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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

画面越しの殺人

作者: 天原ユエ

画面を隔てると、見えているはずのものも見えなくなる。


 今年は五月雨が殆どないと思っていたのに昨日は一日中、それまで溜め込んでいた水を一気に吐き出したような車軸雨だった。そして今日は六月も終わっていないというのに夏真っ盛りと思えてしまうような日差しが、雨上がりの砂浜にも容赦なく降り注いでいる。砂にしみこんだ雨水が海水とともに蒸発し、穏やかな波風は磯の香りがする蒸気を連れ去ってはくれず、海開きを前にした海の家は簡易的なスチームサウナの様相を呈していた。日陰にいるというのに止まらない汗が肌にまとわりついて、蒸し暑さによる不快感に相乗効果をもたらせている。余りの天候や気温の変わりように体調を崩しそうだ。


「海の家のバイトってこんなにしんどい物でしたっけ?」

「こんなに日が照ってればな。ま、忙しくなれば暑さなんて気にならないさ」


 先輩に誘われた海の家でのバイト。時給が割と高い事に惹かれて安請け合いしてしまったことを早くも後悔してしまいそうだった。客が来るのはまだ先の話だというのに、既に仕事が苦行に思えてくる。休憩中、これからの事を思うと肺の中のすべての空気を出し切るような深いため息や愚痴を吐かずにはいられない。先輩は何処吹く風でさらっと受け流しているが。

 今日の仕事は昨日の大雨のせいでいつもより多く打ち上げられたゴミなどを拾い集め、ビーチサンダルを忘れてしまったお客様でも安全に海水浴を楽しめるようにすることだ。ガラス片を裸足で踏んでしまった、等という事案が発生してしまえば管理側の責任にされ、客足も悪くなってしまう。それはつまりバイト代が減らされてしまうかもしれないということであり、当然ながら容認できることではない。かといってこんなうだるような晴天の中、照り返しの強い白浜に紛れた針を探す作業を一日中続けられるほどの体力も気力も湧かなかった。ゴールが見えず、下手すれば独りでに遠のくマラソンを、血を吐きながら続けるには高い時給という金銭的な欲望だけではモチベーションがあがらないのだ。はっきり言って、休憩時間の方が実際の清掃作業時間よりも長い。


「突然ですが問題です」

「……本当に突然ですね。とうとう熱で頭がやられたんですか?」

「こんなに暑いんじゃ無言だと気が滅入るだけだろ? クイズで気を紛らわせようという先輩からのありがたい気遣いだよ。遠慮せずに受け取りな」

「はいはい。それで? 問題は?」

「1980年に公開された映画“十三日の金曜日”の劇中において、クリスタルレイクのキャンプ場で大量殺人を行った人物のフルネームは?」

「ジェイソン・ボーヒーズ」

「ふっ」

「――の母親、パメラ・ボーヒーズ」

「なんだ、知ってたのか。マニアでも結構引っかかるんだけどな」

「“トレードマークとなっているホッケーマスクは三作目から装着したもの”並みに有名な話だと思いますけどね。第一そのクイズ、別の映画のネタでしょうに」

「ばれた?」

「バレバレです」


 といった感じで先輩と雑談などをしながら、休憩と休憩の合間に何となく仕事をしている体で規定の時間まで待つ作業をひたすら繰り返し、今日と言う一日の半分を棒に振る。


「なぁ、これ、見てくれよ」


山へ落ちる夕陽を背に帰れる時刻を今か今かと心待ちにしながら清掃活動のフリをしていると、先輩に肩を叩かれた。

 西日を背負って陰っている先輩の右手が持っているのはゴミ袋ではなく、旧式のデジタルハンディカメラ。近くに落ちていたようで、バンド周りや本体とバッテリーの隙間などには砂がこびりついている。


「聞かなくてもだいたい解りますが一応聞いておきますね。どうしたんですか、それ」

「さっきそこで拾った。打ち上げられてたみたいだな」

「予想通りの解答ありがとうございます。次の質問ですが、そんな風にカメラを構えていながら撮影をしていないのは何故ですか?」


 バンドを手に巻き付けて、折りたたみの液晶画面を広げておきながら、録画中を示す赤いランプが点いていない。それはつまり、先輩が録画しているフリをしているだけだという事。


「電源が全然入らないんだよ。バッテリー切れかな?」


 先輩がいくら電源ボタンを長押しても画面は真っ黒なまま。画面や本体には多少の擦り傷こそあれ、ひび割れや破損などの致命的な損傷は見あたらない。


「データそのものは無事っぽいし、ちょっと調べてみたいな」

「いいんですか勝手に持ち帰って。それ、どう見ても落し物ですよね? 警察に届けた方がいいんじゃありませんか?」

「こんなボロボロになってるのにか? 知らないとはいわせないぜ? 落とし物を拾った人間がそれを交番に届ける途中で汚してしまったら、弁償しなくちゃいけないことくらいな」

「だから傷だらけになっているカメラを届けてもあらぬ賠償を請求されるだけかもしれない、と。そういいたいわけですか。いつ傷が付いたかなんて水掛け論にしかなりませんからね」

「物を何処かに落とすとか忘れるって事は、そいつにとってそれはその程度の価値しかなかったって事だ。だから、価値を知っている人間がそれを拾って自分の物にした方が道具冥利に尽きるってもんだろ?」

「発想が盗人そのものですね。まぁ、大事な物には常に気を払うべきというのは同感ですが。……責任は鉄先輩が負って下さいね?」

「勿論」


 どのみち、このカメラをそこらに打ち上げられていたペットボトルのキャップや木の枝や海藻やビニール袋などと一緒くたに扱うことはできない。ゴミとして処分するにはこのカメラだけを分別収集しなければならないのだから。

 持ち主に届けるにも、本人を特定するために録画されているであろう映像を確認しておくべきなのだろう。

 ……正直なところ、このカメラの中になにが撮られているのかという単純な好奇心があった、というのが持ち帰って見たい一番の理由なのだが。


「おーい、鉄! 今日はもうあがっていいぞ!」


 先輩と拾ったカメラについて話していると、海の家の店長が終業時刻を知らせてくれた。雇い主としても下手に長居されて余分な残業代が発生してしまうのは避けたいのだろう。人手不足のせいで臨時に一人余分に雇ったのも拍車をかけたのだと思う。

店長に言われるまま先輩と一緒に粛々と荷物をまとめて帰途につく。問題のハンディカメラは先輩の鞄の中。結局、先輩の家でハンディカメラ、正確に言えばその中に保存されている映像を二人で見ることとなったのだ。一人暮らしの先輩の家で鑑賞した方が気兼ねしないでいいし、家族にカメラの出所を追及される心配もない。仮に映像の内容がいかがわしいものであったとしても気まずくなるのは二人だけで済む。異性がマンションの一室で二人きりというシチュエーションには思うところがないわけではないのも事実だが。

 先輩が住んでいるマンションの部屋は四階の角部屋。このマンション自体は五階建てだから、最上階の一つ下だ。最上階は一階に次いで狙われやすいという理由で四階を選び、空いているのがこの部屋だったらしい。そんな家賃の高そうな部屋で今先輩はハンディカメラとテレビを接続し、大画面で映像を見ることができるようにしている。二人で見るのにカメラに付いている液晶画面では小さすぎるし、テレビで見た方が気持ち画質はよく見える。そこらの貧乏学生がおいそれと手が出せないような高品質の薄型テレビなら尚更だ。


「慣れた手つきですね。ずいぶんと」

「まぁ昔色々と撮ってたからな、この程度朝飯前さ。よーし、準備完了。じゃ、早速再生してみますか」


 茶菓子を口にしソファーに座りながら待っていると、先輩はリモコン片手に隣に座ってきた。少し、近い。

 映像は青い水平線から始まっていた。コンクリートの地面が見えるから、きっとどこかの港か船着き場なのだろう。波の音とウミネコの鳴き声に交じって若い男女の声が聞こえる。


《そろそろ集合時刻だってのにアイツはなにやってんだぁ? ったくよぉ》


 カメラが陸地を向くと、数人の男女が映し出される。髪の長い少女、大きなマスクをつけた少年、サングラスをかけた男性、帽子を深くかぶっている女性、本を読んでいる男性。先ほどの声はサングラスの男性の物だろう。腕時計を確認しながら、苛立っているように右足を貧乏ゆすりしている。この映像を撮影しているカメラマンを含めればその場に居るのは六人ということになるのだろう。カメラマンはどうか解らないが、少なくともビデオに写っている人物は全員先輩と同世代のように見える。苛立っている彼はおいておくとして、そんな男女が港で和気あいあいとしているだけの映像なのだが、何か引っ掛かる。


「この人達、どこかでみたことがあるような?」

「……映画研究会のメンバー、だな」


 映画研究会。一般的に言えば、規模の大きい学校ならそれなりに高い確率で存在しているであろう、自主映画の撮影と上映を行っている部活動のことだが、先輩が口にすると少し意味合いが異なってくる。かといってほかの学校とは定義が異なっているだとか、違う部活の何かの隠語であるだとかではなく、ある一点以外はごくごく普通の映画研究会だった。

 去年、合宿という名の収録中にある事件があって、出席していた監督や脚本家や主演俳優と言った主要メンバーが全滅。それを受けてロケに参加しなかった部員のほぼ全てが自主的に退部した結果廃部になったというただ一点を除けば他の映画研究会と何も変わらない。

 そして先輩も映画研究会の元部員で、事件があったという知らせを聞いて映画研究会を離れた一人。

 目の前の画面に映っているのは先輩の仲間であり、その事件の当事者たち。この映像は真相が解明されないまま世間から忘れ去られたこの事件の全貌を克明に切り取っているのかもしれない。それはつまり、手がかりが残されていて、事件の犯人が分かるかもしれないと言うこと。

 カメラマンを除いた五人全員が映っている所で画面が一時停止される。先輩がリモコンを操作して止めたのだ。


「お前にもわかりやすいように紹介しておこうか。ちょっと事情が特殊なんでな」

「はぁ、別にいいですけど」


 確かに、人間関係や部内の立場なんかは映像を見て読み解くより直接教えてもらった方が楽だ。


「左から順に説明するか。室田澪、映画研究会の主演女優」


 先輩は髪の長い少女を指して言った。映画映えしそうな顔立ちだ。最近消耗品のように出ては消えてを繰り返しているそこらのアイドルよりもよほど華がある。薄手のブラウスから覗くスタイルも申し分なく、スカウトされれば銀幕デビューも夢ではなかっただろうに。


