這い寄る厄災(2)
フィリアスは嘆く。
本来、魔法に通ずる魔力とはユーフォリアの人へ、神々と精霊達が与えた祝福であり、それは決して優劣を付けるべきものでは無い。
強いも、弱いも、人が判断し"祝福"に付けてはいけないのだ。
嘆きの意味を理解出来る者は、今は酷く少ない。
それがフィリアスを、余計に悲しくさせた。
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「此処は、お前如き者が来て良い場所では無い!」
穏やかだった空気は、そのたった一言でぴりりと鋭さを帯びた。
奇異の眼差しであっても、決して排他的では無かった他の魔導師達とて、フィリアスが件の"落ちこぼれ"であると気付くや否や、面倒事は御免だとばかりに皆其々視線を外し、そっと離れて行く。
今迄浮かべていた普段の笑みを掻き消し、少しだけ困ったようにフィリアスは笑いながら見下ろす三人組を見上げた。はて。そういえば今日は一人、市場では纏め役だと見受けられた銀髪の青年が居無い。
「一般人にも解放されている講義に、参加する為此方へと来ました。 これは禁じられている事では無いし、貴方達に行動を規制される権限もありません」
「生意気な、不具の娘が我等に楯突くか」
「……っ……そんなつもりは」
先日、市場での出来事はどうやら彼等の中から、未だ怒りの焔を灯し続けているらしい。瞳や言動、態度から明確にフィリアスへの憎悪にも似た暗い感情が簡単に読み取れる。
助けてくれた事には感謝しているが、矜持の高いこの手の魔導師へ自尊心を傷付ける事を言えば、どうなるかくらい理解していた筈なのだ。
ヴィルめ、余計な事を公衆の面前で言ってくれたものですね。
内心で、"風の詠み手"たる友人へ助けてもらった事は一先ず棚に上げ恨み言を零しながらも、別の意識にてフィリアスはこの現状を如何するべきかと頭を抱えていた。激情に駆られた人間程、厄介なものはない。
「……先程から聞いていれば……」
小鳥が囀るような、可憐な声であるというのに、この威圧感。
背に嫌な汗が生まれるのを感じながら、恐る恐る振り返ったフィリアスは、忽ち自分の行動を心から後悔し、ひえええ!と、心中で悲鳴を上げた。
「お姉さまはお優しいから何も言いませんけど、無礼な態度は私が許しませんよ」
「ミ、ミル……」
「生皮切り刻まれるのと、服を剥がれて放り出されるのはどちらが宜しいかしら?」
今すぐ卒倒したい。
軽く首を傾けて、いっそ優雅に微笑む様は美しく完璧だというのに、オリーブ色の瞳は凄絶に輝いて三人の魔導師達を射抜く。
まるで今日の夕飯の話でもするように、何気なく問い掛けた内容が咄嗟には理解出来なかったのか、一瞬惚けたようにミルフェリアを見ていた魔導師達は、次の瞬間意図を理解してサッと表情を変えた。
「ミルフェリア・フォーレルランス……!?」
どうやら、憎きフィリアスを見付けた事で、丁度陰になったミルフェリアは眼中に無かったらしい。だが、此処迄見えぬ重圧が増せば、流石に意識が向かざるを得ない。
そして、ミルフェリアも又、魔力溢れる実力者。
例えそこそこに力有る魔導師三人とて、叶わぬ相手なのだ。顔色を変えるのも無理は無い。
「私の名をみだりに呼ばないで頂けますか?お姉さまを侮辱する様な下賎の輩に、お姉さまも、私の名も呼ぶ資格を与えた心算はありませんけれど」
――うわああああああああああっ!
可愛らしい声で何という事をさっぱりさらりと言うのですかこの人は!
背だけで無く、額にまで滲んできた汗を拭う余裕すら無く、人形のように可愛らしい外見に似合わず猪突猛進且つ、毒舌な少女が行動に出る前に、フィリアスはミルフェリアの口を後ろから必死に押さえ付け、自分でも驚く程素早く立ち上がった。
「たっ、た、た、大変失礼を致しました!今直ぐに学院から出て行きますので!」
「お姉さま!どうしてお姉さまがむぐっ」
「栄位なる魔導師の皆様、精霊と神々の祝福がありますように」
手から逃れたミルフェリアが、尚も言葉を吐こうとしているのを再度阻止したのは我ながら良い仕事をしたと思う。この侭ミルフェリアに話させていたら、そのうちに血の雨が降るに違いない。
むぐむぐと手の下で未だ何か喋っているミルフェリアを押さえ付けながら、魔導師三人へ引き攣った笑いを浮かべると、何か言われる前に、或いはミルフェリアが実力行使に出る前にクルリと背を向けてミルフェリアをしっかりと抱え、脱兎の如く駆け出した。
「何故!……風の一族……不具……出来損ない…庇護する……!?」
全力で走っている為、風に阻まれて鼓膜を震わせる声は途切れ途切れだ。
それでも、滲み出る憎悪と、言いたい事はフィリアスにも理解出来る。
考えても詮無い事に、ふと口角が緩んだ。
何故。何故だろうか。
ヴィーツェルアも、ミルフェリアも、"風の一族"と呼ばれる古より魔導師を多く輩出する貴族の血がその身を流れている。本来なら、孤児であるフィリアスとの接点等万に一つも無いのだ。
正直、フィリアス自身不思議であった。呪文を使わずに魔法を発動させる事が可能で、この時代ではある意味特異体質だから、という理由だけで無いのは明白だからである。
唯の興味で、何年も共に過ごしたりはしないだろうし、こうまでして助けてくれようとも思わないだろう。実に不可解だ。以前この事を二人に問い掛けたら、顔を見合わせて意味深に笑うだけで教えてもらえなかったし。
まあ少なくとも好いて居てくれているので、問題は無いのだけれど。と、思考を飛ばしていたフィリアスは、必死に腕を叩く掌の感触に漸く気付き、慌てて友人の口を押さえていた手を離した。まずい、顔が青くなっている。
「……ひどいです」
「ごめんね、ミルリィ。 庇ってくれたのは嬉しいけど、ミルリィまで目の敵にされる必要は無いよ」
そっと背後を振り返る。良かった、どうやら追っては来ていないようだ。
軽く乱れた呼吸を整えながら、フィリアスは友人の小さな身体を開放した。何ですかその恨みがましい目は。どうしてこうも、ヴィルといいミルリィといい、見た目に似合わぬ性格の持ち主なのだ!
