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寄生花



 ***



「おいゾード、今日はどの花が咲いた?」


 ユーリが遊びにゆくとゾードはいつも笑顔で迎えてくれた。ユーリが飛んでそばを舞えば、ゾードは咲いたばかりの花、これから咲きゆくふくらんだ蕾の花を示してくれる。あたたかい季節のゾードの花畑は満開だった。



 だが、その日、ユーリがいくとめずらしくゾードは畑にいなかった。ユーリが天界から降りて地上のゾードの畑の近くに降り立つと、いつもゾードは畑の手入れや草抜きをしていたり、畑の傍で朝に収穫した野菜をより分けたり、果実や野菜を天日干しして保存食をつくっている姿などが見えていた。なのに、その思い当たるすべての場所がもぬけのから。


「出かけているのか?水汲みか?」


 ゾードの不在に眉をひそめ、ユーリは周囲を見渡した。だが、川の方にもゾードらしき巨体は見当たらない。

 畑の横にある小屋に近づいてみる。

 この小屋はゾードの住まいで、粗末な石を積み重ねたような寝台と木製の机と椅子があるだけだ。

 巨人族の男が住まうので、ユーリにとってはすべてが大きな造りとなっているものの、単に石と木を寄せ集めて建てられただけの小屋。修理を重ねながら住んでいるそのゾードの「家」は、ユーリからすれば家と呼ぶにはあまりにぼろぼろだった。

 その粗末な家の木戸の隙間から中をのぞいてみたが、誰もいなかった。


 ユーリの中でいっそう不安が広がった。ゾードの胸にはびこる、病の靄の存在。花の生気を与えて、いったん小さくなったとはいえ、すべてを消し去ることができるわけではない、病――死にいたるほどに、深くはびこったもの。

 まさか、時期がはやまったというのではなかろうな。

 ユーリの仙女の細い肢体が、心の不安に同調して揺れる。

 ユーリは唇をかんで気配をたどりった。

 気まぐれな風に尋ねつつゾードの行き先を探ると、答えは教えてくれずとも、森に続く道の方にそよ風が吹き抜けた。

 ユーリは風の動きに頷いて、飛んで行くと、森の小道にゾードの生気の残り香をわずかに感じた。


「森に入って行ったのか」


 ユーリはふだんならば天からの陽光が届きにくくなる森に入ることはなかった。

 森の中は陽光が届きにくい分、何か危険があっても天界に逃げづらいのだ。また仙人仙女の声も、直接に日の下にあるときよりも天主に届きにくくなる。

 だがその日のユーリは、森にゾードがいるらしいとわかると迷うことなく森に入った。ゾードを見つける事以外に気持ちがむかなかった。


 ひゅんひゅんといつにない早さで森の中を飛んでゆく。

 しばらく未知の森の中を飛びながら進んでいくと、先で小枝が軋む様な音がした。

 

 パキッ……パキパキ……


 ユーリはその違和感ある音にはっとして、音の元の方を見あげた。

 視線の先にあるものに、ユーリは悲鳴をあげそうになり、目を見開いた。


 なんと、浅黒い肌の巨体――ゾードが大木にしがみつき、木登りをしていたのだ。


「何をしておるのだっ!」


 ユーリは、木登り中のゾードの周りを飛んで叫んだ。

 ゾードが振り返る。ユーリの姿を認めると、黒の瞳を細めて笑んだ。

 ユーリは息をのんだ。

 ボサボサの頭にさらに、たくさんの葉や小枝が絡み、ゾードの浅黒い肌に細かな擦り傷がある。頬にも傷を作っている。

 明らかに何度も木から落ちた様子だった。

 ユーリは青ざめた。

 森の木々は巨木といえるものがいくつもあり、ゾードが上っているものも巨人のゾードを何倍も大きく太くした幹の木。ゾードは飛べないというのに……病を抱えた身であるというのに、いったい何をしているのかとふつふつと熱い気持ちが腹の底にわいてきて、ユーリは再び、


