「姐ご」 1~3
「姐ご」 (1)それぞれの生い立ち
まずは主な登場人物を紹介します。
男は屋根職人で、通称、「瓦屋」と呼ばれています。
高校時代から、やんちゃばかりをする元気者でした。
仕事の腕は良く、根は真面目ですが、義理人情にすこぶる篤く、
一度筋をたがえると親子でも縁を切るほどの熱血漢です。
自分から喧嘩などは一切売りませんが、売られたケンカなら買う性質です。
ゆえに生傷が常に絶えません。
女は、とても華奢で無口です。
世に言う、きわめて「別嬪さん」のひとりです。
高校を卒業してすぐに、市内の本屋さんの「店員さん」として普通に就職をしました。
二十歳を過ぎたころに請われて所帯をもち、いつの間にか
人に知られるまえに離婚をして、そのまま3年ほど流離してから、
ふらりと生まれ育った片田舎へ舞い戻ってきました。
女のほうが2つほど年上でした。
同じ田舎に住みながらも、二人は偶然に出会ったこの日まで、
ただの一度も顔を合わせたことはありません。
瓦屋の友人のひとりに、競馬場で働く装蹄師がいます。
生まれは長野県ですが、親子二代にわたる筋金入りの「蹄鉄」師です。
瓦屋とは呑み友達で、賭けゴルフが大好きで、
お互いに金をかけては交互に「カモ」にし合っている間柄です。
こちらはご婦人にはめっぽう手が早く、口説き落とすのも早いが捨てるのも
また早いという、まことに困った遊び人です。
もうひとりは、調教師の「新」ちゃんです。
このメンバーなかでは、比較的温厚派タイプといえる呑んベェです。
常識はあるのですが、呑みすぎる傾向が強く、いつもへべれけの状態です。
ゆえに、本編に登場する機会はめったにありません・・・
この「新」ちゃんの厩舎に所属している騎手のひとりに、工藤と言う男がいます。
工藤に、「ご」をつけて「ごくどう」などとも呼ばれていますが、
決してそういった世界の人間ではありません。
いかつい見た目とは裏腹に、妙に涙もろいところがあり、人情ドラマなどを見ては、
他愛も無く、何時もぼろぼろと涙をこぼしています。
さらにここで働く厩務員で「オギ」さんという、
伝説の調教名人がいます。
過去に何度も、地方の重賞レースに勝った馬を育て上げています。
根っからの呑ん兵衛なのですが、いつのまにか通い詰めていたスナックのママさんを
嫁にしたという、調教名人でもあるのです。
以上が本編の主な登場人物たちです。
そして舞台は、地方競馬の境町トレセン(トレニ―ング・センター)
からはじまります。
群馬県・高崎競馬場のトレセンこと、境町トレーニングセンターは、
主要県道に面していて、その正面ゲートを入ると左手には,
鉄筋づくりの3階建ての宿舎が、順に4棟ほど並んでいます。
競馬場にかかわる人たちの宿舎で、
おおむね100世帯ほどがここで暮らしています。
そこを過ぎると舗装路が終わります。
競走馬たちが足を痛めるために、舗装道路はここまでで
広大なトレーニングセンターの全敷地は、すべてむきだしの大地にかわります。
右手に一周1000mのダートの馬場があり、
それを取り囲むように、平屋造りの厩舎が立ち並らびます。
ここには、およそ800頭の競走馬と、それにかかわる人たちが
未明の時間から共に生活をしているのです。
その日は雨でした。
仕事休みの瓦屋が、装蹄師を迎えにいくために、
