星をたどる
テーマは「星」
文学研究会の部誌制作で作った短編小説です。
上を見やると、そこにあったのは月明りを受けて鈍く光る五芒星(だった。僕にとって、その五芒星は憧れで、手を伸ばせば届きそうなのに届かなくて、摑めそうなのに摑めなくて、何ものにも代えがたい宝物だった。
「…おい、そろそろ返せ。見ててもそんなに面白くないだろ。それにしても、どうしてそんなに俺の帽子を見たがる。別にどこの将校も着けている普通の帽子だぞ」
「……」
「なんで黙る。答えろ」
「世界一かっこよくて、羨ましいからです」
「この帽子がか?」
「違います。その五芒星です」
「この五芒星、ただの金属だぞ。こんなの――」
「そんなことありません」
僕は全力で否定する。
「上官だから、上官の五芒星だからかっこよくて、羨ましいんです」
「……わかった。もういい。ただし、風で飛ばすなよ。お前は前科があるからな」
上官がまた苦笑する。主人公は帽子を抱えながら、上官に隠れてこっそり五芒星を指でなぞる。
――冷たい。ただの金属だった。長年の行軍のせいだろうか。少し角が丸くなったり、欠けていたりして、でも、丁寧に手入れされているからなのか、鏡のように、僕の顔を映しながら月光を反射していた。そんな、ただの金属だった。それなのに、どうしてこんなに特別に見えるのだろう。
*
容赦なく照りつける太陽と、ねっとりと肌に張り付く湿気が、僕たちの体力を確実に削り取っていた。一歩歩くたびに、ブーツの中で汗が音を立てる。そんな長距離行軍の終盤だった。古参兵の顔は異様に赤かった。汗が止まらず、肩で息をしている。数歩よろめいたかと思うと、そのまま膝から崩れ落ちた。この熱帯地域だ、おそらくマラリアだろう。誰もが顔をしかめた。近くの人はその古参兵から距離をとる。マラリアに対する特効薬がないこの状況、感染は何としてでも避けなくてはならない。まして戦況が悪化している時期だ。看病のためにより多くの食料などを使うわけにはいかない、みんなそう思っていた。
「立て」
野太く、威厳のある声で、誰かが言った。古参兵は立たなかった。いや、立てなかった。古参兵は震えていた。唇も青い。返事すらできない。僕は目を逸らしていた。近寄りたくなかった。荷物を持ちたくなかった。病気がうつるかもしれないと思った。食料が減ると思った。あの兵士がどうなろうと知ったことではないと思った。いっそ置いていけばいいとさえ思った。死ぬなら死ねばいい。そう思った。少なくとも、あの場にいた誰もが前へ出ようとはしなかった。
なのに。
上官だけが違った。
上官はしばらくその顔を見つめた。
上官は躊躇わなかった。古参兵の前に膝をつくと、その泥まみれの背嚢を自分の肩へと担ぎ上げる。普段なら二人で運ぶ量だ。男の太い体躯が、ずしりと重苦しい音を立ててきしんだ。周囲がざわめく。「また荷物が増えるぞ」
「どうせ助からない」
「こいつ、部下の俺らに対して酷い態度とってたからな、自業自得だ。そのまま死ねばいいんだ」
「なんでこんな奴なんかを――」
でも、上官は振り返らない。
「歩けるな」
古参兵は答えない。いや、答えられない。上官はもう一度言った。
「歩けるな」
今度は小さく頷いた。上官はそれ以上何も言わず、再び先頭を歩き始めた。
僕はその背中を見ていた。
これは生存本能だ。弱者を切り捨てるのはこの世界では正しい判断だ。あんなことを思った僕は悪くない。
そう、悪くないんだ。
悪くない。
悪くない――
それなのに、なぜか、上官の姿が眩しかった。帽子の五芒星が夕日に光っていた。その日からだった。僕にとって、あの五芒星が特別になったのは。
*
それから数日後のことだった。僕にも、あの日の上官の真似ができる「機会」が訪れた。
部隊の最後尾を歩いていた初年兵が、ぬかるんだ泥に足を取られて激しく転倒した。あの日と同じ、じっとりとした不快な熱気が僕たちの体力を削り取っていた。周囲の兵士たちは、やはり忌々しそうに舌打ちをして、見て見ぬふりで通り過ぎていく。
僕は、胸を高鳴らせながら一歩前へ出た。あの眩しい背中を、今度は僕がなぞる番だと思った。上官のように無言で、彼の重い背嚢を引き受けようとした。
「僕が持つ」
そう言って荷物に手をかけた。けれど、僕の体は上官ほど頑強ではなかった。二人分の荷物の重さは、想像を絶する暴力となって僕の肩ときしむ骨に食い込んだ。一歩進むだけで膝が笑い、肺が焼けるように熱い。
何より違ったのは、僕の心の中だった。
(これで、僕もあの上官に近づけた。あの上官と同じ、高潔な人間になれた)
そんな浅ましい自己満足と、見栄のような下心が、頭の片隅にこびりついて離れなかった。そして、わずか数百メートル進んだだけで、僕の心は悲鳴を上げた。なぜ僕がこんな目に遭わなければならないのか。なぜこの男はもっと早く歩けないのか。醜い怒りと怨嗟が、内側から黒く噴き出してくる。
結局、僕は次の休憩地に着くやいなや、放り出すようにしてその荷物を初年兵に突き返してしまった。初年兵は怯えた目で僕を気まずそうに見つめ、僕はいたたまれなくなって目を逸らした。
星の光を追いかけて、初めて知った。僕が追いかけた星は、あまりにも高くて、あまりにも重い。僕が指先で触れたあの金属の五芒星は、上官の圧倒的な覚悟と孤独という痛みを伴って、そこに鈍く光っていたのだ。僕はその上辺だけの輝きをなぞって、勝手に分かった気になっていただけだった。
少なくとも、その日の僕は上官ではなかった。あの五芒星の本当の意味を、僕は何も摑めていなかった。
*
夜だった。虫の羽音が聞こえる。風が耳のそばを通る音が聞こえる。妙に静かな夜だった。
敵の砲撃は唐突に始まった。誰かが叫ぶ。伏せろ、と。直後、世界が白く弾けた。地面に叩きつけられる。
耳鳴り。
土の臭い。
火薬の臭い。
何も聞こえない。しばらくして、ようやく顔を起こした。まだ体は動かない。
「上官」
そう呼ぼうとした。声にならなかった視線を巡らせる。
上を見やると、そこにあったのは月明りを受けて鈍く光る五芒星だった。僕にとって、その五芒星は憧れで、手を伸ばせば届きそうなのに届かなくて、摑めそうなのに摑めなくて、何ものにも代えがたい宝物だった。
ふらつきながら駆け寄る。その時だった。背後で草を踏む音がした。振り返る。月明かりの中に、見慣れない星章が浮かんでいた。
四十八の星。
僕はその意味を知っていた。敵だ。月明かりに照らされた敵兵の影は、信じられないほど巨大に見えた。敵兵が構えた小銃の金属音が、妙に静かな夜の空気に鋭く響く。
視界の端で、僕の宝物である五芒星が、なおも美しく鈍く光っていた。そのすぐ近くで、冷徹な鉄の筒が僕を捉える。
その筒の奥は、夜よりも暗かった。




