表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/7

出会い

「やはり天界の花の生気は、何かもの足りない……」


 ひらひらと紅の衣をゆらして、ユーリは視界いっぱいにひろがる花園を前に息をついた。


 常春の天界生まれの仙女のユーリは、花の生気が食物だ。

 仙女のユーリは天界をふわふわと自由に飛び回り、天界の主たる天主の元で歌をうたったり、思いつきで下界に降り好物の花の生気を吸い、時に気ままにつむじ風を起こして地上のものを驚かせていたずらし、毎日思いつくまま好き勝手に暮らしている。

 

 この世は天界と下界、そして地底界に分けられる。

 天界は天を統べる天主を頭に仙人仙女が暮らす常春の場所。不死の世界の天界では、存在そのものの消滅だけがある。

 下界(地上界)は大地と共にある世界。

 女や雌、卵から生まれいづる者たちが、時に縛られ老いてゆき、肉体の死により魂を解き放つ場所。肉体を失った魂はしばし、地底界へとゆき、その後、また下界で生まれいづる宿命にあるという。


 そんな三界で、ユーリは天界に暮らしながら、ときおり下界に降り立つのも楽しみの一つだった。


「やはり、下界でなければ、あの生々しくもどろりと身体に沁み込んでくる生気は得られぬか……面倒よの。天界で咲けばいいものの」


 天界にも花が咲くが、下界の大地に咲く花の生気も濃密でユーリの好みだったから。

 そしてその日も、気まぐれで。

 ユーリは大地に花の生気を求め降り立った――その時に、その巨人とであったのだ。

 

 ――……倒れ伏したそのモノを、助けてみたのは、ほんの気まぐれ。





【 蔦漆~つたうるし~】




 

 巨人族は女も男も逞しい体つきをした一族で、ヒトや獣と同様、大地に縛られし存在だ。

 天界に住まう仙女からすれば、大地に這いつくばって土を耕し、獣を追うしかできず、しかも暑さ寒さや飢え乾きに苦しみ、自らでどうすることもできぬ寿命があり死を迎える大地の生きものは、すべて脆弱な生きものに見える。

 巨人族も同列だ。

 いくら身体ばかりは仙人仙女より大きくとも、所詮は大地に繋がれしもの――ユーリもそんな風にしかみなしていなかった。

 

 その日も、ユーリは気まぐれに天界から大地に降りたち、気分に合う花はないかと探していたが、降り立った大地が巨人族の縄張りの端だとはなにも考えてはいなかった。

 基本、地上の者が天界の者を傷つけることができない。

 ゆえに、天界の者は地上の者の縄張りや境界線などたいして気にもとめていない。実体を自然の中に溶け込ませる術をもつ天界の者は、地上の大地の縛りに生きるものたちの手の届かないところに飛び去ることができるので、地上で言えば「ヒトの少女」のような姿をしたユーリでも、なんの身の危険を感じることなく下界の森をふわふわと飛んでいたのだった。


 大地にあるものは重苦しく生々しく醜いと感じるユーリだが、花の生気に関しては下界である地上に咲く花を好んでいた。天界の花よりも濃密で甘く美味で、ユーリの身体のすみずみまで熱くざわざわとするような力を与えてくれる気がした。

 特に地上の花が咲き乱れる頃、ユーリは自分好みの花を探し、思いつくまま気の向くまま地上を飛ぶのが楽しみだった。


 その日も地上を気ままに飛んでいたのだった。

 そしてふっとユーリの鼻に濃厚な好みの花の香りが漂ってきた。

 

「……濃いのに柔らかな香りだ」


 香りをたよりに森を抜けるようにして木々の合間を衣なびかせ飛んでゆくと、森のはずれの光りが一気に差し込みユーリの視界が広がった。

 あたり一面が赤や黄、薄橙や淡い青の花々が咲き乱れる花畑。


「良き香りだ」


 ユーリは一気にこの咲き乱れる花の香りを気にいった。

 濃密であるのにくどくない。生気はさぞかし美味であるだろう。

 上機嫌でふわふわと衣をなびかせて飛んでいると、花畑の端に黒と茶色の大きな塊りが見えた。


 近づくと――……。


「……巨人族か?」


 花の生気を吸いこみつつ見下ろすのは、ユーリの二倍はあるかという背丈の大男。いや、背丈でなく、肩幅も、ぼろぼろのつぎだらけの黒くすすけた衣からのびる筋肉隆々の腕も足も……すべてが大きい。

 そんな巨人族の男が花畑の片隅で四肢を投げだし突っ伏しているのだった。

 寝ているのかと思い、捨て置こうと思った。

 

