009-ガキ大将 -3-
こうしてアラシが部屋から出た時、部屋の前でスタンバイしていた使用人たちは歓喜の声をあげてアラシを迎えた。
雇い主の息子であるからそうめったな事はできないはずなのだが、すがりついて涙する若いメイドもちらほらいる。
この反応がジョージとロックには意外で仕方なかったのだが、これでアラシが使用人たちからはとても慕われている事が証明されたようになってしまった。
「(なってしまった、って言い方も無いか)」
自分の内心に苦笑しつつ、ジョージは当事者の一人でありながらも冷静にアラシと使用人たちの戯れを俯瞰しているドミニクに向かう。
「アラシは今日からうちで預かるぞ。あと、部屋の中のもので壊れた物があるかもしれないが、必要経費だったんだと思って諦めてくれ」
実にいい笑顔で告げた。嫌な顔の一つくらいはされるか、と思って言った事だったが、ドミニクは冷静さを保ったまま眉ひとつ動かさずに頷いただけだった。
ここで本当に冷静で、冷酷な人間ならば静かにこの場を離れて仕事に戻るくらいの事はしそうなものだったが、ドミニクは結局、使用人たちの熱が冷めるまでずっとそこでその様子を見守っていた。
ここでジョージは悟る。ああ、こいつは不器用なだけなのだな、と。
ともかく、ジョージの宣言通りアラシはディアル潜窟組合に、部屋から出たその日に加入した。
「え、ちょっと待ってくれ! ギルド移籍はしなくてもいいと言っていたじゃないか!」
アラシが気づいたのはディアル潜窟組合と記されたギルドカードを手に入れた後だった。それまで気づけなかったのは、書かされた記入用紙の中に、移籍に関する書類がはいっていなかったからだ。
そもそも仮免状態からの他ギルド加入なので、正確には移籍という扱いにはなっていない。
未成年である、現在は保護者のもとで暮らし自立した生活を送っていない、という両方の条件に当てはまる者は潜窟者ギルドに正式所属するためには親の了承が必要である、というのがこの仮免制度の概要だ。
要するに、未成年で親のすねかじりは勝手に潜窟者になってはいけません、というものがこの制度である。
アラシは見事にその二つにあてはまっており、保護責任者であるドミニクが認めなかったためにアルペリが代表を務める潜窟者ギルド・オーダーギアーズに正式所属できていなかった。
現状ではまだテストケースの叩き台であるために、レドルゴーグに存在する全ての潜窟者ギルドに仮免制度の導入が義務付けられるころには、細かな部分が修正されて然るべきものなのだろうが、現在はこのとおりに施行されているため、アラシはどうあがいても仮免のまま。そして、たった今ディアルに正式所属したために、そう簡単にはオーダーギアーズには戻れなくなってしまった。
「アラシよう、俺の言葉をよーく思い出してみろ」
「なんだと!」
いきり立つアラシの肩をポンと叩くと、右腕で首を掻い抱き顔を近づける。
「俺は、お前を預かるのは俺だと確かに言った。だがディアルに入らなくていいなんて、ひとっことも言ってないぞ」
詐欺師の手口、回収である。じつに悪い顔だ。
いずれにしてももう神の立会いのもとの契約は交わされてしまった。入ってしまえば、こっちのものである。
「み、認めないぞ! 俺は!」
「往生際が悪いぞ。父親のあとを継ぎたいんだったらこうやって騙されたのも人生経験だと思って勉強していけ」
これはおそらく、どこの世界、どの世代でも、子供から大人になりかける青年期には年上から言われたくない、言われて頭に来るが言い返せない言葉の上位に入る。
それはジョージにも心当たりがあるようで、言いながらも自分の台詞で苦笑してしまう。
「ぐう……」
アラシにも効果はテキメンで、とくに「親父のあとを継ぎたいなら」という所を出されると弱いらしい。
「(厄介ではあるが御しやすい奴だ)」
