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天界

 シャンシャンシャン……鈴の音に合わせて衣をひらめかせ、天主の前で舞を踊る仙女たち。

 ある者は琴を奏で、別の者は笛をふきならし、鼓を打つ。

 天界の主、天主とよばれる尊き方の前で舞や踊り、歌や楽器を披露するのは、天界に生まれた仙人仙女のつとめ。ユーリも足しげく地上に通うものの、その日課だけは忘れず怠らずにこなしていた。


 今日のユーリは舞を披露し、同じくともに舞った仙女たちと天主の前で頭を下げ退出前の天主の言葉を待っていた。

 いつも社交辞令のように「良かった」「明日の舞は明るいものを」などと皆に声をかける天主だが、今日は違った。

 皆に声をかけた後、ひれ伏すユーリの前に歩いて来て足を止めたのだ。

 声をあげるものは誰もいなかったが、一瞬、場の雰囲気が凍りついたようにいつもより静まり返った。

 そんな凍てつく雰囲気もものともせず、天主は淡々とユーリに声をかけた。


「ユーリ。そちは、このごろ頻繁に下界に降りておるようだな」

 

 ユーリはぎくりと体を震わせたまま口をぎゅっと口をつぐむ。

 陽光のようにきらめく金の長い髪をなびかせて、天主がユーリのみに声かけた、その言葉の内容にまた周囲の空気が一段と冷えたようにユーリは感じた。

 天主の顔を仰ぎ見ることは許可なければできぬことで、うつむいたままであったが天主の次の言葉を待った。


「面をあげよ、ユーリ」


 厳かな言葉が響いた。ユーリはその言葉に逆らうことなく、静かに顔をあげて見下ろしてくる天主の顔に目を向けた。

 天主の年齢は誰にもわからない。ユーリよりも、他の仙人仙女よりももっとながく存在しているという――だが、現在皆に見せている姿は、地上のヒトでいえば壮年期にあたる男の様相で、勇壮な姿と美麗な顔立ちを絶妙に合わせた天界に華々しく君臨する主としてふさわしいあでやかさを持っていた。みずからその存在が煌めいているかのような髪、きりりとした眉の下には誰にも屈することがない王の風格をそなえた金の瞳、凛々しく通った鼻筋に麗しい口元……。

 天主は、陽光が存在したときから、天界に在るとユーリは聞いたことがあるが、その姿は幾千年も幾万年も悠久のときを生きてきたような老いたものは微塵もかんじさせなかった。

 眩しいほどの輝きをもつ天主をみて、あらためて天界は下界とまったく違う時の流れの中にあることを感じ、ユーリはすこし目を細めた。

 誰もが見惚れる美丈夫――かつての自分も、また、憧れと崇敬の念をもって見上げたはずの天主の容貌――なのに、今は。

 あの土くれて汚れた巨体をまるめながら、花がらを摘み、田を耕し、落ちた葉を集める姿が恋しくなるのだ。


 ユーリのわずかの表情の変化をとらえたのか、天主は苦みを含むかのように目を伏せた。わずかながらに寄せられる眉。

 そしてゆったりと口を開いた。


「ユーリよ。下界に降りるは自由、また、下界の花の生気を吸うも仙女に許されていることゆえ、とがめはせぬ。だがよいか、下界……つまり地上の者への執心が過ぎれば、天界の者は身を滅ぼす」


