008-すこし、考える -3-
店構えを裏切らず、鯨の泉亭はなかなかに立派な内装だった。
昼間に見たイエート家のものとは比べるべくもないが。
L字の建物の一階はすべて食堂となっており、入り口側はテーブルと長椅子が規則的に並べられ、団体様でテーブルを一つ使うか、お一人様でも相席で食事をとる、といったように使われている。テーブル席だけでも50人くらいは座れるだろうか。
L字を曲がった先の奥は半分ほどで区切られ、カウンター席のようになっておりちょっとしたバーのようになっている。カウンター席は少なく9席しかないが、これでもBar. Junk Foodより多い。見た目のとおり酒も出しているようだが、奥の残りの半分を占める厨房を使った料理をメインにしているようだ。
「グランマ! 多いのと強いのをちょうだい!」
ランナはカウンター席のド真ん中にドガッと腰掛けて大雑把な注文をなげた。カウンターの中には人がいなかったが、それより奥、厨房には数人いてグランマと呼ばれた年配の女性が威勢よく答える。
「あいよー! ちょっと待ってておくれ!」
「オイラも、多いのと、あー、あと水でいいや」
「ああ! ディアルんとこのじゃないかい。ランナは昼間ぶりだね! ロックはここんとこ来てくれなかったから寂しかったよ!」
ロックはランナの右隣に座り声の張りこそ控えめなが、ランナ同じように注文した。どうやらこの店独特の注文方法らしい。
手元の料理に忙しいらしく、こちらのほうなどちらりとも見ていなかったが声でしっかり誰が来たのかをわかっているらしい。
「お……多いの? と強いの?」
ついていけないジョージは店にメニューが無いか見回しながらランナの左隣に静かに腰掛ける。
「なにキョロキョロしてんだい」
「いや、注文のしかたがわからんのだが。お品書き、みたいなのはないのか?」
「オシナガキ……? なんだいそりゃ。それもあんたがこの間作ったスモークベーコンみたいな食い物か?」
どうやらメニューそのものが無いらしい。
「まあ、アニキは随分とその、ショクブンカ、ってヤツの進んだところから来たみたいだから、こっちとは注文もぜんぜん違うのかもしれないッスね。ここじゃ食事は多いのと少ないの。酒は強いのと弱いのしかないッス。
酒を細かい銘柄まで指定していろいろ楽しみたいならマスターの所に行くしかないッスね」
「酒がそこまで進んでるのになんで食い物がそんなに大雑把なんだ……」
ジョージは納得いかない様子だがそれがこの場所のルールならば仕方ない。
「じゃ、俺も多いのと強いので」
「あいよ! ちょっと待っておくれね! メアリー! 多いのが奥の席の剣士の坊やと騎士の坊や、少ないのが隣の魔法使いの嬢ちゃんと向かいの狩人の嬢ちゃんだよ!」
「はーい」
テーブル席のほうで給仕していた女性がこれもまた威勢よく返事した。
こちらは年の頃でいうと30に届くか届かないかという妙齢の女性。ランナとほぼ同世代だろうか。細い腕でどこにそんな力があるのかと言いたくなるほど巨大なトレーを両手に持った上、頭の上にまで乗せていたが、そのおトレーの上に載っていた五人分はありそうな大きさの肉野菜炒めを一度もトレーをおろさずに器用に配膳している。
改めて店内を見回すと、この食堂はかなり繁盛している。
テーブル席はほとんど埋まっている。団体客が貸切り、というわけではなく、相席なのだろう一切会話せずにもくもくと食べている連中も多い。
さらに驚いたのは、五人分ほどの肉野菜炒めがどうやらこの店での一人前だということだった。
「ああ……うーむ。まあ食えるか」
ほどよく空腹ではあるし、また料理からたちのぼる匂いも実に美味そうだ。
「あ、ランナ! 久しぶりじゃない」
「はぁいメアリー、あとでね」
店に入った時にもすれ違ったのだが仕事で忙しく気づかなかったのだろう。メアリーと呼ばれる給仕の女性とランナが短く言葉を交わしている。その言葉の最中にもメアリーは奥の女将さんから言われた注文の品をまた大きなトレーに載せ、さらに頭の上に乗せてとっとこと給仕に走った。
「よく転ばんもんだ」