先ほど、自らの手でバリケードを取り除いて部屋から出て行った際のイエート家の使用人たちの反応は、ジョージにもロックにも少しは予想できていたはとはいえいざ目にするとやはり意外なものだった。
歓声をあげながら、者によっては目に涙まで浮かべて出てきたアラシを迎えたのだ。
ロックに対してはあれほど横柄に、かつ執拗に嫌がらせを繰り返していたアラシは、自分のもとについた者たちに対してはかなり寛容であり、使用人たちの困りごとを見つけると用いる手段はだいぶ強引ながらもしっかりと解決しようとする面倒見のよいところまであるらしい。
その反面で、祖父アルペリが目の仇にしているディアル潜窟組合に所属している、というだけの理由で祖父と同じようにロックを目の仇にして嫌がらせを続けていた。
おまえの物はオレの物、オレの物もオレの物。だからおまえの悩みも、オレの物だ。などという有名なガキ大将、そのパロディーを地で行くタイプの子供である。
浅い付き合いで、特に敵対していればこれほど目障りな手合いもそういないが、すこしだけでも深く知り合ってふところに飛び込んでみれば、なかなか憎めない奴なのかもしれない。
そしてもうひとつ、ガキ大将には特徴がある。
「文句があるなら、こんどは俺が相手してやろう。次はお前の得意武器を使っていいぞ」
「……言ったな!」
アラシはそれまで使っていた装備をそのまま持ってディアルに来ている。一度はバルハバルトに取り上げられた炎の剣もそのまま持ってきていた。
すぐさま鍛錬場に移動して、ロック対アラシのときに行われたような略式もいいところではなく、ちゃんとした試合の形式が整えられる。
「……本当に、ナメているのか? お前のカラーランクがどのくらいなのかは知らないが、こっちはもうすぐイエローランクなんだぞ」
イエローランクまで到達できている潜窟者は、一説には潜窟者全体からみて二割ほどしかいないといわれている。
ただし、大手と呼ばれるだけの規模がある潜窟者ギルドだけでも四箇所、それに続くように中小ギルドが二百以上、さらに都市議会との提携を結んでいない個人ギルドまで含めると、もはや具体的な全体数を把握している者は存在しない。その中に一人一人の潜窟者が所属しているわけだから潜窟者の数などはもっと把握が難しいものであって、その二割といわれても何を根拠にした数字なのか、という話になってしまう。
アラシはその二割しかいないというカラーランク神話をバカ正直に信じている。その辺りの細かいところを気にする頭がないのだ。
「とりあえずその大雑把な物の考え方から矯正してやる」
アラシは得意な炎の加護がこめられた剣を持っている、対するジョージはロックに魔法の基礎を教えた時にも使った木製の模擬剣を片手で持って構えていた。顔には余裕の、角度によっては挑発的に見える笑みを浮かべて。
「チッ」
アラシは小さく舌打ちすると大きく剣を振りかぶった。その、瞬間である。
ドン と空気が、地面が震えたかと思うとアラシから見えていたジョージの姿が急に大きくなった。驚きの余りビクリと身を固めると、横で審判役を務めていたロックが大きく宣言する。
「そこまでッス! ジョージの勝ち!」
「なに!」
抗議のためにロックの方に向こうとしたところで、アラシは自分の首もとに何かが突きつけられていると気づいた。
そう、ジョージの木剣である。
「っお」
驚きの余りにアラシは喉から変な音が出た。数歩後ずさると自分の顎に隠れて死角になっていた剣先が見える。目に見えてしまえば唯の木の剣だ。切れ味などあるわけもないが、もしかすればそのまま刺さっていたかもしれない、と思わせる程度には尖っていた。
「どうだ、一対一、真正面からかかっても不意を突かれれば一撃でやられるぞ。カラーランクはあくまで目安でしかない。赤に近けりゃ偉くて強いなんて考えをまず捨てろ」
頭での理解すら許さない圧倒的実力差で負かされたアラシだったが、頭で理解できないゆえにその負けを認めない。