「中津川則明、脚本兼演出兼美術兼助演男優」

「ちょっと色々待ってください、兼ねすぎて訳が分からないです」


 長い前髪でできた影の所為か目元に濃い隈があるように見え、顔の下半分を隠す大きなマスクをした猫背で小柄の少年が、そんなに仕事をこなせるようには思えなかった。こなしているからこそ不健康に見えるのかもしれないが。


「脚本も演出も美術も、監督の眼鏡に適う仕事ができるのが中津川しかいなかったんだよ。器用貧乏ってやつさ。ついでに、予算の都合でロケは必要最低限の人数で行うから、脚本や監督だって役が回される」

「監督兼俳優……、ワスカバジスタイルか何かですか?」

「あれは特殊な例の中でも更にアウトサイダーだから。流石にあそこまで酷くはないって。……次行くぞ。その監督、映画研究会会長、倉沢清志」


 彼は浅黒く日に焼けていた。何となく人生経験が豊富そうな精悍な顔立ちで髭も濃いからか、他のメンバーに比べると数年分は年上に見える。一応、当時の先輩と同学年なのだとか。今見ても画面の中の彼の方が先輩よりも年上に見えるのは気のせいということにしておきたい。


「その隣にいるのが副会長の花沢姫乃、助演女優。監督とデキてるって噂もあったんだが、今となっちゃなぁ」


 そう言われてみると、監督に寄り添うようにしている彼女が帽子を深くかぶっているのは恥ずかしがっているからであるようにも見える。顔は隠れてよく見えないが、その口元は照れ笑いの様な笑みを浮かべていた。長袖のジャケットから覗く紫外線を未だ知らないような真っ白な肌は、監督と並ぶとより際立っている。


「主演男優、棚瀬隆夫。寡黙な奴だったが、演技力は誰にも負けてなかった。どんな役でも完全にその役になりきるって言うか、役そのものと化すって言うか、普段のアイツも演技の一部と思えるくらいの凄い俳優だったよ」


 彼が読んでいる本のタイトルは『そして誰もいなくなった』。アガサ・クリスティー不朽の名作。絶海の孤島で起こる連続殺人を描いたその推理小説は役作りの一環としてなのだろうか。線が細く顔も整っていて、先輩の言う通りの演技力ならば舞台俳優として名を馳せていた未来もあったかもしれない。


「で、カメラマンは……、確か万谷裕だったか。カメラマンは何人かいたんだが、この合宿に参加したのは万谷だけだったはずだからな」

「あぁ、思い出しました。確か新聞に載ってましたよ。事件があった島の近くで、水死体となって発見されたとか」

「そうだな。そいつで間違いない。警察もマスコミも万谷を犯人だと思ってるみたいだが、俺はそうは思わないな」


 画面に映っていないから本当にこのカメラマンが万谷裕本人なのかはわからないが、万谷裕自身の顔は写真で確認している。何処にでもいる普通の男子学生といったような顔だった。

事件があったのはある無人島。そこに建っていた洋館は何者かが放火したことにより全焼し、そこから五人の焼けた死体が発見された。五人とも焼かれる前に殺されていて、そのうち何人かは死後数日経過していたらしい。死亡推定時刻が最も新しく、最後に死んだと思われるのが万谷裕という人物であり、どのマスコミも暗に犯人扱いしていた。事件について報道された全容はこんなぐらいか。


「根拠を聞いてもいいですか?」

「死体発見まで結構時間が経ってる。死亡推定時刻って言うのは死んでから時間が経つほど幅が出てくるから、死んだと思われる順番がどこかで狂っている可能性は十分にあるわけさ。ただ一人だけ館から離れていただけで犯人扱いするのはナンセンスってもんだ」

「なるほど。じゃぁ先輩はどうして一人だけ水死体で発見されたと思いますか?」

「万谷に罪を着せるため。死人に口なしってやつさ」

「では犯人は他にいると?」

「俺はそう思ってる」

「解りました。じゃぁ続きを見てみましょうよ。もしかしたら犯人が映っているかも知れません」

「あぁ」


 先輩はリモコンのスイッチを押して、映像の中の停まった時間が再び動き出す。シーンとしては、苛立っている監督に電話がかかってくる、といったところだろうか。


《はっ、噂をすればなんとやらってか?》


 相手は待ち合わせの時間になってもやってこない七人目らしい。遅刻か欠席の旨を伝える電話だろうか?

監督は荒っぽく通話ボタンを押し、左手をズボンに突っ込みながら携帯電話を耳にあてた。


《はぁ?! 熱が出ただぁ?! 休みたいだとぉ?!》


 しばらくして聞こえてきたのは監督の罵声。通話相手の声は、このカメラに内蔵されたマイクでは拾えなかったようで聞き取れない。


《ざけんな! っていうか何処にいるんだよてめえは、さっきから声が聞き取りにくいんだよ! ――っち、切りやがった……、くそったれがぁ!》


 監督が役者のドタキャンに対する苛立ちのあまり持っている携帯電話を天高く振り上げ地面に叩き付けようとするのを他のメンバー、特に花沢さんが抑える場面が、迎えに来たであろう漁師が声をかけるまで続いた。


《あー、島へ行くのは七人って聞いたが……、その様子じゃ一人は来ないみたいだな》

《……仕方ねぇ、アイツなしで行くぞ》

《いいんですか監督?》


 異を唱えたのはくぐもった低い男声。マスクをしている中津川さんのものだろう。


《良いも悪いもあるか。大事な時に体調崩す奴なんてロクなもんじゃねぇ。泣いて頼まれても二度とカメラに入れてやるかってんだ》

《てっちゃん先輩も可哀想に。ご愁傷さま》


 室田さんが大して残念ではなさそうに、この先映像に入れなくなった人物に対して憐みの言葉を向ける。当然その言葉は対象には届かないのだから、単に言ってみたくなっただけなのだろう。


《食料が一人分余るな……。足りないよりはましか》


 やや大きな声だが、独り言のように呟いた棚瀬さんは既に役に入っているのだろうか。彼自身の荷物はショルダーバッグのみのようだ。


《……時間おしてるから、早く行きましょう》


 花沢さんに言われるまま映画研究会のメンバーは船に乗り、ついに出港した。中型の漁船は飛沫をあげて波間を走り、島へと向かう。彼らにとっての収録現場であり、後に起こる事件の舞台へと。


「しばらくは船旅が続くっぽいな」

「映像の長さから考えても、結構かかりそうですね。ちょうどいい機会です。彼らが撮影しようとしていた映画について詳しく説明してくださいよ」

「……確かタイトルはサービュランスマーダー。無人島に集められた男女に強要されるデスゲーム。まぁわりとありがちなソリッドシチュエーションものだな」

「二匹目のドジョウかウサギを狙おうとする人は後を絶ちませんから。それにしても、わざわざ無人島まで行くぐらい本格的なのに、一体どうして撮影がこんなハンディカメラなんですか? 映画撮影用の八ミリとかは無かったんですか?」

「あったにはあったんだが、予算の都合、だろうな」

「映画研究会の予算ってそんなにないんですか?」

「機材は購入より維持に結構金がかかるもんなんだぞ? それに、この事件の少し前にお前の言う映画撮影用の八ミリカメラを修理に出したものだから、雀の涙ほどしか残らなかったらしい」

「なるほど、だからこんな安物のカメラで妥協したんですかね」

「言ってやるなよ。限られた予算内でやりくりしないといけないんだから」

「……あれ、ちょっと待ってください。それじゃこのロケの費用は何処から出てきたんですか?」

「言い方が悪かったな。このロケに使う費用は先に支払ってたんだよ。で、少なくなったところにトドメを刺されたってわけさ」

「なるほど。所で、事件のあった島、酉島と言いましたか? どうしてそこを選んだのでしょうか?」

「今や無人島もレンタルできる時代になったんだよ。で、映画研究会の予算と自分たち自身の金で借りることのできる現実的な値段だったのがそこだったのさ。いわくつきの洋館が建ってるってんで、格安だったのも幸いしたな。何でも、その昔集団自殺があったとかで」

「そんな洋館で撮影と宿泊をすると、そういう事ですか。ちょっと正気を疑いますがそこは置いておきましょう。日程はどんな感じだったんですか?」

「五泊六日で、その間は邪魔が入らないようにあの漁師には様子見に来ないよう言っておいたみたいだな。救急箱も持ち込んでいたし、何か起きても六日目の夕方にはその漁師が迎えに来る予定だったから、よっぽどのことが起こらない限り問題はなかったはずなんだよ」

「それで、よっぽどのことが起きてしまったと。近くを船が通りかかることはなかったのですか?」

「潮の流れが少し変わっててな。あの島の辺りは金になるような魚が全く獲れないものだから、地元の漁師も近づくことは滅多にないらしい。あの船だって漁のついでって感じだし。ただ、ちょっとしたモーターボートでもいけないことは無いんだよな」

「つまり本土から酉島へ行くこと自体は誰でも十分に可能だったと?」

「そういう事だ。ま、片道一時間ぐらいって所だろう。あの船ならもっと早くつくだろうが」

「意外と近いんですね。もっと遠いと思ってました」

「でも、ガスも水道も電気も通ってないから当然基地局も無いわけで。近くでも遠くでも携帯は圏外だろう。無線機なんて持ち込む金もないしな」

「何かがあっても助けも来ないし連絡も取れない。クローズドサークルにはもってこいの環境ですね」

「実際そうなっちゃわけないがな」


 先輩との会話が途切れたのでテレビの方に視線を変えると、船は着々と島へ近づいているようで、稜線が見えてきた。切り立った断崖も見える。洋館が建っているというだけあって、それなりの面積を有しているようだ。人が宿泊できるようになっているということはリゾート計画でもあったのだろうか。


《あれが酉島だ。……それにしても本当に大丈夫なのかい学生さん。これから五日間様子見に来るな、なんて言って。あんなことがあったっていうのに》


 映像の中で船を操舵している漁師が言った。精悍な顔つきの彼は、未来ある若者たちを心配しているようだが、往々にして若者はそう言った忠告を無視するものだ。


《あんなことって、集団自殺の事? 私達には関係ないことだし、むしろ雰囲気でていい画が取れるんじゃない?》


 室田さんが楽観的に受け流す。幽霊などといったオカルトをまるで信じていないような口ぶりだ。


《旅行会社に何吹き込まれたかは知らんが、やっぱり止めといたほうがいいんじゃないか? 出るって噂もあるし》

《そんなこと言ったら余計やる気出しちゃいますよソウタさんは。本物が映ったら名が売れるって》

《余計なこと言うなよナギサ。それじゃ俺がただのがめついプロデューサーみたいになるだろうが》


 監督と花沢さんも全く聞く耳を持っていない。何かがおかしかったような気がするがとりあえず今は置いておくことにして。


《困るなぁ……もう……。台本書き直さなきゃなぁ……。やだなぁ……》

《一日目はそっちに費やしますか? ヤシマ先輩》

《ここで修正できるところはここで修正しないと……。撮影は先輩がいないシーンからするだろうからもう少し時間は稼げると思うけど……。あぁ、コイケ君、ちょっと手伝って》

