不具の娘(2)
全体的に差別的用語が使用されています。ご注意を。
不具……不具!?
何という差別用語を公共の面前で使うのだ!
フィリアスを見る周囲の者達が、その一言でさっと表情を変えた。
落ちこぼれとは散々言われてきたが、不具と呼ばれたのは流石に初めてだ。
……などと悠長に考えている場合では無い。魔導師達に見付からないうちに、とパン屋の女将は気を利かせてくれたが、どうやらしっかりばっちりと見付かっていたらしい。
望む、望まざるに関わらず、厄災は何時も唐突に足許から浚って来る。
「お前、フィリアス・アイシェールだな?」
今し方フィリアスへ魔法を使用した背の高い魔導師が、新しい玩具を見つけた、子供のような嬉々とした声で名を呼ぶ。
サッ、と人の波が引潮のように引いて、魔導師達四人とフィリアスの間を隔てるものは何も無くなった。残ったのは、身なりの良い魔導師と、弾けた果物の果汁で顔は勿論の事、白いブラウスや髪まで満遍なく汚れた(果物だから香りは良いのだが)フィリアスだけ。
「……確かに私ですけど。 だからといって、何だと」
「ははっ、これはいい! "何だと" だってさ!」
何がそんなに可笑しいのか。大袈裟な程に魔導師が両手を左右へ大きく広げ、フィリアスの言葉を反芻すると残りの三人も一様に薄笑いを浮かべて嘲笑にも似た色を乗せた。
「普通、一回落ちたら二度は受ける者がいない、"王立魔導学院"に五度も受験した挙句、結局一度も受かった試しが無い、落ちこぼれのフィリアス・アイシェール!」
顔の筋肉が引き攣るのだけは何とか堪えたが、内心でこの魔導師へ既に数十回は飛び蹴りを行っている。
確かに、魔導師が言っている事は嘘偽り無くフィリアスの事ではあるのだが。だから何だというのだ。大体、一回しか受けられない、何て受験基準はそもそも無いのだから、何度受けたって自由ではないか!
内心の憤りを隠すように、フィリアスは息を深く吐いた。
何度も試験に挑んでいると、どうしてもこういった類の人種が前へ立ち塞がってくる。
自分達が正しい。
自分達は正義だ。
自分達こそ敬われる存在だ。
フィリアスからしてみれば、呪文を声高らかに使用している時点で、笑止千万だというのに。精霊達を見ようとも意識しない時点で、論外だというのに。
しかしながら、思った事をその侭口に出してみた後の結末は、悲惨な状況が広がりそうだ、という事くらいは流石のフィリアスでも分かる。その為、毎度フィリアスはちょっと困ったような笑みで話を聞き流…もとい、話を聞いて切り抜けている。
馬鹿馬鹿しい。一度で合格したか知らないが、人間として最低限の礼節くらいお前様達はまず持ち合わせたらどうなのだ。
顔の表情には全く出さずにフィリアスは毒付くと、折角安価で仕入れた果物の恨みも見事に押し隠して、曖昧に笑ってみせた。我慢である。
食って掛かった挙句、フィリアスだけでなく周囲に被害が及ぶのは望まない。
「御力の強い皆様に比べれば、不具と言われても仕方が無いのかもしれませんが……それでも、何故このような行いを受けねばならないのでしょうか?」
少し改めた口調で、決して内心の沸き立つ怒りを表さないようにしながらも、フィリアスは役者では無い為、どうしても慇懃無礼な響きを滲ませてしまう。
それが面白いのだろう。全くもって人の悪い薄笑いを魔導師は浮かべると、まるで小さな子供に言い聞かせるような口振りでいけしゃあしゃあとした声を掛けた。
「ハッ、果物には栄養が豊富だろう?直接被ったら、少しはその頭も良くなるかと思ってね。 慈悲だよ、慈悲、優しいだろ?」
「なっ……」
「おいおい、バッシェ。 あんまり本当の事を言うなよ、可哀相だろ」
