018-異世界人 -1-
ダンダロス家武装蜂起騒動に、当主が奴隷刑に処されるという形で決着がついてから四日経った。
同日にワケアリの新人を六人も迎えているディアル潜窟組合は、しかし順調に新人教育を進めていた。
伯父の本当の心を知って一時は沈んでいたカルサネッタも、塞ぎ込む事が許されたのは初日のみ。二日目からは休む間もない訓練へ“契約”によって強制参加させられたが、逆にそれがよかったのだろう、少なくとも表面上は立ち直っている。
昨日は追い討ちをかけるように伯父がストルトン家当主の手によって都市議会に突き出されたという報せが入ったが、勤めて考えないようにしたのか、あるいは彼女の中ではなんとか区切りをつけられたのか、どちらにしても大きな動揺は見せなかった。
「あれだけ派手に動いたんだから、監視のひとつでもつくと思ってたんだが、そんな事もなかったなぁ」
「監視、ッスか?」
「ああ。いくら仮面とマントで素顔見えなかったからって、真っ黒マントなんて逆に目立つ特徴で俺にたどり着けないわけがないだろ。それに正式に手配されてもいないのにストルトン家がヒルなんとかを探してると知ってたり、居場所を見つけられた理由だってカルサネッタはじめヒルなんとかから援助を受けてた連中を抱え込んでるうちなら色々情報を聞き出せた可能性も高くなるわけだからな。実際そうやって特定したし。色んな筋からディアルにたどり着くと思ったんだが」
少し前の都市警察といい、レドルゴーグにある組織の平均的な調査・捜査能力はジョージからすると非常に低いようだ。あるいは、直接監視をしなくてもこちらの様子を探れるような手段があるのかもしれないが。
「まあいい、全員、今回の反省点はわかるか?」
ディアルを観察する目が増えない事への意外さはひとまずおいて、ジョージは新人たちに向き直った。
ギルドホールの鍛練場、もう四日も同じ訓練内容だが、新人たちは全員とも憔悴しきった顔で四人ほど帰ってきたとたんにその場に崩れ落ち、かろうじて立っている二人も肩で息をしてげっそりとやつれている。
今日の訓練内容は西区二十五階へ行って帰ってくる事。現在のロックとアラシだけならば、いきなり日帰り限界線に挑戦しても問題なかったが、新人たちにはホワイトウルフとビッグビートル、強化されたビッグビートルを相手にするくらいが実力的に限界だった。
「……そんなに厳しかったかなぁ」
「いやあ、オイラの時はもっと厳しかったッスからねぇ」
「……いや、まあ。ギルドに入って一週間経っていないような連中にこなさせるような内容ではなかった気はするが」
兄弟子二人はこの程度は慣れきったもので、平気な顔をして、むしろまだ余力を残していた。
彼らに科した訓練内容は、言ってみればロックとアラシを連れておこなってきた事のおさらいである。
駆け足でダンジョンをめぐり、異形のモンスターをばったばったと薙ぎ倒し煙に変え、ドロップアイテムが残ってあれば拾って確保する。言ってみればそれだけの事。
しかし文字通りの事を誰でも簡単にこなせるのはジェリウム系やゼリーフィッシュ系のモンスターを相手にした時だけである。本来ならばジェリウムが現れる階のすぐ下にいるオークやゴブリンとて、命を落とす危険性のある相手だ。
ではヒュールゲンたちもジェリウムくらいしか相手にしてこなかったのかと言えば、さすがにそこまで貧弱ではなかったのだが、どのモンスターでも相手できるわけではなかった。
モンスターを倒して得られる生気による肉体の強化はギルドカードを持っていなくても効果があるとされているため、ヒュールゲンたちもその効果を狙い暇を作ってはディープギアに潜っていた。しかしそれも、十階までである。
六階から十階までに出現するオークは体格が人間とほぼ同じであり、膂力は生気を浴びた事のない一般的な成人男性よりも少し強く、熟練した潜窟者には及ばないという程度だ。そのためオークは屈強な男を相手にする時の練習とするにはちょうどいい相手だった。
区画違いで同階層に出現するもう一種のモンスター、ゴブリン種は小柄ながらもだいたいの場合は複数で襲ってくる。さらに時々上位種が現れ指揮をとるため、こちらは集団戦のいい訓練になる。
そういうわけもあって、ヒュールゲンたちは人間と戦う時の練習相手として使え、倒せば生気を吸った分強くなる、そんな相手までしか相手にした事がなかった。
好奇心に駆られ一度か二度くらいは降りた事があったが、相手は急に毒をもった蛇や蛙へと変わる。獣という人型とはまるで勝手の違う相手への恐怖心と、毒を負うリスクに対してのリターンを計算すると、すぐ十一階より下には降りなくなった。
ところが一度ディアルに入ってしまえば、そんな事情など考慮されるわけもなく、そもそも強盗以外の仕事をやるための訓練なのだから、容赦なく進められる。
さも簡単そうに蛇を掴んでは投げつけられ、油断すれば咬まれて吐き気や痺れを催させる毒にかかる。致死性がない事は大きな救いだが、だからこそ余計に容赦が無い。
大小様々な歯車や軸がビッシリと並んだディープギアの床、壁、天井は、素人目にはどこがどう動いていつ開くかなどまるで見当もつけられず、そんな場所から唐突に沸いて出る毒蛇に対応できるのは、ジョージと、その行動にすっかりなれてしまった兄弟子たちだけである。
