっ。いい顔になったじゃない♪」
しばらくそうして、アルミナの脚を開放したマルティアは、宙吊りのアルミナの顎を空いた左手で、改めてくいっと持ち上げる。
息も絶え絶え、涙目に力もなく、苦痛のあまりに心をへし折られた少女の顔は、マルティアにとって最高のご褒美なのだろう。
挑発的な言葉を向けられても、言い返すどころか反抗的な目も返せない、もう許してと請うようなアルミナの眼差しには、ことさらマルティアが上機嫌になる。
「さて、と……そろそろ終わりにしましょうか。私の可愛いペットちゃんのエサにしてあげるわ」
「や……ゃ……」
少し離れた場所で、邪魔が入らないように見張りをしていたヘルハウンドの一匹がこちらに歩み寄ってくる。
視界の端にそれを入れたアルミナの表情が恐怖の色に染まり、やめての言葉をかすれた呼吸から不充分に溢れさせる。マルティアは聞く耳など持っていない。
「ふふ、まずは焼いて完全に無抵抗にしてからね」
離れた位置で、ヘルハウンドが口に火を含んだ。
アルミナにそれを放ち、直撃させる構えだ。宙吊りにされて身動きの取れないアルミナには、それを防ぐ手段はおろか、かわすすべすら与えられていない。
マルティアはアルミナの顎から手を離し、少し後ろに下がった。
ヘルハウンドの火球の巻き添えになってはたまらない。距離を作り、目の前で火だるまにされるアルミナを見届けるべく、それを楽しみな表情でマルティアが特等席へと移動する。
「…………っ!」
まさにその時だ。
ほんの一瞬油断したマルティア、表向きは心身ともに屈服したと見せつつ、一度きりの好機に懸けたアルミナの行動が完全に噛み合った。
無力な少女の顔であったアルミナの涙目が、一瞬にして鋭い狩猟者の目に変わり、吊り下げられた自分の腕を引いて体と腰を浮かせると同時、両脚を振り上げてマルティアの両側頭部の高さまで持ち上げる。
「んん゛、っ!?」
距離を作ろうとしたマルティアの頭を、唐突にアルミナの二本脚が挟み込む。
突然の出来事に戸惑うマルティアだったが、アルミナが次の行動を起こすのはマルティアよりも速い。
腰を、お尻を、背中を全力でひねり、アルミナはマルティアの頭を脚に挟んだまま、思いっきり全身を旋回させる勢いだ。
首がぐきりと鳴るような速度でマルティアの頭をねじりこみ、そのまま敵の頭を地面の方へと投げ出しにかかる。
アルミナにとっては幸か不幸か、マルティアにとっては完全に迂闊、鞭に命令を下す意識も首と頭への衝撃で、マルティアの頭から一瞬吹き飛んでいた。
アルミナの手首を低位置に固定していた鞭の硬度が失われ、彼女を宙吊りにしていた唯一の要素が脱力し、しかしアルミナの体にはひねりが入っている。
それが招いた末路とは、マルティアの頭を脚で挟み込んだままでアルミナの体が地面に落ち、それに伴いマルティアの頭が石畳に叩きつけられるという大事故である。
「が……!」
「くっ、あっ……!」
ごづんと人の頭蓋骨と石畳が激突する恐ろしい音が響き、マルティアの頭を挟んだまま地面に脚を打ちつけたアルミナにも痛烈なダメージ。
力が抜けたマルティアの手からも鞭が離れ、二人して地面へと横たわる形になる。
半身を地面に打ち付けても、ここしかないとわかっているからアルミナは必死で立ち上がる。
マルティアの頭を挟んでいた脚を抜き、石畳を手で押し、遅くも彼女に出来る最速で。
なぜなら目の前に星を散らしながらも、マルティアはまだ完全には意識を失っていない。
「こ、の……」
ぐわんぐわんの頭でありながら、なんとか気絶しなかったマルティアだが、すぐに立ち上がることは出来ない。
アルミナは立ち上がっていた。すぐに倒れたが。
自ら立つ足の力をゼロにして、勢い良く倒れ込むような形で、しかし肘を突き出して。
胸の高さから重力任せに降らせる、全体重を乗せた尖った肘を、アルミナが狙い済まして落とした対象はマルティアの腹部である。
武人のユースが人の腹を拳で殴るのと比較しても、それを上回る破壊力だ。何せ全体重を乗せて、それなりの高さから重力任せに落とした肘である。
それと地面に腹を挟まれたマルティアは、確かにめきりと肋骨の砕ける音とともに、肺に詰まっていたものを全部吐き出させられる結果になるのも必然。