《解りました》


 不健康そうな顔をさらに真っ青にして台本を確認している中津川さんとその様子を見て手伝おうとしている棚瀬さんはそもそも漁師の話が耳に入っていないようだ。そしてやはり何かがおかしい。と言うより、事実と決定的に異なっている部分がある。


「鉄先輩、一つ……いえ、二つ、聞いていいですか?」

「何だ?」

「さっきから鉄先輩が紹介している人の名前が、映像の中でことごとく違う呼ばれ方をされているのですが?」

「事情が特殊だって言ったろ? 合宿っていっても撮影だからな。役者の意識を高めるためにカメラが回っているときは役の名前で呼びあうっていう長年の伝統があったんだよ。うちの映研には」

「……ちょっと意外ですね。あの監督そう言うの撤廃しそうな感じなんですけど」

「清志は割とそう言うのにはこだわるタイプだったからなぁ。……それに、これは持論だが、普段と全く違う自分を演じ続ければ咄嗟の時にも素が出なくなるものさ。アドリブで一番怖いのが役と演者が乖離することだからな。そう言う面を鍛えるって意味もあったと思うぞ?」

「ではもう一つ。口ぶりから察するに、先輩も参加する予定だったのではありませんか? てっちゃん先輩」

「あぁ。高熱のせいで行けなくなったけどな。先に言っておくと役名なんてもう忘れたぞ?ただの脇で台詞もそんなに無かったしな。っていうかてっちゃん言うな。言うにしても先輩はつけるなよ。字面がとてつもなく情けないからさ。これでも割と気にしてるんだぜ?」

「まぁ、ちゃん付けは似合いませんからね、鉄先輩には。それはさておき、少し残念です。先輩がどんな演技をする予定だったのか興味があったのですが」

「その割には全然落胆しているように見えないんだが?」

「そんなことよりも、早いとこ続きを確認しましょう」


 先輩の話を軽く流しつつ、再び映像に視線を戻す。


《本当に残念ね。てっちゃん先輩も来ればよかったのに》

《おいケイコ》

《あ、ごめんなさい。もう話題に出しません。それでいいんですよね監督?》

《今はサカクラと呼べよ。次はないぞ》

《はーい》


 監督にケイコと呼ばれた室田さんは悠々と海を眺めていた。監督はサカクラソウタと言う名前の役を演じるらしい。同じ理屈で花沢さんはナギサ、中津川さんはヤシマ、棚瀬さんはコイケ、という人物の役を演じる、ということになる。何だか既に頭が痛い。


《ったく、なんでこんな時に限って熱なんて出すかね》

《台本、島に着くまでに修正しきれるかなぁ……》

《いっそのことケシカワに代役やらせるか?》

《無理無理!絶対無理ですってばぁ!》

《冗談だ馬鹿。お前があいつの代役なんて無理ありすぎるだろうが。常識で考えろ。それとも俺がそんな馬鹿に見えるってか? 大体な、カメラマンが何口出ししてんだよ!》

《滅相もございません! もう黙ります!》


 監督の無茶振りに反応したケシカワなる人物の声は、それまでに聞いたことのない男性の物だった。状況から考えると、万谷さんのもの、ということになるのだろうか。

 どうやらこの映画研究会は監督のワンマンで成り立っているらしい。そう言えば彼らは自主製作の映画でなにがしかの賞を獲ったと聞いたが、何だったか。監督の腕が評価されたのは記憶に残っているのだが。そう言うわけで監督の言うことに逆らえない支配体制のようなものが映像から垣間見える気がする。


《で、だ。さっきからずっとカメラ回してるがな、お前それでバッテリーもつのか?》

《大丈夫です、充電器も予備もありますから!》

《……予備はまだいいとして、充電器どうやって使うんだよ》

《あ》

《馬鹿かお前は。えっと、その、馬鹿なのかお前は?》

《すいません……》

《もういい、お前にはもう何も言わん。とりあえずもったいないから俺が指示するまで切っとけ》


 監督のセリフを最後に映像は一旦途切れた。


――


 船が島に付くころには、日は高く昇っていた。


「じゃぁ、俺たちは戻るが、本当にいいんだな?」


 映画研究会のメンバーを船から降ろすと、漁師は再度確認する。その言葉の裏には何があっても自分は責任を取らないというある種の意思表示があった。


「ええ。では手筈通りにお願いしますね」


 花沢が漁師に念を押し、船は島を離れていく。徐々に小さくなっていく船を背に、映画研究会のメンバーは館へ向かって歩き始める。

 一本道を二十分ほど登ると、洋館が見え始めた。

 雑木林に囲まれ、白を基調にした外壁にはツタが絡みついているその様は、いわくつきという言葉に拍車をかけている。


「あら、予定より早いのね」


 映画研究会の面々が到着するや否や、玄関から一人の女性が出迎えてきた。その声は少し掠れている。


「……おい塔子、なんでお前がここに居るんだよ」

「良いじゃないのべつに、ワタシがここに居る理由なんて、些末でしょう?」

「お前なぁ……!」

「それに、機材を別個に運び入れようなんて前日に突然言い出したアナタにも責任はあるんじゃない? いくらモーターつきのゴムボートを持ってるからって、ワタシ一人に全部押し付けるだなんて」

「機材の運搬に時間をとられるのは嫌だって言いだしたのはお前の方だろうが。それにあのゴムボートに機材を乗せたら、人間は操縦する一人しか乗せられないことなんてお前に言われて初めて知ったんだぞ」

「事前に言ってくれれば船も借りれたんじゃない? 今日みたいに。そしたら人手が足りないなんてこともなかったのに」

「船を借りる予算なんてもう出せるわけないだろうが。いいか? この映画が失敗したら今以上に予算が出なくなるんだぞ?」

「だからってキャストに無理させるのはどうなのよ。海が荒れてた所為でちゃちなボートしかなくて帰れなくなったワタシはここに泊まる羽目になったのよ? おまけに雨の中長い間外にいたせいで風邪までひいちゃうし、ゲホゲホ」


 彼女はわざとらしく咳をして、ちらちらと監督に視線を送った。


「ぐっ……」

「それに、ここではワタシのことを摩耶って呼ぶんじゃなかったの? まさかとは思うけど、そっちに行けなかったからっていう理由だけで、おまけにその原因がアナタにあるにもかかわらず、このワタシを出演させない、なんてことはないわよね? 坂倉蒼汰カントク?」

「……好きにしろ」

「そうこなくっちゃ、ね?」


 船でやってきた六人に加え、前日から洋館に泊まっていた一人の計七人が、この酉島に滞在する総人数である。

 彼らは知らない。これからこの島で起こる惨劇を。漁師が再びこの島に訪れる時には、生きている者は誰もいなくなっていることを。


――


 場面は飛んで、食堂と思われる部屋で各々が座っているシーン。カメラはテーブルの短辺から食卓を囲んでいるメンバーを映していて、向かって左手前から時計回りに室田さん、棚瀬さん、花沢さん、監督、中津川さんの順に座っている。


《『昨晩の内にケシカワが殺されたとなると……、やはりこの中に殺人鬼がいることは間違いないようだな』》


 両肘をテーブルに乗せ、口の前に指を組む監督の若干芝居がかった演技は、これが映画本編の撮影中であることを示していた。先輩がいないシーンから撮りはじめ、後で編集するつもりだったのだろう。


《『誰なのよ殺人鬼は! いい加減名乗り出なさいよ!』》


 花沢さんはヒステリックに叫んで、両手をテーブルに叩き付け立ち上がる。勢い余って彼女が座っていた椅子がガタンと音を立てて倒れた。


《『もう嫌! 私こんなの耐えられない! 部屋に籠る!』》

《『あっ、おい!』》


 そのまま花沢さんは棚瀬さんの制止を振り切ってフレームアウトした。どうやら彼女が演じるナギサという女性は、この後部屋で殺されているのを発見されるお決まりのパターンを構成する役回りらしい。


《『そんな時こそ皆で固まって行動した方が良いっていうのに……』》


 棚瀬さんは拗ねたように腕を組み、椅子に体重を預ける。なるほど役になりきるとはよくいったもので、船での落ち着いた態度が嘘のように場を仕切りたがる人間の役を演じているようだ。


《『……追わなくていいんですか、彼女? 貴方の大切な人なのでは?』》

《『はっ。俺たちがここに居るならあいつが殺されることも無いだろ。こうやって互いに見張り続けてる間は、誰もあいつを殺しに行けないんだからな』》


 中津川さんがわざわざ椅子から立ち上がって、監督の耳元で囁く。その声色はひどくねっとりとしたもので、異性に対する誘惑のようにも聞こえる。彼が演じるヤシマという人物は大っぴらに言えないような、そういった役回りなのだろう。劇中でのトリックスターにもなるかもしれない。

 対する監督は普段通りの様な威圧的な態度だったが、口調はより尊大になったように思える。立場としては、ナギサという女性とは恋人同士で、序盤では冷静に判断を下して実質的に場を支配するが、終盤に向けて想定外の事態に取り乱した挙句殺される、と言う感じだろうか。これまで見てきた映画のパターンだとおよそそうなる。


《(いずれにせよ、早く“敗者”を見つけなきゃ……、みんなが、殺される! 一体誰が“敗者”だって言うの?!)》


 室田さんの顔にカメラがより、彼女の目線のようにカメラがテーブルを囲んでいる男性を映していく。彼女の声でモノローグが入っているということは、この映画の主人公は彼女が演じるケイコということになる。売り出しのためにアイドルや芸能人をごり押しで起用した吹き替えなどとは違い、棒読みではない緊迫感が伝わる声色と言い、室田さんを主演に据えた監督の采配は流石だと言える。あるいは、彼女の天賦の才によるものか。