濡れた道を、奥の厩舎に向かって車を走らせていた時のことでした。
前方で黒いベンツが道をふさいで停まっていました。
それも通路のど真ん中、まさにこれみよがしの中央に停まっています。
ひろく作られている道路なので、左右には充分に余裕が有り、
すり抜ける程度なら容易にできたのですが、雨のために、
いつになくぬかるんだ様子を見た瓦屋が
軽く舌打ちをしました。
車間を詰めました。
ぴったりとベンツの後ろに着けてから、勢いよくクラクションを鳴らします。
しかし、まったく反応は有りません
車を降りた瓦屋がベンツに詰め寄り、おもむろに右足をもちあげると
思い切り、ドアを蹴りおろそうと身構えました。
その瞬間です。
黒服の男たちが厩舎から一斉に飛び出してきました。
「上等だぜ、この野郎・・・」
霧雨の中、力をこめて、瓦屋が両のこぶしを握り締めます。
「まて、まて」黒服の男たちをかき分けて、
かっぷくのいい初老の男と、
その後ろからは、傘をさしかけるサングラスの若い女が現れました。
「まてまて、非はこちらにある。
申し訳ない、
雨の中のことなので、ついついこちらが我がままをした。
ずいぶんと、ご迷惑をおかけいたしました。
後ほどに、罪滅ぼしがわりに、
ぜひ、此処までお越しください。
詫びは、充分にいたします」
そういいながら、瓦屋の手元に一枚の名刺を差し出します。
「おめえらも、失礼なまねをするんじゃねぇ。
相手は堅気さんだ、
まったく、
どいつも、こいつもしょうがねぇ。
じゃぁ、
すまねぇなお客人」
おい行くぞ、と男が後部座席に乗り込みます。
濡れた屋根越しに女がサングラスを外し、にこりと笑ってこちらを見ました。
身震いするほどの良い女です・・・
手元に残された名刺には、スナックの名前が印刷をされています。
なりゆきを見守っていた蹄鉄屋が、青い顔で駆け寄ってきました。
「大丈夫かよ、おい。相手は総長だぜ・・」
(2)につづく
「姐ご」(2) 再会は突然に
瓦屋さんの最大の楽しみは「賭けマージャン」です。
それも、ひと勝負に10万円を上限でかけるという過激な勝負が大好きなのです。
テーブルの上に現金を置き、一着が総取りをする特別なルールでした。
決着までの時間も早く、あっというまに勝敗が決まります。
顔ぶれは、実に多彩です。
医師や弁護士、校長先生をはじめ、
民間企業の社長さんや部長クラスの公務員たち、さらに御多分にもれず、やくざ屋さん。
金に糸目をつけない人たちが、夜な夜な、テーブルを囲みます。
たかがいっかいの瓦屋職人が大金を自由にできるには、実は裏が有りました。
実家は、先祖代々の大地主です。
数軒の貸し店舗と、貸した地代だけでも充分な収入になりました。
それにくわえて、当選したばかりの新市長を長年にわたってささえてきた
地元の有力土建業者と親交があったために、思わぬ仕事まで舞込むようになりました。
つぎつぎと、大型公共事業の屋根工事を受注し続けます。
ほとんどの仕事を下請けに任せては、しこたまその上前をはねています。
こうして溢れた金を、夜毎にわたって、
女とゴルフと賭けマージャンに注ぎこんでいるのです。
対面にやくざ屋さんが座りました。
瓦屋さんには絶好の配碑があり、願ってもないチャンスが回ってきました。
一発逆転の大チャンスがやってきました、・・・それを旨く引き当てしまいます。
「よっしゃあっ、一発大逆転のツモだ!
