010-ジョブチェンジ! -4-
「アマンダ、依頼の品だ」
「あ! アラシお坊ちゃま手ずからお渡しくださるとは、ありがとうございます。ご師範さまと、兄弟子さまも、ありがとうございました」
依頼の品、ソームパウダー四百グラムと少しがはいった小瓶を渡すと、洗濯物を担当しているらしい使用人のアマンダと、その同僚たちはアラシだけでなくジョージとロックにも丁寧に頭を下げた。
「いえいえ。依頼でしたから。それより、そのソームパウダーを何に使うのかお伺いしても?」
ジョージのほうも急に丁寧なしゃべり方になって対応するのだが、見た目は相変わらず無精ひげを生やしたムサ男であるため使用人たちは微妙な顔になる。いや、微妙な顔になったのは彼女らだけでなく、ロックとアラシもそうだった。
「え、えっと。洗い物をしたあとのこの洗濯機に入れておくと、洗濯機そのものの汚れが落ちるんです。汚れ物を汚れた機械で洗っても汚れたままになってしまいますから。週に一回はやっておかないといけない決まりなんです」
「ああ、これ洗濯機なんですか。ということはソームパウダーは。ふむ」
何かに納得した様子のジョージであるが、その納得をすぐに使おうとは思わなかったようだ。
「まあいいや。ご依頼ありがとう。今後もご遠慮せずどんどん言いつけてください」
無精ひげに隠れてはいたがジョージは爽やかな笑みを向けてみせた。
「じゃ、いこか」
「うス」
「はい。ではおまえたちも、またな」
ロックも使用人たちに会釈だけはして後に続いた。アラシもうなずきつつ手を振る。使用人たちは再び丁寧に頭を下げて三人を見送った。
「驚いた。あの時の強引で乱暴な説得劇からは想像できないくらい紳士な方じゃない」
「でもあの見た目よ? あのヒゲ……フケツだわ」
「やあねぇ、その見た目からあんな紳士な物腰が出てくるのがいいんじゃない」
再び仕事に戻った洗濯場の女たちがそんな会話を繰り広げていたことは、三人には預かりしらぬ事である。
「で、今日きた目的の役員さんはどこにいるんだ?」
ある程度廊下を歩いたところでジョージは本題に入る事にした。
「昨日のうちに爺からちゃんと聞いておいた。イグノ・アイゼン。元レッドランクの潜窟者で現在は西区の上層部2階にある採掘場から出る金属鉱を取引する部署の取り纏め役をやっているらしい。
爺が取り次いでくれるらしいから、今は爺のところに言っているんだが……」
そういえば目的の場所を知らないジョージがなぜ先頭を歩いているのか、とアラシが疑問に思ったところでジョージはすすすっと隊列を変えてアラシを先頭に押しやった。
「……爺のところに行く。今は侍従長としての執務室にいるはずだ」
アラシの予想通り、イエート家当主ドミニクの執務室とは別の、侍従長室と書かれた部屋にバルハバルトは居た。
いつもの片眼鏡ではなくつる付きの丸眼鏡で書き仕事をしていた。見た目どおり老眼が入っているのだろう、ノックもせずにはいってきたアラシを眼鏡をかけたままレンズからはずし上目遣いに見て確認する。
「お坊ちゃま。これはお早いおつきで。申し訳ありませんが鉄鉱担当取締りにお願いした時間はもう少し先でございますので、もうしばらくお待ちいただければと」
「なんだ。早かったのか」
「すみませんね。急にこんなこと頼んじゃって」
「いえ。こう申し上げてはなんですが、この一週間でお坊ちゃまは見違えるほどにご成長なさいました。
坊ちゃま自身の努力はもちろんの事でございましょうが、教育係としてのジョージさまは予想をはるかに超えての成果をあげていらっしゃいます。このくらいのボーナスはお安い御用です」
「そうかい。あー、アトレイさんも、今は忙しいのかな?」