《……はーい、OKでーす》


 数秒の沈黙の後、万谷さんの声が入り、撮影中独特の緊張した雰囲気から、一気に弛緩したものとなった。演者達はそれぞれ大きく息を吐いたり、伸びをしたり、椅子の背もたれに思い切りもたれかかってそのまま机の下に沈んでいくなど、様々だ。画面から消えていた花沢さんが戻ってきて、両手を擦りあわせながら席に着いた。あのシーンで掌を痛めたのだろう。それを心配そうに見つめる監督と、その一部始終を撮影されていることに気付いた監督がカメラを奪い取ろうとして躍起になっているのを中津川さんと棚瀬さんが止めて、その後ろでケラケラと笑いながらただ見ているだけの室田さん。どう見たって、どこにでもあるような映画研究会の撮影風景。ありふれた青春の一ページ。画面の中の彼らもきっと、そんな日々がずっと続くと思っていたのだろう。この後何者かの手によってそんな平穏が死で壊されてしまうなど誰が予想できただろうか。

 その後も撮影は何度か行われ、NGシーンや休憩中の映像など、ホームビデオ特有のゆるい空気も織り交ぜながら進行していった。本編に関わらない映像は編集でカットはするが、記録としては残しておく方針らしい。

 その日に予定されていたスケジュールは全て終わったのか、次のシーンではパーティーの様な食事風景が移されていた。


《それそれそれそれ!》

《イッキ! イッキ! イッキ!》


 腕時計の文字盤がアップで映り込み、カメラマンのグラスを持った左手がフレームアウトして、画面が気持ち上に傾く。恐らくグラスになみなみと入った飲み物を一気飲みしているのだろう。炭酸が入っているからアルコールだったとしても度数は低いのだろうが、この辺の安全や健康に配慮しない行為は流石大学生のノリと言うか、何というか。


《あ゛~!》


 それを飲みきった万谷さんのゲップ混じりの声と共に画面が真っ暗になる。

 また場面が飛んで、明かりが消えた洋館の廊下のようだ。夜も更けて皆寝静まっているのか、物音は殆どなく、遠くから聞こえる潮騒や夜行性の虫や鳥の鳴き声だけだ。抜き足差し足忍び足といったように画面はゆっくり移動していく。カメラマンがたてる足音も、体重が移動したことによって生じる床の軋みの音も無しに、カメラはゆっくりとドアに近づいた。

 それの正面に立ち大写しになったのは“井沢渚”の文字が書かれたプラスチックの板。恐らくは部屋割りも役名で行われたのだろう。伝統故か、あるいは撮影用の小道具なのかはわからないが。

 カメラマンはゆっくりとドアノブに手をかけ、極力音が出ないようドアを開ける。鍵は初めから付いてないようだ。そのままカメラマンは音もなく侵入し、ベッドで眠っている井沢渚――もとい、花沢さんへ近づいていく。カメラマンの左手が花沢さんの肩をゆすり、それで目を覚ました花沢さんの開いた口を人差し指で静かにするようにと言いたいように抑える一連の流れは、まるで往年の寝起きドッキリの一部のようだった。

 するとここで音声が一切聞こえなくなる。カメラマンがマイクをオフにしたのだろう。起き上がった花沢さんに趣旨を説明しているようだが、その説明が一切聞こえない。時折話を理解したらしい花沢さんが頷いているのが映っているだけだ。花沢さんが立ち上がるとカメラは回れ右をして壁を映している。恐らくは着替えの為だろう。しばらくしてカメラが振り返ると、着替え終わった花沢さんが笑顔で手を振っていた。そのままカメラマンの誘導に従うように、花沢さんは部屋を出て、カメラがその後を追う。

 マイクがオンになったのか、再び物音が聞こえるようになった。にも関わらずカメラマンと花沢さんの間に会話がないのは、恐らく他のメンバーを起こさないようにとカメラマンに言われたからだろう。廊下を歩いていき、二人は食堂へたどり着いた。前を歩いていた花沢さんが振り向いたことから、ここで何かをするということだろうか。


《それで……、どうやってソウタさんに一泡吹かせるっていうの――っ?!》


 少し不機嫌そうにカメラを見つめる花沢さんの顔が見る間に蒼白となっていく。画面の端にはカメラマンの左手と、それに握られた銀色に光るナイフ。画面が上下に揺れ、花沢さんとの距離が一気に近づいていく。怯んで動けない花沢さんの腹部にナイフが刺さるまではほんの一瞬だった。カメラマンはナイフから手を離すと花沢さんの喉を殴りつける。恐らくは声を出させないためだ。花沢さんは叫び声をあげることも出来ず苦悶に表情を歪め、潰されたであろう喉を両手で抑える。カメラマンは腹部に刺さったままだったナイフを握り、抉るように捻ってから抜いて、再び突き刺す。突き倒して、馬乗りになってからは容赦なく、何度も何度も振り下ろしては抜くを繰り返す。はじめこそ暴れて身をよじっていた花沢さんだったが、徐々に動かなくなっていった。

 この犯行の一部始終がカメラに収まっているということは、犯人はカメラを構えたまま殺人を行っているという事になる。単純にいえば、片手を封じて犯行に及んでいるという事。効率を度外視するほどまでに情熱を注ぎ撮影されたスナッフシアター。殺すことそのものが目的であり、自らの犯行を映像に残す自殺行為をしてまで作品を完成させた異常殺人犯。

 犯人の凶刃に倒れた花沢さんの体から血が溢れ流れていく。見開かれた目から徐々に生気が失われていき、その両端からは涙がこぼれ落ちる。口からは夥しいほどの血を垂れ流し、彼女の顔を汚していく。

 確かにこのビデオは事件の一部始終を克明に写し撮っていた。殺人犯人が残したという最悪の形で。


「うっ……、うぅ……」


 自分でもわからないうちに、胃から酸っぱい匂いがこみ上げる。大量の液体が食道をせりあがってくる感覚。思わず両手で口を押え、何とか外に出るのを抑え込む。先輩が背中をさすってくれていた。


「……少し休憩にしよう。実のところ、俺も気分が悪くなってきてな」


 先輩は顔をしかめながらリモコンを操作して映像を止め、テレビの電源を切った。ドラマや映画などではない、本当の殺人を目の当たりにして、その程度で済んでいるのはそれでどうかと思うが。しかし気分が悪い状態でこの映像を見続けるのは精神衛生上よろしくないから、休憩は本当にありがたかった。

 先輩が淹れてくれた紅茶を飲んで、呼吸を落ち着ける。


「どうだ? 少しは落ち着いたか?」

「えぇ……、もう大丈夫です」

「そうか……、少し整理してみよう。このカメラはバンドが右側にあるから、右利き用だ。そもそもこういう製品はたいてい右利き用に揃えられてるからちょっと不便なんだよな」

「まぁ、右利きの方が圧倒的に多数ですからね。こういう商品は大衆受けがいい方が売れますから。それで先輩、犯人は右利きだとでも言いたいんですか?」

「いいや? 犯人は左利きだろう。利き手を潰してできるほど殺人は甘くない。少なくともあんな風に片手で深くナイフを人体に突き刺すなんてのは、利き手じゃない方の手でやるのは無理だな」

「あるいは両利きかも知れませんね。刺している間も手ぶれがほとんどありませんから」

「こんな旧式じゃ手ぶれ補正なんてのもあるかどうか疑問だしな、と言いたいところだが、カメラの扱いになれていればある程度は抑えられるぞ。走ってる間は大分ぶれているみたいだが」

「実際の映画ならカメラをレールに乗せるんでしょうけどね。手ぶれがある分、この映像が本物だという証拠にもなるんでしょうが」

「やはりあれも撮影の一部と思いたかった、か?」

「えぇ。……でもやっぱり、本物、でしょうね。あの表情といい、血の色といい、演技や作り物とはとても思えませんから」

「ナイフを抜いた後傷口から血が出る様も合成とは思えなかったしなぁ……。ましてCGなんてこんな安物のカメラじゃあり得ないし」

「うぅ……」

「思い出しちまったか? もう少し休むか?」

「いえ、結構です……。話を続けていた方が気がまぎれますから。……それはそうと、本来撮影する予定だった映画……、そう、“サービュランスマーダー”と言いましたか。それについてもう少し詳しい説明をお願いできますか?」

「それは構わないが……、どこから説明するかな。内容はさっき言った通りのソリッドシチュエーションもの、デスゲームについて、とかが良いか?」

「えぇ、そうしてください。最初の方で室田さんがモノローグで言った“敗者”についても気になりますし」

「デスゲームって言っても、大したものじゃない。洋館の中にいる殺人鬼を当てる、推理ゲームみたいなものさ。一人、また一人と殺人鬼に登場人物が殺されていき、残された手掛かりをもとに殺人鬼の正体に迫る、そんな所だな」

「つまりはその殺人鬼が“敗者”だと?」

「いや、そうじゃないな。殺人鬼の正体に迫るヒントを“敗者”が握っているんだ。台本だと、冒頭のシーンでもっと細かいルールに関しての説明があるんだが……、正直な話よく覚えてないんだよな」

「台本、もうないんですか?」

「事件があったって聞いてすぐ捨てたよ。俺も巻き込まれたかもしれないと思うと怖くなってな」

「でも先輩、参加するつもりだったってことは台本を読み込んでおくものじゃないんですか?」

「……俺の役はな、“主催者に反抗して見せしめに殺される”ってやつなんだよ。悪趣味なことに電気椅子でな。序盤の序盤で死ぬヤツだ、セリフなんてたかが知れてる。そうだろ?」

「成程、確かにそれなら監督が先輩なしで撮影しようとしたのも納得できますね。台本次第では別撮りでなんとかなりそうですし」

「そう言うこった。だからこの映像も二人死んだ後の場面から始まったんだろうさ。俺が一切かかわらないシーンだからな」

「それだったらケシカワ、あぁ、いえ、万谷さんが殺されるシーンから撮り始めるのでは?」

「洋館が借り物だって事忘れてないか? 血糊使ったってすぐ拭き取らないと痕が残って損害賠償ってことになりかねないだろ? だからそういった血糊使うシーンは全部最後に持っていくつもりだったんだよ。撮り終わった直後に拭き取れるし、まとめて掃除をした方が楽だしな」

「そういう事ですか。……映画の中では誰が敗者で、誰が殺人鬼だったのか、覚えていませんか?」

「いいや……、あ、待てよ? そういや敗者は万谷が演じる役……、芥子川準だったな。そいつの部屋に封筒が置かれてて、その中の便せんに“殺人鬼は一番”と書いてあった、みたいな感じだった気がするぞ」

