術
「ユーリ、忠告したであろう。執着も過度なものとなれば堕ちるのみ。……天界の者に風の刃を向けるようになるとは、これはもう見て見ぬふりはできぬ」
天主の金の瞳が鳥かごのような檻に入れられたユーリをみおろした。優美な曲線を描く鳥かごの檻は、天主の光の力によって編み出された特殊な柵で出来ており、淡く輝いている。
だが、瀟洒な檻も、美しい天宮の広間も陽光に満たされて輝いていながら、そこに漂うは冷えたようなものとなっていた。
天主の前ということで、仙人仙女、他の天界の者たちも無駄口こそはたたいていないが、皆の目が鳥かごの中の仙女に嘲るような目をむけている。鮮やかな衣をひらめかせ集っている仙人仙女たちは姿こそ麗しいものの、その表情は探るような目つきの者、見下すように鳥かごを見つめる者と、けっして優美な雰囲気ではなかった。
だがユーリは周囲から凍えた視線をむけられても動じることなく、鳥かごのような檻の中央に淡々と座っていた。
天主が金の髪をなびかせて鳥かごに近づき、柵越しに話しかけた。
「ユーリよ、下界に降りるのを禁ずる。天宮の奥宮の書庫での蟄居を命じる。よいな」
「……私を……地上に…返せ」
「まだ、それを望むか。そもそも、お前が生まれたのは、この天界であるのに『返す』というか」
「私を地上に……返せ」
頭すら垂れることなく、『返せ…』繰り返すユーリの姿に、天主は目を眇めた。
天界を統べる主の天主に、許しをもらう前から顔をあげたまま発言するような仙女は普通いない。いや、ユーリだって、今までならば礼にならって伏していた。許しを得てから、言葉を発していた。
だが、もう何かがぷつりと断たれたかのようなユーリだった。
「地上に……私を……」
言葉として出てくるのはそればかり。
そんなユーリに天主は息をついた。
「ユーリ、天界の仲間に風の刃を向けたはお前の罪。だが、嘲りに下界におりた天界の者達の浅はかさが引き起こしたともいえるゆえ――……地上の時の枠で十日間を過ぎた後、解放しようぞ。特別に蟄居の間は奥宮の書庫にする。書の閲覧を許そう」
「……十日?」
「そう、地上でいう十日間だ……。これは外せぬ」
ユーリは目を見開いた。
地上の日数で――十日?
今すぐにでもゾードの傍に行きたいというのに、十日?
蟄居ならば、地上にとどめて天界に戻れなくなる方がよっぽどいい――……。
ユーリは溢れてくる思いのながれそのままに、唇をふるわせた。
「……否……」
天主は金の瞳を、ひたりとユーリの目に合わせた。
「ユーリ、お前は天界に生まれし者」
「……い…やじゃ……」
「天界の者であることは、ゆるがぬこと。地上の者と”永久のとき”をわかちあうことはできぬ」
「なっ……」
「書庫での蟄居を命じるゆえ、せめて何か術でも書から探ればどうだ。――地上の死は、すぐに訪れるゆえにな」
再び、天主の言葉がユーリを突き刺した。
――死!
「いやじゃぁぁぁぁ!!!!地上に――っっっ!!!」
ユーリの声だけが、天宮に響いたのだった。
***
「天主様、書庫のユーリですが、扉前までは暴れ叫んでいましたが、今は物音ひとつたてなくなったようです。かろうじて生気のある花は一緒に書庫に届けましたが口にするかどうか……」
門番係から報告をうけて、天主は頷いた。
門番といっても仙人の一人であった。ユーリが楽を奏でる勤めがあるのと同じように、門番としてそこに立つ勤めという程度である。
「放っておけ。自由に十日間、書に没頭させるとよい。そうすれば、風の刃を受けて怒っておる他の仙人仙女の気もおさまってくるであろう」
「はっ」
天主の言葉を受け、門番は一礼して戻っていく。
その背を見ながら、天主は呟いた。
「――どちらにせよ、ユーリはもう、その下界の者の死を受け入れざるを得ない時が近づいておる。せいぜい、何かめぼしい術を見つけられるとよいが……な」
金の瞳は遠くを眺めた。
***
天宮の奥。ひっそりと誰も来ぬ――仙人仙女の楽の音も届かぬような奥にある書庫の扉の向こう。
天主の力で術鍵のかけられた扉が開かれ、ユーリはその書庫に十日分の生気のこめられた花と共にいれられた。
放りこまれたユーリは、しばらくはへたりこむように書庫の石畳に膝をついていた。