「納得いきません!あんな事を言われるなんてっ!お姉さまは学院一……いいえ、この王国でも屈指の魔力と力をお持ちだというのに!」
「ミルリィ」
本当に優しい娘だとフィリアスは思う。
尊き血を持つ誇り高き貴族だというのに、身分の垣根を越えて、これほど心配してくれている。自分が男だったら間違いなくお嫁さんに……という邪推を脇へと除けて、フィリアスは軽く首を振る事で、それ以上ミルフェリアが続ける事を拒んだ。
「有難う、ミルリィ……でも、良いの、言いたい人には言わせておけば。 それに、私には、私の事を分かってくれている人がいるから」
二人の友人と、イクトゥースが居なければフィリアスはとっくの昔に村へと帰っていた。
今、ここにこうして居られるのは、間違い無く皆の御蔭なのだ。
「だから、平気よ」
この気持ちに嘘は無い。
フィリアスは絶句するミルフェリアへ、心からの笑顔を向けた。
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……それで彼女が納得する筈も無く。
散々「お姉さまは優しすぎます」とか、「もっと危機感を~」とか、挙句の果てには「あんな不届き者は切り刻んで」とか言いたい放題のミルフェリアを何とか宥め透かして落ち着かせた後、一緒にお茶をして、髪を梳かしたいと言うので弄られて、どうにかこうにかご機嫌を回復するに至った訳であるが。
ううう!
此処数日、心休まる日が無い気がする。
危ないから自宅としている宿屋まで送る、という提案を丁重に断ったのがいけなかったのだろうか。いやだが、あんな二頭立ての高級馬車で送迎された日には、尾ひれがついて噂になりそうだし……。
――ビシッ!
「……ッ!あ、危なっ、街中で攻撃魔法を使うなんて!」
ちょっとした思案すらどうやら"追手"は許してくれぬらしい。
全力疾走する足元の石畳が鋭い音と共に弾け飛ぶと、慌ててフィリアスは手近な路地へと飛び込み、建物の陰に身を隠した。
荒ぐ呼吸すら、無理矢理に隠して息を潜め、身体を小さくすると、先程までフィリアスが走っていた路地の先を殺気立った複数の気配が凄まじい速さで駆け抜けて行く。ぴりぴりとした気配が完全に感じられなくなってから、漸くフィリアスは押し殺した呼吸を開放し、息を整えた。
ミルフェリアと別れ、自宅へ向かっていたフィリアスをまるで見張っていたかのように現れたのはあの三人の魔導師であった。また何かと警戒する暇も無く、問答無用で腕を掴み、何処かへ連れて行こうとする三人に身の危険を覚え、咄嗟に腕を振り払ったものの、その結果がこれである。
かれこれ数十分は王都を追い掛け回されている。自分の足で逃げているフィリアスと違い、風の魔法を使っている彼等に疲労等有りはせぬ。此処迄逃げおおせているのは、ひとえにフィリアスが王都の地理を把握し、細かい路地を逃げ続けている為であった。
言葉を操れない小さな精霊達が、先程から心配気にフィリアスの周囲を乱舞している。大丈夫との意味を込めて、微笑みながら立ち上がったフィリアスの表情が瞬時に強張った。
『ラル・レイラ』
「――っ!」
声にならない悲鳴がフィリアスの口から零れ出た。
目の奥が眩い程にちかちかと明滅し、身体中を不快な痺れが覆い尽くす。
電撃の魔法を当てられた、と理解した時には、フィリアスの身体は暗い石畳へ倒れていた。痺れた身体では上手く受身を取れず、どうやら後頭部を打ったらしい、ずきずきと疼痛を齎す痛みが逆に自由の利かぬ身体の代わりに、意識を明瞭とした。
「ちょこちょこと、鼠のように……」
通り過ぎた、と思って居たが、どうやらしっかり見付かっていたらしい。
先日、市場でフィリアスが持っていた果物を破裂させた、背の高い魔導師が暗闇から進み出ると、憎々しげに言葉を吐き捨てて鋭利な視線で横たわるフィリアスを睨み付けた。
女性に対して、遠慮と云うものを知らぬらしい。身体の痺れは舌先に迄及び、喋る事の出来無いフィリアスを鼻で笑うと、フィリアスに向けて掌を翳した。
『スリファ・アル・レムリア』
――眠りの魔法。
見られている。
ヴィルは警告してくれていたのだ。何故、もっとこの言葉に注意していなかったのだろう。
何をするつもりなのかは分からないが、歓迎すべき事では無いという事は魔導師達の目を見れば分かる。眠ってはいけない、と必死に自分を叱咤しても、"呪文返し"すら行えぬフィリアスに阻む術は無かった。
「お前等より、俺達が余程優れている事……思い知らせてやる」
一体、誰に?
その言葉の意味を深く考えるより前に、フィリアスの意識は闇へと沈んだ。




