001-レドルゴーグ 潜窟者たち -3-
「じゃあ、そうね、まずこれが第一記入用紙。といってもどこも一枚目は名前だけよ」
受付のお姉さんがまず取り出したのはまさしく名詞サイズの紙だった。
「文字は書ける?」
その紙と羽ペンをペン立てごと、さらにインクを差し出してお姉さんは尋ねる。すると真っ黒マントは少し首をかしげた。お姉さんもつられて首をかしげる。
「書けるには書けるんだが、どの言語でもいいのか?」
おかしな質問をする、とお姉さんは思った。
少なくともこのレドルゴーグで、さらに範囲を広げるならばこの大陸で使われている言語は三百年前から一種類しかない。それは声での会話においてはもちろん、読み書きにおいても変わらない。とすれば、他の大陸から来た人間なのだろうかとお姉さんは思い至る。それならば先ほどの要領を得ない言い訳にも納得がいく。
お姉さんは勝手に納得して頷いた。
「まあ試しにやってみてよ。神は見ていらっしゃるわ」
お姉さんの発言に、こんどは真っ黒マントの方が首をかしげた。だがこちらは特に逡巡することもなく、言われるまま用紙にすらすらと文字列を書いていく。
「あらホント、見たことない文字ね」
めまぐるしく上下しながらも横に向かう速さはほぼ一定。初めてその字体を見る者には一文字と一文字の境目すらわからない。
「よし」
最後にピリオドを打つと真っ黒マントは用紙を180度回転させてお姉さんに返した。羽ペンをペン立てに戻す事も忘れない。お姉さんは返されたそれを手に取ると天を仰ぐように用紙をかざしながらたずねる。
「なんて読むの?」
「ジョージ・ワシントン」
知る者が居れば驚いて目を丸めただろう。しかしその名を偉大な男の一人として知る者は、この世界にはまだ居ない。
「ジョージ、ね。私はランナ、ランナ・ディアル」
受付のお姉さん改めランナ・ディアルは、真っ黒マントの男改めジョージ・ワシントンへと手を差し出した。
「ここにも、握手の文化はあるんだな」
それに答えながらジョージはにっこりと微笑んだ。
「で、色々と聞きたいことがあるんだが」
握手を離す間もなくジョージはランナの手から離れた用紙を見た。用紙はランナの手から離れているにもかかわらず仰ぎ見た場所に浮いて止まっている。
「おかしいわね」
それを見てランナも首をかしげた。
「え? ランナがやってるんじゃないの?」
「私は切欠を作っただけ。前やったときはもっと早かったんだけど」
どうやらランナのいった「おかしい」は用紙が宙に浮いている事ではないらしい。
「早い? 何が?」
「ホントに初心者なのね。前いたところで契約はしなかったの?」
「契約ぅ?」
間の抜けた声でジョージが聞き返すと同時、宙に浮いていた用紙が唐突に光ったかと思うと、パシュウというロケット花火が飛ぶような音と共にどこか上の方へ飛んで消えた。
「あ、行ったわね」
「行った?」
ジョージが目を白黒させている。ランナはなんの気もなしに見送った。直後、パアッと二人の頭上が明るくなり、何者かの声が響く。
『よかろう、今をもってうぬはジョージ・ワシントンだ』
低く重厚な男性の声。ジョージはおおっと感嘆の声をこぼしただけだったが、ランナの驚きで目を丸め口をぽかんと開けたままジョージを見やる。
「驚いた。まさか天啓を賜るとは」
「天啓?」
今起きた事を指しているのだろうとはわかりつつも、ジョージはもう何度目かのオウム返しをした。素っ頓狂で間の抜けた返事にランナは思わず苦笑してしまう。
「今の御声は”大地”と”契約”の神の第一柱であらせられるウッポラ様のもの」
「ははあ。ずいぶん身近に神が居る世界だなあ」
ジョージは薄い感慨にふけりながらまた無精ひげをなでる。
「ちょ! とんでもない! 普段は契約の申請で用紙を受け取っていただくだけ。御声を授かり賜れるなんてそうそうあるものではないのよ?」
ランナにはジョージのそれが皮肉に聞こえたのだろう。驚きと怒りをまぜこぜにしながら早口にまくしたてる。驚きの方が比率は大きい。正真正銘の神に対しそんな砕けた言葉を放つなど、冒涜以外の何者でもないだろうと思ったのだ。
「あ、いやいや。うん、なんかごめん」
なぜか照れ笑いを浮かべながら謝るジョージ。ランナは先ほどからジョージを量りあぐねている。
「と…とにかく、次の要項にチェックとサインを……」
なんだかだまされているような気になりながら、ランナは次の用紙を取り出した。
「えーと、性別、年齢、希望する武器、習得済みの特技と、習得希望の特技?」
なんともおぼつかない様子でジョージが要項を読み上げると、もう呆れ顔しか出てこない。
「本当に初めてなのね? 他所の大陸にも”契約”くらいあったでしょう?」
そうたずねられ、ジョージは困ったように眉をハの字にした。
「それが奇跡的に、一度も行わずにここまで来た。正直なところ今起きた事が何なのかもわかってない」
なんとも情けない顔をする目の前の男を見て、ランナはようやく腹を括ったようだった。こうなれば1より前、0から徹底的に教え込むしかないと。
「今のは”契約”の第一歩。数多の神々が私たちに言葉と文字を与え給うた時から連綿と続くこの世の理の一つよ」
面倒くさそうにしながらも教科書を読み上げるようによどみなく言う。