慣れ、なのだろうが、外野から見ると軽く達人芸に見える。
「はいよお待ち。まずはランナの分だね。ロックと、新入りさん? はもう少しまっておくれ」
「はいッス」
「あ、はい」
カウンター席にはさすがに、女将さん自ら出してくれるようだ。真っ先に料理がきたランナは軽く歓喜しながら山盛りの肉野菜炒めをフォークで口の中にかき込んでいく。
「おお、いい食いっぷり」
ただ、女性にしてはまったく色気がないな、と思うジョージだった。
ほどなくしてロック、ジョージの順に料理が来た。その後もひっきりなしに客が入れ代わり立ち代り、女将さんは延々と料理を作り続け、完成したそれをメアリーが延々と運び続けた。
肝心の料理の味はというと、ジョージの正直なところは可もなく不可もなく。美味いは美味いのだが激烈に美味いというわけではなかった。ただやはり目を見張るのがその量だった。
まさかレドルゴーグではこれが普通の量なのかと不安になったが、テーブル席からやたらと大きく響く声で「やっぱりココの飯は山ほどでてくるな!」などとうれしそうな声が上がっていたのを聞いて少し安心した。
およそ五人分の肉野菜炒めをなんとか頬袋に詰め込んで完食したところで、締めの酒がドンと置かれた。
「あんたもいい食いっぷりだったよ」
そういうランナはすでに酒が入っているらしく、頬が赤くなっている。
ジョージは以前、アレクサンドルの店で遭ったランナの絡み酒を思い出して少し身を引く。
「なんだい。お? あたしの酒が――」
「いやいや、飲む飲む。飲むから」
単に酒が入っているだけではない。出来上がり始めている。逃げるタイミングを失ったとジョージは悟った。
「……」
どうにかならんか、とこっそりロックに視線を送るが、まだ自分の分を食べ終わっていないらしく黙々と食事を口に運んでいる。
「……はあ、いただきます」
「おう、のめのめぇ!」
このほんの一瞬の逡巡の間にもさらに酔いがまわったらしい。なんだかテンションアップしているランナに押し付けられるまま、ジョージは木のゴブレットに口をつけた。
「ん、麦焼酎……かな?」
口に含んだ瞬間にカッと熱くなる感触。けっこうに酒精の高いから蒸留酒である事は間違いないだろう。風味からして麦か何かの穀物だが甘味が強く、熟成も足りない気がする。それに、木のゴブレットではわかりづらいが液体そのものの色が薄く、ほぼ完全な透明である。
「あぁ? なんだ、気取って飲みやがって。うめえ酒はうめえでいいじゃないか……ったく……」
ジョージの飲み方が気に入らなかったらしくランナは一瞬だけ一気にトーンダウンした。
「いや、美味いよ! これなら次来た時の弱い方にも期待しちゃうなー!」
わざとらしく声を大きくすると、ころっと元に戻る。
「そうだろ! まああたしは弱い方はあんま好きじゃないんだけどな! あの泡が、喉にチクチクする感じが苦手だ」
どうやら弱い方は発泡系の酒のようだ。となれば間違いなく醸造酒。そしてランナは、炭酸が苦手らしい。
「ああ、女の子はそういう人、多いかもな」
「「ブッ!」」
姉弟が同時に吹き出した。ただし姉のほうは酒を、弟のほうは飯をだ。
「ど…どうした?」
「あたしを女の子だなんていい度胸じゃないかい?」
据わった目でジョージの襟首をつかんでくるがいつもと違い勢いも覇気もない。上気した頬は酒が入っているのを確認した時からずっとだが、なんだかそれだけではないような雰囲気だ。
「やっ……ニキも……」
ロックもロックでいったん食事の手をとめなにかブツブツとつぶやいている。
「まてまて、なんでそうなる!」
「何を待てってんだい。あんた……得体の知れない男だとは初めから思ってたけど、なんだい、じつはタラシなのかい? 女なら見境無いのか。おぉ?」
「だからなんでそうなる……」
女の子扱いされる事がランナにとって特大の地雷だったようだ。完全に予想外だったためこの場をどう収めるか考え付かない。
「はいそこまで!」
ここで意外な人物が助けに入る。
特大トレーでボーンとランナの頭をひっぱたいたのは、給仕をしていたメアリーだった。




