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021-それぞれの屈託 -5-

 アルマも、気づいた時には既に一人だった。


 境遇自体はヨードルモンドほど壮絶ではなく、おそらく乳離れするまでは誰かに育てられていたと思われる。誰に育てられたのかはわからないが、マールにとってアルマだった頃の最も古い記憶はおそらくその当時の事だ。


 やさしそうな顔の老婆がニコニコと嬉しそうな笑みを浮かべながら手を差し出してきて、自分のものと思われる小さな手が差し出された手の指を握る。文章とすればそこそこ具体的になるが、映像としては本当におぼろげなもので、老婆がどんな顔であったのか、特徴はわからず、詳しく思い出そうとすればするほど、本当に笑っていたのかすら自信がなくなってくる。それほど古く不鮮明な記憶だ。


 その次が、ヒュールゲンが自分をかばって何者かに蹴られているところだった。


 おそらく、三歳ごろだと思う。


 今思えば、まだ幼いヒュールゲンを蹴り続けていたのは彼の父親で、彼の母親らしき胸の大きな女性がその場に割り込んでくるまで虐待は続いた。


 それからはヒュールゲンの母親と共に、ヒュールゲンと兄妹のように過ごした。


 アルマはずっと笑わない子供だった。


 幼く、まだ純粋だった頃のヒュールゲンはなにかにつけてアルマを笑わせようとした。


 そもそも「楽しい」や「面白い」という感覚を理解できなかったアルマは、そのたびに困ってしまい、首をかしげてじっと見つめ返して彼を困らせた。


 ヒュールゲンと彼の母と暮らすようになって半年ほどで、いつの間にか周りには仲間が居るようになっていた。


 はじめは痩せ型ノッポのエルゴドと、出っ歯のエゲッテペン。子供同士の喧嘩で二人でかかってまとめて負けた彼らは逆に気持ちよくヒュールゲンの手下のような立ち位置になった。


 しばらくして父親が西スラムの近くで鍛冶屋をやっていたちびのゴードと一緒に遊ぶようになった事で、エルゴドとエゲッテペンとは手下のような関係を解消して普通に友達になった。


 そうなってもアルマはまだ「楽しい」も「面白い」も理解できなかったが、ヒュールゲンの隣に居る事はとても「安心する」という事だけはわかったから、いつも一緒にいて、たまに離れる時は彼の母親から少しずつ家事を習って手伝っていた。


 当時はまだ四歳ほどだが、子供なりに考えた末に環境から実の子供ではない自分は何か役に立たなければならない、という義務感が生まれたのだろう。


 そうしているうちに、彼らにとって一度目の転機が訪れる。


 ヨードルモンドとの邂逅である。


 まさに生れ落ちたばかりの状態で発見されたヨードルモンドはヒュールゲンとともにアルマが発見した。


 こういう時、すぐに肝が据わるのは女の方で、ヒュールゲンも右往左往するばかりだったが、不思議とアルマは自然に体を動かしていた。


 若干五歳にして他人のへその緒を切った少女というのも珍しいのではないだろうか。


 乳児期のヨードルモンドの名はヒュールゲンの母がつけたものだ。


 世話も要所要所ではヒュールゲンの母がしていたが、大部分はアルマとヒュールゲンで受け持ち、他の仲間たちも少しだけ手伝った。


 おもに五歳児がゼロ歳児の世話をみる、とは恐るべき光景であったに違いない。


 さすがに全て適切にとはいかなかったため、ヨードルモンドは乳児期から幼少期の栄養不足によって虚弱体質に育ってしまったが今もモンドと名を変え生きて、他のメンバーにはない魔法使いとしての才能を目覚めさせた。全ては結果オーライである。


