019-世界とか異世界とか -2-
ジョージが用意していったテキストは、魔法が存在している、という項目の次に、地球とはいろいろなものが大きく違う、その一つとしてダンジョンが紹介され、ダンジョンを中心とした経済が形成されていると書かれていた。
そして神の存在。
地球に神が居ない、とまでは書かれていなかったが地球の中で語られるあらゆる神への価値観とこの世界における神の存在は全く違うものであり、この世界の神々は様々な加護を用いて積極的に人間たちの営みにかかわっており、その一つが“加護”である、と書かれてある。
千紗自身はまだ神の存在を実感するような出来事とであっていない、と思っているが、何度か神の立会いのもとの“契約”が交わされている場に居合わせた事がある。それを憶えていないだけだった。
まだ実感できていない千紗は、存在の実証がどうだとかはおいておいて、ひとまず信じて先を読み進める。
すると、レドルゴーグにおける人間の定義の話に飛ぶ。
籍の有無で人間かそうでないかが決まる、と断言されてあり、千紗は軽く震えた。この世界では人間が人間であるために資格がいるという。
基本的人権、という言葉がうたわれるようになって久しかった日本では考えられない価値観だ。しかも、これが一般的な認識になっているせいで、千紗はあんなめにあわされたのだ、とも考えられる。
とてもではないが受け入れられる内容ではない。認められる内容ではない。しかし少なくともこのレドルゴーグではこれが事実であるのだ。ここで千紗がどれだけ否定しても、何も有利にはならない。
言い知れない理不尽から来た動悸に胸を押さえていると、ランナが心配そうな顔をしていた。
「大丈夫かい? ひどい顔してるよ」
「え? あ、えっと……」
そこで千紗はランナの考えが気になった。ランナも千紗がまだ人間でない事を知っているはずだ。しかし今はちゃんと、人間として接してくれている。
ランナはこの人間の定義をどう思っているのか。
「あの、ランナさんは、私の事、どう思っていますか?」
「あん? 急にバカみたいな質問だね」
バカみたいな、と言われ千紗は軽くショックを受ける。ただこれはお互いの言葉の選びがまずかっただけだ。ランナは「漠然とした質問」を「バカみたいな質問」と言ってしまっただけで悪意はない、そんな事を思わせる千紗の質問の仕方も悪かった。
「んー、まあ、いまさら妹が一人増えても変わらないからね。リーナやロックの手がかからなくなってずいぶん経つし、普段暇してるあたしの仕事が増えて逆にありがたいよ」
「え。じゃあ迷惑じゃ、ないんですか?」
「バカだねえ」
そういってランナが笑う。
「もちろん迷惑さ」
「え゛っ」
「けどね、迷惑なんてのは誰だって誰かにかけてるもんだ。生きてる限りそうだ、なんて甘っちょろい事は言わないよ。死んだ後だってしばらくは誰かに迷惑をかけるもんなんだ。だったら生きてる奴の方がいくぶんかマシさね」
「え、えぇ?」
なぜ急に生き死にまで問題がとんだのだろう。千紗は軽く混乱した。
解きほぐすと、ランナが伝えたかったのは、自分とて誰かに迷惑をかけているのだから、自分にかけられる誰かからの迷惑を突っぱねるのはおかしな話であり、生きている限りは迷惑をかけた分の埋め合わせもできる。そして死んでしまえばただ跡に残された者たちに多少の迷惑をかけるだけで埋め合わせなどできないのだ、という事だった。
最も付き合いの長いリーナでさえおそらく今の台詞からランナが伝えたかった真意を汲み取る事はできなかっただろうから、まだ知り合ってから間もない千紗がこれを読み取るなど無理な話だ。
しかし言葉はともかく、まだ髪の生えそろわない頭をやさしくなでてくれるランナの表情はとてもやわらかく、慈愛にあふれている、と感じた。
「ありがとう、ございます」
真意の一割もわからなかったが、少なくともランナは千紗を人間として扱ってくれているし、これからもきっとそうだろう。そう思うと自然と礼が口から出た。
都市の制度は確かに大きな問題で、人間でない者は法律では守られない。人間でない自分を抱え続けるのはランナにとって、ディアル潜窟組合にとって大きな負担になる事も間違いない。
納得して、またテキストに戻る。
ジョージのテキストには、千紗がこの都市で人間になる方法もしっかりと書いてあった。
一つ目は新生児に適応される方法。二つ目は移民の受け付け。
一つ目ははじめから無理。二つ目はややこしい上に時間がかかりすぎるという理由で却下されている。そして三つ目が、潜窟者ギルドに所属する事。
人間でない千紗が人間になるために潜窟者ギルドに所属する。千紗が人間になりたい理由は、千紗自身のためでもあり、千紗を助けてくれる人たちへの負担を軽くするための物でもある。
そして、千紗を助けてくれる人たちは潜窟者ギルドを運営している。
