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019-世界とか異世界とか -5-

 レイデムセールで千紗を落札できない可能性は事実上ゼロになった。


 ただ、ここでまた一つ懸念事項が生まれたようにジョージは思った。


 千紗がローブ姿の女のところ、少年曰くところの落ちこぼれ魔女のもとに居た筈の間の、記憶の欠落である。


 少年の話から察するに、おそらく千紗の目の前でローブ姿の女が殺されている。


 十三歳まで平和な日本でのうのうと暮らしてきた少女の目の前で殺人が行われたとなれば、その少女が心に負った傷はいかほどのものになるだろうか。


 もしかすると戦闘行為そのものに強い忌避を示すかもしれない。


 今のところは、訓練にも参加させ、明らかな戦う準備の場においてもとくに変わった様子は見せていないが、本番になった時にどのような反応を示すかはわからない。


 ここまで考えて、やっぱり気持ちばかり逸っているとジョージは気づく。


「ふぅ。案ずるより生むが易し。かな」


 まだ千紗が拒絶反応を示すかどうかなどわからないのだ。もし不都合が出るようならば、出た後に対処すればいい。いや、出た後でなければ対処はできない。


「ただいま」

「よう。遅かったね。子供たちはもう寝たし、アラシもとっくに帰ったよ」


 静まり返ったディアル潜窟組合のギルドホール。受付の内側の指定席でランナが一人で座っている。どうやらジョージの帰りを待っていたようだ。


「気が済むだけの事はやってきたのかい?」


 そういってランナは獰猛な笑みを浮かべる。


 きっとジョージが何をしてきたのかは察しているのだが、さすがに具体的に何をしてきたのかまではわかっていないだろう。ひょっとしたら、何人か始末してきた、くらいには思っているかもしれない。結局のところそんな必要はなく、ジョージは誰一人として傷つけていない。いたいけな少年に淫夢を見せただけだ。


「ああ。どうやら俺の取り越し苦労だったようだ。ひとまず警戒する必要はないだろう。ストルトン絡みでこれ以上の面倒が起きる可能性は、低い」

「なんだ、つまんないね」


 やはり、なにか荒事がおきる事を期待していたのだろう。千紗と触れ合っている時に見せる慈母のような表情とは正反対だ。甲斐甲斐しく年下の面倒を見る一面と、一方で始終面倒くさがりな一面と、戦闘においては訓練ですら容赦しない獰猛な一面と、ジョージは今のランナを見てインドの女神を連想した。


「なんだいその顔は」


 明かりのないギルドホールで顔がよく見えているらしい。それはジョージも同じだったが。


 まさか破壊神とすら称される一つの神話の主神を夫に持ちながら、その夫を踏みつけて踊る女神と重ねてしまったなどとは言えないだろう。ジョージはじつに自然に、話題をシフトする。


「いや、姐さんみてたらさっきまでの心配事がばかばかしく思えてきて」

「心配事? なんだい、面倒は起きないんじゃないのか?」


 ジョージはつい直前まで千紗に抱いていた懸念を正直に話した。てっきり呆れられると思ったが、ランナが意外にも感心した様子だ。


「なるほどねえ。そりゃたしかに、ありえない話じゃないさ。けどあんたも思ったとおり、今考えても仕方ない事だね」


 まさかの全肯定である。


「だから、なんて顔してんだい。


 あたしは異世界の事なんて知らないからね。そこで育った人間がどんな風になるかなんてのは、こっちの世界とあっちの世界を両方しってるあんたらの方がよくわかるさ。そこはわかるよ」