 生気を吸いながら、ついっと冷たい目で突っ伏した巨人を一瞥すると、またユーリは花畑の方へと飛んでいこうとした。


 その時。


 ふっと唸るような声がした。

 言葉ではなく、呻くような。

 その場に漂う気の流れが揺れたのを感じ、仙女のユーリは振り返った。呻きの源は、大地に伏す巨人族の男。

 空気の揺れから伝わる微妙な負の気配にユーリはわずかに眉をよせる。


「……病んでいるのか」


 近づき、見下ろした。

 ユーリが瞳に力を込めると、伏している巨人の背から黒い靄が煙のようにただよっているのがわかる。息をする臓がやられているらしい。


「腕力こそがものをいう巨人族で病の者など……さぞかし居心地悪く生きておるのだろうな」


 憐憫でなく、明らかに馬鹿にするようにユーリは鼻をならした。

 大地には病などいたるところにはびこっている。気にしていたらきりがない。

 ユーリはまた自分の気のむくままに、花畑の咲き誇る花々の生気を吸おうとした。だが……。

 あらためて生気を吸おうとしてあることに気付く。

 ユーリは振り返って、倒れ伏した巨人に目をやった。


「この花……この弱き巨人が育てたのか」


 個人のまとう生気の匂いというものは、多かれ少なかれ、その者が育てたり慈しんだりしたものに染みつくもの。生気というものは存在の源に流れる気であり、影響しあうのが常。

 今、再び花の生気を吸おうとすると、今しがた心の眼で見て感じた倒れ伏した巨人の男に巡る命の匂いを、この花畑の花の生気に感じ取ったのだった。


 ――濃いのに、すがすがしい味。けれどどこか、夕暮れに弦をつまびくときの切ない調べのような、舌にふっと残る味わい。


 何かがカチリと心で動いた。


「……」


 気まぐれだった。

 本当にこの時のユーリにとって、海を嵐にしたり平原につむじ風を起こすようないたずらと同等の気まぐれにすぎなかった。


 ユーリは一番気に入った香りの青色の可憐な花を一本をとり、生気を全部吸いつくした。

 普段なら枯れるまではすいこまず、ほんの少し戯れのように微かに吸う生気を、今だけはすべてをいただく。

 青色の花びらは茶色く皺より、最後には粉のようにきらめき消えていった。そしてユーリは吸った生気をのみ込まず口に含んだまま、倒れつっぷしている巨人族の頭の方へと寄っていく。

 巨人族の男は顔を横に向けて眉を寄せて荒い息をしていた。咳き込む力すらでないのか、青い唇が微かに震えている。


 ――呼吸ができぬ病……この巨人、死して大地の糧となる日も近い匂いがするな。


 巨人族の死の陰を感じ取りユーリは眦に苦笑をたたえつつ、苦しげな巨人族の唇に自分の生気を含んだままの口を近づけた。触れるかふれないかの至近距離。


 ふぅぅぅぅ――……


 巨人の唇の隙間に、自らの口から息を吹き込む。

 仙女の力によって植物の生気を人にも通じる生気に替えて、巨人の身体に唇から吹き込んだ。

 


 ふぅぅぅぅ――……

 


 息を注ぎこんだ瞬間から、漏れ出た吐息によって甘い花の香りが一帯に漂う。

 先ほどの青い花の香りと仙女の身体をめぐった花の吐息が混ざり合い、巨人族の男に吹き込まれ、男の身体の中に満ちていく。花びらが散ったわけではないのに、二人のまわりにまるで花びらが舞い散るかのように甘く清らかな香りの粒がはじけていく。


 仙女の力――死を与えられたものから、死の陰を完全にとりのぞくことは不可能であるが、自然に宿る生気の力をかりてそれを遅らせたり、わずかに癒すことなれば仙女の力で可能だった。

 あくまで遅らせるだけ、しかもこの巨人の病は深くはびこっているので、きっと気休めであろう。けれど、この花畑の花の時期が終わるくらいまではもたせられるかもしれない。

 自分勝手に都合よいことを考えながら、ユーリはちらりと巨人族の背に目をむける。男の背から漂う黒い靄がさきほどよりも小さくなったのを確認しながら、もう少し…と息を吹き込み続ける。