まるで最初からすべて謀られていたかのような合致を感じたが、テキストにはまだ続きがあり、潜窟者ギルドに所属するという事でほぼ必ずモンスターとの戦闘がついてまわるというデメリットとリスクについてしっかりと言述されていた。そして、テキスト内にも書かれているこの一文。
『生きるために死ぬかもしれないというのも矛盾した話だと思うかもしれませんが、地球でも意外とこういった側面はありました。ここは一つ、スッパリと諦めましょう』
矛盾と感じるかもしれないが、と書かれてはいたが、千紗は一度モノとして扱われたせいで、生きるために死ぬかもしれないという感覚を、意外にすんなりと受け容れる事ができた。むしろ当然の事であるとまで思う。
ここから、千紗の納得は早かった。
先に述べられていた神々の存在とその加護の話が戻ってきて、“契約”をはじめとした、“ジョブ”や“スキル”といった神の奇跡をすべて有る物として考えて読み進めていく。
そこからジョブやスキルの種類に派生し、前衛、中衛、後衛などの、この世界に住む人々にとってはいまさら説明されるまでもないような事をさわりだけ学び、またジョージの個人的な感情がにじんだ数節の文に目をひかれる。
『ここまで読んで、雁澤さんはどんな職業に興味がわいたでしょうか。
今まで戦いなどとは縁の無かった日本人が、いきなり戦えと言われ、この中から好きな武器を、戦う手段を選べと言われてもきっと困るだけだったでしょう。だから今、この世界にある戦闘スタイルの大まかな区分を紹介しました。
一番最初に就ける“ジョブ”はその人の意思と好みに大きく影響を受けます。たぶん神様が本人の意思に沿うようにしてくれているからです。ですので今からでも、これなら自分に向いているんじゃないか、あるいは、これなら興味がある、という事を決めておいてください。
試してみてやっぱり向いてなかったかもと、別のジョブに就く事もできるのですから』
ジョージは、千紗に最大限の気を使っている。まだ千紗がこの世界そのものに戸惑っていると思っている。だから懇切丁寧に方法を提示し説明つつも、何度も何度も念を押すように「戦え」と言っている。
まだこの世界に来てしまった原因すらわかっていないし、来て直後から今に至るまでの経緯は最悪といってもよかった。
しかし、今この状況へ来られた出会いには感謝を禁じえない。
なぜ最初に出会ったのがジョージでなかったのか、という気持ちも無くはなかったが、今こうして助けられているのだし、千紗は今もちゃんと生きているのだから、贅沢は言いっこなしだろう。
ありがたいなあと思いつつ最後まで読み進める。
『雁澤さんの最終的な目標が、地球へ帰る方法なのか、それともこの世界に居場所を見つける事になるのかは、やっぱりまだわかりません。
けれどもどちらを選んだとしても、あるいは違う選択になるのだとしても、この世界ではわれわれ異世界人を守ってくれるような組織や団体というのはないでしょう。あったとしてもすごく胡散臭いです。
だとすれば自分の身は自分で守るしかありません。戦う力は、そして仲間がどうしても必要になるでしょう。
戦う事を恐れないでください。』
ここでテキストは終わっている。
応援してくれている事は間違いないのだろうが、千紗はここまで読んで、少し不安になってしまった。自分の未来に、ではない。
不安にかられた理由はわからない。とにかく、なぜか急にそう感じてしまった。
なぜだろう。読み返してみてもなぞは解けない。
ランナにも読んでもらおうとしたが、まだひらがなにも苦戦しているというのに、漢字混じりの文章など読めるはずがない。かといって、音読して聞かせてまで一緒にこの不安の正体を考えたいかというと、悩んでしまう。
「どうしたんだい、また難しい顔して」
「あ、いえ。えっと――そうだ、ここに、ギルドメンバーになると都市への納税の代わりに何かのノルマが課せられる、とあるんですが、いったいどんな事をすればいいんです?」
悩んでいたところで表情を読み取られ、つい関係ない話題にそらしてしまったが、そらした先にあった話題もそれなりに重要そうなものだった。
「ん? ノルマ? ああ、ギルドを維持するための契約の事かな」
「契約、なんですね」
神の立会いのもとの“契約”の加護は、ジョージのテキストの中にも何度となく出てきた言葉だ。
「んー、そいつに契約の事はちゃんと書かれてなかったのかい?」
「え? ええと、神様が人間にあたえた加護の一つだ、としか」
「まあそれも、間違いじゃないんだけどね」
ランナはたっぷり数秒ほど逡巡したあと、面倒くさそうに「聞きたいのか?」と千紗を見る。千紗はもちろん、期待した目で返す。