「一番……、何の、でしょうね? 年齢、成績、あるいは何かの番号?」

「あぁそうだ、思い出した思い出した! 犯人は室田演じる相生恵子だ。一番って言うのは出席番号のことだった!」

「主人公が犯人とは……、また随分と。……モノローグで思いっきり嘘言ってませんか?」

「相生恵子は二重人格ってオチだったからな」

「また叩かれそうなネタですね……。脚本的にどうなんですかそれは……」

「色々伏線張ってたみたいだぞ? 中津川はその辺上手くやったみたいだから」

「使い古されたネタでしょうに……。よっぽど自信でもあったんでしょうか?」

「多分な。あいつ結構自尊心高いところあるし。自分の役を天才系のキャラに割り振る辺り自分を“万能の天才”と暗に言うような人間だったからな。セリフでも自分の右に出る作家はいないとかなんとかいうのも入れてくるし」

「よっぽど自己顕示欲が強かったんですね。……話を戻しましょう。芥子川準が敗者である理由が明らかになっていませんね。それはどうなんでしょうか?」

「……駄目だな。思い出せん。あるゲームをしていたってことまでは覚えてるんだが」

「そのゲームの内容までは覚えていないと……。続きを見てみましょう、何か分かるかもしれません」

「いいのか? 本当に」

「この映像を見てしまった以上、犯人に繋がる証拠が出てくるかもしれません。確かに警察に証拠として提出するのが正解かも知れませんが、これを撮影した犯人を、この映像をもとに捕まえることこそ、この映画研究会の人たちへの弔いになるのではありませんか?」

「……そうだな、その通りだ。あいつらの無念を俺たちが晴らす、いや、晴らさなきゃならない、そういう事だな」

「えぇ。先輩、続きを」

「わかった」


 テレビの電源が入り、映像は再び再生される。場面は花沢さんが殺された直後暗転してから、朝を迎えた食堂に移る。当然、殺害された花沢さんの亡骸もそこに放置されたままのはずだったのだが、遺体が何処にも映っていない。血痕は残っているのだが、肝心の死体が何処にもないのだ。


《何なんだよおい、この血は……、おい! 誰なんだこんな悪戯しやがったのは!?》


 監督が苛立ち、怒鳴り散らす。ただ一人姿を見せていない花沢さんを除いた残る三人はただ委縮するばかりだ。このカメラで撮影している万谷さんもそうなのだろう。監督以外の全員が押し黙っている。


《渚もいねぇし! どうなってやがるんだ一体!》

《ひょっとして、その渚先輩だったりして》

《あぁ?! てめぇ、ふざけたこと抜かすんじゃねぇぞ!》

《渚先輩、もう死体の役しかないし、暇になったんじゃありませんか? すぐ死ぬ役に不満があって、サカクラ先輩に構ってほしいからって、こんなことしたのかもしれませんよ?》


 室田さんは監督を煽るようにまくしたてる。その表情はとても喜々としていた。


《サカクラ先輩、スケジュールのこともありますし、井沢先輩のことは置いておきましょう。相生さんの言う通り、井沢先輩の出番はもうありませんから》

《屋島ぁ……!》

《この島にはボクたちしかいませんし、そんなに広くないですから、すぐに見つかりますって》

《小池まで……、ったくよぉ、撮影終わったらそく捜しに行くからな!》


 こうして、人が一人死んだというにもかかわらず、映画の撮影は続行された。と言っても、彼らは花沢さんが殺されたなど夢にも思っていないのだろうが。つつがなく撮影が終わり、昼休みとなり、また撮影を再開し、夕食の時間となっても花沢さんが現れることはなかった。


《渚……、何処行っちまったんだよ……》


 監督はすっかりと憔悴してしまっていた。休憩の時間になるとすぐに捜索に向かった監督だったが、とうとう夜になっても花沢さんを見つけることが出来なかったからだ。そしてまた、夜を迎える。

 場面は再び変わり、花沢さんを殺した時と同じように犯人は移動していた。今度は小池修平と書かれたネームプレートがある扉。犯人はうつぶせでベッドに寝転がっている棚瀬さんの腰に跨り、左足で彼の頭を押さえつけると、そのまま彼の背中にナイフを突き立てた。突然の事態に対処しきれず、じたばたと足掻くだけの棚瀬さんの無防備な背中に、掛布団越しに狂ったように何度も何度も突き刺し続け、傷を抉り続ける。とうとう棚瀬さんは枕に押さえつけられてくぐもった叫び声しかあげることが出来ないまま、ベッドの上でこと切れた。犯人の足がどけられ解放されたその顔は涙と鼻水と鼻血とよだれと吐血に塗れ、枕カバーを濡らしていた。

 そして犯人は掛布団のおかげで返り血を浴びなかったその足で屋島幸助と書かれたネームプレートの扉の前まで歩いていく。ドアの隙間から光が漏れているから、まだ部屋には電気がついているのだろう。犯人はドアをノックすると、中津川さんの声がして入るように促された。


《何の用ですかこんな時間に……、僕は見ての通り、今とても忙しいんですけど……》


 犯人はドアを開けて部屋に入ると、中津川さんは机で何か作業をしているようで、一度ドアに向いた後机に向き直った。犯人はゆっくり近づいていき今度はスタンガンを取り出して、彼の首筋に押し当てた。中津川さんはうめき声をあげる間もなく気絶させられてしまったのか、机に突っ伏して痙攣している。

 また場面が変わる。両手両足をロープでベッドの脚に括り付けられ、口は粘着テープでふさがれている中津川さん。その体を守るものは何もなく、細い身体が露わとなっている。目を覚ました中津川さんは突然の事態に狼狽えるばかりで、塞がれた口を必死で動かしてカメラに抗議している。ベッドの横になっている犯人はカメラを構えたまま左手に持ったナイフを彼の胸部に振り下ろす。しかし刃はその寸前で止まる。そのままナイフをしまう素振りをすると、安堵したのか中津川さんは暴れるのをやめた。しかし犯人はその瞬間もう一度ナイフを振り下ろす。切っ先が肋骨と平行になっているからすんなりと刺さり、何が起こっているのかわからない中津川さんは驚愕とした表情でカメラを見つめていた。もう一度ナイフが刺される頃には目を見開いたまま物言わぬ肉塊となっていた。


「……休憩しましょう」

「……そうだな」


 もはや言葉がでない。それほどまでに疲弊していた。どこにヒントがあるかわからない以上気は抜けないし、本当に人が殺されるシーンは慣れるものでもない。中津川さん殺害の時など、どう見ても犯人は殺人を楽しんでいる。殺人を記録することも、人殺しそのものにも、犯人は快楽を見出しているとしか思えない。そんな異常な人物の残した映像を見るだけで気が滅入る。映像を止めた後しばらく無言の時間が続いた。


「……先輩、少し映像を巻き戻してもらってもいいですか?」

「いいぞ、どこだ?」

「二日目の夜……、食堂で監督と中津川さんが会話してるシーンです」

「…………これ、だな? で、どこが気になるんだ?」

「気になるのは、これですね。このシーン、窓ガラスに何か映っていませんか?」


 夜になって、食堂での監督と中津川さんの会話シーン。問題なのは登場人物ではなく、その後ろ。外が暗くなったため鏡のようになった窓ガラスの反射によって、彼らの頭上に黒い毛むくじゃらの何かが映りこんでいるのが見える。


「なんだろうな……、見た感じモップみたいだが」

「モップがなんで彼らの頭上にあるんですか………。どうやら先端しか映ってないみたいですけど……」

「こうも不鮮明だとよくわからないな……。洋館の備品でもないみたいだし」

「これが何かの鍵になる気がするんですが……、今は置いておくしかないみたいですね」

「だな。……続き、見るか?」

「……えぇ」


 覚悟はできた。この映像は最後まで見なければならない。


――


 その朝、洋館は騒然としていた。

 食堂のシャンデリアに姫乃の死体が吊るされていたのを清志が発見したことに始まり、澪と裕がその騒ぎに駆け付け、それでもなお姿を現さない残りの三人の様子を見に部屋まで行くと、隆夫と則明は自室のベッドで惨殺体として発見され、塔子はまるで最初から彼女が存在していなかったかのように綺麗に整えられた部屋を残し、忽然と姿を消していた。


「塔子を探すぞ……! あいつの仕業に違いない……!」

「でも探すったって何処を?!」

「それに、ゴムボートで来たならもうそれ使って逃げてるんじゃ……」

「あの三人だけ殺しても俺たちが生きてたらあいつが犯人として捕まるだけだろうが! あいつはそんな馬鹿じゃない、きっと俺たちを皆殺しにしようとしているに違いない! 隠れられそうな場所なら何処でもいい! とにかく探せ!」

「じゃ、じゃあ私海の方探してくる……! 船小屋にボートもあるだろうし……」

「一人になるのは危険だよ! 三人一緒になって行動しないと! それでいいですよね、監督も!」

「解ってるさ……! こんなところであいつなんかに殺されてたまるか……!」


 結論から言えば、塔子はすぐに見つかった。

 海に面する崖下の、大きな岩場に身を横たえた姿で、であったが。


「……罪の重さに耐えかねて身投げでもしたか? くそったれめ」

「で、でも、もしかしたら誤って落ちたのかも……、それに、ひょっとしたらまだ息があるかもしれないじゃないですか」

「この高さから落ちて、か? おまけに落ちた先が海面ならまだしも固い岩だぞ。見ろよあの血の量を。遠目に見たって死んでるじゃねぇか」

「……と、とにかく、もう大丈夫なんだよね? 私たち、殺されないんだよね?」

「あいつが犯人ならな。とっとと帰るぞ。胸糞わりぃ」


――


映像は再び暗転。今度は夕闇の中だ。西日でうすら明るく照らされた林の中で、監督の後ろ姿が映っている。監督は誰かを捜しているようで、しきりに周囲を見回している。そんな監督にカメラは背後から急接近し、犯人は左手のナイフを監督の喉に突き立てた。


《な゛……、で……、お゛ま゛……が……、い゛……で……》


 振り返った監督は吐血混じりに犯人につかみかかり、瀕死の状態で抵抗した。殺された瞬間にすべてを理解したのか、カメラを奪い取ろうとしている。予想外の抵抗にあったのか、監督ともみあいになった犯人はそれでもナイフを抉りぬいた。頸動脈を切ったのかとめどなく鮮血が溢れ、監督は崩れ落ちる。血しぶきがレンズに付着したのか、赤い斑点が画面に映り、それを犯人は慌てて拭き消した。犯人の左手や袖口は返り血で真っ赤になっていることもカメラには映っていた。

 再び暗転し、今度は洋館の中。食堂の机の上にカメラは置かれているようだ。画面が上に傾くと、天井にシャンデリアが吊るされているのが見える。だが、それは問題ではなく、そのシャンデリアにヒトが吊るされている。正確に言えば、姫乃さんだったものがシャンデリアに括り付けられているのだ。もう一度カメラが元の場所に戻ると、犯人が立ち去ったのか遠のく足音が聞え、カメラはそのまま放置されていた。