死んでもおかしくないほどの容赦ない一撃に、ぐぶりと胃液を吐いて目を見開いたマルティアは、直後にぐるんと両目を上に回し、そのまま意識を失った。
「くっ、ぐっ……ううっ……!」
マルティアの体の上に乗った形になったアルミナだが、鞭がほどけて自由になった両手を活かし、少しでも早く動ける状態になろうとする。
ヘルハウンドがいるのだ。まさか主人と自分を一緒に、丸ごと焼きにはかかってこないだろうが、飛びかかって来られたらおしまいである。
何せ今のアルミナは丸腰だ。銃もなければ、マルティアの落とした鞭を手にしても扱えはしまい。
立ち上がって、近場の盾に壁に身を寄せるようにもたれ、ヘルハウンドの動きを目で確かめる。
マルティアから離れれば、すぐさま火球が飛んできた。
アルミナは痛む足で地を蹴って、それを回避する以外にない。
火球は建物の壁に着弾して爆発する。直撃していれば致命傷だろう。
「ああぅ……っ……!」
だが、逃げきるための力はもう、アルミナの足には残っていない。
あれほど痛めつけられた直後だ。走れるはずがない。
それはおろか、跳んだ先で限界を超えたアルミナの脚はがくんと崩れ、彼女も全身でずしゃりと地面に倒れる形になる。
立てない脚、起こしただけの体、見回せばマルティアの失神とともに駆けつけてきたヘルハウンドの姿が遠目。
地に屈して動けない丸腰のアルミナが、計三体のヘルハウンドに包囲されたこの状況は、絶望的と言う他ない。
ヘルハウンド達が口に火を含んだ。目にしたアルミナの心が真っ黒に塗り潰される。
マルティアに痛めつけられる中でも、心の奥底には不屈の魂が宿っていたアルミナが、今ここでは心から完全に折れかけていた。
「っ……」
首を上げ、振り下ろす動きの予備動作、火球を放つ一秒前のヘルハウンドの姿を目にしたアルミナは、ぎゅっと目を閉じ顔を伏せた。
もう駄目、終わった、完全にそう思った。走馬灯もちょっと見える寸前だった。
救世主は速かった。それはもう、速かった。
ほんの少し前、ユースのもとから出発した誰かさんの、足の速いこと速いこと。
この裏路地への入り口を塞いでいたヘルハウンドの存在を、むしろ手がかりにして駆けつけた女騎士様は、強く閉じた目の間から涙の粒を零したアルミナのそばへ、矢のような速度で駆け迫る。
三方から同時にアルミナへと差し向けられていた火球も彼女は問題にしない。
瞬時に二度振り抜いた騎士剣、それも万物を断つ魔力を纏わせた刃で、一振り火球二つ、もう一振りで火球一つをぶった斬る。
割られた火球はアルミナへと届かず、あらぬ方向へと通過して着弾し、計六つの爆発音をコーラスのように奏でた。
「ぇ……へがっ!?」
震えながらも恐る恐る目を開きかけた、アルミナを襲う衝撃は継続する。
駆けつけたその人はアルミナの胴を右腕で抱え、そのまま人一人を片腕一本で担ぎ上げたのだ。肉でも運ぶ原始人のように。
しかもそのまま走りだして、ヘルハウンドの一匹に接近。応戦するように放たれた火球も両断し、接近したらばっさりいく。
そのまま同じように、残る二体のヘルハウンドもあっさり片付けられてしまったのである。
その間、脇に抱えられっぱなしだったアルミナはぐえぇ続きで意識が飛びそうだったが、命が助かっていることと天秤にかければきっとまし。
始末を終えたその人は、ふうっと息をついて優しくアルミナを地面に降ろした。
詰まりっぱなしだった胴から息をようやく吐けて、げほげほと激しい咳を繰り返すアルミナに、大丈夫かと少し申し訳なさそうな声が届く。
「し……っ、シリカ、さん゛……」
「すまない、乱暴だったけど……」
位置の点々としたヘルハウンドを纏めて始末する中、一秒たりとも丸腰のアルミナを一人放置する形を作らず、抱えて魔物掃伐に望んだシリカなので、アルミナを守るための手順としては最善であったはず。乱暴なのはさておいて。
シリカにかかれば、たとえ人一人を荷物にして片手が塞がっていても、ヘルハウンドなんて何匹いようが敵ではない。
「だ、大丈夫、です……ありがとう、ございますっ……」
顔を上げ、シリカに礼を言うアルミナの表情は、ほんの少しまで死の危機に瀕し、そこに最も信頼する人が駆けつけて助けてくれたという、この現状に対する安堵に満ちていた。