 知らない事は知らないと認める。しかし、どこか哀愁を漂わせて言うランナのそれは、謙虚というよりも、経験に基づく考え方のような気がした。


「人の心が傷つくモノだって、あの時知ってればやりようは変わったのかもねぇ」


 そして懐かしむような、同時に自嘲するような、複雑な笑みが浮かぶ。


 ディアルの現状と、おそらく関係のある事なのだろう。


 ジョージとて異世界人である事を打ち明けたのだから、このまま踏み込んで聞いてもいいような気がしたが、その前にランナの方がジョージに尋ねてきた。


「あんたらが住んでた世界ってのは、どんなところだったんだい? 国がいっぱいあって、わりと殺伐とした世界だっていうわりには、あの子はずいぶん血に慣れてないようじゃないか」

「あぁ……殺伐としてたっていっても世界全体の話でな。その殺伐も色々と種類が違った。中でも俺らが住んでた国は戦争なんてのとは無縁の世界でな、戦いそのものが、エンターテイメント、じゃ、わからんか。見世物の一つとして確立したような場所だった」


 ジョージは自分と千紗が暮らしていた、“地球”の事を語りだす。


 地球の中でも日本という国では、ほとんどの者が血を流す争いをどこか遠いところの物語としか捉えられていない。戦争が実在すると理屈でわかっていても、心が、感情が、感覚がそれを理解していなかった。


 千紗とジョージの間にある二十年という隔たりにも、あまり意味はないだろう。戦争教育だなんだといわれ、知識の中で差があろうとも、戦争の本質というものはやはり、体験しなくては理解できない。そして理解してはいけない。


「結局日本は、平和ボケの国とか言われてたんだろうな」

「争いと縁遠い生活。ちょっと羨ましくもあるけどね」

「やめとけやめとけ。姐さんみたいな刺激がないと生きて行けないような人間じゃ、窮屈すぎて生きて行けないよ」

「んなっ、おまえ……むうぅ」


 あっさりと否定されてランナは憮然とした表情になったものの、自分の戦闘狂に近い一面はしっかり自覚しているため言い返せなかった。


「ふむ。まあいい。千紗の嬢ちゃんももう手なんかかけなくても勝手に飯を食うようになったんだ。ジョージ、久しぶりに飲みにいくよ!」

「えっ? あっ! おい!」


 強引に連れ立たれて酒を求めるのは、やはり昔なじみの店のBar. Junk Foodだった。店主がロシア人の血を引くと意識してみてみると、看板のふちの部分にキリル文字らしき意匠がほどこされていると気づく。銀の縁取りに白金色の意匠であるから、これを初見で見抜けという方が難しい。


「ようサーシャ! 来たよ!」

「どーもマスター」

「やあ、ジョージ君は、お久しぶりかな。活躍ぶりは聞いているよ」


 なんだか少しだけ不機嫌な様子のランナ。そんなランナに頭を小脇に抱えられる形でガッチリとホールドされている状態で来たジョージ。前回来た時もこんな感じだったなあ、と思いながら席につく。


 アレクサンドルはさすがにプロらしく特に動じた様子もなく、無言で注文を促した。


「いつものちょうだい」

「俺も前回と同じので」


 雑な注文でもオークの香りが漂う琥珀色の酒は違わず出される。おそらくは麦の酒であろうが、この酒もきっと酒の神の塔で採取されたものに違いない。


 奉納された品と全く変わらない素晴らしい物は永遠に複製されそれぞれの神の神殿とも言うべき塔のダンジョンから湧き出るようになるという。良い物が永遠になくならないという事は確実に神のもたらした奇跡であるのだが、ジョージとしては、手放しに歓迎すべきものではない。


「(消え物は消費され消えていくからこそ価値があるんじゃないのかなぁ)」


 これも地球から持ち込んだ価値観だろう。それに、そもそも最低限の生命維持に食事を必要としないこの世界では、酒はどう転んでも嗜好品でしかない。水よりも酒の方が安価で安全、などという場所ではないからだ。


「(この辺も地球と違うところだ)」


 違う、といえば、思い出す。


「そういや、マスターの曾お祖父さんも異世界人だったんですって?」

「お、そうそう、どうせだからその話をしようよ」

「曾祖父の話かい? というか、“も”?」

「ああ。俺も実は異世界から来たもんでして。まずいかなと思って黙ってたんですけど、意外と居るらしいから、いっそ打ち明けようかと。あともう一人、新人に入る予定の女の子も異世界から」