地上に返してと叫び続けた身体はくたくたで、ユーリの喉もまた唾をのみこむたびに痛むほどに干からびていたからだ。
体を支える気力もなく、そのままユーリはごろりと床に転がった。一人ぼんやりを回りを見回した。
どこまでもそびえるように続く書庫。
天主の力によって空間が捻じ曲げられているのか、外からみえる建物の大きさでは想像つかぬほどの広がりのある書庫であった。
書庫には天主によって施された術により、内部から外に出ることは叶わないらしい。たしかに、放りこまれたはずの扉があったのに、見回すとユーリの周りには書庫だけが続いていて、扉などが見えなくなっていた。
不思議と文字を読めるくらいには明るい室内。天宮の奥に、こんなどこまでも続くような書や巻物がおさめられた宮があるとは、ユーリは知らなかった。
どこまでも続く無限回廊のような書棚。こんなおびただしい量の書がどうしてここに……ふと疲れた体でそう思ったユーリは思い出した。そういえば、かつてかつての大昔、仙人仙女というものは、下界の地上の「ヒト」が努力し切磋琢磨して仙力を得て天界入りするものだったと……言い伝えのように聞いたことがある。
仙人仙女とは……なんなのか。
今の自分、もしくは自分の知る限りの仙人仙女はただただ、天界の花から天主の力が零れ落ちて生まれてきた存在、仙力ももとから得ていたものである。
そしてその立場も仙力もあって当然の幸福とばかりに、ただ毎日を楽しく、音楽を奏で、空を飛びかい、美しい生気を求めてさまよい、気ままに悪戯をしたりして楽しんで暮らしていた。――その「享楽」が許された存在だと、天界に住まう自分はそういうものであったことに、何の疑問も持ったことがなかった。
でも、ゾードはどうだ。
地上に縛られるようにして、病を背負い、生きている。
流れる時の差……目を向けたこともなかった地上の”時”というものを、今、自分は痛切に心に刻んでいる。
「…ード……」
喉がひりひりして、すべてを声にすることができない。
それでも、口の中で何度もつぶやく。
ゾード……ゾード、ゾード、ゾード……会いたい。
地上でいう十日。
十日の間に、何かあったらどうなるのだろうか――……怖い。
早く出たい。
ここを出たい。
デタイデタイデタイ……。
ユーリは長い金の髪を床に垂らして、寝ころぶようにして書棚を見上げた。
永久にでも続いていきそうな書――……かつての仙人仙女が磨いて開発してきたのであろう、今は埋もれ切った「術」。
それらを眺めてふと考えた。
地上の「ヒト」が編み出した術ならば……。
あぁ、そうだ。
ここを出る方法も、地上にずっと生きる方法もこの書物の中にあるかもしれない。
地上で暮らす方法が――ヒトが仙人になれたのであれば、仙人仙女が地上の時を共にする方法が――……
ゾード と 生きる 方法 が。
探せば……もしかしたら。
たとえばココを出る方法も。
ゾードと共に生きる方法も。
ゾードと共に自分の時を合わせていく方法も――……。
ユーリは無限に続くようにすらみえる書棚を並びを見据えた。
果てしない文字の向こうに――ゾードと過ごす未来があるならば……この無限回廊のような書棚がゾードと共にいる扉になるならば……。
「見つける」
ユーリの擦れた声が小さく書庫に響く。
ゾード。
ゾード、今、行く。
術を得て、今、行く。
ゾード。
すぐに行くから……消えるな。
かつては熟れた果実のようだった唇が今は干からびて。
その乾いた唇から洩れでるのは、地上の巨人の名、ばかり。
――そうして、這うようにして……ユーリは書庫の一冊の本を手に取った。
***
「これでは……あぁ。駄目じゃ」
パタン。
書を閉じる。
パサリ。
次の書をめくりはじめる。
天主が門番よりユーリの状態の報告を受ける日々が過ぎ去る中、書庫のユーリはある巻物をずるずると片っ端から開いていた。
「……これも、違う……」
ユーリの目の下には隈ができ、慣れぬ読書に目が血走っていた。生気をまともに吸っておらず、髪にも肌につやがうしなれている。細い指先は潤いを失い、かさついて荒れていた。
「これも違う……あぁ、こちらも……」
長時間、不眠で文字を追い続け、保てなくなった姿勢のせいで、横になる。それでも獣のように這いつくばるようにして、書を開いてゆく。
