014-大捕り物劇 -1-
駐在署への出勤までのひと時、ジョージは珍しくランナにまで声をかけて皆をディアル潜窟組合のギルドホールにある鍛錬所に集めていた。
「本当はもうひとり呼びたかったんだがあっちには店があるみたいだし、あとで渡しに行くつもりだ。で、集まってもらったのはここに居るみんなに渡したいものがあるからだ」
いつになく神妙な面持ちでいるジョージに弟子二人は息を飲む。ランナもいったい何がはじまるのかと半ば警戒するような怪訝そうな顔だ。
「と、その前にちょっと失礼」
一言断るとジョージはポーチの中から黒いロングマントを引き出した。素早く羽織ると仮面までつけ、次にマントの隙間から手が出された時には、今ジョージがつけているものとよく似た、しかしだいぶ簡略化された仮面が三つ指と指の間に挟むように握られていた。
「登録する、から、まずなんも言わずにつけてくれ」
こんなものを持っていたのか、と思いながらランナから順に受け取って仮面をつける。その時点ではこの辺りではあまり見ない様式の装飾がされている少し変わった仮面でしかない。
「よし、みんなつけたな。スペアマスクのユーザー登録を開始」
ジョージがそう呟くと、仮面をつけていた三人から見える世界が若干ブレた。
「うお?」
思わず声を漏らしたのはロックだった。ロックはジョージからの魔法の手ほどきを一番熱心に受けているため、なんとなしにだが魔力の流れをぼんやりと目で追えるようになっていた。つけている仮面がその視認能力に補正をかけたのだ。
「これは? 魔力が、今までよりハッキリ見えるッス」
「うん。一番顕著に出たのはロックだったか。二人は何か変わった?」
「いや、あたしは特には。一瞬、視界がブレたような気がしたけど。なんだいこれは? あれ? あたしいま仮面、つけてるよね?」
次にランナが違和感に気づく。仮面をつければ仮面の眼孔の分だけ視界が狭まるものだが、今のランナの視界は仮面をつけていない時のそれとまったく同じだった。
「うんうん。それもひとつの効果。アラシはどうだ? 他に何か気づいた事は?」
「え? いや、そうだな、ギルドマスターに言われてオレも気づいたくらいだ。他に何か、と言われても困る」
アラシは鈍感だったようだ。
「けどこれの機能はまだある。というか、これからが大事なんだ。すぐに使う事になりそうだしな」
仮面の下でわからないが、いい悪戯を思いついた子供のような声を出すジョージ。他の皆はわけがわからず首をかしげる。
「じゃ、早速!」
大げさにマントを翻し、両手を前に突き出したジョージは、その両手の平に魔力を集中させる。これはロックだけではなく、仮面の補助を得たランナとアラシにも少しだけだが目にする事ができた。しかし、それも一瞬である。
「ふはははははは!」
謎の高笑いをしながらジョージはその両手から大量の煙を吹いた。
あっという間に鍛錬所は煙に包まれ肉眼では真っ白な煙しか目に入らなくなる。
「なんスかこれ!」
「煙っ?!」
「……変わった魔法だねえ」
突然の展開に弟子二人はうろたえるばかり。この辺りは経験の違いか、ランナは咄嗟に動いて壁際に移動し背後を守る。
「使い方を覚えるまではこっちでリモートする。けど、まあ簡単だ。基本的には音声認識だからな!」
何がそんなにうれしいのか、ひどくはしゃいだ様子のジョージはまだまだ煙を吹きながら三人を引っかきまわす。
ほんの一週間前までは、ジョージが高笑いをしながら弟子に稽古をつける事などはなかった。
その時までの弟子たちのジョージの印象は、どこかけだるそうにしながらも、直すべき所はしっかりと指摘し、上手く行った箇所は誉めてくれる。一応に兄弟子と弟弟子の関係はあるが、弟子同士で試合をした時にはどちらかを過剰に誉める事はせず、かといって敗者を慰めすぎる事もない。
二十代で弟子を取るにしてはまだ若い年齢であるというのに、ずいぶんとバランスの取れた師匠だ、というものだった。
ところが都市警察の改革に乗り出して、対策本部に配属されている警官たちにちょっとした武術指南まで勤めるようになった時からジョージは態度を大きく豹変させた。
一気に八人もの警官を相手取って、アドバイスを出す余裕を残しつつも圧倒していたある時から、今のように高笑いをしはじめたのだ。
「ふっはははっはははあ!」
声だけ聞くと劇で現れる悪役のそれだが、顔に浮かんでいるのはそれはそれはもう無邪気な笑みで、そのギャップは異様の一言に尽きる。そのくせ、相手にするとひたすら強いのだ。まるで取り付く島もない。
この一件から弟子たちは再びジョージへの印象を大きく変えたものだが、師事している間に実感できるほど自分たちが強くなっている事がわかるし、ジョージ本人も何かの拍子にこうならなければいつもどおりなのだから、いきなり弟子を辞めますという事にはならなかった。
こうして、若干一名だけが繰り広げる仮面の使い方の練習と称した乱痴気騒ぎはこのままずっと続くかに思われたが、ギルドホールの近くの住民から火事か何かだと勘違いされ、危うく通報されかけたところで打ち止めとなったのだった。