いつ蛇が来るのかと一瞬たりとも気を抜けなかったヒュールゲン以下六名はガチガチに体を緊張させながら先導する師と兄弟子についていき、時々負傷し、治療されを繰り返しながら、十六階まで降りられた時には、もうすでに疲労困憊だった。
しかしほんの数分の休みも与えられず、彼らにとっては今まで見た事もなかったような大きな犬、いや狼に襲撃される。
このホワイトウルフと取っ組み合って相撲の真似事などして戯れられるのはジョージだけ。さすがにここからは兄弟子二人もマネできない。
精神的にはいつ降ってきて誰へと投げつけられるかわからない毒蛇よりも、明確に現れる前兆がある狼の方が楽ではあった。しかし体力的には、たった一頭であっても人間大の狼を相手にする方がやはりつらい。六人の中ではもっともモンスターを倒した数が多いヒュールゲンだけはなんとかなるかもしれないが、それ以外の全員は腕にでも噛み付かれようものなら一瞬で骨ごと食い千切られてもおかしくない。という事は頭や首にでも噛み付かれれば間違いなく致命傷だ。
非力な仲間を、そして自分の身を守らなければならない前衛。前衛が重症を負う前に魔法や飛び道具でけん制し狼の足を止め攻撃する隙を作らなければならない後衛。どちらの動きの邪魔もしないように周囲をよく見て適時立ち位置を変えなければならない補助と遊撃。単独で狼を倒すだけの力量を持つ者が一人も居なかったため、この連携を固めるまで、ヒュールゲンたちは苦戦に苦戦を強いられた。
しかもその横で師と兄弟子たちはそれぞれたった一人でさも簡単そうにホワイトウルフをただの煙に変えてゆくのだから、募るものには焦りだけでなく苛立ちも加わった。
そうしてヒュールゲンたちの力だけでホワイトウルフを十頭も倒したところで、ようやくジョージが声をかける。
「よし、こんなもんか」
この声が出たとき、彼らは帰れるのだと思った。しかしとんでもない。ジョージは次の階へ進んだのだ。
そして現れるビッグビートル。まずカルサネッタがその虫虫しい見た目に拒絶反応を起こし、半狂乱になってがむしゃらに鞭を振った。
鞭は人間が腕を振るうだけで扱える器具の中で唯一音速を超えられる武器だといわれているが、カルサネッタの腕はまだその領域には及んでおらず、鞭の先端がトップスピードで直撃してもビッグビートルの甲殻には大したダメージを与えられない。
ところがここで機転を利かせたヒュールゲンが半狂乱のカルサネッタを囮のようにしてビッグビートルの背後に回り、左右の硬い前翅の中間、背中から腹部のど真ん中に剣を突き込み一撃でしとめるという技を見せた。
これには師匠も兄弟子二人も驚いたが、一番驚いたのは本人だったようだ。
剣奴のジョブも就いた時点でソードマスタリーのパッシブスキルを習得できる。ここでヒュールゲンはジョブの加護を得るという事の大きさを実感し、そこから明確にスキルを意識して動くようになると、明らかに立ち回りが変化した。
ところがこれが、固まり始めていた元強盗団の六人の足並みを乱す事になった。
ヒュールゲンの成長に他の五名、特に共に前衛をやっていたスドウドゥと、遊撃の要になりつつあったカルサネッタがついていけなくなってしまったのだ。そこに更に、簡単な火炎魔法を使えるようになった事で後衛から援護とけん制を担当していたモンドの魔力切れが追い討ちをかけた。
あわや総崩れとなりかけたところでさすがに師匠と兄弟子たちフォローして事なきを得たものの、六人はこの時点で心身ともに疲弊しきった。
「仕方ない、ここで帰るか」
ようやく出た帰還の合図は彼らにとって神の救いにも等しかったが、ここで甘やかすジョージではない。帰り道でもしっかり毒蛇を投げつけられた彼らは、帰り道でも気の休まる暇を与えられず、ダンジョンの出入り口からギルドホールまではランニングを強要され、そうして今は地面にへばりついているというわけだ。
同じような事を四日も繰り返し、モンスターを倒し、生気を浴びて強化されている筈なのだが、まだまだ体力が追いつかず、反省点など訊かれても喋るだけの力すら回復できていなかった。
「まったく、なんの加護も付与されてないとはいえ装備そのものはかなりいい物を貸してやってんだぞ。ヒュールゲン以外は装備に頼る事すらできんのか。仕方ないからお前らも座って休んでろ」
一番体力のあったヒュールゲンと、意外なガッツを見せていたアルマも、許しを得てようやくその場にへたりこんだ。
「じゃあ頃合を見て反省会だな。ロックとアラシはそれまで今回の内容を忘れない程度に試合しとけ」
「了解ッス!」
「わかった」
蛇投げの嫌がらせはロックとアラシにも平等に降り注いでいた。それを見ていた六人は、まだ戦うだけの体力も気力も残っているのかと兄弟子たちに感心するやら呆れるやらで、余計に疲れをつのらせる。
だはぁ と妙なため息が集中したころ、ギルドホール入り口の方からギルドマスターの声がする。
「おーいジョージ、お客さんだよー」
「おお? 誰だー?」
実家の玄関と居間をへだてて姉と弟がするような大声でのやりとり。ランナからの返事の代わりに現れたのは、ここ最近よく見る揃いの鎧と揃いの顔ぶれだった。
「どうも、たびたびすみません」
「アッパル少尉。いや、謝られるような事はない……とは思うんだが」
謝られるという事はきっとまた面倒ごとなのだろうな、そう思いながら、ジョージは気苦労の絶えなさそうな目の前の警官に苦笑を返したのだった。