 天主は断言した。

 まったくゆるぎなく、身を滅ぼすと言い切った。


「下界の花は枯れる、時はうつろう――もちろん天界の時も動いてはいるが、その波は下界とは異なる。下界には遅かれ早かれ肉体の死は必ずあるのだ」


 天主の視線がユーリに向けられた。

 金の瞳に射抜かれ、ユーリは体を震わせた。天主に心を見抜かれていると感じて、身ぶるいした。


「ユーリ、下界に流れる”時”と”死”は天主である私ですらも触れられぬ三界の法。下界の者に執着するということは――……その法をおびやかすにつながる。注意せよ」


 天主の言葉に、びりびりとはりつめた想いが全身くまなくめぐっていく。

 天主ですら”時”と”死”は扱えぬと断言していることに、身ぶるいした。 

 天主はそんなユーリをしばし見つめたあと、それ以上はなにも口にすることなく踵をかえして去って行ったのだった。

 神々しい姿が消え去ると、控えていた仙人仙女たちがコソコソと耳打ちしあう。風にのってきこえてくるのは、ユーリへの非難や嘲笑の言葉。


『下界の者に心奪われたらしい』

『天主様が忠告の言葉をお授けになるなんて…よほどのことね』

『愚かなこと。ほらみて、天主様に注意されて恐れて震えているわ』


 そんな声が聞こえてきたが――ユーリはそんな周囲の雑音にはまったく心を動かされていなかった。 

 ユーリが震えていたのは、天主に”注意されたこと”を恐れたのではなく――……。

 天主の『下界の花は枯れる、時はうつろう――もちろん天界の時も動いてはいるが、その波は下界とは異なる。下界には遅かれ早かれ肉体の死は必ずあるのだ。』という言葉に、はっきりと巨人の死を意識したからだ。

 

 仙人仙女には実感が湧かないはずの――死。

 大地にめぐる、時の残酷さ。

 

 唇をかみつつ、ユーリは最近の下界を思い出す。

 宙から花畑を見下ろし、何度も身体がふるえたことを。

 花が減ってきている――実を結び、種をつくりはじめている――……。

 常春をまとうユーリにはよくわからぬが……大地の色が変化しはじめているのはわかった。季節が巡る――今までなら、なんともおもわなかった「あぁ、美味な花の生気の頃がすぎる」くらいにしか思わなかったのだ。そうして、大地でいう何百年という時をたゆたうようにして生きてきたのが仙女の自分。

 

 だけど――今、はっきりと時のうつろいを意識した。

 一刻一刻がすぎさってゆき、それはもう手に戻らないという事実をユーリはひしひしと感じていたのだ。

 

 花は何度も咲くと思っていた。

 だが違う。

 次に自分が手にする花は、同じ種類であっても「同じ花」ではないのだ。生気を吸うのも、今いきているのも、大地にうごめく地上にしばりつけられた生きものたちも――巨人も。

 見下ろせば、全部がただの「下界のものたち」にすぎなかったものが、今のユーリには、ゾードという存在を中心に、それぞれが色を持ってみえる。

 時を過ぎてゆくのが――わかる。

 

 ゾードの病がだんだんと静かに広がり、花の見ごろが過ぎ、畑で収穫する野菜の種類が変化していく。

 ゾードの身にまとう衣服が、ぼろぼろながらもだんだんと枚数が増えていく。

 陽ののぼる時の長さが短くなり、夕方の影が長く長くなる――……。

 落ち葉の色がさまざまになり……木々が風で葉を落す。

 

 あぁ、時が過ぎて……すぎて、ゆく。


 ユーリが望まぬのに。

 ユーリが下界に降りるたびに……手元からするするとすりぬけてゆく、時のかけら。

 その実感が、天主の言葉によって、より明確になったのだ。


「……ゾード」


 ユーリは口の中だけで、花を育てし巨人の名を呼んだ。

 ずっとずっと、花を育て、自分がその生気をもらい、ときどき巨人の指が、ユーリの髪を梳く――そんな時がずっと続けば良いのに……。

 だが、天主の金の瞳と言葉が、ユーリに事実をつきつけた。



 ***



 花が少しずつ実になり、枯れていくものがでてきた花畑、森の木々の葉の色がかわり、ユーリの吸う花の生気の味もどこか乾いたものになりはじめた――そんな時の移ろいの中。

 

 ユーリは自分の手から大切なものがすりぬけていくようで、けれどどうしてよいかわからず、ただただ下界に頻繁におりるようになった。夜明けと共にゾードの元へ。天界での音楽のつとめのために天界に少し戻り、また終われば下界におりる。


