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019-世界とか異世界とか -1-

 千紗がディアルに来てから四日たち、ランナの読みどおり千紗は劇的に変化し健康的な体形を取り戻した。


 ただし、西暦二○一四年の日本ならば十三歳相応の体つきであるが、一九九四年の日本からするとまだまだ非常に細身であり、当然その価値観で自分を見ている千紗にしてみれば非常に頼りない体つきである。本当にこの体で運動などできるのかとまで疑っているようだった。


「そういうわけで、今日から鍛練場での訓練には雁澤さんが合流する。同時に俺がこの場に居る間は雁澤さんがつけた翻訳機は両方ともオフになるから、みんななるべくゆっくりの口調で喋ってやってくれ」

「「「はーい」」」


 ディアル潜窟組合の鍛練場の日常は、すっかり青空学級のようになっていた。なにせ、モンドが学ぶ魔法の基礎もここで教えている。ちなみにモンドが使っている筆記具も紙とボールペンだ。


「じゃ、雁澤さんからも改めて自己紹介を」

「きょうから、よろしく、おねがいします。チサ・カリサワです」


 まだ片言気味にしか喋れないが、聞きとりはよほど早口でなければ多少込み入った話でも不自由なく行えるようになっている。


「「「おーー」」」


 見た目の変化もさることながら、しっかりと言葉を喋れるようになっている千紗を見て弟子たち以下八名は男女の差もなくまったく同じ反応をした。この四日の間に、彼らも打ち解けている証拠だった。


「じゃ、素振りから、はじめ!」


 毎朝の訓練は鍛錬場での基礎訓練から始まる。


 ロックとアラシ、それに剣奴のヒュールゲンと奴隷(剣士)のスドウドゥは剣を振る。どちらも剣道における面とまったく同じ動きだが、正眼に構え振り下ろすという動作は他の全ての動きに通じているというのがジョージの持論だ。ただ、これら朝の訓練はダンジョンに潜る前のウォームアップが目的なので、それほど根を詰めてはやらない。多くても五十回程度だ。


 奴隷(鞭使い)のカルサネッタも鞭の素振りだが、鞭の間合いの前方四十五度ほどの四半円上に直径五センチメートルほどの的が十個用意され、右から順に打って一つでも外せばやり直し、順に打てたならば今度は左から順に打ってまた一つでも外せばやり直し、という反復練習を延々とやる。これを交互に二セットずつ行えるまで続けられる。回数などは違うがこれはランナもやった訓練内容だと聞いてカルサネッタは意気込んでやっていた。


 奴隷(荷物持ち)のトゥトゥルノは投石の練習である。的を狙うという点ではカルサネッタと似通っているが、トゥトゥルノの狙う的は一つだけで距離が遠く、常に背負子を背負いそこそこの重荷を載せながら手ごろな石を拾い、投げ、なくなると的まで自分で取りに行き、背負子にプラスしてから所定の位置に戻り、また投石の練習に励む。決められた時間や回数は無く、剣士組みが全員終わるまで続く。同じ訓練を行う仲間もおらず、本人が訓練そのものに意味を感じていないため、地味に一番辛い訓練はトゥトゥルノであるかもしれないが、じつは実戦でもっとも効果的な支援を行えているのもトゥトゥルノである。


 モンドは仲間たちのそんな鍛練の声を聞きながら勉学に励む。掛け声は当たり前だが一定ではないため、まったく予想できないタイミングで予想できない大きさの声が予想できないトーンで出される事がある。そんな時でも集中を乱さずに勉強し続ける事がモンドに課せられた訓練である。


 そして見習いヒーラーのアルマは、誰かけが人が出るまで訓練場の壁の内側を延々とランニングしながら待つだけ、という持久力と忍耐力を鍛える訓練をしていた。


 千紗は、訓練参加初日という事もありもっとも基礎の訓練であるランニングに参加した。


 始めはアルマに並んで走っていたが、心を閉ざすほど長い間食事も与えられずに放置され、再び食事を摂りはじめたのがつい四日前、さらに昨日までほとんどベッドから出ずに生活していた千紗に、元がスラム育ちで最近までしょっちゅう住処を移動して生活していたアルマについていける程の体力があるわけがない。


 鍛練場の内周をかろうじて二周したところでその場にへたりこんだ。


 しかし病み上がりの千紗が相手であっても、ジョージは容赦しなかった。


「ほれほれ、なにバカやってる。自分のペースで走んねぇからだ。立て、立って歩くみたいなペースでもいいから走れ」


 首根っこを捕まえて立たせると軽くだが尻を蹴った。


 まさか病み上がりの人間にまで容赦がないのか、と鍛練場にいた者たちは唖然とする。ちなみにランナは相変わらず受付にいるのでこの場にはいない。


 千紗ももっと優しくしてもらえるものだとばかり思い込んでいたので、あまりの厳しさに軽く裏切られたような気持ちになってしまった。


「なんて顔してんだ。ダンジョンの中のモンスターどころか、おまえを捕まえてモノ扱いした連中だって容赦なんかしてくれなかっただろうが。ここで腰を蹴り砕かれなかっただけ優しいと思え。

