003-ジョブ アンド スキル, アンド コイン -5-
二人はアレクサンドルの経営するBar. Junk Foodに行ったのだが、酒樽は扱っていないといわれ、店に入荷するときには既に瓶詰めにされていると教えられる。どこからその酒瓶を入荷しているのかを聞き出すと、ジョージが次に向かったのはアルビン商会という商業ギルドだった。
アルビン商会は酒類を専門に取引するギルドで、レドルゴーグ内に限らず大陸各所からあらゆる種類の酒を収集し取引に応じて各地に再分配する、酒の流通の大部分を担っている。
これならば、とジョージは大いに期待したが、アルビン商会は酒市場をほぼ独占している現状を維持するため非常にナイーブになっているらしく、酒樽はおろかオーク材の所在すら頑固として明かさない。仕方なくジョージはアプローチの形を少し変える事にした。
商会の会員数名にめぼしをつけ、尾行してまず商会所有の倉庫の場所を突き止めた。
倉庫を突き止めた時点で、日が落ちてしまった。
「なんかワクワクするッス」
まるで物語に聞く暗殺者にでもなった気分で、ロックは緊張感なく子供のようにそわそわと浮き足立っていたが、ジョージの方は逆の方向性でもっと緊張感がなかった。
「そうか? んー、そうかぁ」
ジョージはこういった行動が初めてではないらしく、落ち着き払った様子は既に風格すらある。相変わらず正体を現しきらないジョージだが、ロックはますますその謎に引き込まれる。なんとか自分も落ち着きはらったジョージを真似しようと、まずは呼吸を整える所から入った。
「ところで、何を探してるんですか?」
完全にまねる事はさすがにできないが、それなりに功は奏したようでふと今自分達がこうしている理由に思い至る。ロックはまだジョージからこの諜報活動の動機を聞かされていなかった。
「ん。ロックは、ベーコンって知ってるか?」
「ベーコン? それがアニキの求めてる酒の名前ッスか?」
ジョージは、やはりな、という顔で薄く笑う。
「いや、酒の名前じゃない。食べ物だ。まあ餓死が無いと聞いた時点でこの世界の食文化があまり進んでないというのは予想がついてた」
餓死、世界、食文化。全く知らなかった単語が次々飛び出てロックを混乱させた。
「アニキのいう事はちょいちょい難しくてオイラにはついていけないッス。他の大陸の人たちってのは、みんなアニキみたいなんスか?」
「さあなあ。でもこの大陸に住んでる人たちがみんなロックみたいってわけじゃないから、そういう事だろうよ」
まるで言葉遊びであった。それでもロックが納得したのを見てやさしく微笑んでから、ジョージは空を見上げた。
まだ西の空には赤みが残るが、やがて深い深い黒へと変わるだろう。レドルゴーグの空に星は少ない。
「今日はこの辺にしておくか。明日もう一度ダンジョンに潜ったあと、材木の部屋がみつからなかったらもう一回張り込みだ」
「わかったッス」
「帰り道は途中まで一緒か。あれ、そいやロックってどこに住んでるんだ?」
ロックの懐き方から忘れがちだが、二人はまだ出会ってから三日目、一緒に行動するようになったのは二日目である。
「姉さん二人と一緒にギルドホールの奥に住んでるッス」
「ああ、じゃあ途中までは帰り道は一緒だな」
「うッス」
すっかり打ち解けてしまっているが、やはりまだ知らない事は多いのだなと、二人ともそれぞれ今のやり取りで実感した。
帰りながら色々な事を話したが、お互いの過去や確執に迫るような部分には触れず、先にディアル潜窟組合のギルドホールについてお開きとなる。
「それじゃあアニキ、また明日」
「おう、また明日な」
互いに軽く手を上げあうだけの短い挨拶を交わすと、ロックはギルドホールの中へ入り、ジョージは鍛冶屋オールドスミスへと足を向ける。
「さてさて、やっぱりまだ学ぶべき事は山積みだな」
ぐっと伸びをしながら、ジョージはオールドスミスに帰ってからやる事の段取りを思い浮かべた。
まずはまたオーク肉を焼いて食べよう。そのあと念のためキョーリにもオーク材のありかに心当たりがないか尋ねてみて、手がかりを聞けても聞けなくても行動するのは明日にしよう。食事が終わったらハンモックに揺られながらキョーリの蔵書を読み漁ろう。まだ読み書きにおいてはココの言語は使いこなせていないけど、本どころか冊子も書簡も見当たらなかったけど、鍛冶屋なんだから鍛造に関する参考書くらい置いてあるハズだ。