「何をしておるのだ、早よう降りろ!」


 と怒鳴った。

 するとゾードはじっとユーリをみて、片腕を枝にからませつつ、もう片方の手をユーリに見せつけるように向けた。

 木のぼり途中に片腕だけで巨体を支えるという暴挙に、ユーリはさらに目を開いた。


「なっ!手をはなすな、飛べぬ巨人が落ちたらどうするっ」


 ユーリが叫べどもゾードは微笑んだまま。大丈夫というように笑って、まるで手の中のものを見ろとでもいうようにユーリに手を見せつけてきた。


「わかったっ、見たらいいのだな、すぐに見るからっ」


 ユーリはあわてて宙を舞ったままゾードの手をのぞきこむように近づいた。そうでもしなければ、ゾードはずっと片手で大木の幹のなかばにしがみついていそうだった。

 そうしてユーリがゾードの手をみると、ぶ厚い手のひらにはあったのは……白き花。

 ユーリは瞬いた。

 白く小さな小さな可憐な花がいくつも咲いている花の株。葉は小さいものがいくつかついており、根のようなものも丁寧に掘り返されていた。

 ユーリは最初その見慣れぬ花を戸惑うようにみつめつづけた。

 だが、しばらく呆けたあと、はっと顔をあげてゾードを見た。


「まさか!これは木に寄生する花か……?」


 つぶやくと、ゾードは誇らしげに頷いた。そして、ほんのすこし淡く、その精悍な頬を照れたように染めた。


「そなた……」


 ユーリは呆然とした。

 ユーリは前に森の大樹に寄生する花の生気は吸ったことがないと言ったことがあるのを思い出した。


「ゾード……私が寄生花の生気を吸ったことがないと言ったからか……だからとりにきたのか」


 名を呟くと、ゾードは微笑んだまま、まるでユーリに捧げるとでもいうように、ユーリに花を手渡してきた。

 無骨な手が、そっとそっと花びら一枚も壊さぬようにと丁寧に花を持ち、ユーリに向けてくる。瞳が、花畑の花の生気をすすめるときと同じように、優しく煌めく。


「……ゾード……」


 ユーリはなにも言葉が見つからず、ただ巨人の名を呼んだ。

 ――視界が潤むのはなぜだ。

 ユーリは自分の瞳が生まれてはじめてぬるぬると潤んでくるのを感じた。

 

 ――……宙を飛べる自分の方が、簡単にこんな寄生花の生気を吸うことなどできるのだ。ゾードだってそんなことわかるだろう。なのに、探して……おそらく、なんども木から落ちながらもよじのぼって……。

 ――この巨人は愚かだ。愚か過ぎて……なんて、なんて……愛おしいのだろう。

 

 おそらく生気がきちんと吸えるようにするために切らずに根から掘ったのであろう花の一株。

 土気の残るそれを、昔の自分なら、絶対に触れやしなかった――そう、ユーリは思う。


 ――けれど、今は。


 ユーリはその花へ手を伸ばすことに、なんのためらいももたなかった。

 ユーリの楽器は奏でても労働などしたことのない白くほっそりとした指先が、ごつごつとしたゾードの手のひらに伸ばされる。

 花を受け渡すとき、二人の指先がほんの少し触れた。

 指先が触れ合った瞬間、ゾードが驚いたように震えた。


「なにを……驚いておる」


 あからさまな動揺すら、今のユーリの目に可愛らしく映る。

 ユーリはゾードから花を受け取った。

 濃密な初めて嗅ぐ匂いがした。大木の命を吸いとった寄生花。受け取った花を手に微笑みかけると、ゾードが戸惑ったようにこちらをみあげてきた。

 黒い巨人の瞳と、ユーリの淡い緑の瞳の視線とか交わる。


 ――そのとき。


 ミシミシミシ……


 木が裂ける音が響いた。


「ゾードっ!!」


 巨人の重さに耐え切れず、木の枝が強く軋み、ゾードの身体が大きく揺れる。


 バキッ……バキバキバキ……


 またたくまに、枝の折れる音が重なるようにして鳴り響いたのだった。



 ***


 木の折れる音が森に響いたとき、ユーリはとっさに花を片手でつかみ、もう片方の手をゾードに伸ばそうとした。だが勢いよく裂けていく枝の方がはやく、ゾードの巨体が巨木の中央からまっさかさまに落ちていく。


