時
***
そんな日々の繰り返しのときだった。
ある日、ゾードの住まいに降り立ったユーリは目を見開いた。
耳から聞こえる声に、全身が総毛だった。
「まぁこれがユーリが御執心の巨人?」
「なんて醜い、ただの大きな塊りじゃないの、ねぇ?」
「天主様のお言葉があっても、まだ下界に降り立っているというだけでも腹立たしいのに、その相手がこれじゃぁ……」
ひらひら揺れる衣の合間から。
ゾードの黒い髪がみえる。
逞しい背中が見える。
花畑の片隅で――自分と同じような華やか衣を身にまとった……よく見知った仙女たちが……ゾードを取り囲んでいたのだ。
ナニヲシテイルノ。
ユーリの耳に聞こえてくる、高い声。
天上で聞けば綺麗なものだと思ってきた仲間の声が、今、この大地で耳に入ってくると、ただただわずらわしい物音のように聞こえてくる。
全身が震えてくる。唇がぐずぐずとこわばって、声にならない。
ナニヲシテイルノ。
「巨人族の癖に、こんな肺の病をこじらせて。ユーリにすがってるんじゃないの」
「ユーリも変なおもちゃを気に入ったものだこと……」
「ただ突っ立っているだけで。私たち仙女も力があるわよ、すがってみたら?その呼吸、少しはラクにしてあげてよ?」
三人ほどの仙女がゾードの周りで口ぐちにそんなことを言っている。
――ナニヲイッテイルノ。
ユーリの中でどろっと生々しい何かが流れ出た。
ドロドロドロのそれは、ユーリの中が一気にかけめぐっていく。総毛立つような全身が、カっと熱くなっていく。
その時さらに、視界の中で、誰かの――仲間であったはずの仙女の白い指先が、嘲ってからかうようにゾードの黒い髪先に指が伸ばされた。
甲高い声がユーリの脳をガツンと刺激する。
ヨ・ル・ナーー……
「ほら、醜い巨人。こちらをお向きなさいよ。その巨体でひざまずいて懇願するなら……きゃぁっ!!!!」
突風が起こり、ゾードにつめよっていた仙女の身体が吹っ飛んだ。
ひらめく衣がまるでつむじ風でまいあがる木の葉のようにくるくると勢いよく舞う。
驚く他の仙女たちが顔をあげた瞬間、次々にまた別の風が巻き起こる。
「きゃっ」
「な……ユーリっ!?」
他の仙女の叫び声。信じられないというよう甲高い声。
仙女たちを吹き飛ばしたは、ユーリだったのだ。
天界に住まう――天界で生まれし、仙女のユーリ。
「ユーリっ!私たちに向かって、なっ……にっ……ぎゃぁっっっっ」
ユーリは風を起こし、ゾードに近寄った仙女めがけて鋭い一風を与え続けた。
ユーリは衣を風でなびかせながら、次の突風のための準備のように指先に力を溜めていた。
無言のまま。
ただ険しい顔をして、ゾードの周囲に風を起こす。
突然の風に呆けた顔した巨人……ゾードを避けながら強い風が吹く。
「なにをするの、ユーリ。私たちよっ!!!」
青ざめて仙女たちが口ぐちに叫べども、抗議の声をあげた仙女たちに向かって、ユーリは無言で次々に強風を起こした。
チカヨルナ チカヨルナ チカヨルナ………
周囲の気が唸り声をあげる。
ここずっとゾードの元に通って親しくなっていたこの地の風は、他の仙女でなくユーリを優先して助けた。
ユーリは、次々につむじ風をおこし、ゾードをよけるようにして仙女たちを襲わせる。
風の力は強くとも、仙女を吹き飛ばすだけであって、怪我をさせるわけではない。
だが怪我せぬといえでも、仲間のはずのユーリからの攻撃は衝撃的だった。
ユーリと同じ風を起こす力をもつ仙女たちも、さすがに突然の攻撃を防ぎきれず、風の流れで身をくるくると舞わせた。一見、衣が揺らめいて回っている姿は美しい花びらのようだが、実際巻き込まれる本人達はあまりの速さと勢いで目がまわり恐怖に陥るだろう。
楽しい暮らしだけを追っている仙女にはめずらしい――感情。恐怖。怖れ。不安。
そんなものがいっきに溢れ出る。
ゾードを取り囲んでいた仙女たちはあれよあれよというまに皆が吹き飛ばされ、宙を舞う。
「……近寄るな」
ユーリが険しい顔をしたまま、呪文のようにそう言った。
「チカヨルナ、チカヨルナ、チカヨルナ、チカヨルナ……」
その声に大きな巨人がユーリの方を向き、ユーリと目があった。
巨人の瞳は黒く、そしてただ一人ユーリを見つめた。
そこには怖れも拒絶もない、ただ、風を起こすユーリの来訪の――喜び。
その一途な瞳を見て、ユーリの身体がふっと軽くなる。こわばっていた表情が、一気に柔らかくなる。
「ゾード!!!」
ユーリはゾードに向かっていちもくさんに飛び、そして、ゾードの首に抱きついた。
巨人の身体にまるで首にまとう布切れのようにユーリは腕をまきつけて、そして、宙を風で回され続けられて半狂乱になった仙女たちを一気に静止させた。
「ゾード、ゾード、ゾード!」
抱きつくと、巨人をそっと手を添えてくる。その大きな手のひらの感触を味わうようにユーリはめをつむった。
だがすぐにその時は破られる。
「ユーリっ!!!下賤な者に心うばわれたお前など、仲間とは思えないわっ!」