「契約っていってもいろいろさ。ギルド加入の契約、パーティー契約、取引契約、とかね。一番多いのがたぶん依頼契約だね。取引契約のひとつになるんだろうけど、なにかダンジョンで手に入るアイテムがほしい時に、それができそうなギルドに行ってこういう依頼をしたいですって、契約の申し込みって奴をすんのさ」
ランナはなぜかシワを寄せた眉間に自分の人差し指を突きつけながら険しい顔で説明を始めた。ここまで言って、またたっぷり数秒、黙って何かを考えている。千紗も律儀に、何も言わずに待つ。
「違う、そうじゃなくて、そう。
契約ってのはたいてい、人と人とが交わすものなんだけどね、新しくギルドを立ち上げる時だけは、人と神とが契約すんのさ。なんせ、ジョブの加護ってのは凄いモンだろう? ってまだ就いてないアンタに言うのもなんだね。んーと、とにかく凄いモノなのさ」
当然、まだギルドに加入してもいない千紗はジョブが凄いといわれても共感などできない。しかしジョージのテキストの中にもジョブやスキルの記述はあったため、理屈ではなんとなく理解できた。
「それがないとダンジョンに入ってモンスターなんか相手にできないくらい、凄いモノ、ですよね?」
「そうさ。そうそう。けどジョブに就くにはギルドに入らないといけないだろ?」
「はい」
「じゃあ、誰が最初にギルドを作ったんだ、って話になるのさ」
「……はい。確かに、不思議ですね」
だんだん説明の雲行きが怪しくなってきた。
「いや、まあ、本当の本当に最初にギルドを作った奴が誰かなんてのはどうでもいい話なんだけど、とにかく誰かがギルドを作らないと、ギルドってのは無いんだから」
「それで、神と契約する事でギルドを作るわけですね?」
「そうそう! そういう事さ。あんた頭いいね」
「いえ」
ほめられつつも千紗は微妙な笑みを浮かべた。
なるほど、ランナは人に何かを説明するという事が苦手なのかもしれない。
「で、その神様との契約の時に、お前らのギルドはどんくらいの間に、これだけの戦果をあげろ、とか、戦果は別にがんばらんでいいからどのぐらいの量のドロップアイテムを持ち帰れ、とか、そういうのを言いつけられるのさ。
しかもそれも、ギルド全体での戦果でよかったり、メンバー全員にひとりひとり別個の課題を与えられたりする」
「では、ディアルの場合は?」
「両方ある。けどこれもちょっと、説明が難しくてね」
ようやく難しい顔をやめて自分の眉間から指をはずしたが、こんどは両方の眉尻を下げて困った顔をしている。
「一つは簡単なんだ。このギルドホールを使い続ける事。もっというなら、建物の手入れをちゃんとする事だね。もしギルドの本拠地を別の場所に移すんなら、その時にも神にお申し立てをしなきゃなんない」
千紗は知らないが、以前にロックが鍛練場の手入れは自分の役目だと言っていたのはこれが理由である。
「もう一つは、一年間に一定量のモンスターを倒し生気を吸う事、なんだけどね」
ランナは寄り目気味に上を向いて手で不思議な動きをしている。
「あとどのくらいの量の生気を吸えばいいのかは、ギルドマスターにはわかるようになってんだ。けど、なんていうか、こう、口じゃ上手く説明できなくってね」
「感覚的なもの、って事ですか」
「そう、そうだねぇ。なんかしらないけど、わかるんだよ。こう、ね」
子供のように両手でモノの大きさを再現するようにしているランナ。妙齢の、しかも普段は気だるげで冷めた女性がそんな子供っぽい仕草をする。ギャップに少しおかしくなる。
「なるほど、なんとなくわかりました。ありがとうございます」
「いいよ。こういうのを説明すんのも本当はマスターの役目なんだろうさ。ただこういうのはリーナの方が上手くてねぇ。でもあの子はウチのギルドから抜けちゃったし、ロックもあたしに似ちゃって何かを説明するのは下手くそでねぇ。ジョージが上手いんだけど、あいつもまだこの世界の事はあんまりわかってないみたいだし」
そうだろうか、ともらったテキストを見ながら千紗は思う。しかし、テキストにも括弧書きでまだリサーチ不足な部分があるともあったし、結局のところこの世界にとってはジョージもまだゲスト的な部分が抜けきらないのだろう。ならば生まれた時からこの世界に居るランナたちとは比べるべくもない。
「でっ、では、あの、私がこのギルドに入るとしたら、どんなジョブが向いてると思いますか?」
「んん? ジョブかい? そうだねぇ。やってみりゃ誰だって大概の事はできるようになるもんだが……。それに後から変える奴も居るっていうしね」
ジョージのテキストから感じた言い知れない不安感も忘れ、千紗は少しずつディアル潜窟組合に所属する事に前向きになっていた。
ジョブチェンジは可能であるという。
ひょっとすると十分に力をつけたあとは、ギルドを脱退して戦わない職に就く事もできるのかもしれない。
そこに至るまでにはやはり、戦う力は必要で、それを得るためには、ディアルに入る事が最も確実かつ最短の道なのだろう、そう納得したのだ。