 しかしヨードルモンドを拾ってから四年後、ヒュールゲンの母が病死する。


 原因は性病。スラムに程近い場所で流しの娼婦をして稼いでいたその職業柄、どうしても切って切り離せないリスクであるが、いきなり致死性の高い性病にあたってしまうとは、いくら不潔な西スラムにほど近い場所で営業をしていたとはいえ不運を引いたものである。


 アルマにとってもヒュールゲンの母は実の母と思えるほどに大事な存在になっていたから、それは本当に悲しい出来事だった。しかしヒュールゲンの母、妻の死を知って駆けつけたヒュールゲンの父は、当時まだ八歳だったアルマを売って酒代に変えようとした。


 それまではヒュールゲンの母が稼いでいたから何もしてこなかっただけ、ずっと以前からその趣味の者に売り払おうと思っていた事を実行に移しただけ、そのはずだった。


 ところがそれはヒュールゲンに阻まれる。


 十歳の子供と大人の体力ならば普通は勝ち目など無いが、父は酒びたりでろくに体を鍛える事などせず、逆にヒュールゲンらは母の負担を減らすためにディープギアの浅層部にもぐりジェリウムゲルをありったけ集めては小銭に替えていた。その分の生気は多少なりとも十歳の体に作用し、アルコール依存症の父親よりもよほど頑丈に強化していた。


 あっさりと息子に撃退された父親は、お決まりの捨て台詞を残しその後二度と彼らの前に姿を現さなかった。



 ヒュールゲンは娼婦と元その客の子であった。


 父親は一応は母と籍を入れ夫婦となったが、ヒュールゲンのあとに子供はなく、父はよその女と浮気をする事はあっても子供だけは作らなかった。きっと子供が腹の底から嫌いだったのだろう。


 母はずっと優しかった。ヒュールゲンにはもちろん、まったく家に居着かずたまに酒代をせびりにくる父に対しても実に寛容だった。ただ、ヒュールゲンに暴力を振るおうとする時だけは父に対し厳しく当たった。そこもまた、父親の癪に障ったのだろう。


 母もまた客や他の男との子供をつくろうとはしなかったようだった。


 ヒュールゲンがアルマを連れ帰った時と、ヨードルモンドを連れ帰った時、母は母なりに二人に籍を持たせようとして努力したようだったが、一介の娼婦では知恵も人脈も及ばなかった。



 母と死別した直後に父親と自ら縁を切ったヒュールゲンは仲間たちとの生活を送る事を決めた。


 ジェリウムゲルで得た小遣いを少しずつ渡しながら家主のお情けで一年ほどその部屋で暮らしたが、次の借り手が見つかると簡単に追い出された。


 そこからは家を持っている仲間たちの誰かのところに数日おきに泊めてもらったりしながらの生活だったが、本当は体力の弱いヨードルモンドのためにも少なくとも一週間はずっと同じところで生活するスタイルを作りたかった。


 そのために考え出されたのが工場街の敷地内のデッドスペースを見つけ出して密かに住みつくという方法だった。


 はじめの頃はすぐに作業員なり工場主なりに見つかって追い出されていたが、次第に盲点を見つけるのが上手くなり、いい場所を見つければそこで三ヶ月もすごす事ができた。


 そうやって、一度目の転機であるヨードルモンドとの出会いを乗り越えていったヒュールゲンたちは、時と共に人数を増やした。


 糸のように細い眼で面長のルドラングルは北区の富裕層街にいるお坊ちゃん恐喝している時に出会った。


 両親とも潜窟者だったシモンとは、西スラムで、彼がスラムの住人達から身包みを剥がされそうになっている時に出会った。


 サマサンドルとは、ゴードの父方の祖父が経営している鍛冶屋から盗まれた商品の剣を追っている最中に出会い、親しくなった。


 そしてスドウドゥとトゥトゥルノの兄弟とも、気まぐれに西スラムの炊き出しに顔を出した時に出会い、境遇にシンパシーを感じ歩み寄った。


 こうして後に結成する強盗団に中核のメンバーが揃ったあとは、母が娼婦をしていた時の取りまとめ役のような女性から頼まれ、西スラムの自治権争いのような事に手を貸した。


 いわば私設自警団のような団体であったのだが、これも決して正義を掲げるような組織ではなかった。レドルゴーグの一部であるとされながらも都市警察の治安維持が及ばない西スラムの最西地区は常にマフィアの勢力抗争のような事が起きている。自治といっても所詮は自分達に有利に働くようにごくごく狭い地域を支配するための口実でしかない。


