不具の娘(3)
まるで守るように。
一人の体躯が、四人の魔導師とフィリアスとを隔てる形で人垣から滑り出てきた。
首の後ろで一纏めにして背の真ん中あたりまで伸ばしている髪は、水に青を少しだけ溶かしたような、淡い水色。陽光が輝いて宛ら水銀の輝きを思わせるが、何よりも目立つのは生き生きとした若葉を思わせる切れ長の瞳では無かろうか。
金銀の刺繍が煌く上質な長衣。左胸部分に輝く宝珠のブローチは、深く穏やかな緑を湛えた水草瑪瑙。"王立魔導学院"の輝ける魔導師の青年。
見知った背中へ、フィリアスは驚きと微かな喜びを込めて愛称を呼んだ。
「ヴィル」
ヴィーツェルア・フレイ。
"王立魔導学院"にこの人あり、とも言わしめる学院の星。
風を司る精霊の血筋が彼の家系には流れているとすら囁かれ、強い魔力の中でも風魔法に於いては上位魔導師をすら唸らせるという。優しげな面立ちに、スラリとした体躯。一本芯が通った凛々しい顔付きと容姿も、世の女性が放って置かない造形だ。
天は人に二物を与えず、という例えは何かの文献で見た記憶があるが、彼に関してはきっと二物どころか三物、四物も与えているに違いない。時折理不尽だ、とも思うのだが、如何せんヴィーツェルアは性格も大変宜しい為、怒るに怒れず毎度フィリアスは不完全燃焼気味である。
「な……!?ヴィーツェルア・フレイ!?」
「何故…何故、"風の詠み手"が不具の娘を庇う?」
風の詠み手。彼の二つ名。
通常、二つ名は上位魔導師以上の者に与えられる栄誉な称号だが、ヴィーツェルアは確か二年程前に王都で発生した、凶悪殺人事件の犯人逮捕に貢献し実績が認められて、二つ名を"魔導師協会"から特例授与された。
魔力を強く持つ瞳の色で元々周囲から注目されていたが、件の事件以降には学院以外の者達にも知れるところとなり、今や絶賛時の人なのだ。
学院内でも男女と問わず羨望の的である存在が、五年経っても学院に入学すらできない娘を庇っている。ヴィーツェルアの名を知らぬ筈のない、学院所属の魔導師達が驚愕するのも無理からぬ事か。
「言っただろう?フィリアス君は私の友人なんだ。 誰だって、自分の友人がこんな仕打ちを受けていたら、妨害してやりたくなるものだよね」
未だに驚きが抜け切れていない魔導師四人を尻目に、ヴィーツェルアは何処までものんびりとした口調を崩さず「ねえ?」と、背中に庇うフィリアスへ首を巡らせて問い掛けた。
若草色の瞳とまともにぶつかった薄紫色の瞳には、しかしながら先程までの嬉し気な表情から一変して、ちょっとした恐怖が浮かんでいた。
怒っている。見ただけでは分からないだろうが、滅茶苦茶に怒っている。
四人に対して怒るなら分かるが、被害者の私が何故どうしてこんな目をされなければいけないのだ!
思わず、「ヴィルさんや、怖いです」と意味を込めて恐々と見返してはみたが、喉で小さく笑われて、視線がフイッとフィリアスから四人の魔導師達へと移る。
友人と言っておきながら、む、無視……!
「それに、"不具"とは聞き捨てならないね。 彼女は君達より、余程優れた人だ」
いえあの、ヴィル。庇ってくれるのは、とっても嬉しいけれども。
公衆の面前で、そんなサラリと恥ずかしい事を言うのは止めて貰えないでしょうか!フィリアスは心の中で声を大にして叫んだが、実際に言った未来は想像が付く為口を噤む。
乙女には寡黙さも必要である。
「なっ……俺達より優れているだと!?」
「……バッシェ、行くぞ」
「ジェイ、だが!」
最初果物を破裂させた、バッシェと呼ばれる長身の魔導師が忽ち気色ばむ。
屈辱を与えられたと思ったのか、顔を赤くして食って掛かろうとした彼を制したのは、意外な事にフィリアスへ水を掛けた纏め役らしき銀髪の青年だった。
不具だ不具だと卑下してきた人間よりも、自分達が下だと言外に言われているに等しいのだ。矢張り不快感を如実に映した表情ではあるが、反抗したところで分が悪い事くらいは分かるらしい。
尚も言い募ろうとするバッシェ(愛称か本名かは知らないが)を睥睨すると、たじろぐ三人を残して長衣を翻し、戸惑いながら道を開ける見物人達の間をすり抜けて行く。
慌てて銀髪の魔導師を追い掛ける三人だが、最後に此方へ向けられたバッシェからの憎悪に似た視線に、フィリアスは背が寒くなる感覚を覚えた。
嫌な予感がひしひしとする。
この手の嫌がらせは過去何度もフィリアスは経験しているせいか、こういった事に関する危機感知能力だけは野生動物並みに鋭いのだ。特に目立つ事も望まないし、学院へ入学して上位魔導師になることだけが夢だというのに、どうしてこうも面倒事があちらからやってくるのだろうか。
ああ、もう嫌だ、今すぐ帰って寝たい。半ば現実逃避に走り、項垂れていたフィリアスの意識を現実に引き戻したのは、穏やかな男性の声(に、周囲の皆は聞こえるであろう)だった。
「平気かい?フィリアス君。 怪我はしていないかな」
「へっ、へへへへへいきです!そりゃもうバッチリばっちし私は元気です!」
面倒な人種をものの数分で追い払った"英雄"に、固唾を呑んで事の成り行きを見守っていた周囲から絶賛を浴びている青年の、目下興味の的はどうやっても外れてくれはしないらしい。
十人中十人が眉を顰めるような挙動不審たっぷりの言動をフィリアスが口にしても、ニコリと笑みを浮かべて見せるあたり、かなりの大物である。しかしながら、それを直接見せられたフィリアスはひい、と喉を声にならない悲鳴で震わせた。
「それは良かった。 嗚呼、でもやっぱり心配だな……おいでフィリアス君、詳しく話を聞こう」
「ええええええ!?わっ、私これからまだ仕事が……!」
「その格好で?」
「う」
確かに、ヴィーツェルアの魔法で下着までびしょ濡れだったフィリアスの服は、すっかりと乾いているし、果物の香りもして何だか気持ちまで軽い。
ただ、清潔感ある白だったブラウスは無残な斑色に染まっていたし、このままでは店に戻っても仕事が出来ない事は明白だった。
「乾きはしたけれど、その格好で?」
「うう……」
「精神的にも疲れただろう?私が店主に事情を話して、今日は休めるように掛け合うよ」
「……ハイ……」
皆からすれば、友人思いな魔導師からの誘いを何故ここまで渋るのか不思議に違いない。
知らぬが仏とは正にこの事だ。
これから暫くの間、わが身に降りかかる"不幸"を容易に脳内再生したフィリアスは、絶望的な気分を押し隠せない侭蚊の鳴く声で返事をした。というか、ハイかイエスで応えなければ、何が待っているか分かったものではない。つまり選択の余地は無いのだ。
嗚呼、今日は本当についていない。
ええい、どうにでもなれ!
半ばやけくそ気味にフィリアスは石畳を蹴ると、ヴィーツェルアの背を追って小走りに進み出した。
※水草瑪瑙
この石を持つ人に、自然の恵みと繁栄をもたらしてくれるといわれています。宝石言葉は、友愛、親子愛、家族愛、自然愛。 持ち主だけでなく、周囲にも癒しを齎し、対人関係を安定させる働きがあるそうです。