甲高い声にユーリがゾードにしがみついたまま振り返ると、飛ばされて髪を振り乱してぼさぼさ、衣も乱れてしまった仙女たちが揃って顔をしかめて立っていた。
「よくも、風の刃を我々に向けたわね!」
「このことは、すべて天主様に訴えますっ!」
「そんな病に侵され、死を待ってるだけの者に、仙女がふりまされるなど、ユーリは仙女の恥よっ!天主様に罰されるといい!!」
口ぐちに叫んだ仙女たちを、ユーリは見つめた。
頭の片隅では、その仙女たちが自分の天界での仲間だったと――共に天主に音楽を捧げた者たちであったと「わかって」はいるのだが、妙に遠く感じた。
仙女たちの声を、叫びをわずらわしいとしか感じない。
ゾードに近づく、いやな存在としか――捉えられない。
結局、ユーリは叫ぶ仙女を見て――一度だけ、唇を開いた。
「……もう、近寄るな」
その言葉に、一瞬、皆が黙った。
それからすべてを赤く塗り替えたかのように顔を真っ赤にして、怒り、
「こちらからお断りっ、もう仲間ではない、お前は堕ちた者よっ!」
と、仙女の一人が捨て台詞だけを吐くと、皆、乱れた衣をぎゅっと握りしめて――天界への上っていってしまった。
仙女達が消えると、当たりは静まり返った。
見ると、畑の一部が先ほどの仙女たちがユーリの来る前にいやがらせで荒らしたのか、仙力で水浸しになったような跡があった。ユーリの好む花も、花が少なくなった畑の横にゾードが守るように育ててくれたのだが、それらもへし折られていた。
ユーリは胸が痛くなり、言葉にならず、ただゾードの顔をのぞきこんだ。
たまらずに声をかける。
「……ゾード?」
ゾードの目はユーリを見返す。
「痛い目にあわなかったか?」
ユーリが尋ねると、ゾードは『否』というように首を振った。
その後、心配そうにユーリの顔を見つめ、おずおずと手のひらでユーリの背を撫でた。それから、ゆっくりと身体を引き離す。
「ゾード?」
まるで帰るようにというような仕草に、ユーリはいらだった。
ゾードは木切れをもって、地に字を書いた。
風が気を聞かせてユーリの耳元で意味を告げてくれる。
《ユーリ 天に住む ひと》
書かれたことばにユーリは目を見開いた。
ユーリは咄嗟に、
「だから、なんだという!」
と返事をした。
だが、ゾードはユーリに言葉を伝えるように、地に字を書き続けた。
《天の人と けんか だめ。なかま 大事》
「ちがうっ!あやつらは私の仲間なんかではないっ!」
ユーリは腹がたち、ゾードの持つ木切れをパンッと取りあげて足元に捨て去った。それから、再びヒシッと抱きつく。
「……私は、わたしの場所は……ゾードの隣に……ゾードだけ。もういい、ここで暮らす。天での音楽のお勤めも、仲間も知らぬ!ここで、ここでゾードの育てる花の生気を吸って暮らすのじゃ!そなたの……そなたの花が一番美味ゆえにな!」
そう叫ぶと、ゾードの大きな手のひらがゆっくりとユーリの背を撫でた。
だが、しばらくすると、そっと両肩を持たれた。
「ゾード?」
不穏な空気にユーリが眉をひそめると、ゾードが首をそっと振った。
そして右手をユーリの身体からはなし、ゾードはみずからのボロボロの服をまとう胸をぽんぽんと叩いた。
そして再び首を横に振った。
ゾードの手があたっているところは、ユーリの目からみると――仙女の力をつかえば、黒い靄がかかるところそのもの。
おそらくゾード自身も苦しく感じる……その場所。
それからゾードは、かがんでユーリがさきほど捨て去った木切れをひろい地に字を書く。風がまたささやくようにユーリに教えた。
《俺、死 もうすぐ 来る。苦しい、感じる。さきほどの 天から来た人達も そう言った》
「ちがうっちがうっ、ちがうっっ―――っ」
《仲間、大事。天の仲間 仲直り》
ゾードの繰り返す言葉に、ユーリは首を振り続けた。
「ちがう、ゾードっ、ちがう、ちがう、ちがう……」
その時だった。
パーッと天からの光りが差し込んだ。
ユーリの全身が硬直する。
自分を天主の光りが光の縄で縛りあげていくのを感じたのだ。
ユーリの全身に天界の主、天主の持つ光の縄がぐるぐるとはりめぐらせていく。まるで魚を網でとるように―-……
先ほど追いやった仙女たちが、天主に告げると言っていたことを頭の隅で思い出した。天主がユーリの行いに罰を下す――そのための光り縄だと感じ、ユーリは拒むようにいやいやと全身を震わせた。けれども光の縄はがっしりとユーリにまかれ、天からの力が一気に注ぎこまれる。
――天界に連れ戻されてしまうっ!
ユーリの心が叫ぶのと同時に、ゾードが目の前でおおきく目を見開いた。
おそらくゾードの目には、ユーリが光に包まれて消えていくようにしか見えないに違いない。
「ゾードっっ!」
ユーリが抗うように首をふった。必死にゾードに手を伸ばそうとする。
びっくりしたようなゾードが反射的にユーリの伸ばされた手をつかんでくれようとする――……けれど。光のかたまりになったユーリは……消えた。
光の玉、天主の縄によって掴まれた仙女のユーリの身体は、唐突に地上から消え去ったのだった。