一騒動あったあと、遅い朝食を終えてジョージとその弟子の三人は南区第一駐在署へと“出勤”する。
あいかわらず優秀そうな受付の女性警官ともすっかり顔見知りになってしまい、今では顔パスだ。ただ、名前はいまだに知らない。ジョージは色んな意味で署内の有名人になってしまったせいで、向こうはジョージの事を知っているだろう。
なんとなく不公平な気もするが、ジョージは駐在署に勤める警官たちにそれほどの興味を示していなかった。
「おはようー」
「「おはようございます」」
ジョージの気の抜けた挨拶のあとに弟子二人が続く。すると対策本部がしかれている会議室の中にいた全員がビシッと姿勢を正して敬礼する。
「おはようございます武術指南!」
正式な肩書きは、いまだに単なる特定ギルド法で呼ばれた捜査協力者なのだが、ほとんどの人間がジョージを武術指南と呼ぶようになっていた。ジョージよりも年上の警官であってもそう呼ぶ。四日ほど前に始めて武術の稽古をつけてやってからすぐに定着してしまった。
警官たちが階級問わずここまで敬意を示すのは、ジョージか署長かのどちらかくらいだ、とまことしやかに言われているほどだ。
その駐在署の署長だが、一度だけこの対策本部に顔を見せた事があった。
それがどうにも、ぶくぶくと贅肉に包まれた見るからに不摂生の男で、しかも頭部は明らかにカツラだった。
どうやらすでにジョージたちの事は知っていたらしく、ゲフゲフと媚びるような笑みを浮かべながらしつこくアラシに絡んでいた。
ジョージはその時、都市警察の組織としての惨状にひどく納得したのだった。
同時に、自分たちが依頼を達成し都市警察と無関係なただの潜窟者に戻ったあとは、元のひどくずぼらな組織に戻るのだろうな、という半ば未来予知のようなものまで見てしまう。
幸いだったのは見た目には明らかに無能そうな署長どのは、ジョージがやっている事に一切口出ししてこなかった事だ。
というのも、後にアラシから間接的に聞いた話ではあるが、この署長どのも昔から続く都市警察の組織構造に若干の疑問を抱いており、ヒュールゲン強盗団をはじめとした、新しい手口を使った犯罪者たちへの対処が遅れている事を感じていた、というのだ。
それでも本人は解決策など何一つ思いつかなかったし、積極的に話しかけるのは名家の一員たるアラシだけで、ジョージとロックには会釈と目礼くらいしかよこさない。
いくら得体の知れない男であるとはいえ、アラシが師と仰いでいるジョージを相手に一言の挨拶もないというのは失礼に当たるのでは、と思わないでもなかったが、先に述べた通りジョージも警官たちにあまり興味を持っていないので、べつにそれでもいいだろうと簡単に考えている。
「さて、じゃあこれからヒュールゲン強盗団への具体的な対策案を伝えたいと思う。必要だと思う者はメモの用意を」
挨拶のあと、世間話もなしにいきなり本題を切り出したジョージ。会議室内がざわりとするが、訓練された警官たちはすぐに静かになり、言われたとおりにメモを取り出す者もちらほらと居る。
「基本的には前回の囮護送と同じだ。前回も基本的な案は悪くなかったと思っている。ただし今回は本当に本人たちを裁判所まで移し、審判を受けてもらう。
今回は意図的に情報を流す事もしない。決行予定日まで徹底的に極秘で事を進める。
作戦決行日は四日後だ。
その日にはいま試験的に行っている、朝、夕、夜の三交代制のシフトを一時撤廃し、対策本部に所属する全員がほぼ24時間休み無しで働く事になると思うから、そのつもりでいてくれ。体力的に無理そうだと思う奴は、それを考えてシフトを組みなおすから早めに言い出すこと。
情報隠蔽の手順は追って連絡するが、今ここに居る朝勤のメンバーをさらにいくつかのチームに分けて、それぞれで分担して行ってもらう事になる。基本的には二人一組から三人で動いてもらう事になる。チーム分けは俺の独断で行うからな、反論は受け付けない。
ここまでで質問は?」
手を上げるものはない。
「よろしい。では次に、他のシフトに勤務している警官たちへのどう伝達するかだが――」
こうしてジョージは具体的な作戦内容に述べる内容を移していく。
ジョージに表だって反論する者どころか、反感を抱く者すらこの中にはいなくなっていた。ジョージがこのヒュールゲン強盗団対策本部の警官たちの心をほとんど完全に掌握できてしまっているせいだ。
それは特に彼らの私生活まで世話をした、という事はないのだが、ジョージという人間は黒髪黒目の無精ひげでだらしない印象でありながら、口から出る意見は至極真っ当で問題ごとの核心を突き、また口だけでなく実力もあって人を育てる事も上手く、何より、作る料理が上手いせいだった。
立場で言えば今でもきっと、ジョージと署長から同時に相反する命令が下った時、警官たちのほとんどはしっかりと署長の命令を聞くだろう。しかしそんな有事でもなければ心象的に味方をするのはジョージであるに違いない。
結局、人間など生き物の枠を超えられず、美味いものを食わせてくれる存在になびくものだ。