 ゾードはユーリの姿をみるととても嬉しそうに微笑むが、その後、すこし心配そうに首を傾けるようになった。

 ユーリはそんな大きな身体にまとわりつくように周囲をとびまわる。


 花がらをつむゾードの周囲を、縄を編むために座りこんでいるゾードの隣を、水を汲む背中に――……。


「なぁ、ゾード。私が来なくなったら、寂しいか」

「ゾードよ、そなた、我が花の生気を吸いに来なくなったら、たった一人になるのではないか」

「苦しくはないのか、そのようにいつも働いて、なぁゾード」


 戯れのなかに、本音を混ぜるようにしてそんなことをたずねてみた。

 そういう時、ゾードは宙を浮きながらゾードのまわりをくるくるまわっているユーリを見て、それから少し微笑む。

 けれど、それ以上は是とも否とも何も首を動かさなかった。

 ただ、いつも優しい微笑と、ただ一直線の瞳をユーリに向け、ちょうど朝に咲いたいたみのない花のありかをそっと指先でユーリにしめしてくれるだけだった。


 胸がつまる。


 毎日、毎日……いや、一刻一刻が――天界には天主への音楽のおつとめ以外には地上のような小刻みに動いていないはずの「時」が胸にささりはじめる。


 ゾードが軽く咳をする。軽い二回ほどの咳払い。

 それだけで、ユーリはいてもたってもいられなくなる。

 ゾードに詰め寄ってしまう。


「ゾード、お前は病なのも、それが治らぬことも気づいておろう?」


 すべてを包み込む様な黒く穏やかな瞳がユーリを見つめる。

 慈しみ育てた花畑の花が風にそよぐのを、愛おしそうに見るように。

 働いていた手を休ませ、ユーリに深い眼差しをむけてくる。咳をした体はすこしつらそうに背はまるくなっていても、ユーリに向く時には大丈夫だというように姿勢を正してくる。


 だがユーリはそれすらも、苦しくなる。胸が詰まる。


「私が特別な力を持っていることも知っているのに、すがろうとは思わぬか?生かして欲しいと頼まぬのかっ!」


 ユーリは焦れて詰め寄る。叫ぶ。

 けれど、ゾードはやはり微笑み、何も求めようとしなかった。


「ゾード……」


 ユーリは唇を噛む。わかっている、こんな風に詰め寄ったって、そもそもユーリの持つ特別な力といっても、結局のところゾードの病を完全に癒す力はなく、死を遠ざける力もないのだ。そんな術――磨いてなどいないのだ。

 苦しくて、悔しくて、胸がどんどん痛くなって、ユーリはゾードにしがみつく。

 唇をぎゅっと噛んだまま、まとわりつくように巨人に添う。

 すると、巨人は大きな手を一度布でごしごし拭いてからそっとユーリに指をのばして髪先に触れた。ほんの数筋の髪先を愛おしそうにつまみがっしりとふとい指にからませて、ただ瞳はユーリを見つめる。

 その中に、ユーリにすがるような生への欲求も懇願もみえず、ただただ穏やかなあたたかさだけがあった。

 ユーリはますます悶々とする。

 ――なぜ、そんなに穏やかに見つめる。すべてを受け入れるかのように――……。

 唇をもっと噛む。

 すると困ったように、ゾードが唇の端をつんつんとつつき、『噛んでは駄目』というように、その時だけ眉を寄せた。黒くキリっとした眉がよせられると険しい表情になるはずが、それでもゾードの顔はユーリに険呑な雰囲気を与えない。

 注意しているだけなのに、花の生気のような甘い香りがただよってくる気がする――……。

 ユーリは胸が熱いような気持ちになってきて、ぱっと顔をそむけようとする。


「そなたは、無口なくせに説教する」


 だが、顔をそむけようとしたのに、ユーリはそれが叶わなかった。

 ゾードがなだめるように唇をそっとユーリの赤い唇を二度だけゆびでなぞったから。

 噛んだ唇が痛みでなく、熱を持つ。

 ゾードの指に何か花でも咲いているかのように、生気のような熱く甘いものが注がれている気がした。


 けれど、しばらくして――……風が吹く。

 ゾードが咳き込む。

 大きな身体をゴホゴホッとふるわせて、背中を丸めて――……


 ユーリは宙で固まる。


「ゾード……」


 どうしていいかわからない。


 時が。

 時が、過ぎてゆく。


 ゴホッゴホッ……深くなってゆく、咳。

 乾いてくいく風。

 色彩が変わってゆく、風景。


 宙でさまようユーリは、あでやかな姿をしていながら、どんどん心が干からびてゆく。





 


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