「キョーリさんただい……ま?」
いざ帰ってみると、ジョージの段取りは全て無駄になった。
「おお! ジョージ待っておったぞ! さっきの飯のときの調味料はなんだ! あと飯のときにつかっていた棒切れはなんだ! ワシは気になって仕事が手につかなんだぞ!」
「りょ…キョーリさん? うおっ」
姿を見るなり額に青筋を浮かべて凄まじい勢いで詰め寄ってくるキョーリ。その険相たるや、さながら大きめのゴブリンのようで、あやうく反射的に鉄の棒を抜いて反撃しようとしたが柄に手をかけたところでなんとか思いとどまった。
「色々きにはなっとるが今回はその二つだけ答えろ! 答えればしばらくは何も聞かんでおいてやる! いいから答えろ! さあ!」
答えようにも言葉を挟む隙がない。近所の人々もキョーリの声に何事かと表に出始めており、これはまずいぞと強引に口をふさいで炉の近くまで押し込んだ。
「答えます! 答えますからまず落ち着いてください!」
なんとかなだめようとするがキョーリの目は血走っていて、歯を食いしばってギチギチとかみ締める。形相は鬼、体格は子供並みであるから、今のキョーリはまさしく子鬼、ゴブリンとほとんど変わらない。
「ホントに落ち着いてください! ちゃんと答えますから!」
「本当か? 本当だな!?」
「本当です、本当ですって!」
ほとんど進展しない押し問答。それでもわずかな前進をみせていたのに、近所の住人が軽く邪魔に入る。
「おい大丈夫かあ?」
「うるさいぞ! 用ならあとにしてくれ!」
「ちょっとキョーリさんご近所の方ですよ!」
一歩進んで三歩下がる。隣人の体躯のいい中年男性は善意のつもりだったのだろうが、いかんせんタイミングが悪かった。
「えっと、たぶん大丈夫ですんで! ちゃんと収集つけますんで!」
「いやまて! お前も見ていくといい! 面白いぞ!」
「キョーリさんってば!」
発言の急転換。全く逆に隣人を招きいれようとする。ジョージは、これでは本当に収集がつかないと思い当身でもして強引に落ち着かせる事まで視野に入れ始めたが、キョーリの奇妙な行動はどうやらこれが始めてではないらしく隣人はとくに訝る様子もなく、アッサリと店の中に入ってきた。
「さあ! まずは二本の棒切れからだ!」
「あ、あれ?」
話が後退し続けていると思っていたら、いつの間にかゴールについていた。
「じゃあ……」
子供のような好奇心に満ちた、とは言いがたい死に物狂いの目に期待されながら、ポーチからおもむろにケースを取り出し、ケースの蓋をスライドさせてきれいに同じ大きさに成型された二本の棒を取り出した。
「ほう?」
キョーリの血眼はもちろんだが、単純な好奇心から来る隣人の視線もそれなりにやりづらい。
「これは、箸というアイテムです。たいていは木製で、漆というワックスの一種が塗られています。これを、こう持って、こう使います」
そう、箸である。ジョージはたくみにそれを使い、ちょうど目の前にあった金属製の指輪を持ち上げた。
「おお!」
「器用なもんだな」
「ちょっと慣れれば基本誰でも使えるようになります。使いこなせば麦の一粒だけをつまんで持ち上げる事もできますし、焼いた肉を食べる時くらいなら刺す切る別けるをこの二本だけで行えるようになる便利なアイテムです。実践しましょうか」
目の前でまた実際に箸を使っている姿を見てキョーリはだいぶ落ち着いてきた。隣人の方は確かに珍しいとは思ったようだがいうほど便利な道具かはまだ半信半疑のようだ。ようやくグイグイと押してくる者がいなくなると、ジョージは逆にノッてきてしまう。
「まあスープを食べる時はスプーンを使いますし、パンを食べる時はいちいち箸でわけてつまんでなんて面倒くさいまねはしませんけどね」
などと無駄口をはさみながら、ポーチから肉と包丁を取り出し厚さ1センチメートルほどに切り分けていく。2キログラムで5ストーンズ、頭の中で反芻しながら手際よく切り分ける。
「それは、オーク肉か?」
「はい。苦手だったりしますか?」
「いや、そういうわけではないんだが。オーク肉は調理が難しいと聞くから、あんたはバトルコックでも料理人でもないんだろう?」
バトルコックと料理人は別の扱いなのか、と驚いて答えを忘れていると、キョーリが助け舟を出した。
「問題ない! ワシは昼頃にも食ったが特に変調はない! ロックも食っとったがそのあとコイツと一緒にディープギアに潜っていきよったわ!」