 ここで先輩が再び映像を止めた。ソファーから立ち上がると細長い箱を取り出し、その中から一本の煙草を口に咥える。ライターを片手に火をつける素振りもだ。この部屋は禁煙だし、煙を出せば火災報知器が誤作動するだろう。恐らくは外に出て吸うつもりだ。

 先輩が喫煙者なことは知っているが、その銘柄は予想外だった。


「何だよそんな見つめて……、似合わないってか?」

「先輩は声も態度もフォルティッシモですから、それじゃまるで正反対ですよ」

「そんな常日頃からシャウトしてる覚えはねぇよ」

「シャウトほどではないにしろ……、結構大きいですよ? 内緒話のつもりでも周囲には丸聞こえですし」

「……マジ?」

「マジです。……でも本当に意外ですね、先輩がそんなの吸うなんて。趣味じゃないとか思ってそうなのに。先輩らしくも無いですし」

「お前は俺を何だと思ってるんだ……。じゃぁ俺らしい銘柄ってなんだよ」

「……小粋?」

「まさかのキセル」


 キセルを咥える先輩……、うん、やっぱり様になってる。少なくとも先輩が持っているそれよりかはずっと。


「またそんなに見つめて……、吸いたいのか?」

「未成年に喫煙を強要するのは立派な犯罪ですよ。いいんですか?」

「冗談だ。じゃ、ちょっと出かけるから、留守頼むな」

「出来る限り早く帰ってきてくださいね」

「荒らすなよ?」

「退屈しなかったら何もしませんから」


 玄関のドアを閉めた先輩を見送って、振り返る。見回せば見回すほど、先輩の部屋は余りにも殺風景だ。まぁ、ベッドの周りをぬいぐるみが囲んでいるなどということがあれば抱腹絶倒のあまりに七転八倒してしまうだろう。まぁ想像の域を出ないから実際に目の当たりにしたなら引き攣った乾いた笑いしか出ないのだろうけれども。

 カーテンは厚手の生地で青の単色。壁は一切手つかずの白一色で、汚れも傷も無い。クローゼットの中はリクルートスーツやコートが数点ハンガーにかけられていて、着替えを入れるための収納棚と、使わなくなった教科書を入れている段ボールが置いてある。全体を見回せば、机と椅子、充電器、スマートフォンのケース、パソコン、ベッド、冷蔵庫、電子レンジ、テレビ、掃除機……、断捨離と言うべきか、本当に必要なものだけしか置いていないような空間だ。どれも一つ一つは高価そうなものばかりだというのに、生活感がまるでないという様は一言で表現すればショールーム。商品を展示する為だけに整えられ、飾られた空間。何というか、少しばかりのある種の狂気さえ感じるかもしれない。せめてもの救いと言えば、スマートフォンのケースくらいなものだ。これだけ他のものと一線を越えている。黒の単色ではあるが、普通のものと比べるまでもない厚さに、アンテナのように突き出た突起。……これが先輩の精一杯のオシャレなら、もう何も言うまい。これも先輩を構成する一部なのだ。

 この部屋にある大抵の家具・家電は進学の際に買ってもらったらしいから、先輩の家はよっぽど裕福なのだろう。ゴミと言うゴミがなく、どこもかしこも物が病的ともいえるほど几帳面に整理整頓されていて、普段の先輩の態度からは考えられないくらいの育ちの良さがうかがえる。思い返せば、態度や口ぶりを除けば先輩の仕草そのものには品があった。テーブルマナー然り、物の扱い然り、歩き方然り。幼いころからたたき込まれたのだろうその振る舞いとは裏腹な先輩の性格は、それまで押し込められていた反動によって形成されたのだろう。

 と、そんな分析をしている間に一服を終えた先輩が戻ってきた。


「ただいま……っと。準備はできたか?」

「えぇ、見ましょう。最後まで」


――


 洋館に残っているのは後二人。万谷裕と室田澪。

 吊るされている姫乃を除いた三つの死体が現場から無くなっていることに気付いたのは夜も更けてからの事。

 外に出た清志が戻ってこないのを心配して探した裕と澪両名が林の中で清志の死体を発見し、恐怖にかられ逃げるように洋館に戻り、自室に戻る途中、隆夫の部屋のドアが開きっ放しになっており、そこから覗く光景に朝にはあったはずの死体が無くなっていたのだ。

 消えた死体を探すために洋館中を捜しまわった二人は、則明の死体も無くなっている事に気づいた。嫌な予感がしたのか裕は塔子を見つけた崖まで走ったが、その予感通り、塔子の姿は何処にもなく、ただ血痕だけが突き出た岩に残されていた。


――


 再生再開。

 最初に食堂に来たのは万谷さん。テーブルに置いたままのカメラに気付くと手に持って撮影を始めた。次に来たのは室田さん。彼女はカメラを睨み付けると、カメラの後ろにいる万谷さんを指さし追及した。


《あなたが犯人なんでしょう?! 私が犯人なわけないもん! それにこんな状況でビデオ撮ってるなんておかしいわよ!》

《違うボクじゃない! これは警察に証拠として渡すために、タカオ先輩の意志を継いで! それにキミだって怪しいじゃないか! 監督やヤシマのことだって気に入らないって言ってたし、渚先輩には消えてほしいって! 動機は君の方が強いんじゃないのか?!》

《はぁ?! ふざけないでよ! 私にそんなことできる力なんてないわよ!》


 生き残った二人の罵り合い。まるで映画のワンシーンのようだ。


《死体をどこかに隠すなんて力仕事、あなたにしか無理だわ!》

《台車を使えばキミだって動かせる! 死体を吊るすのだって、おもりを使って体重を稼げば滑車の原理でどうにかなるだろ?!》

《もう限界! あなたみたいな異常殺人鬼なんかと一緒の部屋になんかいたくない! 私意地でもこの島から出てやる! 泳げばいい話じゃない!》

《あっ、ちょっと待ちなって!》

《ついてこないで!》


 室田さんは外へ飛び出し、万谷さんは後を追いかける。

 そこで急に画面が暗転し、次には夕闇の中、ライトに照らされた無惨な彼女の死体が写っていた。そして画面はゆっくり浜へと向かっていく。犯人は船小屋に付くと、隠してあったゴムボートを膨らませて、海に浮かべたそれに乗り込み、エンジンを回す。殺人をやり遂げた犯人を乗せた船は出航し、振り返ると島からは火の手が上がっていた。犯人があらかじめ、証拠隠滅のために別荘に火をつけたのだろう。

 しばらくの間遠のく島が映っていたが、急に島が下降したと思うと天地が逆転し、暗い水平線が揺れ、水しぶきが上がる。カメラマンがカメラを手にしたまま、ダイバーさながらに後転して入水したのだ。上下左右も解らないままに、カメラはただひたすらに冷たい闇を映している。

 呆気にとられながら見ていると、そのまま暗転した。ここで映像は終わっているということだ。


「……この映像を見ても先輩は万谷さんが犯人でない、と?」

「あぁ……。むしろ確信に変わったよ。犯人は別にいて、まだ生きている」

「でも映像を見る限り、万谷さんは左利きですよね? それでもなお否定するその根拠は?」

「あいつが左利きっていう根拠はあれか? グラスを左手に持っていたからか?」

「えぇ。それと、腕時計を犯行時にしていなかったのは返り血を防ぐためと考えられますから、万谷裕犯人説を否定する材料にはなりませんからね?」

「腕時計を左手につけるのは右利きのやることだろ。まぁ左利き用の腕時計なんざ殆ど出回ってないし、個人のつけ方云々を持ちだされたら反論のしようがないが……、グラスを左手で持ったのは、右手はカメラで塞がってたからだろ」

「……それもそうですね。別に利き手じゃない方で持っても不思議じゃありません。それで、先輩はそれ以上の否定材料があると?」

「一日目……、姫乃が殺された日の事を思い出してみろよ。姫乃が起こされたとき、何か違和感がなかったか?」

「違和感、ですか?」

「あぁ。もし犯人が万谷なら、姫乃はもっと騒いでいたんじゃないか? それに、着替える時外に出すだろ、普通」

「……そうですね。異性に寝込みを襲われたら夜這いと思って激しく抵抗するでしょうし、着替えだってよっぽど心を許してないと追い出すでしょうから。……となると犯人は女性、ということになるのでしょうか?」

「まぁ、そうなるな」

「でもそれだとおかしくないですか? あの島にいた女性は室田さんと花沢さんだけ。二人とも殺されてしまって……、あぁ、そういうことですか」

「そう、実はあの島にもう一人いたんじゃないか? もう一人、カメラに映っていない人物が」

「でもそれはおかしいですよ。もしそうなら、最後の方で室田さんと万谷さんが食堂で罵り合っていたとき、その人物も槍玉に挙がってないと」

「そのシーンで室田が言ってたろ? 『死体を隠すなんて力作業』ってさ。つまり、カメラには残ってないところで、死体を発見した後、その死体がどこかに消えたって場面があったはずなんだよ。何故死体を消す必要があったのか、それは死んだふりをした奴が移動したことを隠すためじゃないだろうか? あの断崖から落ちたように見せかけたとかしてな。おあつらえ向きなことに撮影用の血糊だってある」

「なるほど。殺人の難易度は後半になるにつれ上がりますから、最初の方に自分は死んだと見せかければ自由に行動できますし、容疑から外れると。花沢さんの死体を隠しておいたのもハードルを下げるため、ですか」

「中津川も棚瀬も同じ日に殺されてる。多分、監督を殺したのは死んだふりをした自分を含めた四人の死体を残った三人に見せつけてからだろう。一気に死体が四つも見つかれば、大抵の人間は冷静に判断できなくなる。死んだふりをした犯人に違和感なんて覚えないくらいにな。それが遠目から確認するしかできないなら尚更だ」

「そう言えば、監督の最期の言葉、『なんでお前が生きて』という風にも聞こえましたね」

「つまり、監督を殺した犯人は、監督が死んだと思っていた人物だった、ってわけだ。思えば、何で犯人がこんな映像を残したのかも、これで説明がつく。犯人が行った殺人はこれで全部だと思わせるため、死んだふりをした自分の姿を撮影しないことで、島にいた人間がカメラマンと、カメラに写っている人間だけだと、より印象付けるためなんじゃないか?」