やっぱり、最後に、正義は勝つと相場が決まっている。
常に正義は、勝つ!!」
正面に座ったやくざ屋さんが、がっくりと肩を落とします。
「瓦屋よ~、
俺は、悪だから上がれねえのかな・・・」
「あたりまえだのクラッカー、その通りだ!。
あたりき、しゃりき、車ひきだ~。
悪は最後に滅びる。
どうだ、
正義は最後に、必ずに勝つ!」
後方に控えていたやくざ屋さんの若い衆が、血相を変えて一斉に立ち上がりました。
・・・やくざ屋さん、煙草をふかしながら後ろを振り返ります。
若い衆たちには、これ以上はないというほどの厳しい目線を送ります。
渋々と座り直す若い衆を見届けてから・・・
「今日は、もう少し粘ってみるか・・・・
おい、瓦屋。
この先の和というスナックで先に行って飲んでてくれ。
なぁに、俺のおごりだよ、
気にしないでじゃんじゃんやっててくれ。
悪いあ~若い者が気を利かせず、空気までピリピリさせちまって。
せめてもの、おとしまえだ」
気配を察した瓦屋が潮時だと読んで、いわれた通りに退席をしました。
表に出て、「和」と言われたそのスナックの看板を探します。
どこかで聞いた覚えがあるのですが、
思い出せないままに歩いていると、ほどなくその看板が見つかりました。
ドアを開けてみると、外見よりも広く、小洒落た感じの落ち着いた店内です。
ソファーにいた女の子たちが一斉に笑顔で迎えてくれました。
「不良の店にしては・・・。
ごく当たり前の雰囲気だな」
いらっしゃいませの声とともに、
カウンターの奥から着物姿の若い女性が出てきました。
どこかで見た覚えがあります・・・・
「姐さん、若そうだが歳はいくつだ?」
「藪から棒に失礼な口のききかたですね、あんたって人は。
若そうに見える年齢ではなく、
実は、本当に若いのよ」
「そうだろう、
俺もそう思っていたところだ。
ところで見たような顔だ、で、どこだ会ったのは?」
女が鼻で笑ってから、懐からサングラスを取り出しました。
カウンターから身を乗り出して、瓦屋さんの目の前でそれをかざして見せます。
「元気なお兄さん、
これに見覚えは、ござんせんかぁ」
あっと、瓦屋が絶句します。
追い打ちをかけるようにして、姐さんが一気におし込みます。
「総長に、さんざん絡んだんだそうですねぇ。
若いもんが、カンカンになって私のところへ電話をしてきました。
総長が機転を利かせたからいいようなものの、
あんたも、相当な命しらずだわねぇ~、
この間といい、今日といい、
いくつ命が有っても足らないよ、そんなことじゃぁ」
「分かったよ、
いいから呑ませてくれ、
じじいが勝手に呑んで待っていろっていうから来ただけのことだ。
いやなら、帰るぜ!」
「野暮は、いいっこなし。」
ドン!とボトルが置かれ、あっという間に酒の準備ができました。
いつの間にか、姐さんもグラスを右手に持っています。
「おっ、姐さんも呑める口かい、嬉しいねぇ」
「おあいにくさま、お水だよ。
人を酔わせるのが、私の趣味さ
面白いお兄さんとの再会を祝して、さァ、とりあえずの乾杯だ!」
(3)につづく
「姐ご」(3) 蹄鉄
一般社会と隔絶して存在する地方競馬のトレーニング・センターには、
実に多様な人種が集まってきます。
競走馬の身辺には、調教師、厩務員、騎手、獣医などが群がり、
さらにその人種の回りと競馬場には、馬主や予想屋、
新聞記者などが入り乱れます。
蹄に蹄鉄を打つ、装蹄師は、
競馬界のなかでも、最も日の当らない特殊な仕事のひとつです。
良く言えば縁の下の力持ちであり、文字通り競走馬を
足元から支えるために、不可欠な職種です。
競走馬に限らず、馬の爪(蹄)の成長は早く、
ひと月で10ミリほど伸び、それは一年で生え換わります。
平均400~500㎏もある馬体を支えて、
高速で疾走してもびくともしない蹄ですが、アルカリにはごく弱く、
病気のもとにもなるために、蹄の管理には大変な神経を使います。
伸びた爪を削蹄して蹄鉄を打ち変えるのが装蹄師の仕事です。
普通約20日おきに削蹄して、蹄鉄を打ちかえます
それもただ打ちかえるだけではありません。
その馬の特徴や脚の力、歩き方(身体のよじれや傾き)までも見抜いて
それぞれの馬に、オーダーメイドでつくります。
競走馬に関しては、獣医以上に、
蹄の構造や機能などについての、深い知識を蓄えています
レースに使用する蹄鉄の重量は、120グラム以下という規定のために、
かつては鉄製の調教用とは別に、「勝負鉄」と呼ぶ
競走用の二ュ―ム鉄などに打ちかえていました。
「あのころは儲かった!