「ゾード――……!」


 落下する巨体。遠くなっていく姿なのに、ゾードの瞳はずっとユーリを見つめている気がした。黒き瞳を追いかけて、ユーリは全速力で堕ちてゆく身体に寄りそうべく飛ぶ。


「風よっ、巨人を受け止めてくれ――っ!」


 仙女の願力でもって風を動かそうとあらんかぎりの力で叫ぶ。

 風が応えて唸る。

 だが、一度に巨人の身体を受け止めるだけの風の層ができあがるわけでなく――……。


 風の大きなうねりと大きな何かがぶつかる音が同時に鳴り響いたのは、その直後。

 ユーリは全力を尽くすようにして落下したゾードのところへと飛び、行きついた。

 鬱蒼と葉がおいしげる森の中。

 ユーリにとって、初めて足をつけた地上。そこは、じめじめとした部分と、ふかふかと葉がつもりあがったところと。木々の根や落ち葉が重なる地面がまだらにある森だった。

 初めて足をおろした大地はひんやりとしていた。


「ゾードっ、ゾードっ」


 寄りそうと、大きな巨体がぐらりと動く。はあはあと大きく息をしているのがユーリにも伝わってくる。

 ユーリにとっては大きな身体によじのぼるようにして、ゾードの顔をのぞきこんだ。

 両手でゾードのほほに触れ、その目を見る。


 苦しそうに眉をよせているものの、瞳は優しい――ゾードの顔。


 ――息をしておる、血の匂いもない。


「怪我はないようじゃが……息か?息が苦しいのか?」


 仙女の力でゾードの身体をみれば、前に生気を注ぎこみ安定していたはずの胸の黒き靄がまた大きく育っていた。


「風は間に合って怪我は防げたというに!無理をするからじゃっ、花など……探すからじゃ」


 ユーリは想いがあふれてきて叫んだ。

 だが、そんな子供じみて騒ぐようなユーリに、ゾードはあたたかな眼差しで微笑む。

 そして唇を動かす


「なんじゃ?」


 ゾードの唇の動きを追う。だが、荒い息だけが漏れ出て来て何も言葉としてわからない。焦れたユーリはゾードの手をつかみ、自分の手のひらに文字を書かせた。それを風に伝えて音に変えてもらう。

 ゴォォォという風の音が耳に入って、ゾードの書いた文字が音として聞えた。


《けが、なかったか》


「なっ……」


 ユーリは、風が伝えてきた言葉に絶句した。

 そして、こんなときにも他者を心配するゾードに心底腹が立った。


「あ……あ、当たり前じゃ!危ないのはお前なのだ、そんなに息を荒らしよって!今すぐに生気を注ぎこむぞっ……」


 ユーリは当たりを見回した。

 だが、森の中ではおいしげるのは葉ばかりだった。足元に咲いていた蔓植物の花は雄花だけが開花していた。ユーリは花の生気を吸うが、それは厳密に言えば雌しべから生気をもらう。雄花からは生気を吸えないのだ。

 唇を噛みながら、ユーリはちょっと考え――……ちょうど今、ゾードがまさに取りにった花が手にあるのを見つけた。


「もらった花だが、この生気をもらうぞ……私がもらったから、それをそなたに与えても何も悪くなかろう?」


 ユーリがそう宣言すると、ゾードは少し困った顔をした。

 けれど、そんな表情は無視し、ユーリはもらった小さき花がいくつもついている株に顔を近づけた。

 ゾードが育てた花とは違って、なにか湿った味がするような気がした。美味いとは思えない――けれど、この生気がどうかゾードを生かしてくれ……。


 すべてすいあげると、むせるような生気がユーリの身体の中に巡った。

 寄生花は大地でなく大樹から養分をもらうためか、ふつうの花とは違った異質な味がするとユーリは感じた。だが文句は言えない。身体の中で荒れ狂う不味い異分子を説き伏せるようにして、ユーリはそれを巨人への生気に変える。