 一組織に所属した事で、ヨードルモンドが夜震えずに眠れる場所は確保できたし、小競り合いのおりにカルサネッタとの出会いもあったが、人間の汚い部分ばかりを目の当たりにすることで、ヒュールゲンだけでなく仲間達は等しくゆがんでいった。


 そしてあるとき、自然とリーダーを務め、最も多くの“現場”にかかわっていたヒュールゲンがとうとうゆがみの限界に達した。


「独立するぞ」


 奪うこと、奪われること、若くしてそれらを間近で見続けてきたヒュールゲンは少なくともその瞬間だけは、理論的に物事を考えるちからを逸失していた。


 他の仲間達もその環境に居続ける事が限界だった。現場に出ないヨードルモンドとアルマも、日々やつれた顔で、或いは昂ぶった様子で帰って来る皆を見て心をすり減らしていた。


 強盗団を始めたところで、誰かを傷つける事は変わらないが、彼らがストレスと感じていたものは他者を傷つける事ではなく、自分の意思に関係なく理不尽に力を振るい振るわれなければならない事だったのだろう。


 その点で、義賊のまねごとは彼らのちっぽけな良心を満たすための良い口実だったし、様々な便利道具を発明した事で自警団をやっていた頃よりもたむろする人数が減ったにもかかわらず傷を負う機会はずいぶんと減り、大組織を手玉に取っているような感覚は彼らの自尊心も刺激してくれた。


 結局のところ彼らがしたのは、近づきすぎて自分達の心をすり減らしていた“暴力”との距離を自分達の好みにできるようにした。というだけであった。


 ヒュールゲン、ヨードルモンド、スドウドゥの三人だけはその事実をなんとなく理解していたが、カルサネッタが新たなスポンサー候補として連れてきたクヴィエギウスは、若さも手伝って自分達が最強の存在であるような妄想に囚われ、大胆な行動に出たとたんに仲間を全員巻き込んで一瞬で破滅した。


 因果応報と言えばそれまでだ。


 誘拐も殺人も行ってきた、人身売買にも結果的に手をかしていた彼らは、その罪を死を以って償うべきだと言われてもなんら反論はできない。



 始めは仲間達を守りたいだけだった。籍を持たないアルマとヨードルモンドを守り続けたい、それだけだった。


 方法を間違ったのはおそらく最初からだ。


 皆で知恵を凝らせれば誰からも文句をつけられない方法で守り続ける事はできたのだろう。事実、いまはギルドに所属するだけで籍を得ているが、こんな方法があるなど知らなかった。思いつきもしなかった。潜窟者が街で優遇されているのも、単に強いからだとしか考えず疑問ももたなかった。


 しかし、選んだのは間違いなく自分達、そしてそれを先導したのはヒュールゲンである。知らなかったから、などという言い訳は通じない。


 自分達が選んだ道は様々なものを自分達のために犠牲にする道だった。そして望まずに犠牲にされた者たちから恨みを買う道だった。



 レドルゴーグの法では死刑がなく、それに相当する奴隷刑もなぜだか免れた。借金奴隷に落とされ、ひとまず生き続ける事と、ある程度の自由まで保証されてしまったが、ヒュールゲンは考える。