「まずは契約の意思と共に自らの名を相手に渡す。渡された相手はその名を天に掲げ契約の意を受理した事を天に示すの」
なるほどなるほど、とジョージはしきりに頷いた。ヒゲ面の男がまるで子供のように何度となく頷くものだから、ランナはさらに呆れ顔になる。
「契約というは神の立会いのもと、神が定めた世の理に沿うと誓う事だから、普通は名乗っても相手に自分の名を記した紙を渡すような事はないの。改めて確認するけどジョージ、あなたはウチのギルドに入りたいのよね?」
子供のように無邪気だった表情が、スッと引き締まって真面目になる。その真面目な顔でジョージはなんのためらいもなく頷いた。
「その通りだ」
「じゃあその第二記入用紙に書いて。今の名前ので受理されたから、きっとその用紙にもあなたの言語で通じるハズよ」
「わかった、んだけども……」
ランナとしてはこれ以上ないほど丁寧に説明したつもりだったのだが、ジョージは返事を濁した。
「なにか不都合?」
「いや、書くよ? 書くさ。けど一応、この質問の意図を聞いておきたいな、と思って」
ランナはジョージの言う「質問の意図を聞きたい」という質問が理解できなかった。ややこしい。
「どういう事?」
「いやさ、この紙に書かれた事がらに答えると、今後何が変わってくるのかな、って」
「そうか、そうね。そこから説明しないといけないのよね」
あまりの面倒くささにランナは頭を抱えた。元来ランナは極度の面倒くさがりだ。今こうして廃れたギルドの受付カウンターに立っているのだって面倒くさくて仕方ないのだ。
「第二記入用紙は、“職”を司られる神々へささげるもの。それだけで今後の全てが決まるわけでは決してないけど、一番初めに就くジョブはほとんどそれで決まると言っていいわね」
「なるほど、じゃあ習得済みの特技には剣技とか書いとけばいいのか」
「そういう事ね」
納得すれば理解は早いらしい。ジョージはすらすらと用紙の要項に文字を書き記していく。
「あらちゃんとこの大陸の文字も書けるじゃない」
「うん。ある程度は。でも名前についてはこの国の文字がわからなかったから」
どうやらジョージの言語はこの大陸のものとは体系そのものが違うらしい。ランナはまた不思議そうに首をかしげながらもすらすらと書かれていく記入事項を見る。
性別:男 年齢:25 希望する武器:片手武器 習得済みの特技:体術全般 習得希望の特技:ダンジョン攻略についての一通り。
「なんかぼんやりとしてるわね」
剣にも棍にも限らずに片手武器と広く希望し、習得済みの特技も体術全般と一つに絞らない。まして希望する特技などは前二つと比べ物にならないほどに幅広い。
「俺って好奇心旺盛だからさ」
また子供のように無邪気に笑うジョージ。さきほどの天啓もあってランナはますますこのジョージという男を量りかねる。
「まあ……私じゃどうにもならないし、神々に判断を仰ぎましょう」
ランナはジョージから第二記入用紙を受け取ると、先ほどの名刺と同じように天へ仰いだ。そっと手を離すとまた用紙が宙に浮いたまま止まっているのだが、こんどはわりとすぐに光って昇って行った。
「おお、上手く行った?」
さすがに二度目となると心の準備もできていたらしく、ジョージは先ほどのように大げさにリアクションをとるでもなくたずねた。しかしランナはまだ黙って宙を見ている。
「おおう?」
「第二は第一と違って、必ずモノとして返事が返ってくるハズなのよ」
その返事がすぐに返ってこない事に、ランナは驚き、狼狽えている。
「あなた本当は何者なの?」
思わず口をついて出た強い疑問。まっすぐ向けられたその疑問にどう答えたものかと戸惑うジョージ。そんな二人の視線の間に割って入るように、くるくると回転しながらカードが一枚落ちてきた。
「えっ?」
ジョージが思わずギルドホールの天井を見上げたが、もちろんそんなものを落とすための穴はない。カードの落ち方も明らかに重力になかば逆らうようなゆっくりとした動きで、そもそもカードそのものの素材がよくわからない不思議なものだ。半透明で薄く光って、実体がないようにも見える。
「これが神々からの返事。あなたものだから、あなたがうけとるの」
「おおう。なるほど」
言われて納得したらしく、カードへおもむろに手を伸ばすと、その手が触れる寸前にまた天からの光が注ぐ。
『だいぶ、悩みましたよ』
こんどは透き通った熟年の女性の声。苦笑が混じったその声にランナはまた驚きで声をあげる。
「ええっ!?」
ランナが驚いているうちにジョージはカードを受け取った。持ち主の手に触れてから初めてカードは実体を持って契約を体現する。
「ま、まさか一日のうちに二度も天啓を賜るなんて……。本当にあなたは…」
何者なのか? と続けようとしたがそれは言葉にならなかった。言葉を失っているランナを無視してジョージは実体をあらわしたカードに浮かび上がった文字を読み上げる。
「ジョージ・ワシントン 男 25歳 見習いダンジョンマスター ディアル潜窟組合所属。ん? ディアル潜窟組合?」
「え? ああ、ココのギルドマスターは私よ?」
「えええええ!!?」
神々が定めた理よりも、理を定めた神々の声よりも、ジョージはもっとも大きな驚きを、もっとも大きなアクションで示した。
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