何処かにゾードと自分が共に時間をすごしていく方法はないかと。下界の者にかならず訪れる「死」を遠くにおいやる術はないか、と……。
幾つも幾つも紐解いて、時に自分の手に仙力を溜めて書や巻物に書かれている通りの手順を試したりもする。
けれど、また成果を得られず首をよこにふる。
「……結局……地上の者は死をなくすことができないの……か……」
と、ユーリはぶつぶつ口の中で呟くようになっていた。
読めば読むほど、出口のない迷路の奥にはまってゆくようだった。
ヒトであれば仙人仙女になれば天界の仲間入りをすることができる――それは、巨人族でも例外ではなさそうなところまでは突きとめた。ゾードも修練をつみかさねていけば――あるいは天界入りする可能性は無ではないかもしれない。
けれども、その修業には人生をかける年月を経る必要があり、死期が着々とせまるゾードには、完全に無理なことであった。
最初は希望を持ちながら眺めていた紙面への眼差しが、変質していく。
生を伸ばす方法の限界を知り、死が不可避であることをつきつけられ、ユーリの目の光りがくらいものとなってゆく。
「死……別れ……生きる……生き続ける……」
ぶつぶつと小さな声がこだまする。
無限回廊のような書棚の前で、ずるりずるりと衣をひきずり、こけた頬で書をにらむ。
――時が過ぎてゆく。
――地上の時は止められない。
ぶつぶつと繰り返しながら書を見ていく。
毎日毎日それに繰り返し。
***
日は過ぎてゆく。
天界は常春。
いつも陽光が差し、まどろむ時間はあれど、真の闇は来ない。
その光に満ち満ちた天界での時間では、長くも短くもはっきりとしない「時」であるが――地上の時は正確に刻まれていく。
「たった、十日。されど、十日たった。扉を開けようぞ」
まばゆい光に包まれて、天主が奥宮にあらわれた。
その光と神々しさに門番係の仙人達は顔をあげ、そしてひれ伏した。
天主はその者たちを見下ろして、わずかにだが眉を寄せた。
門番係でない仙人仙女も数人がそこに集まっていて天主に頭を下げたからである。普通なら奥宮にいない仙人仙女。ただ、自分の享楽で気ままにくらしているはずの者たちが集まっている姿は、良い知らせのようには見えなかった。
「おもてをあげよ」
そう天主が言うと、仙人仙女たちはさっと顔をあげる。
そのもの言いたそうな仙人たちの表情に、天主は「何かあるなら申せ」と言った。
すると門番係の仙人と、それと共にいる者たちは我先にという風に口ぐちに言いはじめた。
「……天主さま……もう、このまま閉じていてはいけませぬか。天界の仙人仙女に風を向けるような者……解放する必要はありましょうか」
「地上にばかりおりて、音楽の勤めもおろそかになっている様子……どちらにせよ、目ざわりなのもたしかで……」
「花の生気は天界にもあるものです。地上に堕ちた者は、このままこうしていては……」
見目麗しい仙人仙女。けれども、皆が何かを怖れ、そして厭わしげにユーリを拒む言葉を口にした。
それらを聞きつつ、天主は黙っていた。
皆が言い終えると、天主は口を開いた。
「……十日で解放するはユーリとの約束ゆえな。私に約束を違えた者になれと?」
一言そういうと、仙人仙女達の気配がはっと息をのんだものになった。
「皆の想いはわかったが、ユーリはまだ天界の者である。また、この書庫は、本来ならば天界の仙人仙女たちの力を切磋琢磨するもの……かつての栄華は失せ、今や誰もよらぬ書庫となっているが、牢屋にあらず」
天主の静かな言葉に、仙人仙女たちの表情がわずかに気まずそうなものにかわる。
「……門番係だけ残り、後はそれぞれ好きなところに戻るとよい」
天主の言葉に仙人仙女達は複雑そうな顔を見せたが、何もいわず、引いた。
天主が外から奥宮の書庫扉に手をかざす。
金の光りが手から方々へとはなれてゆき、空気がぐにゃりと歪む。強烈な光が一瞬パンッと弾けたかと思うと、扉がギギィと開いた。
「ユーリ」
天主が声をかける。
横で門番が「ひっ」と小さな声をあげたのが、天主の耳にも聞えた。
書庫の片隅で、巻物や綴り本、数々の書にうもれるようにして、四肢をはいつくばらせて読み進める金の髪のかたまり。
そこからしゃがれたような声がする。
「……これじゃ……あぁ……大丈夫じゃ、ここまでできた」
さらに門番はビクリっと身をすくませた。