 罪とは何か、罰とは何か。償いとは何か。贖いとは、何か。


 自分は後悔しているのか。後悔したところで、何が変わるのか。


 ひとり考えても答えなど見つかる筈はない。



 そんな時、部屋がノックされた。


 ヒュールゲンはロックと相室で、普段は二段ベッドの上で寝ている。


 来客があれば一応は奴隷身分のヒュールゲンが出るのが礼儀のようなもので、ヒュールゲンは身を起こすのだが、寝ている位置の関係でロックの方が早く動いて来客を出迎えた。


「こんな時間にどうしたッスか?」


 ロックはもう完全に間違った敬語が染み付いてしまっており、奴隷の四人にもこの口調で接している。


「ああ、あっちに用事ッスか。ヒューゴ、お客さんッスよ」

「はい」


 奴隷という地位に加え、口約束ですら弟子入りの意をとっていないが同じ相手に師事する兄弟子である。ヒュールゲンの方はきちんと敬意を払って接している。


 微妙にしまらない兄弟子に促され来客を見ると、ヒュールゲンにとっては見馴染んだ、しかしここの所はろくに話す機会も無かった相手だった。


「アルマ……いや、マール」


 二人は連れ立って黄昏時の街に出る。名目上は、正式所属しているマールが護衛のために剣奴をともなう、というもの。外に出る理由は、装備品のメンテナンスのための道具を買い入れるためだ。


「顔色が、よくなったな」


 ヒュールゲンは口数が多い方ではない。必要最低限の事は喋るが、たわいも無い話というものを苦手としている。


 そんな彼に対するマールはほとんど喋らない。今の一言にもニッコリと笑って返すだけ。


 いつも、このようなものである。


 だが幼い頃からずっとお互いを見てきた二人には、お互いに言いたい事がわかる。


「ヒーラーをしているお前の方が、よく知っているか」


 ヒュールゲンの一言は、マールに向けてはいるがモンドについて述べた事であったし、マールもそれをわかった上で笑顔を返した。


 昔からマールには不思議な力があると感じていた。言葉を使わずとも相手に気持ちを伝える力、同時にこちらが何も言っていないのに気持ちを感じ取る力。


 これは親しい間柄だけで発揮されるわけではなく、買い物をする時にしか顔を合わせないような露店の店主や、初対面の相手でも言葉を使わずになんとなく意思疎通を成立させてしまう。


 それが親しい間柄になるとさらにお互いの呼吸を理解するようになり、お互い一言も発していないのに、ある物に対して指をさすだけでそれをどうしてほしいのかを的確に理解できるようになってしまう。


 最も付き合いの長いヒュールゲンとマールはその最たるもので、若干十八歳と十六歳にして、長年連れ添った熟年夫婦が「アレとって」「アレどこだっけ」「ソコだよ」の指示語だけで一連のやり取りを当たり前に行ってしまう域に達していた。


 ここまでくると、お互いの内心などもなんとなくわかってしまう。


 マールはヒュールゲンの後悔とも自責の念ともつかない心のわだかまりをしっかりと察した上で笑顔を振りまいている。


 ヒュールゲンは、自分がそんな状態である事を察したから外へ連れ出してくれたマールを知り、同時に、少なくともマールはヒュールゲンを責めたり犠牲にするつもりが無い事を理解した。


 それだけで心は軽くなる。


 現状でもヒュールゲンの大目的は変わっていない。マールを、モンドを、仲間達全員を守る事。


 そのために必要な事は、ギルドに所属してしまった事で全て満たされてしまっている。


 そして気づいてしまったのだ。この大目的が達せられている今の状態を保つためには、自分はもう不要なのではないだろうか、と。


 だからこそ、心のわだかまりを抱えていたのだが、こうしてマールと共に過ごすだけで、自分はなんてバカだったのだろう、そう思わされる。


 不要であったとしても余計ではない。邪魔ではない。


 ここを、自分の居場所にしていいのだと、皆のリーダーとして肩肘を張って無理をし続ける必要ももうないのだと、ヒュールゲンはようやく、理解した。

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