 ユーリはまよわずゾードの唇に自分のそれを近づけた。

 ゾードはじっとユーリを見ている。


 ふぅぅぅぅぅ……


 すべてをこめるようにして、ユーリは唇越しにゾードに生気をそそぎこんだ。


 ふぅぅぅぅぅ……


 二度目の息を注ぎこむと、ゾードはふっと目をつむった。


 ゾードが吹き込んだいきをのみこむ。

 彼の息が吹きかえって、ユーリの方へと流れ込んで来た。


 靄が薄まり、花の生気につつまれた呼気となっている。ゾードの表情も穏やかそうな頬と眉になる。

 顔色も戻っていっていることがユーリにもわかり、ゾードを覆う病の靄も少し晴れたのも感じ取る。


 ――難は逃れた、か……。


 安堵の息をつき、ユーリはゾードから唇をそっとはなした。

 だが、何か離れがたく感じたユーリは、身体はよりそうようにして、ゾードの逞しい胸元に自分の頬を押し当て目を閉じてみた。


 ――生臭い……寄生の花の香り。ゾードの育てた花の香りと違う……生々しい香りじゃな。


 今そそいだばかりの花の生気の香りが自分達のまわりを漂っているのがわかった。ゾードを生かしてくれた花の生気であるが、ユーリはゾードの育てた花の香りと生気が強烈に恋しくなった。

 とはいっても、今すぐにこの不調なゾードを抱えて花畑にもどるわけにもいかない。

 ユーリは心を落ちつかせるようにして、小さく息をしながら耳をすましてみた。

 森の中の葉の触れあう音と、鳥の声、飛び去る羽音……ユーリの耳に、森の音がやっと聞こえ始めた。

 だが、そんな森の音を聴きながら……ユーリはゾードの「心の臓」の刻む音が聞こえることに気づいた。

 寄りそえば聞える、その大地の生者の鼓動。 


 ドクンドクンドクンドクン……


 ユーリは口元に笑みが浮かべた。


「……天界の鼓より、美しい響きだな……」


 いつのまにか小さく呟いていた。


 ドクンドクンドクンドクン……


 静けさの中、しばらくすると、ゾードの手がごそごそと動いた。

 ユーリがちらりと目を開けると、ゾードの大きな手が自らのぼろぼろの服の端で汚れた指先をぬぐっているのが見えた。

 ごしごしと太く逞しい指を服で拭う仕草の理由がわからずユーリが問いかけようとすると、ちょうどそのとき、指先の汚れがぬぐわれて元の浅黒い肌と頑丈な爪だけになった巨人の手が、おずおずとユーリの髪に伸ばされてくるのを、ユーリは目の端で捉えた。

 ユーリは思わず目をつむる。


「……っ」


 大きな手が触れてくるかと思ったが……手は、ほんのほんの髪先だけを、申し訳なさそうに触っただけだった。

 だが、一瞬触れられたときに、ユーリはなぜか息をのんだ。頬が火照る。

 黙って目をつむり、ゾードの仕草を気配で追っていると、どうやら枯れ葉でもついていたのか、何かをつまみそっとはずす動作を自分の髪先で感じた。

 そして何度かそのつまんで取る気配がくりかえされた後、ゾードは、指をそっと櫛のようにして、梳いてきた。髪先を労わるように、おずおずと。

 その弱気な触れ方に、目を閉じながらもユーリは苦笑した。


 ――もっと触れてもかまわぬものを……ほんに、愚か者よ。


 そう思いつつ、ユーリは目を開けなかった。

 丁寧に丁寧に髪先を梳いてくる無骨な指を静かに味わっていたのだった。



 木漏れ日が注がれる森の中。

 大地を知らぬはずの仙女の足――そのたおやかで白き肌、麗しき貝のような煌めきの爪をもつ足先。

 その美しき足は、今や土や枯れ葉にまみれていた。

 だが、当人は巨人の鼓動に魅入られて――髪を梳かれる穏やかな指に寛いでいる。


 静かで穏やかな、昼下がり。


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