十日前に、ユーリをここにいれたときに共に入れた生気を吸うための天界の花――……鉢に入れておいたはずのそれらが、根から引っこ抜かれて散らばっており、生気を吸ったというよりも、花びらそのものを食い散らかしたかのように枝やおしべや葉が散乱し、花びらのかけらが散っていた。
清冽なものに満ちている天界の宮であるのに、泥にまみれたかのようなその床はなにか禍々しいものを感じさせて、門番は立ちすくんだのだ。
天主はそんな室内にも、門番の態度にも気をとめた様子をみせないままに、口を開いた。
「ユーリ、十日だ。――約束通り解放する」
そう宣言すると、痩せこけてぎょろりとした目だけをユーリは天主に向けた。門番はあまりの仙女のかわりように、言葉がでず硬直した。乱れた髪、こけた頬、かさついた唇。
なによりも纏う雰囲気が、仙人仙女特有の明るさと気ままさそのままのその日暮らしを楽しむ様子ではまったくなかった。
どろりとしたものを、抱えたまま、這いつくばるようにしてそこに存在している――モノ。
天界しか知らぬ門番は、ユーリの姿に嫌悪感を感じ目をそらした。気ままに楽しく瀟洒に存在していないモノを、見慣れていなかったのだった。
だが門番のあからさまな態度も気にもとめず――いや、気づいていないかのような雰囲気のまま、ユーリは胸に抱いた書をもう一度抱えるようにして――……無言のままよろよろと立ちあがった。
咄嗟に動揺していた門番でさえも、突然たちあがったユーリから天主を守るような姿勢を取った。
だがユーリは、顔をふいっと天主からも門番からもそらすと……まるで、すべてがここに無いかのような、表情で――……胸に抱いた書だけにすがるように力をこめて、一気に宙に浮いたかと思うと書庫から飛び立っていったのだった。
「待てっ」
門番がそう叫んだが、ユーリは瞬時に消え、そして天主が門番を止めた。
「いいのだ――……もう、あの者の目には天界の者など見えておらぬよ」
「……まさか天主様の姿も?そんな術が!?」
「いや、違う。あやつは、自分自身には何も術をかけておらぬ――……ただ、もう天界に興味がないのだ。なにも見えないのだ、見たくないのだ。たった一つだけを……もう求めておる」
「そのまま放ってよかったのですか!?」
門番が重ねて叫ぶと、天主はユーリが消えた書庫の外の廊下を見つめた。
「もう……どうしようもないであろう。あとは、行く末を見つめるのみだ」
***
時は少しさかのぼる。
天主が門番と書庫に訪れる前――……。
膝立ちですらふらふらとしてしまうようになっていたユーリは、それでも這うようにして、文字を追っていた。
そのとき、ある書に目を通していたユーリは、突然、カッと目を開いた。
「これ…じゃ」
古びた紙をぐるぐると巻いたその書物を解き、そこに描かれる絵、説明の文字にユーリはゾクゾクした。
――……挿絵の麗しい花の絵。その花はまさに、ゾードが育てていたような下界の地上で咲く花の姿。
食い入るようにして、そこにかかれている文字を追う。どんどん追っていくにしたがって、ユーリのくぼんだ目に力がみなぎってゆく。暗い力が。
「見つけた……これなら、私は……私とゾードは共にいられる……」
術が書かれている古い巻物の書にぐっと目を近づける。
ボロボロのカサついたユーリの髪がしゃらりと書にかかると、荒々しくユーリは指で髪をふりはらった。
「やはり、これじゃ、これしかない……」
ガチガチガチ……ユーリの身体が小刻みに震え始めた。
喜びで――……光が見えた気がした。
勢いで読み進めて――読み終えたとき、たまらず掌に仙女の力、仙力をためこんでみる。書かれていることが―-できそうかどうか、いや、成功させてみせる!
「これじゃ……これじゃ、これじゃこれじゃぁぁ!!!」
ユーリはその巻きものを抱き込み、大声をだした。
全身で希望が見えた気がした。
「これじゃ、これならゾード……お前と私は……ずっと……ひとつ」
ユーリのみだれた金の髪、前髪の間から、ユーリの瞳だけがギラギラと燃えるように輝いていたのだった。
そうして、ユーリはその「見つけた書」とともにまた不眠不休で向かい――ある時、突然に書庫の扉が現れた。
天主が「十日経ったことを告げた」
ユーリの目指すものは、たった一つに削ぎ落されていた。