軽い挨拶を済ませると、アラシについて来てつい自分たちも入ってしまったがバルハバルトが仕事中のようだった事を思い出す。
「いえ。早急に片付けるべき仕事は午前中に終わらせてございます。今は、リザリア様からおねだりされました、薔薇の絵を描いておりました」
「おねだり……」
「薔薇の絵……」
「リザリア……」
ぺらり と描きかけのバラの絵を見せられて、ジョージたちは三者三様の反応を示した。
ちなみに上から順にジョージ、ロック、アラシである。
ジョージはこの渋い雰囲気をもつ老人がおねだりなどという単語を口にした事が意外だった。
ロックはこんな堅物そうに見える執事が綺麗な絵を描いている事に驚いた。
アラシは、母親違いの妹がまたバルハバルトにわがままを言っているのかと頭を抑えている。
「これもたった今描きあがったところでございますから。よろしければお茶でも淹れましょう」
「じゃあ、おねがいします」
遠慮がちな笑みを浮かべながらジョージはその申し出を受けた。
「しかし、なぜ急に鉄鉱担当などとお会いしたいとおっしゃられたのでしょう。差し支えなければ、伺っても?」
執務室のなかの筈であるだが、長とはいえ侍従であるためか部屋の中には給湯室のようなものの器具が完備されていた。魔法式のコンロとティーポット。サイフォン式のコーヒーメーカーや各種茶葉、豆も取り揃えて部屋の一角に揃えられている。
バルハバルトはそこで茶葉を適当につまんでティーストレーナーに収めつつコンロでお湯を沸かしている。
いくつかの作業を同時に行っているが、来客を飽きさせない程度に話を振る余裕まで保っている。すさまじい執事スキルだ。
「ああ。今回は本当にうちのギルドの都合なんです。こいつ、ロックが魔法を習ったらジョブチェンジしてしまうかもしれないといって――」
事のあらましを説明したジョージの言葉をさえぎって、自分の事だからとロックは自分で話し始める。
「オイラが志してるのはあくまで剣士ッス。アラシみたいに大剣を振る腕力はないけど、かつての親父みたいに鋭くて強い剣撃を繰り出せるような剣士に。
もしアニキから魔法を習って、魔法使いにでもなっちゃったら、あの時に誓いを立てた親父への申し訳が立たないんス」
「ほほう。それはなかなかご立派でいらっしゃる」
「でも、アラシが聞いたっていう話だと、もしオイラがここから魔法使いになったとしても、今まで剣士として育ててきたスキルは消えないって事ッス。又聞きだと心もとないんで、アラシがその話を聞いたっていう本人から、もう一度その話を聞きたいんス」
「ふむ。道理でございますな」
つまるところ、まだ魔法を使えるようになったわけでもないのにこんな相談事をもちかけているわけだ。取らぬ狸の皮算用もいいところだが、バルハバルトにそのあたりを嘲るような様子は見られなかった。
「確かに、鉄鉱担当は現役潜窟者の時代によく似たジョブチェンジの経緯を踏んできたと、聞いたことがございます。彼から話を聞く事はロックさまだけでなく、お坊ちゃまにも良い経験になるかもしれませんし、ジョージさまとて」
「ああ。俺も参考にさせてもらうつもりですよ」
ジョージはいかんせん、特殊なジョブである。見習いがいつまでも取れないようならば、安易に剣士や魔法使いなどのメジャーなジョブに就きなおす事も視野に入れられる。
「さて、お茶がはいりました。どうぞ」
お茶を飲みはじめるとみな無言になってしまう。ジョージとアラシは純粋にただお茶の味を楽しんでいるのだが、ロックには茶の味などわからず無言の空間になんだか居心地の悪さを感じてしまう。
バルハバルトもにこにこと微笑むだけでロックだけの話し相手はしようとせず、男ばかりの妙な茶会が終わった頃、ちょうど予定の時間となった。