「どっ…どんなインチキを使ったかは知らんが! 負けてなどいないぞ!」
「んな……」
審判役のロックはそんな理論も何もない言い分が通じるわけがない、と思った。はたから見ていたロックでさえ、ジョージの踏み込みは瞬間移動にしか見えなかったのだ。真正面から相手にしていて対処できるわけがない。
「ま、そうだろうな」
ところがジョージはアラシの聞き分けの悪さ、いや、往生際の悪さまで織り込み済みであったらしい。
「いいぞ、何度でも仕切り直してやる」
トン トンとバックステップで元の位置まで戻ると、木剣を構えなおしてロックにちらりとアイコンタクトを送る。
「あ、はいッス。じゃ第二試合、はじめ!」
「うおお!」
何をされたかはわからないアラシだったが、次は隙の大きくなる振りかぶりなどは使わず、正眼に構えたまま真正面に突っ込んできた。
試合ではあるがアラシが持っているのは神の加護付きの真剣である。木剣でまともに打ち合えば木剣などスパッと両断できる、とアラシは思っていた。ところが、
ドン とまた地面が震えると、アラシは足をすくわれていた。両手で剣を持っていたため受け身をとれず無様に腹から落ちる。鎧を着ているので大したダメージはなく、わけはわからなかったがすぐに起き上がろうとしたが、しかし、身動きが取ない。
そのまま頬にヒタリと冷たい感触が伝わる。
ジョージが木剣の腹の先をアラシの頬にひっつけたのだ。
「これは試合だが、まだ稽古じゃない。俺はお前が認めるまで、お前が何をされたのかわからないくらい全力でお前を叩き潰し続けるぞ」
顔に浮かぶのはやはり余裕の笑み。右手で持った剣でアラシをペチペチとやりながら、左手に持っているのは自分のギルドカードだった。
アラシはそのカードの色を見て目をむく。
「ヴィリディアンだと……!」
ヴィリディアン、もしくはビリジアン、濃い青と緑の中間のような色の名だ。もうすぐイエローカラーだと豪語するアラシからは、大まかな格付けでみても三つは格下になる。
「ぐぐっ! 認めん! 認めんぞ!」
両腕に全力をこめて踏みつけるジョージの足を押し返そうとするが、なぜか力が入らない。
「ん? がんばるねえ」
足がどかされてやっと立ち上がったアラシ。開始線など無視して剣を構え、合図も待たずに切りかかった。
剣同士の戦いならば間合いは無いに等しいが、薙ぎ払いはスイッと避けられ、素早い切り替えしには木剣を太刀筋に沿うように当ててまともに合わせずにいなされ、そのまま鎧の隙間を縫うように鳩尾に蹴りを食らった。
カラーランクの差などものともしない急所への一撃。派手に吹っ飛ぶ事はなかったが、心臓狙い撃ちのカカトの一撃はアラシを呼吸困難に陥らせた。
「オラ、どうした。今までのパーティーメンバーからは何を習ってきた。ダンジョンで敵を倒して何を吸収してきた! 言ってみろ!」
木剣を地面に突き立て、柄尻に両手を置いて見下しながら、地面でゼエハアと呼吸が整わないアラシに向かい叱咤を飛ばす。
「ぐ……おお」
ずきずきと痛む鳩尾を押さえ、片手でなんとか剣をつかんだまま立ち上がるアラシ。そこへ容赦なく木剣が振るわれる。
「ごおっ」
小手先へと狙い定められた一撃は剣を握っていたアラシの左手の親指を見事に強打した。そんな握りが甘くなった状態ではまともに剣など振られない。
「うわあ……」
実に痛そうだ、とロックは思った。
こうして、はたから見ていたロックが同情するほどアラシは完膚なきまでにボコボコにしごかれた。
「な、なぜ勝てない……たかがヴィリディアンカラーの初級潜窟者に……」
途中からロックが試合開始と終了の合図を放棄したので、試合を何回行ったのかは定かではない。だが何度アラシが切りかかっても剣の刃がジョージを捉えた事は一度も無く、木剣と打ち合った事すら数えるほどしかなかった。その打ち合いもまともに刃と刃を噛み合わせたわけではなく、ちょい、と沿うように合わせて剣筋をそらされるのだ。