「この映像がたとえ証拠品として押収されても、絶対に逃げ切る自信が犯人にはあったということになりますね……。それで、島にいたもう一人とは、一体誰なんですか?」

「それを説明するには順序がいるが……、ずっと気になっていたんだよ。こんな古いカメラでどうして、声のトーンを落としてヒトの耳元でささやいている声まではっきり聞こえるのか。具体的には、一日目、中津川が清志に言ったセリフが何故拾えたのかってな」

「マイクでも使ったんじゃないんですか?」

「そう。でも映像を見る限り、誰一人ピンマイクを使っている様子はない」

「まぁ、仮にも映画ならそんなもの見えちゃいけないでしょうし」

「言ったよな、カメラは修理に出していると。つまり、他の機材は持って行ったんじゃないか?」

「……成程、つまり先輩はこう主張したいわけですね? 『カメラの後ろにガンマイクを構えた“音声”がいた』 ……でも先輩、それはただの憶測にすぎないのでは?」

「その証拠はお前が先に見つけたんだぜ?」

「……あぁ、そういう事ですか。あの窓に映り込んでいたのは、ガンマイクの先端だったと」

「あぁ。……俺の推理はこうだ。犯人は映画研究会のメンバーが来る前から島で準備をしていたんだろう。合宿に必要な食材や機材を運び入れるため、とか言ってな」

「そう言えば……」


 港でのシーンを見る限り、そう言った大荷物は誰も持っていなかった気がする。着替えを入れるためのスーツケースぐらいだったはずだ。当日の荷物を減らすために前日に運び入れた可能性は十分にあり得る。


「その時犯人は島に残って、翌日映画研究会のメンバーが来るのを待っていたんだ。これなら行きの時、漁師に見られずに済む。帰りは最後に映ったあの舟屋に隠してあったゴムボートで脱出すればいいんだしな」

「最初の映像にも映らないで済みますしね……。合流したのは撮影が始まるとき。風邪で体調が悪いと言っておけば一言も喋らないでも不審に思われることはない。不都合な音声も意図的に編集することも可能……。殺人の時だけカメラを持っていたとすれば、確かに条件が揃いすぎてますね」

「だがなぁ……、それだと証拠がないことになるんだよなぁ……。合宿の幹事は清志だったし、そもそも参加者は俺も含めて七人だったはずだし……。それに女子部員で音声係なのも複数人いるし……、それだけで犯人扱いは出来ないしなぁ……」


 そう、先輩の推理には犯人を追い詰めるだけの決定的な証拠がない。あと一歩、喉元まで正解が出かかっている感覚。だというのに、この頭の中を渦巻く疑念は一体何なのだろう。先輩の推理は証拠に欠けるが一応の筋は通っているはずだというのに、その結論は棄却しなければならないと警告しているようなこの黒い疑問は一体……?


「先輩、もう一度最初から……、今度は早回しで見せてもらえませんか?」

「それは構わないが……、何か分かったのか?」

「何かが解りそうなんです。何がというのが、自分自身にもよく分からないんですけど」

「……最初から、だったな。少し待ってろ」


 先輩がリモコンを押して、場面は最初から、港に合宿のメンバーが集合している所まで戻る。その後倍速で再生され、画面の中の世界は加速する。これを一つの映像作品として見るのなら、登場人物のセリフはあらかた覚えているから画を見ればどんなシーンなのかは大体把握できる。問題なのはこれを撮影している犯人の特徴。利き腕、性別は解ったから、あとは彼女個人の癖、思考パターンの問題だ。何か、見落としている部分は無いか?

 ……違う、そうじゃない。この犯人は自分の声も残さないほど慎重な人物だ。そんな人間が、個人を特定するような決定的な証拠を映像に残すだろうか?まして撮影しているのは犯人自身だ。むしろ不都合になる場面は意図的にカメラアングルを調節したりして、映さない努力をするのではないだろうか?

 つまり、ここで注目するべきなのは画面に映っている物ではなく、映っていないもの。犯人がどうしても映したく無かったもの。


 ――見えてきたかもしれない。しかし、この気付きに身を委ねてよいものなのだろうか? この推理が本当に正しいのかと言う保証など、どこにもない。しかし、それでも真実を暴くためには、この単なる思い付きやこじつけにも似たこの考えを押し通すしかない。


「先輩、解ったかもしれません」

「ほぅ? 映像は止めなくていいか?」

「えぇ、続けていた方がむしろ解りやすいですから。このカメラワークを見るに、犯人は特定の人物を映したくなかったのだと思います」


 その様子は、特に休憩中などが顕著だ。カメラが左を向いたと思いきや急に停止し、右を向き始めたり、その逆も然り。足や腕の様な影が一瞬映ったと思えば即座にカメラからフレームアウトする。しかも映像全体が移動しているから、その人物自身がカメラに入らないようにしているのではなく、カメラで撮影している人物がその人物をカメラに入れないようにしているのだ。


「確かに、そうだな。だが一瞬だし、不鮮明だから、誰なのかよく分からないな」

「……恐らく、万谷さんかと」

「何だと?」

「カメラマンが二人いたのではありませんか? カメラマンである万谷裕が芥子川準という役を演じていたように、キャストの中にカメラマンとしても仕事をしていた人間がいた」

「おいおい。それじゃ犯人は殺された人間のうちの誰かってことになるじゃないかよ」

「いいえ。先輩の推理通り、島には映像に映っていないもう一人がいたのでしょう。ただし裏方ではなく、キャストとして。自分が出演しているシーンは別のカメラで撮ってもらえば済む話ですし」

「……憶測を通り越した、ただの当てずっぽうに聞こえるんだが?」

「まぁ聞いて下さいよ。万谷さんが撮影している時は自然にカメラの死角に回り、自分が撮影している時は万谷さんをカメラに入れないことで、カメラマンが二人いるという事実を隠したのです」

「確かにそう考えればつじつまが合うが、キャストがもう一人いたという証拠がないな」

「思い出してくださいよ。映像の終盤で、万谷さんがどうしてカメラを回しているのか聞かれたとき、どう答えたか」

「棚瀬の遺志を継いでって所か? どう遺志を継ぐのか解らんが、それはあいつ個人の勝手だろうに」

「違いますよ。いいですか? 万谷さんは中津川さんのことを呼び捨てにし、監督や花沢さんのことを先輩と呼んでいますから、少なくとも中津川さんと同学年ということになりますよね? そして中津川さんは棚瀬さんから先輩と呼ばれていました。つまり万谷裕の方が棚瀬隆夫の先輩ということです。だから万谷さんが棚瀬さんのことをタカオ先輩と呼ぶわけがないのです。それに伝統のこともありますしね」

「成程な。つまり、あの洋館には“タカオ”という役を演じたキャストがいた訳だ。そう言えば説明してなかったな。室田と棚瀬が一年だってことも、万谷と中津川が二年だってことも。ま、俺もさっきまで失念してたが」

「先輩なら“タカオ”と聞けば棚瀬さんのことを思い浮かべてしまうでしょうから、その辺は気にしないでいいですよ」

「ま、一応受け取っておこう。で? そのタカオ先輩なる人物は何者なんだ?」

「それを説明する為に、彼らが撮影しようとしていた映画について考えましょう」

「というと、ゲームの“敗者”の理由、か?」

「そう。作中の登場人物はもう一つのゲームをしていたのです。そしてその敗者は芥子川準」

「そこまでは解ってるよ。で、何のゲームなんだ?」

「しりとりですよ。役の名前がしりとりになっていたんです。席に着いたとき、室田さんから時計回りにね」


 つまり、

 アイオイケイコ→コイケシュウヘイ→イサワナギサ→サカクラソウタ→?→ヤシマコウスケ→ケシカワジュン

 となる。名前の最後に“ん”がつく芥子川準が敗者、ということだ。一人分歯抜けがあるが、これはキャストがもう一人いた証拠にもなる。


「タカオという名字で名前の最後にヤがつく役名の人物がいたと考えるのが自然なんです。例えば、高雄摩耶とか」

「重巡かよ……。まぁいいさ。つまり“殺人鬼は一番”の一番は、出席番号でもあり、しりとりのトップバッターでもあった、って所だな?」

「そういう事になりますね」

「じゃぁ聞こう。島に来たもう一人がその役を演じたとして、本当は合宿に参加するはずだった俺も含めると八人になるな? だが俺は合宿に参加するのは七人だと聞いていたぞ?」

「……これから話すのはある“仮定”です」

「ほう? 面白い、言ってみろよ」

「犯人のトリックはこうです。合宿に参加しているメンバーには自らも参加していると思いこませ、それ以外の人間には自分は参加できなかったと思いこませる。昔の小説にありましたよね?」

「新本格の魁となったあれか。……まさかあのトリックを実際に行ったと?」

「そのまさかですよ。クローズドサークルで殺人が起これば当然容疑の目は内部にいき、警察の捜査では参加していない人物が疑われることはほとんどないでしょう。参加者が全滅してて、そのうち一人が最後に自殺ともとれる死に方をすれば、警察もその人物が犯人だと思うでしょうし」

「ま、実際そうだったしな。で、結局その八人目の参加者って言うのは誰なんだ? 前日の準備の段階で急遽自分も参加するとか言った部員の中の誰か、か?」

「そんな複雑な話じゃありませんよ。答えはもっとシンプルです」


 ……そう、単純な話だ。答えは、ずっと傍にあったのだ。


「さて、今この場には、元映画研究会のメンバーで役も与えられていたはずなのに、収録当日になって急な事情で欠席した、カメラの扱いに慣れている左利きの女性がいるわけですが」

「……お前な、自分が今何を言っているのか理解できているのか?それとも冗談か何かのつもりか?」

「とんでもない。本気ですし、撤回するつもりもありません」

「いいだろう。お前がそんなに言うんなら証拠を見せてもらおうか?そいつが犯人だという証拠を」

「物的証拠は何一つ残っていないでしょう。事件現場は死体ごと焼き払われていますし、このカメラだって流れ着いたなら指紋なんて流れ落ちているはずですから。それにさっきまで先輩が素手で触っていますし、証拠を見せることは、できませんね」

「ほう?まるで物的証拠以外の証拠ならあるような口振りだな」

「証言も証拠になりますから。覚えていますか先輩。このカメラを拾ったときのこと」


『電源が全然入らないんだよ。バッテリー切れかな?』


「浜辺に打ち上げられたビデオカメラが起動しないなら、普通故障を疑いませんか?」


 そう、あの時点で違和感はあった。ただそれから目を反らしていただけ。このカメラに収められた映像を見てからでさえも、直視しようとしなかっただけ。


「どうして先輩はこれが故障していないことを知っていたんです?」

「……よく見ろよ。昨日は雨だったな?それでこのカメラが流れ着いたなら、ヘドロや藻なんかでもっと汚れてていいはずだ。それなのに汚れていなかったってことは、そもそもこれは打ち上げられた物じゃなくて、誰かがあの浜に置き忘れたものだって考えるだろ?それなら、バッテリー切れだってありうるさ」