「違いない!」
どっ、と笑い始める四人を尻目に、フィリアスは思わず絶句し、瞳を見開いた。
こうなると、最早彼等が行っている事は唯の私刑に他ならない。
つまるところ、魔導具を扱う店の店主から、矛先が自分へと明確に変更されたらしい。より、面白く。より、陥れがいのある玩具に。
「……その格好は、余りに憐れだな」
四人の中で纏め役らしい、銀髪の青年が笑いを納めると、すっと片手を身体の前へと差し伸べた。バッシュ、と呼ばれた魔導師を含め、残りの三人も青年の意図するところを察しているらしい。
止めるでも無く、寧ろこれから起こる"面白い事"を心待ちにしている心情が、ありありと透けて見える。
『エン・フェンディア・ウォーティ』
流水を思わせる優雅な所作からして、どこか上流階級の子息だろうか。
動きは酷く完成されていて、息を呑み見守る皆々も思わずと感嘆の息を吐いた。
だが。
フィリアスには"見えて"いた。
飛魚のような姿で空気の中を水中のように自在に泳ぎながらも、悲し気に揺れる、水の精霊達が。
大気が揺らぎ、青年の差し伸べる掌へ次第に水が集まり始めた。軈てその水分は見る見るうちにフィリアスの頭一つ分程の大きさの水球へと体積を増してゆく。
『クウェイ・ティース』
嗚呼、昨日に引き続き何てついていないのだろう。
せめて一週間くらいは放って置いて欲しい。大体、憐れも何もフィリアスの果物を断り無く破裂させたのは其方ではないか!
あんまりな仕打ちに、思わず視界がぼやりと揺らぎ始めるが、泣き顔を晒したところで彼等を喜ばせるだけだというのは嫌でも分かる為、フィリアスは唇を噛み締めて青年を睨め付けた。最早意地である。
絶対に、泣いてなど、やるものか。
青年の掌から、呪文に従い一瞬でフィリアスの頭上へと転移した水球は、保っていた形を崩して重力に従い落下し――真下に居た、フィリアスへと降り注いだ。
「ほら、奇麗になっただろう?嗚呼、今度は水に濡れたが、些細な事だ。 どうせ、濡れていようが乾いていようが、不具の娘に変わりは無い」
凍りついたように表情を強張らせる周囲とは逆に、どっ、と四人は嘲笑を上げた。
まともに水を被ったフィリアスは、髪から衣服から、下着に至るまで全身濡れ鼠になっていた。ぺったりと張り付く灰色のくすんだ髪の隙間に、薄紫色の瞳が静かな怒りを湛えて揺らいでいる。
心の奥底が次第に冷えてゆく。
冷たい感情がふつふつと身体の奥から湧き上がってくる不快な感覚の侭に怒声を発してしまいそうになる自分を必死に抑えながら、籠を抱える腕にギシリと力を込めた。
決して、自身に対する扱いに怒っているのではない。こんな者達が精霊達を良いように呪文で縛り、使っている事が何よりもフィリアスを苛立だせた。
心の広い、優しい乙女も我慢の限界である。
その奇麗な横顔を一度張り倒して、正座させてから小一時間程説教してやろう。一緒に魔導具を扱っている店主にも謝らせよう、そうしよう。
『……リア・フォーリィ』
今正に魔導師と距離を狭めようとしていたフィリアスを、春の穏やかな風に似た空気がやんわりと包み込み、濡れた髪や衣服から水分を奪い去ってゆく。吹き抜ける風に混ざって、背に半透明の双羽を生やした妖精が微笑みながら消える様を、半ば唖然としてフィリアスは見送った。
魔導師達が衣服を乾かしてくれた訳ではない事くらい、呆気に取られた表情から容易に汲み取れる。見守っていた見物人達もそれは一緒だ。
「彼女は私の友人なんだ。 苛めるのはやめてくれないかな?でないと、君達の師匠に私は報告しなくてはならないよ」
優しい風に似た、穏やかな声が聞こえた。