「いい加減、カードの色で強さを決め付けるのはやめろ。あくまで目安でしかない、って言うのももう二度目だぞ。
その考えの硬さと偏りがお前の弱さの大元になってるんだからな」
軽い説教である。
だがアラシにはカラーランクが云々よりももっと衝撃的な一言が含まれていた。
「オレが……弱い?」
「あぁ? まずそこから認められんか。まあそうか。そうだな、そこが一番認めづらいよなあ。わかる、わかるぞ。
けどな、自分の弱さを認めんと、強くなんかなれんぞ?」
ガツン と頭を殴られたような感覚がアラシにはあった。
「弱くないと、強くなれない……?」
「おそらくだが、ダンジョンに沸くモンスターを倒して吸えるという生気という奴は、体の強さしか強化してくれんのだ。筋肉も骨も硬くなって、ひょっとしたら皮膚も丈夫になるのかもしれん。心臓や肺だって強化されるだろう」
「ひふ? しん……はい?」
「ああ、細かく言われてもわからんか。まあいいあとで教えてやる。とにかく、体だけ強くなってもお前はまだまだ人間の範囲内だって事だ。人間なら、どんだけ強くなっても、どっかに弱い部分が残る。どうしてもな。
で、お前の弱点はその思い込みの激しさだ。
もう一回言うぞ、お前は弱い。ギルドカードの色なんか関係ない。認めろ。じゃなきゃ強くなれん。うちに来た意味も無くなるぞ」
ジョージは面倒くさそうな顔をしながら、言葉を選びに選んだ末、乱暴な言い方をした。うすうす感づいてはいたがアラシは頭が悪い。心臓も肺も知らず、敵の急所など考えずにただ剣を振って敵を切って来たのだろう。
いい剣を使い、ジョブのソードマスタリースキルの恩恵があれば、確かに大概の敵はどうにかなるかもしれない。実際にどうにかなってきたから今ここにいるのだろう。
しかしジョージというどうしようもない相手が現れた今、アラシはジョブのスキルとは違う技を身に着けなければならない。今までは、自分は強いと思っていたから小手先の技などは必要ないと切り捨てていたのだ。
だからこそ、アラシは自らの弱さを認める必要がある。
だからジョージは、木剣のハンディキャップは負いつつも容赦なく打ちのめした。ハンデがあった方が打ちのめされた時のショックは大きいものだ。
そしてもうひとつ、打ちのめし叩きのめした理由が、アラシのガキ大将の気質に帰結する。
「し…師匠と、呼ばせてください!」
ひとたびフトコロに入れた者に対し寛容になるように、ひとたび認めた人間に対して、正しいガキ大将は非常に従順となる。
「(あーあ)」
ボロボロになった姿で土下座せんばかりの勢いで頭を下げるアラシを見て、ロックはなんだか今まで屈託に感じていた事がいろいろとバカバカしくなった。
とりあえずジョージに任せておけばなんでも解決しそうだ。
そしておそらくうかうかしているとアラシに一番弟子の座を奪われてしまう。
「オイラが兄弟子ッスからね!」
だからロックは、とりあえず声だけでも主張する。
「そ…そうか。おまえが兄弟子になる……いや!」
そこでアラシは自分の部屋でやったロックとの手合わせも思い出す。大したダメージでなかったにせよ、いい一撃をもらったのは確かだし、あの時自分は、これだけのカラーランクの差があるにもかかわらず押し負けた。そう、負けたのだ。
この場に及んでようやく、その事実を飲み込めたアラシはロックの方にも向いて頭を下げる。
「よろしく頼む!」
「おっ、え、ええ。おお、おおう」
予想を超えてあっさりと自分が兄弟子と認められてしまい、どう反応していいかわからず素っ頓狂な声を出すロック。
そんな二人の様子を見ながら、じつは蓄積している体の疲れをおくびにも出さず、ジョージは笑う。
「(よし、なんとかなりそうだな)」
アラシ本人は、これで完全に陥落した。