 靄がそれ以上小さくならない限界まで息をふきこむと、ユーリは顔をはなしてまた傍で宙に浮いたまま、伏した巨人を眺めていた。


 ――さて、そろそろ目をさます頃か。醜い巨人の顔を見てから帰るとしよう。


 しばらくすると、横たわる男の苦悶の末に閉じられたようなまぶたがふるふると震え、寄せられた眉の険しさが取れてゆく。

 息を注ぎ終えたユーリは、男の表情の変化の様子を見下ろしていた。ユーリの淡い金の髪がゆるゆると男のまわりでなびいている。

 まぶたがぴくぴくとしたと思ったら、ゆっくりと黒いまつ毛が揺れて、巨人族の男は目を開いた。


 肥沃な大地の土の色のような黒。闇の黒でなく、あたたかな黒色というものを初めてみたようにユーリは思った。


 ――まぁ……思っていたほどに、見目は悪くはない。


 ユーリは心のうちで巨人の男の顔をそう評した。

 そんな心を知らぬであろう、目を覚ましたばかりの巨人族の男の黒目はユーリを見てから、二、三度まばたきした。


 それから何度も首をかしげるようにしてユーリを見上げて、指をさした。

 口を開き、何か言おうとしているが、言葉にならない様子だった。

 淡き薄紅の衣をひらひらとまとい、透き通るような金の髪をなびかせながら宙に浮いているユーリの姿に、男が驚くのも無理はないだろうとユーリは思った。

 巨人族のこの男が仙人仙女の存在を知っているかどうかはわからないが、普通に考えれば宙に浮くものなど、大地の縛りがある下界では鳥や虫などの飛ぶ羽や翼を持つ生きものをのぞき存在しないからだ。

 今さきほどまで、さぁ息が絶えるかたえまいかというくらいの肺の病の苦しみの中にいたこの男にしてみれば、目覚めたら突然に見知らぬ女が宙に浮き、自分の顔を覗き込んでいたのだらか驚いて当然だろうと、さすがにユーリにも理解はできた。


「そんなに驚いたか」 


 だが、男が驚き戸惑う理由はわかっていても、呆然としている男の顔を見ていると。ユーリはだんだんと愉快になってきて、笑いがこみあげてきた。

 大きな逞しい体つきをした巨人族が目を見開いて呆けているなど……愚かで哀れなさまだ。

 そんな風にとってつけたように頭の中でおもいつつ、くすくすと笑い声をあげてしまい、笑う響きにこたえるように淡い金糸の髪が揺れた。

 けれども、巨人族の男はそんな笑いだすユーリの前でますます驚いたように唇をぽかんとあけていた。

 さすがに時間の流れが気になって来たユーリは、自分の方から声をかけた。


「そなた、寝っ転がって目を見開いたまま、さあていつまで愚かな姿をさらすつもりなのか?」


 そうたずねた瞬間、男は突然がばりと身を起こした。

 大きな身体を一気に起こしたので、風が唸った。実体で飛んでいた仙女ユーリはその勢いの風で吹き飛ぶようにひっくり返る。

 すぐに風をつかまえて宙でくるりと回転して、姿勢を保ったものの髪は乱れてしまった。


「突然、起き上がるなどっ!」


 巨人族ごときに姿勢をくずされたのが我慢ならずにユーリが怒鳴ると、起き上がって胡坐をかいて座った男は目を見開いた。

 それからぱちぱちと瞬きして、考えるような顔をしてから、謝るように頭を下げて、次は再び横たわろうとした。


「愚か者! いいっ、そのままでっ! 起きていろっ!」


 起き上がるなと叫ばれたから、素直に横になるなんて――巨人族はそこまで従順極まりない種族ではなかったはず……内心イライラしながらユーリは叫び、胡坐で座る巨人族の男の周りをふわふわと飛んだ。

 そして、まだ戸惑いを隠し切れていない男におもむろにたずねる。


「この畑の花、そなたが?」

 

 たずねると、巨人族の男はこくこくと頷いた。

 それから男はしばらく宙に漂うユーリを見つめると、男は大きな右手で自分の喉から胸を擦り、次にユーリの方を指さし、さらに自分の唇にその指を当て、また喉から胸をすっと擦った。

 その一連の動作で、ユーリはなんとなく男の言いたいことがわかり、頷いた。


「あぁ、痛みがなくなったか。それは私のおかげじゃぞ。そなたには花の生気を注いだ。だが、死が消えたわけでない。近いうちに――そうだな、この花の時期が終わる頃には死は訪れるだろう」


 ユーリがさらりとそう言うと、男はまた一度うなづいた。

 それから、今度は背筋をぴっと伸ばしたかと思うと、上体を前に倒すようにして巨人族の正式な礼をしてみせた。

 どうやら生気を与えてもらったことをユーリに感謝しているらしかった。


 ユーリはそれを見て、鼻で笑った。


「この花畑の花はとても好みの味。花の時期の間、生気をしばらく貰いに来る。しっかりと世話するのだぞ」


 まるで主か何かのような口調でそう宣言したユーリは、自分を見上げて、何度も何度も頷いている巨人族の男を一度ちらりと見て目を逸らし、さっと風にのって花畑を去ったのだった。


 





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