そう言って豪快にポンと腹鼓を打つ。それで隣人もなるほどと納得したようだった。
切り分けが終わると、遅い朝食のときにも使った金網をもってきて炉の上に載せ、更にその上にオーク肉をのせる。のせた途端にジュウと油が蒸発するいい音が鳴り金網の隙間から油が落ちて炉の中でポウと小さな火を点しては消える。
「まだ近いか」
金網の高さを上げて熱加減を調節すると、次々と肉を載せ始めた。
「キョーリさんは皿の用意をお願いします」
「ほいきた!」
オーク肉の焼肉というシンプルな料理になぜキョーリがあれほど狂喜しているのか、隣人は理解できないといった様子だった。神聖な炉の火で料理をするなどは以前からあった事なのでそれに対しては特に疑問に思わない。
「じゃあ焼きあがった端からいれていきますよ」
「それより、さっきのヤツ! さっきの味のするヤツを出すのだ!」
再び勢いが増してきたキョーリ。また手に負えなくなる前にとジョージはすぐにそれを出した。
「これは、醤油という調味料です。原材料は豆なんですが、製造工程が複雑であるため、おそらく酒以外に醗酵食品の文化がないこの国では手に入らないと思います。俺もこれだけしか持ってないんで本当はあんまり使いたくないんですけどね」
そう、醤油である。そういいながらジョージが焼き肉を持った皿の隅に醤油をたらした。キョーリがフォークすら使わず素手で肉をつまんでチョイチョイと醤油をつけると、二十センチメートルほどの長い焼肉を一口にほお張る。
「んっほう。やはり美味い!」
一口でも味わえた事でだいぶ落ち着いたのだろう。キョーリがようやく腰をすえた。その様子をみていた隣人もやっとジョージの焼いた肉に手をつける気になったらしく、キョーリのまねをしてチョイチョイと醤油をつけて一口に肉をほお張った。
「ほう……ほう!」
何度も噛むうちに豚肉によく似たコクのあるオークの油と醤油が合わさって口いっぱいに広がる。噛めば噛むほど旨みが広がるのだ。確かに美味いが舌が肥えている者にはさほどおおげさな反応をするほどのものではない。しかしジョージが言うとおり食文化をあまり盛んに発展させてこなかったここの住人は、この味にいたく感動した。
「なあに、人の手で作れんのならば神に願うのがよかろう。願いが聞き届けられれば、いずれどこかの大迷宮でなんぞかが落とすようになるかもしれん」
「あっはっは」
キョーリが口をモグモグさせながらそういうと、すかさず隣人が笑った。ジョージはそれがキョーリの冗談だと思い一緒に笑ったが、次のキョーリの行動で思わず肉を焼く手が止まってしまう。
「どれどれ……」
焼肉だけをどかすと、醤油だけがたらされた皿を掲げて唱える。
「天におわします神々へ、之、醤油なる調味料を捧げ奉ります。どうかお受け取りを」
すると、炉の火だけが照らしていた店の中が少しずつ明るくなる。
「え?」
ジョージが戸惑っていると、どこからか蛍のような光の玉が天井を透けて上の方からおりてきて、皿の上の醤油に集まると、一際強い光を発したあと弾けた。
「おお、受け取って頂けたようだ。やはりな、それほどのものだろう。これでおそらく、そのうち食の神ギシュー様の塔にでも現れるようになるのではないかなあ」
そういいながらキョーリがジョージに向かい皿を差し出す。皿の上にはオーク肉の脂が残ってる。醤油だけが綺麗になくなっていた。
「ココの神様はこんなことまで聞いてくれるのか……」
ジョージが感心しているとキョーリが差し出した皿をさらに突き出す。どうやら受け取ってもらえた事を確かめさせる為ではなく、さっさと醤油を補充しろという催促であったらしい。
「ああ、すんません……」
しかしながら、キョーリの言うとおりならばこれでジョージには新たな醤油を得る可能性が生まれた事になる。もう手に入らないだろうからという理由で出し惜しみする必要はなくなったのかもしれない。ちらりと隣人の顔を確認すると、うんうんと頷いている。その頷きの真意まではわからなかったが、なんとなく雰囲気におされて更に醤油をたらした。
「よしよし。あと、肉こげとりゃせんか?」
「ああっとお!」
結局、焼肉は夜遅くまで続いた。
黒髪、黒目で箸を使い醤油を好む・・・いったい何本人なんだ・・・
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