 お前らもこっちばっか見てないで自分のメニューに集中しろ!」


 厳しい一喝が全方位に向けて飛ばされた。


「は、はい!」


 慌てて自分たちの訓練内容に戻ったギルドメンバーたち。千紗もグッと歯を食いしばりながら先ほどよりもだいぶ遅いペースでのろのろと走り始める。


 千紗はジョージの態度の豹変に驚いてはいたものの、あれだけ酷い目に合わされていながら未だに自分の中に甘えが残っていた事に気づかされ相当なショックを受けていた。


 ジョージを恨むのはあまりに筋違いだとわかっているのだが、憎悪とまではいかなくとも敵意のような物が腹の底から湧き出てしまう。


 そんな、千紗に芽生え始めた反骨精神を見て、ジョージは逆に安心する。このまま言いなりに訓練を続けるほうが危うい。千紗はあくまで、彼女自身の意思で今後を決めなければならないのだから、ジョージの言うとおりにすれば全て上手く行く、などという考えを持った方が危険である。


 また、ジョージと千紗のやり取りを見ていたギルドメンバーたちも、容赦ないジョージに軽い反感を覚えつつも、その半面で安心している部分があった。


 同郷の者だからといってジョージが千紗をひいきするような事があればどうしよう、という不安が少なからずあったのだ。少なくとも訓練し指導する場においては平等に接する人間だとわかり、ギルドメンバーたちのジョージへの信頼度は密かに上がっていた。


 こんな調子で午前中のウォームアップが終わるとジョージは千紗以外のメンバーを引き連れてダンジョンへ潜っていく。


「ふむ。けっこうしごかれたみたいだね」


 訓練を終えて、ダンジョンへいったほかのメンバーたちを見送った千紗がダウンしていると、エントランスから引っ込んできたランナに顔を覗き込まれた。


「これ飲んで寝てな。午後からはいつもどおり、ドリルってやつ、やるからね」


 コップにいれられた怪しげな緑色の飲み物を押し付けられる。抹茶よりも濃い緑色で、ややドロリとしているが、匂いは意外に良い。千紗は思い切って渡されたコップをあおった。一瞬、クセの強い草の臭みが鼻を突いたが、スッと抜けるとミントのような爽やかさが頭いっぱいに広がる。


「疲れが取れるだろう。でも取れたきがするだけだからね。じき眠くなる。さあ、着替えてさっさと寝ちまいな」


 ランナはさりげなく土やら汗やらがついた服を着替えるよう注意すると、空になったコップを千紗の手から奪い取ってまたさっさとエントランスの方へ戻っていってしまった。さすがのランナも自分のベッドを鍛練場の土で汚されるのは嫌であるらしい。


 千紗は言われたとおり、鍛練場に来る前にあらかじめ用意しておいた服に着替えると、そのままベッドに倒れこむ。


 結局十周ほど走らされてしまった。


 鍛練場の内周は一周でおよそ一○○メートルほど、大した長さではない。それでもやはり病み上がりの、それどころかこの世界に来る前はそれほど運動が得意でなかった千紗には辛かった。


 疲労のあまりに急速にまどろみに落ちていく千紗は、そのまどろみの中でなんとなく、本当に何の根拠もないなんとなくの感情だが、ここなら上手くやっていけるのではないか、そんな気がしていた。



 目が覚めると今度は大陸公用語の勉強だ。


 といっても日本語でいうひらがな、あるいはカタカナのみの五十音と数字しかない大陸公用語は極々一部の場合で使われる特殊な文字以外は全て覚えてしまったので、あとは忘れないように紙への書き取りで反復練習するだけだ。


 一方で、一緒に勉強しているランナは日本語の複雑さに苦戦していた。


「まったく面倒な言語だね。なんで同じ音なのに何種類も文字があるのさ」


 特に苦戦しているのがひらがなである。基本的に○や△、×や□などの単純な記号の組み合わせでできている公用語を言語の基礎とすると、ひらがなのような曲線が複数組み合わさったような文字ですら書き辛いらしい。したがって比較的角ばった形をしているカタカナは半分ほど読めるようになっている。


 さらにその後、漢字という難関が待ち受けるのだが、ジョージも千紗も地球上に存在した全ての漢字を網羅しているわけではないので、教えられるのはせいぜいで自分の名前の文字や漢数字くらいだろうか。


 本来の日本で多用される文字にはさらに、アラビア数字、ローマ数字、アルファベットまで存在すると知れば、ランナはどんな顔をするだろうか。もっとも、生粋の日本人でもこれらを全て適切に扱える者は少ないとされているが。


「んーと、助詞として使う文字は、基本的にひらがなです。けど日本語は、同じ音でも違う意味になってしまう言葉が多かったので、外国から来た言葉や、言葉ではない、物音を表す時にはカタカナを使っていました」

「ああ……いちおう住み分けはあったわけだね。でも、同音異義語が多いなんて、言葉として不出来なんじゃないかい?」

「それは、そうかもですけど、完璧な言葉なんて、ないんじゃないかな、です」

「まあそう言われたらそうだけどね……」


 こんな会話を行えるほど、千紗はだいぶ複雑な単語も扱えるようになっていた。


「じゃ、私は次のに入りますね」


 今日の分の書き取りを終え、今日からはいよいよこの世界そのものの概要の学習に入る。


 これもジョージがテキストを起こしたもので、公用語五十音ドリルと違ってそこそこの枚数がある。


「えっと……まずは、この世界には魔法があります……?」


 冒頭を読み上げ、そんな事いまさら言われてもと千紗は思った。

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