「それはありえませんよ。昨日のあんな雨の中カメラを持って海へ行くような人は滅多にいませんし、もしいたとしてもカメラは持って帰るでしょう。このカメラが忘れものなら少なくとも一昨日からあの砂浜にあったということになりますよね?」

「そうだ。海水に浸かっても無事だったなら、一日中豪雨の中放置しても平気だろ?」

「忘れたんですか先輩。今日バイトが二人必要だったのは昨日の雨のせいでゴミが多くなったから、人手が必要だったため。つまり普段は店長と先輩で掃除をしているってことですよね? 一昨日の時点でカメラが落ちているなら、店長が気づきます。先輩もね。今日先輩が拾えたってことは店長も先輩もこれを放置したことになりますけど、確認してみますか? 店長に、一昨日カメラを見つけたかどうか」

「は、はは……。実はそのビデオ、拾ったのは一昨日なんだ。こんな怪しげなもの、一人で観るのは心細いからさ、道連れが欲しかったんだよ」

「だから今日拾ったふりをしたと、そういう事ですか?」

「あぁそうさ。だから打ち上げられたらしい、なんて嘘もついたんだぜ?」

「鉄先輩、ではお聞きしますが、この高雄摩耶という役、本当は先輩が演じる予定だったのではないのですか?」

「……あぁ、たしかそんな感じだったかな? だが、前日の準備の時に同行したメンツの内、急遽参加が決定した奴が島に残っていたなら、そいつを俺の代役に立てようと清志が考えていたかもしれないぞ?」

「だから先輩抜きで出発したと?」

「あぁ」

「だったらあの船での会話で代役の話がないと変ですよ」

「清志だけが知ってる事実かも知れないだろ? それにな、俺は高熱を出して寝込んでいた、これは事実なんだぜ?」

「言っておきますけど、高熱を出したことはアリバイになりませんからね? 前日から水断ちしておくだとか、醤油の原液を飲むだとか、方法は色々あるんですから。それに先輩一人暮らしだから証人もいないでしょうし」

「じゃぁ何で俺は容疑者から外されたんだ? お前の言うトリックに警察が気づけば、真っ先に疑われるのは俺じゃないか」

「だからこそ電話をかけたのですよ。監督が大声で怒鳴りつける癖を知っていたのでしょう? 直前になって携帯電話でドタキャンすれば誰だって怒りたくはなりますし。こうすることで、一人いないことを漁師にアピールでき、自分は参加できなかったと強調できますから」

「おいおい。ちょっと待てよ。その推理が正しけりゃ、むしろ俺に犯行は不可能なんじゃないか? 犯人は合宿前日から島にいなけりゃならない。ってことは、携帯は使えないはずだろ? 圏外なんだから。もし電話をかけた時本土に居たら今度は白昼堂々島に向かわなくちゃならないわけだな? そんなことすればまず漁師に目撃されるだろ。一日目の昼、撮影が始まるころには島に居なきゃいけないから、暗くなるのを待つのも不可能だ。つまりあの電話は、俺が本土に居たって言うれっきとした証拠じゃないか」

「衛星電話ケースを使えばいいのですよ。充電器の傍に置いてあるそれを使えば、衛星電話が使え、普通なら圏外になる場所からでも電話をかけることが出来るはずです。確か先輩の機種も対応していましたよね? 少々高くつきますしパフォーマンスも落ちますけど、通話程度なら問題はないはずです」

「……」

「港で監督も言ってましたよね。声が聞き取りにくいと。衛星電話でかけていたのでは?」

「……そんな証拠が何処にあるって言うんだよ」

「携帯電話の通話記録やGPSの履歴は電話会社に保存されていることを失念していませんか? 警察に通報すれば、電話会社に確認してもらえるかもしれませんよ? 先輩がかけた電話が衛星電話だったかどうか、その電話は何処からかけられたものなのかということもね。良かったじゃないですか。無実の証明になるかもしれませんよ?」


 先輩が監督に電話をかけたのが本土からなら、先輩の無実は確定する。しかし、電話をかけた場所が酉島だったのなら……。


「どうですか、クロガネトウコ先輩? 酉島での殺人について、何か弁明は?」


 俯いている先輩の表情は、長い髪が邪魔となってうかがい知ることは出来ない。小刻みに肩を震わせているから、泣いている、のだと思いたい。


「……ふ、ふふ。あるわけないでしょう? そんなもの。だってもうワタシを押さえつけるモノは何一つないのだから」

「……それが先輩の本性、ですか」


 あまりにも様変わりした先輩から、一気に距離をとってしまった。ソファーから飛び退き、出口を確認する。一刻も早くこの空間から抜け出したい。


「言ったでしょう? 普段とは全く違う自分を演じ続けていれば、本当の自分を表に出さずに済む。ワタシはね? 自分がマトモじゃないことが分かっていて、なおかつ社会に溶け込もうとするだけの理性はあるの」

「男っぽい口調も性格も、その為の仮面だった……」

「そうよ? 理性的な“俺”を演じてるときは発作的な衝動が沸かないから、“ワタシ”の本音を隠し通せると思って。窮屈だったけど、人生を長く楽しむためだもの、多少の我慢はしなくちゃね……。まぁ、そのストレスを抑えるためにタバコに走っちゃったわけだけど」

「どうして……、ですか」

「主語がないと、聞かれたワタシとしても何を答えればいいか分からないじゃない」

「先輩に殺人願望があることは今ので何となく察しがつきました。ならどうしてそれを撮影しようとしたんですか?」

「蝋燭の火は消える直前が最もよく燃える……、ヒトも同じでね、死の間際が一番美しいの。ワタシは人生で最も輝くその瞬間を永遠の物にしたかったの!」


 上気した顔で喜々と語る先輩の顔は既に見知ったそれではなく、常軌を逸した快楽殺人犯のそれだった。


「アナタも見たでしょう? 皆最高の顔だったじゃない。あの苦悶も、絶望も、あの一瞬しか撮れない映像だもの。演出にも色々頑張って……、ふふふふふ!」


 この人は生活環境がどうとか、教育がどうとか、そういうものが原因でこうなったわけじゃない。この人の頭が、心が、生まれた時から、根本的に“こう”なんだ。だからこそ、カウンセリングなんかで更生できようわけもなく、もう、どうしようもない。


「……じゃぁどうして一緒にこの映像を見ようなんて言い出したんです? まして推理する振りをしながら自分の仕掛けたトリックの解説までして。そりゃ筋は通ってますよね。自分がやったことなんですから」

「一緒に観なければワタシの罪が暴かれることも無かったろうにって? ふふ、せっかく撮ったんだもの、誰かに見てほしいじゃない。でもね、そんなの問題じゃないの。アナタに解かれようが解かれまいが、関係ないわ。このビデオはね、単なる口実なのよ」

「何を言って――っ?!」


 急に、体が、ふらついて……。まさ、か、薬……?

 しまった……、あの時の紅茶……!


「昔はまだ未熟だったから、あまりの酷さに気分が悪くなるほどだったけれど、今はもう大丈夫。きっとアナタを最高の作品に仕上げて見せるから!」


 先輩の手には、あの映像と同じナイフが、握られて……。


「良いんですか……、先輩……? 今ここで殺せば……、証拠が……」

「えぇそうね。だからここではしないわ。特別なステージで、ゆっくりと、ね?」


 ―ピンポーン


 インター、ホン……。


「……ちっ、誰よこんな時間に。せっかくお楽しみだっていうのに、もう」


 先輩は、玄関へと向かって……、あぁ、意識、が……。


――


『酉島の真の殺人鬼、緊急逮捕!』

『鉄塔子容疑者の自宅から証拠となるビデオカメラを押収』

『通報したのは容疑者と同大学に通うS氏』


 部屋の整理をしていると、あの頃の新聞が出てきた。一部を流し読みするだけでも、あの日のことが鮮明に思い出される。俺が死を覚悟し、諦めてしまった瞬間はあの時以外にはないだろう。

 異常な殺人犯が隣にいると確信したあの瞬間、保険代わりに緊急通報を使ってスマートフォンをポケットに入れたままこっそりと110番を押していなければ、声の大きいあの人が殺人を自白してくれなければ、一歩間違えればいたずら電話と捉えられかねなかったあの通報を受けて警察が先輩の自宅まで駆けつけてくれなければ、俺はあの人に殺されていた。それもあの映像より残忍な方法で。俺はただ運が良かっただけだ。小説やマンガみたいに、事態が都合よく展開しただけに過ぎない。いっそのこと、あの日の出来事もすべて映画のワンシーンだったと割り切ることが出来れば、どれだけよかっただろう。未だに助けが来なかったイフの展開が夢に出てきて、この新聞記事を眺めている今でさえたちの悪い夢のように思えてくる。

あの後先輩は逮捕されて裁判も行われたという報せを聞くまで夜も満足に眠れなくなるほどだったが、今はなんとか立ち直ることが出来た。それでもたまに、部屋の死角をクリアリングしてしまう。それほどまでに、思いのほか受けた傷は深刻だったのだ。

 こんなものをいつまでもしまっておくからこうなのかもしれない。もう記憶ごと捨て去って忘れ去ってしまおうか。

 片付けが終わって何の気も無しにテレビの電源を点けると、ニュース番組が画面に映り、それを見ようとしたタイミングでスマートフォンの着信が鳴った。相手は……、公衆電話からかけてきている。今どき珍しいな。


「はい、どなたでしょうか?」

《……お久しぶりね、薫ちゃん》


 ……嘘だ。聞き覚えるある声が聞こえた気がするが、何かの間違いに決まっている。


『――鉄塔子死刑囚が脱獄したと――』


 後ろで聞こえるニュースキャスターの声も俺には聞こえない。あり得るわけがない。そんなものはただの幻聴に過ぎないんだ。


《出てきちゃった。ふふ、今は時間が取れないけれど、またいつかデート、しましょうね?》


 これは夢だ。たちの悪い悪夢に決まっている。あるいは、露骨に続編を匂わせる出来の悪い映画の幕切れか。そんなご都合主義があってたまるものか。

 一方的に通話を切られ、ツーツーという無機質な音だけが放心する俺の耳を通り抜け、これがまぎれもない現実なのだということを思い知らせる。

 悪夢のような現実は、あの日からではなく、今日から始まるのかもしれない。


画面の向こうの、貴方にだけ見えない真相。

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