レースの度に、はきかえるんだぜ。
出走が多い日には、オヤジと二人でてんてこ舞いだった。
しかも、その都度、現金での収入だ。
笑いが止まらないくらい儲かったもんだ」
瓦屋の背後から声がかかってきました。
「俺の仕事は、もうすっかり片付いた。」
缶ビールを片手に、メインスタンドに座る瓦屋の背後に装蹄師が現れました。
「いいのかよ、
競馬関係者がこんなところに顔をだしても」
「かまうものか。
どのみち高崎競馬も、今日でおしまいだ。
あれだけ存続騒ぎで大騒ぎしたのに、
結局、県知事さんの「廃止」の一声で決着だ。
鶴の一声でおしまいだ」
「そんなことよりも、
おい、雪が降ってきたぜ、
積もりそうだな、この勢いじゃあ。
大丈夫かな、
最終レースの高崎大賞典まで、持つかな・・・」
2004年12月31日、
この日かぎりで廃止が決まった群馬県・高崎競馬場での、
正午を過ぎたばかりの、メインスタンドでの会話です。
小雪が舞いはじめた中、第8競走を控えたパドックでは、高崎競馬の紅一点、
赤見千尋騎手に、詰めかけたたくさんのファンが声をからして
最後のエールを送っています。
ファースト・ル―チェに騎乗した赤見騎手も、
手を振りながらにこやかな笑顔でその声援にこたえています。
雪がやむ気配はまったくありません
見る間に場内が白一色に変わりはじめます。
やがて、第8競争が始まりました。
少し出遅れ気味の赤見騎手が、最後尾から中団へと追いあげていきます。
1周目のスタンド前を駆け抜けて、2コーナーから向こう正面にかかるころには、
先頭から2~3馬身の好位置で、手綱をさばいています。
「赤見がいきそうだな・・良い花向けになる」
装蹄師がつぶやいた通り、
ゴール板の前を、赤見騎手が一着で駆け抜けました。
もうこの時間帯になると、雪はさらに激しさを増し、
場内では、向こう正面が見えないほど視界が悪くなってきました
悪い事にさらに激しさを増しながら、強い風まで吹き荒れてきました。
ついに、緊張の糸が切れたようです・・・
再び馬にまたがって、勝利の口取り写真を撮るために
ファンの前に現れた赤見騎手の両目からは、すでに大粒の涙が
とめどなくこぼれはじめていました。
ねぎらうファンの声と拍手が、
赤見騎手の涙の粒をさらに大きくさせていきました。
そして、この直後、第9競争以降の中止が場内に告げられました。
そのアナウンスが場内に繰り返し何度も響く中・・・
高崎競馬の、最後の勝者となった赤見千尋騎手の目からは、
一層の涙があふれ出ていました。
「ついに、終わったな・・・
野郎ども、どうして、なかなか粋に計らうもんだ。
女に勝たせてやるとは見上げたもんだ。
無理やりにでも行けたものを、赤見に道を譲りやがった。
赤見騎手にも、いい思い出になるだろう。
よかったなぁ赤見。
高崎で頑張ってきた甲斐があって、
おめえさんが、高崎競馬の勝ち馬の締めくくりだ。
まさに最後に、良い花を咲かせたもんだ。」
瓦屋と装蹄師も立ち上がり、
場内の観衆とともに、泣き崩れる勝者に向かって、
力いっぱいの拍手を送りはじめました。
2004年、12月31日。
この日の第8競走を持って、
群馬県・高崎競馬は80年余の歴史に幕を降ろしました。
(4)へつづく