死ぬかと思った、助かった。そんな時にぽろっと涙を流してしまうぐらいには、やはりアルミナだって
女の子だ。
苦痛に喘いだ陰すら匂う、憔悴しきった涙目で感謝を告げるアルミナの表情には、間に合ってよかったとシリカも胸を撫で下ろす想いが九割である。
「……あいつか」
直後、アルミナから目を逸らしてマルティアを見据えたシリカの胸の内では、一割の激情が一気に膨れ上がる。
よくもアルミナをこんな目に、と。瞬く間に一割だったその想いが十割まで膨張し、心模様が激怒一色に。
アルミナに見えない角度で今、シリカの表情は一番怖いやつになっている。
「や、あの……勝ちました、よ……?」
背中からでも感じる、シリカの今にも人を殺しそうな気迫。
別にマルティアに慈悲をとはさらさら思わないアルミナだが、それでも一言添えたくなるぐらい、後ろから見ても今のシリカは怖かった。
自分のために怒ってくれているのは嬉しいが、それでも身の毛がよだつほど怖いオーラが出ている。
シリカは倒れて気絶しているマルティアのそばまで近づいて、泡を吹いて失神しているマルティアを確認する。
完全に気絶中。それを確かめて多少はおさまりがついたのか、シリカは踵を返してアルミナのそばへと帰ってきた。
もしもマルティアに意識があったら、金属ブーツでその腹の辺りでも蹴飛ばしていたかもしれない。
「立て……そうではなさそうだな」
「いえ、あのっ……そ、そこまでお世話にはっ……!」
「いいから」
自分で駆けたり跳んだり出来なさそうなアルミナのコンディションを見て、シリカは力任せにアルミナを立たせた。アルミナがまったく力を使わずに立てた。
人を軽々しくひょいひょい操って、あっという間に背中に背負い込む。
左手でアルミナのお尻を支えて落ちないようにして、右手に騎士剣を握り、しっかり捕まっていろよと一言添えて体勢完了。
この状態で、たとえばヘルハウンド辺りに襲撃を受けても、恐らく普通に走って普通に剣を振るい、敵を始末できそうな人がシリカである。
「シリカさん、あの……ユースは……?」
「ん……」
彼女にとって世界一頼もしいシリカに背負われ、ほぅと息をつきそうなアルミナであったが、やはり一番心配な人のことは気になる。
シリカも少し、その問いには返答に詰まりかけたが。
「見たけど、大丈夫そうだった。一人で何とかしてくれるはずだよ」
ユースやらと比べたら、まだ隠し事の上手な方のシリカだから、その言葉が本当のものであるのかは少しだけわかりにくい。
こういう時は、アルミナの懸念を払拭するため、そういう回答を無条件に口にしそうな人ではあるから。
付き合いの長いアルミナには真意の程までわかる。自分のことをよく知っている後輩だとわかっているから、案外シリカも露骨な隠し事はしない。バレるだろうしと割り切っている。
大丈夫"そう"だった、一人でなんとかしてくれる"はず"。
確信的ではない言い回しで、100パーセントの自信があるわけでなく、もしかしたらの悪い結果もあり得るという含みである。
それでも分の多い方に懸けてここに来たんだよ、という素直なシリカの返答に、アルミナは変な気休めを吐かれるよりもよほど安心できるのだ。
戦場での判断力には秀でている人だから。
この人が大丈夫であると思う方に張ったのなら、きっと大丈夫だってアルミナは信頼することが出来る。
「まずはお前をセプトリアの兵士様に保護してもらう。走るぞ、しっかり捕まってろよ」
「はいっ……!」
アルミナを安全圏に送ったら、ユースの所へは私が駆けつける。
そう言ってくれるシリカの言葉を信じ、ぎゅっとその背中にしがみついたアルミナを背負って、シリカは素早く駆け始めた。
人を一人背負ってなお、普通の大人が普通に走るぐらいの速さで走るんだから、細身に見えてこの人の身体能力はやっぱりおかしい。
朝まで目を覚ますまいマルティアのそばには、シリカに仕留められたヘルハウンドの死体が数体。
フラックオース組の頭にあたる集団も、その大半が壊滅した。残るはユースと交戦中の、一家の長兄エディのみ。
ハフトの都を突如襲った、火の色をした悪夢のような騒乱にも、いよいよ終わりが近付いていた。