「ほお。それは、珍しいね」


 グラスを拭きながら半身で語るという、理想的なバーのマスターの姿を崩さないアレクサンドルは、それでも一応に驚いて見せてくれた。


「時代は違うかもしれませんけど、どうも曾お祖父さんと同じ世界の違う国から来たみたいなんですよ。あの国も名前はしょっちゅう変わってるけど歴史の長い国だから、いつの時代から来た方なのかなって」

「さて。曾祖父の遺品ならまだうちに残っているよ。古い、鉄の筒でね。火薬を使って、鉛や錫の玉を打ち出していたらしい。部品の整備ができなくなって、弾薬を使い切ってからは弓矢を使っていたというけど」

「銃ですね。あれは確かに、消耗品ですけど大量にあると恐ろしいですよ。けど、モンスター相手じゃ熊クラスまでしか使えないんじゃないかなあ。西の浅層に出てくる白狼ですら、熟練してないと当てられないんじゃないかと」

「ふむ。まあ私は使った事がないので、わからないけど。でも私の棒術は曾祖父から流れを汲むものだよ。ジョジューツとか、ジュジューツとか、祖父は言ってたけど」

「……柔術かな? でも、棒術やら杖術だと柔術より合気なんだよな。いずれにしても曾お祖父さんも俺らとそう遠い時代のかたじゃないかもしれませんね」


 ロシア人である事は間違いなさそうである。銃のある時代という事は、ロシア帝国時代以降、旧ソビエト連邦とロシア連邦のいずれかとなる。さらにただの棒やら軍用シャベルやらで戦うコマンドサンボも使っていたらしい。となると、旧ソ連以降である可能性が高まった。


 アレクサンドルの曾祖父が生まれた時代と特定する事に大きな意味などないのだが、なんとなく興が乗ってきたジョージは、ポーチから紙とペンを取り出してさらりさらりと絵を描く。


「たぶん、木製の部品はこんな感じだと思うんですけど」

「そうだね」


 まずジョージが描いたのは銃床、ストックと呼ばれる部品だ。グリップから肩の前面に当てる部分で、銃を撃った際の反動を手だけでなく上体で受け支えやすくする。


「これに対しての鉄の筒の長さはどのくらいですか?」

「そうだな、もう長く見ていないからおぼろげにしか憶えていないのだが――」


 無言で差し出されていたペンを取ると、丁寧に線を引く。


「ふむ……けっこうふるいものだな。面白そうだから今度みせてもらっても?」

「ああ。昼間にでも、暇ができたらここに来るといいよ。その時に私も忙しくなければ、我が家まで案内しよう。因みに祖父は健在だからね、祖父から話を聞けるかもしれない」

「ほうほう」


 すると今まで黙っていたランナが急に爆発した。


「サーシャの爺さんはとんでもなく強いんだよ! あたしは未だにあの爺さんには勝てるきがしないね!」

「え、そんなに頑丈なかた、ん?」


 よく見るとランナの顔が真っ赤だ。目もすっかり据わっている。


「あの爺さんもサーシャと同じ棒使いでね! 普通に考えりゃあたしの鞭の方が圧倒的に間合いが広いのさ!」


 すっかり酔っ払いが昔話をする時の調子になっている。


 ああ、これはもう話しにならないな、と思ったジョージは、そのまま酒を飲みながらアレクサンドルと共に聞き役に徹する事にした。


 途中、ジョージは初めて見る客が来たが、ランナを見ると、アレクサンドルからボトルごと酒を買いそのまま退散してしまった。その間、ランナが気づいた様子はまったくなかった。


 結局その日も、ランナが眠くなるまで、ランナの本当か誇張かわからないアレクサンドルの祖父の話は続いたのだった。

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